<第十四章:花散里>







               閉ざされた世界でも、毎日が平和で、幸せだった。












小鳥のさえずりが聞こえる。
ああ、もうすぐ朝が近い。そう思って、聖は屈んでいた姿勢から立ち上がり、額の汗を拭った。
そのまま、手にしている籠の中身を見た。入っているのは、村の衆から頼まれて、つい先程まで山で採っていた山菜や薬草の類。夜明け前の涼しいうちに採りに来たので、短時間でも、かなりの量を集める事ができた。このくらいあれば、大丈夫だろう。
聖はうーんと伸びをして、籠を背負った。澄んだ空気が心地良い。
(里に帰ったら、この山菜で、さっそく味噌汁でも作ってもらおう)
そんなことを考えていると、自然と聖の頬も緩む。
里に向けて歩み出そうとした聖は、けれどふと足を止めた。
(? 悲鳴・・・・?)
誰かの叫び声が、遠くから聞こえた気がした。声がした方へ目を向けて、そしてその時、聖は違和感を感じた。
里の方角の空が、不自然に赤く染まっている。朝日ではない。方角が違うし、それに何より朝日は、柔らかで、それでいて一日の始まりを感じさせる、爽やかな黄の光を放つ。
あの赤い色は、まるで炎―――・・・。
(まさか、里で何かあったんじゃ・・・・?)
胸騒ぎを覚えて、聖は駆け出した。そのあまりの速さに、籠が振り落とされ、山菜や薬草が舞ったが、聖にはその事に気付く余裕もなく、ただひたすらに里を目指して走った。
(兄さん・・・・忍・・・・みんな・・・・・!)
真っ先に浮かんだのは、自分のたった一人の肉親、兄の龍也だった。
早くに両親を亡くした自分達。辛いのは、寂しいのは、兄とて同じだったろうに、それでも聖に、父のように、時には母のように、そして勿論兄として、厳しくも温かく、ずっと接してくれた。
里の中でも、一、二を争う程の手練れで、強く賢く優しい龍也は、聖の自慢の兄だった。もし里で何かが起こっていたとしても、多分龍也のことだから大丈夫だとは思うが、それでも心配は止まない。
もう一人の、自分に近しい人、幼馴染の少女、忍もだ。小さい頃から、ずっと一緒だった。聖と、龍也と、そして忍と、三人で兄妹のように。
彼女だけでない。小さな集落の中、人々は皆、家族のような繋がりを持って過ごしてきた。里全体が、一つの家であるも同然だ。神爪の里の一族は、もうずっと昔から、里から外に出ることはなく、ひっそりと、深い山の奥で、古くから伝わる伝統を守り、暮らしてきた。
聖が、外の世界を見てみたい、と、思わなかったと言えば、嘘になる。けれど、閉ざされた世界でも、毎日が平和で、幸せだった。だからそれで、十分だった。
(みんな、無事でいて・・・・!)
隠し通路を抜ける途中、熱気を帯びた風が里の方から流れてきた。何かが起こっている事は間違いない。
なかなか出口に着かないことがもどかしくて、その反面、この先で何が待っているのか、知るのが怖かった。それでも、立ち止まるわけには行かない。
ようやく出口が見えて、聖は足を速める。ばっと走り抜けると、里の様子が目に入った。そこにあるのは、いつもの里ではなかった。
一面が、炎に包まれていた。いつもの平和な風景などどこにも無く、まるでいきなり戦の中に放り込まれたかのように、村中は荒れ果て、家も、木も、音を上げて燃えている。
それだけではない。そこら中に、よく見知った村人が、血を流し、倒れていた。男も、女も、赤ん坊すらも。仲の良かった友達までいた。苦悶の表情に顔を歪めて、或いは、寝顔のような安らかな顔をして。皆に共通しているのは、もう、既に息が無かったという事。
「あ、あ・・・・・・何で・・・・どうして・・・?」
聖はがくがくと震えた。自分がここを出て行ってから、半刻程しか経っていない筈だ。その僅かな間に、どうしてあの平穏な里が、こんな地獄絵図にまで変貌したんだ・・・・?
何故? 一体、何があった?
(! そうだ、兄さん達は!?)
気が遠くなりかけていた聖だったが、それを思い出し何とか正気を保てた。緊急時には、長老の家へと集まる事を思い出し、熱気の立ち昇る中を、再び聖は走り出した。
道中には、炎を纏っていた死体もあって、聖は泣きそうになったが、何とか長老の家まで辿り着いた。飛び込むようにして中に駆け込む。
「聖!」
聞き覚えのある声がして、聖は安堵して顔を上げた。そこには、例の忍がいた。長い黒髪を、頭の上で二つに結い、薄水色の装束姿の、いつもの姿のままで。
(忍・・・良かった、無事だったんだ・・・・)
走り通しで乱れた呼吸を整えるのに精一杯で、口に出して言えなかった。はぁはぁと息を吐く聖に、長老も声をかける。
「聖も、無事じゃったか」
「はい・・・・」
頷いて、辺りを見回す。今、この場に集まっているのは、村を治めている長老と、忍、そして、八雲とかすみという若い夫妻だった。自分を含めて、たった五人。・・・・・・龍也がいない!
「龍也・・・・・お前の兄は、まだじゃよ。無事を確認したものもおらん」
「!」
気持ちを察した長老の言葉に、聖は顔色を変えて外に飛び出そうとした。探しに行こうと思ったのだ。しかし、
「おっと!」
突然入ってきた人物にぶつかった。耳に馴染んだその声は、紛れも無く・・・・。
「・・・兄さん!」
「聖!」
顔を上げると、龍也と目が合った。自分より、一尺ほど大きな背、細身だが、引き締まった筋肉がついた体。そして何より、自分と面差しは似ているが、自分よりずっと凛々しい顔立ち。見慣れた兄の、無事な姿に、聖の表情が和らいだ。
忍も、嬉しそうに声を上げる。
「龍也さん! 無事だったんですね」
「ああ。怪我はないか、聖?」
「うん、大丈夫・・・!」
力強く頷くと、龍也もまた頷いた。弟の無事な姿に、心から安堵しているのが窺える。
「そうか・・・・良かった。ふう、ほっとしたら気が抜けたぜ」
龍也は壁に寄りかかって、そのままその場に座り込んだ。忍が水の入った湯飲みを差し出し、龍也はそれを受け取って飲んだ。
もしかしたら、自分を探していたのかもしれない。
聖はふと、そう思った。
「さあ、皆の衆、覚悟を決める時が、来たようじゃ」
長老の下に、皆が集まった。龍也も立ち上がり、輪に加わる。
「外の火も強くなってきた。もう、ここでこうしていても、合流してくる仲間はおるまい」
「一体、この里で何が起きたの?」
まだすべての状況を把握していない聖は、長老に尋ねた。長老の代わりに、忍が早口でまくし立てる。
「変な奴らが、いきなり攻めてきたのよ! 里を襲うなり、火を放って、仲間を倒して・・・!」
忍の瞳には、怒りと悲しみの涙が浮かんでいた。ぎゅっと握り締めた拳も、わなわなと震えている。
「あいつらの目的は何なの!? 何がしたいって言うのよ!」
誰にともなく忍は叫んだ。その悲痛な叫びは、その場にいる皆の、共通した思いであっただろう。
それに応えるように、ぽつり、と長老が話し始めた。
「・・・・分からん。じゃが、考えられることは一つあるわい」
「俺達を、神爪の里の民と知って・・・・滅ぼそうとしてるってことか」
龍也の言葉に、長老は頷く。
「恐らくのう。わしらが邪魔な、何者かの仕業じゃろうて。神爪の民をここまで追い詰めるとは、かなりの手練れじゃな」
「そ、そんな・・・・」
その言葉に、忍は愛らしい顔を絶望に染め、みんなに振り返って言った。
「に、逃げましょうよ! 今ならまだ・・・・」
「このまま、一矢も報いることなく、逃げ出すのはごめんだ!」
八雲だった。妻のかすみも同意する。
「そうよ! 神爪の民の底力、見せてやらなくちゃ!」
二人の気持ちももっともだった。里を滅茶苦茶にされ、仲間を殺され、黙っていられる筈がない。
「ならぬ! 皆の者、逃げるのじゃ。このまま滅びることは許さぬぞ」
「里を捨てるというのですか!?」
食って掛かる八雲に、長老は諭すように静かに、しかし力強く語った。
「つまらぬ過去や土地にしがみつき、無駄な死を遂げるのが、神爪の民の末路か? 未来のために、若い者を生き延びさせる事こそ、わしらのすべき事ではないか」
「・・・・・・・」
八雲がハッとした顔で黙り込み、辺りに沈黙が落ちた。
「・・・・長老の言う通りだ。行こう、みんな」
重い空気を破ったのは龍也だった。聖は頷き、忍と長老、そして八雲とかすみも、ゆっくりと頷いた。
覚悟を決めて、六人は外へと出ようとした。と、
「おいおい、こんなところにまだ残ってるじゃねえか。死に損ないどもがよ」
入って来たのは、髪を逆立て、胸や肩に刺青を入れた若い男と、妖艶な美女だった。双方とも武器を手にしており、血がついているのが見受けられた。
里の民を殺した者達を目の当たりにして、龍也達に怒りの色が跳ね上がる。
「貴様ら・・・!」
若い男と、美女―――根津と由利は、忌々しい笑みを浮かべている。その二人の後ろから、白髪の小柄な男、海野が入ってきた。
「神爪の民は、きっと我らの計画の邪魔となる。その前に始末させてもらう・・・・」
くっくっと笑うその声は甲高く、耳障りだった。
聖達には、彼らの言う”計画”が、何の事かは分からなかったし、彼らとの面識も無かった。彼らが結局、何の因縁でこの里を滅ぼそうとしているのかは、定かではないが・・・・・やはり、長老の言った通り、自分達が邪魔らしい、という事だけは悟った。
「片付けろ!」
「・・・んもう、ちょっとは自分で働いてよね」
気だるそうに長い髪を払いながら、由利が一歩、聖達の方に踏み出した。静かな殺気に気圧されて、聖達は思わず後ずさる。
「う・・・・ううっ、どうせ殺されるなら、一人でも道連れにっ!」
八雲は懐剣を取り出し、決死の覚悟で由利に向かっていく。が、由利の背後から突然飛び出してきた二つの人影に阻まれ、更にその攻撃を受け、倒れた。悲鳴を上げて、かすみは八雲に駆け寄る。血に塗れ、倒れた体を激しく揺すったが、反応は無い。
「うふふ・・・・こんな奴、手助けなんていらないのに。でも、いい子ね、松風。ありがとう、千鳥」
松風、と呼ばれた切れ長の目の少年と、千鳥、と呼ばれたあどけない顔をした少年は、主である由利に、無言で振り向いた。その表情は冷静なまま、眉一つ動かさない。
「よ、よくもっ!」
夫を殺され逆上したかすみは、松風と千鳥に飛び掛っていく。立ち向かう姿勢を取る二人、けれど二人が手を出す前に、由利が己の鉄片を繋げたような武器で、かすみの体を斬り裂いていた。
「きゃあああっ!」
かすみは悲鳴を上げて、八雲の側に倒れた。すでに事切れた夫に寄り添うようにして、かすみもまた、命の灯火を消そうとしていた。
「うふふっ・・・・弱いくせに、おバカさん」
「おいおい、俺の獲物も残してくれよ」
「あーら、早い者勝ちでしょ」
何の罪悪感も無く人を殺し、むしろ楽しそうに会話を交わす由利と根津に、龍也の怒りが跳ね上がる。
「こいつら・・・・ふざけやがって!」
今にも飛び出しそうになった龍也だったが、長老に制された。
「待つのじゃ、龍也。お前は、聖と忍を守らねばならん」
「しかし、このままでは・・・・」
「任せよ!」
長老は、聖達三人を庇うように前に立ちはだかり、
「行けい!」
と叫ぶや否や、煙幕を放った。咄嗟に飛び掛ってきた松風と、刃をかわす長老。
「長老・・・チクショウ!」
刃と刃がぶつかり合う音を聞きながら、龍也達は白い煙の中、裏口を抜け、駆けて行った。
それに気付き、由利が声を張り上げる。
「逃げたわ! 追うのよ!」
未だ長老と松風が闘っている横を、千鳥が走り抜けた。
一方その頃、
「長老・・・・すみません」
炎の勢いが衰えない村を、苦渋の表情で見つめながら、龍也が言った。気遣うように、忍が声をかける。
「龍也さん、」
「・・・・行くぞ。遅かれ早かれ、追っ手が掛かる」
迷いを断ち切るようにして、毅然と言い放った兄の言葉に、聖はこくりと頷いた。そうして三人は再び走り出したが、そう間も無いうちに、千鳥が追いついてしまった。
少女のような可愛らしい顔をした千鳥だが、手にした握り懐剣を見るに、聖達を仕留めるつもりなのは明らかだった。
「チッ・・・・もう来たのか。やむを得ないな」
龍也は腰の刀を抜き、千鳥に向き直った。
「いやっ! やめて、龍也さん!」
忍が血相を変えて叫ぶ。龍也の真意が、何となく分かってしまったからだ。
「兄さん!」
それは聖も同じだった。
龍也は、ここで一人で追っ手を食い止めるつもりなのだ。長老のように、自分の身を犠牲にして。
彼の強さは知っている。けれどそれでも、ここで別れたら、何故だかもう、彼には二度と会えないような、そんな予感がして。
「来るなっ!」
近寄ろうとした聖と忍を、龍也は鋭い声で一喝した。びくっとして足を止めた二人に、今度は静かに語りかける。
「・・・・今のうちに逃げるんだ。ここは俺が食い止める」
「嫌だ!!」
耐え切れなくなって、聖は龍也に駆け寄って、首を振った。涙を浮かべながら、必死の表情で懇願する。
「兄さんだけ、ここに置いていくなんて嫌だ! 一緒に、逃げよう?
・・・・・それが無理なら、ぼくも闘う! そりゃ、まだ未熟だけど、兄さんと、ずっと一緒に修行してきたんだ!
兄さんが残るなら、ぼくも残る。一緒に、闘う!
ぼくだって闘える・・・・闘えるよぉ・・・・・・っ!!」
言葉の終いには、ぼろぼろと涙を流して訴えてくる聖に、龍也も決心が揺らぐ。流されそうになるのをぐっと堪え、敢えて厳しい表情で。
「来るなって言うのが分からないのか! 長老の話を聞いていただろ、お前達は、未来を引き継がなきゃならない。こんなところで、死なせるわけにはいかないんだ!」
聖を体から引き剥がし、忍のいる方へ突き飛ばす龍也。でも、と言いかけた聖に、龍也は今度は、限りなく優しい兄の顔をして。
「聖・・・・俺がいなくても、立派な男になるんだぜ。一人前になるまで、しっかり鍛えてやりたかったけどな」
龍也の脳裏に、ふと、幼い頃の聖の顔が浮かぶ。両親に会いたがって、泣きじゃくっていた聖。山で駆け回って、擦り傷をたくさん作っていた聖。修行の辛さに逃げ出しそうになりながらも、それでも強くなりたい一心で、精一杯鍛錬していた聖。
たった一人の、血の繋がった、大事な弟だった。
だからこそ、たとえ自分が死んでも、どうか生きていて欲しい。
「兄さん!」
聖だって、たった一人の兄に、生きていて欲しかった。
龍也の気持ちは分かる。だけど、どうにかして引き止めたくて、できれば、自分達と一緒に逃げて欲しくて。
けれど、状況と、そして何より龍也自身が、それを許さない。
「さあ、行け!」
龍也はもう、聖達に目を向けることなく言い放つ。
千鳥はじりじりと近付いてくる。こうしているうちに、他の追っ手も迫ってくるだろう。もう、一刻の猶予も無かった。
「龍也さん・・・・死なないで!」
忍が祈るようにそう言い、二人はその場を離れた。一度だけ振り向いて、聖と忍は、確かにその目ではっきりと見た。龍也が、いつものように、力強く笑うのを。
聖は涙を拭うと、兄さん、と声に出さずに呟き、後ろ髪を引かれる思いで、ようやくその場から忍と共に走り去った。
二人が里の出口の方へ駆けて行くのを見送ると、龍也は凍てつくような眼差しで、キッと千鳥を射抜いた。
「行くぜ! 里のみんなの仇を取ってやる!」
地を蹴り、刃を交し合う二人。打ち合っては離れ、離れてはまた打ち合う。千鳥もなかなかの使い手だったが、龍也の方が優勢だった。千鳥の顔に、焦りの色が浮かぶ。
「クッ・・・・!」
「そんな細い腕で俺に勝てるか!」
「あっ!」
龍也の一撃をまともに食らい、倒れ込む千鳥。その隙を龍也は見逃さない。
「もらった!」
刀を振り上げ、止めを刺そうとした。その時、
「うっ・・・!?」
突然、鎖に体を巻き取られた。ただの鎖ではなく、有刺鉄線のようなものであったので、それは龍也の体に食い込み、血を流させた。
痛みと、拘束による圧迫で、顔をしかめる龍也。鎖を操っている主に顔を向けると、それはあの冷血な女性、由利だった。くすくすと笑ってはいるが、不機嫌そうにも見える。
「あたしの千鳥に何をするのよ。この償いは、あんた自身の血であがなって貰うわよ」
由利の後ろには、松風も控えている。もがきながら、龍也は問うた。
「お、お前ら・・・・長老はどうしたんだ?」
その問いには答えず、由利は龍也に言う。
「うふふっ、無理無理。もがけばそれだけ、あんたの体が傷つくわ」
「・・・・・ッ!」
由利の言葉は本当だった。龍也は何とかこの戒めを解こうと体に力を込めるが、トゲに体を刺し抜かれるばかりで、解けそうもなかった。
由利は、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「頑張るわね、うふふ。あたし、あんたみたいなの好きよ。松風や千鳥みたいに、部下にしてあげてもいいくらい・・・・・」
「ふ・・・・ざけるなっ! お前らの仲間になるくらいなら、殺された方がマシだ!」
その言葉に、嘘でも頷いていれば、生きられたかもしれない。
けれど、龍也には、里を焼き払い、家族同然の皆を殺したこの者達の配下になることなど、死んでも御免だった。
その返答に、由利はすっと目を細めた。先程の言葉は、存外本気だったのだ。自尊心を傷つけられた由利は、もう龍也に容赦なかった。
「・・・・なら、望み通りにしてあげるわ。松風! 千鳥!」
松風と千鳥の刃が、龍也の体を切り裂いた。鮮血を撒き散らすその様を見て、由利はようやく鎖を解く。
自由の身となった龍也だったが、もう彼女らに武器を向けることはできなかった。倒れ込む刹那、彼の朱色の鉢巻が、はらりとほどけて、落ちた。
「うう・・・・に、逃げろ・・・・・・・・聖・・・・・!」
逃がした聖と忍が無事に生き延びる事が、彼の最期の願いで、そして希望だった。
未来を継ぐ者が生きていさえすれば、たとえ里が滅びても、神爪の民の心が消える事はない。
彼らの生存をただひたすらに祈りながら―――龍也の意識は、闇に沈んでいった。
「ふん・・・・バカな男」
もう動かない龍也を見下ろしながら、由利は鼻で笑うように呟いた。
「由利様・・・・助けて下さって、ありがとうございました」
千鳥が小さく頭を下げて礼を言う。その様子に、由利も機嫌が良くなり、妖艶に笑む。
「うふふ、いいのよ。その綺麗な顔に、怪我なんかしてないでしょうね」
「由利様、逃げた子ども達ですが・・・・追いますか?」
松風の言葉に、由利はしばし考えて、答えた。
「あんた達が行くほどの事でもないわ。誰か、下っ端でも差し向けときなさい」







(・・・駄目だ、やっぱり気になる・・・・!)
里と葉隠山を繋ぐ洞窟を抜ける途中、聖は嫌な胸騒ぎがして、立ち止まった。
そのまま、ふらりと戻ろうとする。
「戻っちゃダメ! 龍也さんの気持ち、無駄にする気なの!?」
鋭く叫んだ忍に、聖はハッと我に返る。
忍は俯き、唇を噛み締めていた。しばしの間の後、忍は顔を上げ聖を見つめ、声を震わせながら言葉を紡いだ。
「・・・ダメだよ。龍也さんの悲しむ顔、見たくないもん」
「・・・・忍」
忍が龍也に対して、憧れの気持ちを抱いているのを、聖は知っていた。忍も、龍也を残したくないのに違いなかったのに、彼の気持ちを汲んで、必死に耐えているのだ。
そう、今自分が戻ったら、龍也の気持ちは勿論、彼女の気持ちも、無駄になる。
「・・・・・」
「ね、行こう」
「・・・うん」
悲しそうに微笑む忍に、聖も何とか笑みを返して、二人はまた走り出した。もう少し、もう少し行けば、山へと辿り着く。
―――しかし。
「へっへっへ・・・・見つけたぜ」
前方から二人の山賊風の男が現れ、行く手を阻んだ。後ずさる聖と忍だったが、後方からも更に二人、男が迫ってきていた。
前後を防がれ、聖と忍は、背中合わせの形となって男達と相対する。
男達は、凶悪な面を歪ませ、下卑た笑いを浮かべた。
「お前達を殺せば、由利様からご褒美をいただけるんだ。覚悟しな!」
敵は抜かりなかった。逃げた自分達にも追っ手をかけてきたのだ。つまり―――龍也はもう、この世にはいないということだろうか?
考える間も無く、男達は二人に襲い掛かってきた。里に伝わる体術や剣術で立ち向かうが、体格と経験の差で、思うように攻撃を当てられない。それでも聖は何とか二人を仕留め、忍も一人を倒した。
が、あと一人、死角にいた男が、忍の背中を、深く斬りつけた。
「きゃあっ!」
「忍!」
聖が忍に気を取られたその隙に、男は刀を横に薙ぎ払った。今までに味わったことのない痛みに、聖の気が遠くなる。腹を大量の血で染めて、そのまま倒れ込んだ彼に、男の刃が迫ろうとしていた。
「へっへっへ・・・トドメだ!」
「だ、だめぇっ!!」
渾身の力を振り絞って、忍は立ち上がった。そのまま男に、刀を持ったまま突進する。
「ぎゃああっ!」
深く深く刀は突き刺さり、男は醜い悲鳴を上げて倒れた。
忍も膝をつき、息は荒かった。龍也の望み通り、生きたかったが・・・・・・自分が助からないであろう事を、彼女は何となく悟ってしまった。今にも意識を手放してしまいそうだったが、まだ、最期にやらなければならない事があった。
「・・・・・聖・・・・・・」
憧れの人が、誰より生かしたいと思っていた弟。そして忍自身にとって、ずっとずっと一緒だった、大切な幼馴染。
彼も深い傷に違いなかったが、自分よりは助かる見込みがある。
どうやら自分も―――彼に託さねばならないようだ。
「・・・深い傷。ありったけの薬草を使うから、・・・・・お願い、死なないで。誰かに見つけてもらって、どうか無事に・・・・・」
持っていた薬草を使い、聖の傷を手当てすると、忍は彼を引きずって、隠し通路の入り口へと連れていった。気を失っている聖の髪を、名残惜しそうにそっと撫で、小さく微笑みかけると、忍は岩戸を、しっかりと閉じた。
彼が、彼のことを救ってくれる、誰かと出会えることを祈って。
「どれが敵で、どれが私達だか、分からないようにしなくちゃ。生き残りがいると知れたら、きっと追われる・・・・・」
忍は、本当に最期の力を振り絞って、這って先程の所まで戻った。
そうして、懐に隠し持っていた火薬をばら撒いて、火を放つ。一面が炎に包まれ、忍もその中に、倒れ込んだ。
「さよなら、聖・・・・・」
彼女はそのまま、眠るように瞳を閉じ、二度と目を覚まさなかった。
炎が更に燃え広がり、赤い色が、すべてを覆っていく。



















          それは、恐ろしくも美しい、
          懐かしい最後の記憶―――・・・・・・・

























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