<第十五章:タチムカウ>


目尻から涙が伝うのを感じて、聖は目を覚ました。
二、三度瞬きをし、自分が夢を見ていたことを思い出す。
けれど、多くの夢が、目覚めと共に霧散してしまうように―――その夢も、既に忘却の彼方だった。
悪夢だったのだろうか、全身に汗をかき、寝巻きがぐっしょりと濡れていた。
「聖?」
不意に障子戸が開き、剣心が顔を覗かせた。剣心の背後の空が、白んだ青色をしていて、朝が来たことを知る。
剣心は、聖の憔悴した様子を見て、そのまま部屋に入り、布団の横に腰を下ろした。
「どうしたでござるか? 何だか、うなされていたようでござったし・・・・」
聖に宛がわれたのは、剣心の隣の部屋だった。だから、聖には身に覚えがないが、本当にうなされていたのだとしたら、剣心に聞こえていても無理はない。
「すごい汗でござるな。何か、夢でも見たのでござるか?」
聖は首を横に振った。
「覚えてないんだ。懐かしい夢を見たような気がする。もしかしたら、昔の夢だったのかもしれない。
でも、どんな内容だったのか、全然思い出せない・・・・・」
辛そうに俯く聖。剣心は、黙ってその横顔を見つめていた。
黒みがかった翡翠のようにも見える、その瞳。強い意思を秘めているのに、時々それは、壊れそうな脆い輝きを放つ。
今、聖はまさにそんな感じの目をしていた。
「そうでござるか・・・。無理もないでござるな。聖の、その悲しそうな目を見れば、余程の体験をしてきたのが分かる。思い出せば、心をズタズタに引き裂かれぬ程の・・・・」
聖は、きゅっと唇を噛み締めた。
「聖・・・・記憶が戻らぬことが、辛いのでござるか?」
剣心の、静かなその問いに、聖はこくりと頷いた。
「そうでござろうな。しかし、真に必要な記憶なら、きっと思い出すはずでござる。思い出せぬのは、その必要が無いから・・・・。
神爪の里が、本当に聖の故郷だとしても、もういいではござらぬか。聖は、聖の思うように生きればよいでござるよ・・・」
『そのうち思い出せる』とは、言わなかった。今の聖には、気休めにもならないだろう。
だから、剣心は思うままを述べた。聖は、聖自身の生き方をすれば良いと。
「ぼくの思うように・・・・?」
聖は、剣心のその言葉に顔を上げた。
そんな風に考えた事は無かった。
―――もしも、何も思い出せなかったら?―――
今まで、ずっとそんな不安を抱えていた。失くした記憶にこだわり過ぎて、『今』の自分を見ていなかった。
そう、どんな過去があっても、その記憶が無くても、聖は”聖”という、一人の人間として、生きていけばいい。
今の言葉で、それに気付かされた。
薫に弥彦、宗次郎、左之助・・・・それに剣心。彼らと出逢ったのは、今の自分。みんな、今の”聖”を受け入れてくれたじゃないか。
今度は自分が、自分を受け入れる番だ。
「拙者の言う事が分かるかな?」
優しく微笑みかけてくる剣心に、聖は力強く頷いた。
「ぼくは・・・・ぼくのままでいいんだよね・・・!」
「ああ、そうでござるよ」
肯定の言葉に、聖は何だか嬉しくなって、思わず叫んだ。
「ありがとう、剣心! よーっし、これからも頑張るぞー!!」
「ハハハ・・・・元気が一番でござるよ」
元気を取り戻した聖に、剣心の頬も緩む。
と、
「!」
表の方から爆音が聞こえた。はっとして二人は、その方向へ目を向けた。
「表からでござるな」
「行ってみよう!」
聖は大急ぎで着替えて、剣心と共に部屋を出た。廊下の途中で、弥彦と薫、宗次郎と合流する。
「二人とも、さっきの音聞こえた!?」
「門のとこみたいだ。行ってみようぜ」
それぞれに武器を手にし、表の門に向かう。
晴れていたはずの空にはいつの間にか暗雲がかかっていて、雨が降り出しており辺りも薄暗く・・・・けれど門に面した道に、十数人の人影が見える。
最前列に、代表格のように立っていたのは、根津、結城、海野の三人だった。
門の側が、どこも破損していない事から、どうやら彼らは聖達をおびき出すために、何かを爆発させたように思えた。
「探したよ。神爪の生き残りがいるなら、放っておけない」
くくっと笑いながら海野が言った。その目は、聖にはっきりと焦点を合わせている。
「驚いたぜ、まさかこんなガキが、神爪の里のもんだったとはな」
「てめえがまだ生きてやがったことの方が、俺には驚きだぜ」
根津の言葉に、どこからか返事があった。一同がばっとそちらを見ると、左之助が悠々と歩いてくるのが見えた。
「左之さん!」
「よぉ、聖。何となく、嫌な予感がして来てみたんだが、大当たりだったな」
左之助は、ぎろり、と根津を睨んだ。
根津の方も、左之助を睨み返す。数日前の東京での闘いの時、根津は宗次郎に負けた後、左之助に投げ飛ばされた。その時の屈辱を、忘れてはいないのだ。
「ごたごちゃ鳴いてんじゃねぇ! オイ、そこのトリ頭! 今日こそぶっ倒してやるから、かかってこい!」
「ほぉ・・・・面白ぇじゃねぇか」
左之助は、根津の挑発にあっさり乗った。喧嘩屋は廃業しても、売られた喧嘩は買う。それが左之助だ。
ぼきぼきと拳を鳴らし、不敵な笑みを根津に向けている。
「大体、誰がトリ頭だコラァ! お前だって、似たような髪形だろうが!」
「はん! 俺の方が、お前よりも粋な髪形してるぜ!」
「何だと!? この長髪トリ頭!」
「んだとォ!? ただのトリ頭の癖に!」
どっちもどっちだよ・・・・と誰もが口に出さずに思った。海野も、「この馬鹿者が・・・・」といった顔をしている。
二人の口ゲンカを半ば呆れて見ていた聖達。と、
「聖君、僕、結城さんと闘いたいんだけど、いい?」
そっと、宗次郎が聖に耳打ちした。聖は、左近児をあんな風に殺した結城を許せなかったし、この間の闘いで、無我夢中のうちに倒していたとはいえ、今度会ったら、叩きのめしたいとも思っていた。けれど、宗次郎も、色々と思うところあるのだろう。
あの時、普段微笑みを絶やさない宗次郎が、凍てつくような表情をしていた事から、それが分かる。
「うん、頼むよ。じゃあ・・・・ぼくは海野と闘う」
「承知した。拙者達は、周りの雑兵達を片付けるでござる」
頷き合い、張り詰めた空気が流れた。
「行くでござるよ!」
剣心がそう叫んで地を蹴ると同時に、聖達も、そして根津達も動いた。
気合の声を上げて、根津は左之助に斬りかかった。
「ウラァアアアアアッ!」
「しゃらくせぇええっ!」
中段に向けての斬撃に、左之助は真っ向から挑んだ。刃が体に当たる前に、思いっきり拳打を打ち込む。根津は痛みで刀を取り落としそうになるが、気合で絶え、キッと左之助を見据えると、更に斬りつけようとする。
「まだまだッ!」
唐竹の形で刀を振り下ろした根津、それが当たっていれば、左之助は真っ二つになっていただろう。しかし左之助は、持ち前の反射神経で、既に根津の隣に回り込んでいた。技を放った後の隙だらけの彼を、思いっきり蹴り上げる。
「ぐはっ・・・・!」
肋骨の辺りに衝撃が走り、根津は勢いのままに壁に打ち付けられた。
ぐったりしている彼に、左之助が勝ち誇った笑みを浮かべる。
一方、結城と宗次郎との闘いはというと。
「ひ、ひいいいっ・・・・・」
結城が、情けない声を上げていた。
宗次郎が、一瞬で結城の間合いに飛び込み、喉笛に木刀を突きつけていたからだった。結城が後退すれば、宗次郎の木刀の切っ先も、吸い付くようにススス・・・とそのまま追っていく。いつの間にか、背のすぐ後ろは壁になっていて、もう逃げようが無かった。
結城が蒼白い顔でガタガタ震えているのを見て、宗次郎は柔和な表情のまま、
「あなたが、今後もあの人達に加担するなら、それはそれで構いません。でも、僕達の前に、二度と姿を見せないで下さい。もしも見せたなら、どうなるか・・・・・分かりますよね?」
トドメに、にっこりと笑った。その笑顔が、逆に恐ろしい。結城は半分魂の抜けた状態で、こくこくと頷いた。
それを見て宗次郎は、ようやく切っ先を離す。と、その瞬間、結城は脱兎の如く逃げていった。多分、宗次郎の言葉通り、もう姿を見せる事は無いだろう。
「ふん・・・・・根津も結城も、情けない・・・・!」
彼らの闘いを横目で見ながら、海野はそう吐き捨てた。聖はそんな海野を、黙ってじっと見据えている。
未だ、海野と聖は、刀を交わしていなかった。下妻町で対峙したとはいえ、海野とは闘っていない。相手の出方を、分かりかねているのだ。
けれど、いつまでもこうしているわけにも行かない。
聖は先に攻撃を仕掛けることにした。ダッと駆け出し、間合いを詰める。
向かってきた聖に、海野はニィ、と笑った。
「食らえ! 秘密兵器じゃ!」
懐から炸裂弾を取り出し、聖に投げつける・・・・はずだった。だがその前に、聖は海野に拳打を入れていた。海野の予測以上に、聖は速かったのだ。
痩せ細った海野の体は、聖の強烈な拳打に耐えられず、呆気なく吹っ飛ばされた。
「フギャッ・・・・・く、くそぉっ!」
がばっと立ち上がって、再び聖に向き合う海野。しかしその時は、聖の第二撃が飛んできていた。顎を下段から打ち上げられて、海野の体は、またも吹っ飛んだ。
そうして、三局の闘いがすべて終わる頃には、剣心達も、雑魚どもを一掃し終わっていた。
「・・・・まだ、闘う気?」
痛みに顔をしかめながらも、ぐぐ、と起き上がろうとする海野に、聖は静かに問いかけた。
海野は思った。やはり強い、神爪の者は。このまま生かしておけば、自分達にとって、かなりと脅威となろう。何としてでも、ここで仕留めなくては。けれど、体が思うように動かない。
「うう・・・・・わ、我らは負けられない。十勇士の名に賭けて・・・・・」
「チクショウ・・・・・こんなところで・・・・・」
近くで伸びていた根津も、悔しそうに声を漏らす。
海野は力尽き、仰向けに倒れた。と、祈るように、叫び声を上げた。
「さ・・・・真田様―――っ!!」
突如、その声に呼応するように、黒い影が塀の上に現れた。黒く見えたのは、身に纏っていた、緑がかった漆黒の忍び装束のせいだろう。
聖達がそれに反応するより早く、その影は煙幕を放っていた。そしてその煙幕が晴れると、根津と海野、そしてその黒い影の姿はどこにも無かった。
「きっ、消えた!?」
「落ち着けよ! 単なる目くらましに決まってらぁ!」
慌てる薫に、左之助がそう言葉を返す。
剣心が、何事かを考え込むように、
「それにしても、迂闊だったでござるな」
「何が?」
聖が聞き返すと、剣心は真摯な表情で続けた。
「海野は、”真田”という名を呼んでいた。十勇士である以上、奴らを統べる者がいて当然・・・・」
「そういえば・・・・」
聖もはっと気付く。十勇士が、悪事を働いているのは分かった。しかし、更にその上に黒幕がいる可能性を、考えてはいなかったからだ。
「じゃあ、さっきの黒装束の男が、真田・・・?」
「それは・・・分からんでござるよ。けれど、十勇士を追っていけば、いつか会う事になるのでござろうな」
場が、しん、と静まり返り、ただ雨の音だけが聞こえる。
聖が何事かを言いかけた時、先ほど左之助がやってきた道から、一人の男が歩いて来るのが見えた。その姿には見覚えがあった。そう、あれは桧ノ山隼人だ。
「桧ノ山さん! どうしたの?」
「おう、聖、久しぶりだな。実は、知らせたい事があるんだ。北東の渋川町で、騒ぎが持ち上がっててさ」
それを聞いて、弥彦が身を乗り出す。
「渋川町? また、十勇士に操られた、お前みたいな奴が暴れてんのか?」
「ちがうっつーのチビ。何でも、化け物が出るとかっていうんだ。それで、調べに行った役人とかも、みんな化け物にとっ捕まったとか・・・・」
「化け物? そんなの、本当にいるの?」
訝しげに聖が問うと、宗次郎が口を挟んだ。
「でも、新座村の鬼婆の一件もあるし、また十勇士が絡んでるのかもしれませんよ」
確かに、それも一理ある。
「何にしろ、放っておけぬでござるな」
「そうね。でも、桧ノ山さん? どうしてわざわざ教えに来てくれたの?」
不思議そうに尋ねる薫に、桧ノ山は照れ臭そうに頭を掻いて。
「俺、あんた達には借りがあるからよ。俺らを操ってた誰かと闘ってんだろ?」
「うん」
「なら、いいじゃんよ。とにかく行ってみろよ。何か掴めるかもしれねぇし」
もしその騒ぎが本当だとしたら、見過ごすわけには行かないし、十勇士が起こしているのだとしたら尚更だ。
桧ノ山の言う通り、ここはその渋川町に行ってみるべきだろう。
「そうだね。ありがとう」
「礼なんかいいって。じゃーな!」
桧ノ山はそのまま、手を振りながら爽やかに去っていった。
その姿が見えなくなると、確かめるように聖は呟く。
「北東の、渋川町か・・・・」
「どちらにせよ、ここを知られたからには、もう長居はできんでござる。行こう」
剣心が、凛と言い放った。
聖も頷く。
十勇士は、自分達に狙いを定めてきた。これからの旅も、今までのようにうまくいくとは限らない。
それでも、と聖は思う。
それでも、真っ向から立ち向かおう。
今の自分のままで、そしてそれを受け入れてくれた、みんなと共に。







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海野編、後半はむしろ「神爪編」でしたね。
聖の過去を描くに当たって、ゲームに沿いつつ、でも若干、設定加えました。聖は早くに両親亡くして、とか、里のみんなは家族同然とか、それですね。
聖及び輝って、「るろ剣で悲惨な過去を持つキャラ」ランキングがあったら、結構上位に入るのではないか、と、書きながら思っていました。
勿論、彼らの過去の凄まじさは、何度もゲームをプレイしたので知っています。でも、改めてああやって文章を書くと、兄さんや幼馴染は自分を庇って死ぬわ、里のみんなは皆殺しだわ、故郷は壊滅だわ・・・・と、本当ムゴいなぁ・・・と感じたのです。ゲーム内での、三頭身キャラでも、辛いだろうなぁ・・・と悲惨さが伝わってきたけど、もしあの過去を和月先生の原作やアニメの中で描いていたら、悲惨な事この上なかったんだろうなぁ。


今回の章の冒頭の、聖と剣心の会話は、悩み悩み書いてました。正直、剣心の言いたい事は分かるけど、何でああ言ったのかが、分からなくて。
でも、ゲームでも剣心が言っていた、「聖は、聖の思うように生きればよいでござる」このセリフにハッとして、今回の話で書いたように解釈しました。実際の剣心は、もっと色々深く考えてたんだろうけど・・・。ああ、剣心を書くのは、和月先生も言ってたけど、確かに難しい(汗)。
しばらく落ち込んでいた聖君でしたが、今回の話で元気を取り戻せたし、頑張って欲しいです。


さて、次は筧編ですが、ちょっとネタバレ。
オリジナルシーン満載です。
書きたいシーンがいっぱいあるので、気合入れて書きたいです。




2004年9月12日







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