<第十三章:懐かしい彼の地へ>







”神爪の里。
それは、この国の統べし神によって、特に創り出された者の住む所。善き力を持ち、乱世を切り開く宿命を背負う一族の聖地。
女子供に至るまで傑出された才能は、時の支配者にまで尊重され、或いは恐れられたという。一説には、古の民の子孫だとも言われている。しかし、時の流れにいつしか神爪の里は滅びた。
今はただ、葉隠山のふもとにその痕跡を留めるのみである・・・・”







翌日、恵の言った通り新聞社に赴き、記者の時川と言う男性を通して、資料室で調べさせてもらった。
新聞社の資料室、数え切れない程の本の中で、神爪の里について述べられていたのは、それだけだった。時川が言うには、
「神爪の里って言えば、はるか戦国時代の昔に暗躍していた人間の住んでいた村だよ。ただ、本にそう書いてあるだけで、今じゃあただの伝説で実在しなかったんじゃないかって言われてるけどね」
との事である。
しかし、十勇士達は確かに、神爪の里と口にしていた。ただの伝説だとは思えない。
実在するにしても、伝説だったにしても・・・・とにかく、実際にこの目で見てみないと分からない。そう思った聖達は、さっそく葉隠山へと向かった。
聖の足が思わず速くなる。何故なら、葉隠山はどう見ても普通の山で、到底人が住んでいたようには見えなかったから。それでも何か手がかりがあるのでは、と、聖は必死で辺りを見回していた。
「葉隠山で分かるのは、楽しい過去ではないかも知れぬ。覚悟はいいでござるな」
出立前に剣心が言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。
覚悟などとうにできている。
楽しい過去でなくとも、取り戻したかった。かつての自分の存在を。
「聖」
呼ばれて振り向くと、そこには剣心がいた。どうやら自分は相当先に行ってしまっていたようで、剣心の後ろから、薫達が小走りで駆けて来るのが見えた。
「あ、ごめんなさい。一人で先に行っちゃって」
「山の中を一人で歩くのは危ないでござる。気が急くのは分かるが、焦らずに行くでござるよ」
にぱっと笑う剣心を見て、聖の表情も綻んだ。
不思議な人だ、と思う。
剣心の強さは皆から聞いて知っているし、実際に聖もその強さを見た。とは言ってもチンピラ相手だったから、彼の強さのほんの片鱗でしかないのだろうけれど、剣心は鋭い闘気を持ち得ているのに、普段はそれを出そうとはせず、限りなく穏やかだ。齢二十八には到底見えないその顔―――剣心の年齢を知った時には聖は滅茶苦茶驚いた―――は、時に年齢に相応しい大人の顔をし、時にはあどけない子どものような顔になる。
すべてを任せられるような安心感に、剣心が皆から慕われている理由があるような気がする。聖自身も、剣心を信頼し、慕うようになっていた。
皆が追いついてから、聖達は更に奥へと進んだ。と、獣道を左に折れたところで、急に視界が開けた。赤、黄色、青・・・・・色とりどりの花が咲き乱れ、その真ん中に、大きな岩がある。
「あ・・・・・」
頭に痛みが走り、聖はその場にうずくまった。ズキズキする。視界が一瞬真っ白に染まった。
「どうしたの?」
「大丈夫か?」
薫達が心配して声をかけるが、それらの言葉は聖には届いていなかった。
聖はふらっと立ち上がり、大岩の方へ歩いていった。
何故そうしたのか、聖は自分でも分からなかった。けれど―――体が無意識に動いた。両腕を伸ばし、力いっぱいその岩を押した。大岩は、聖に押されるままに、ズズ、と音を立ててその方向へずれた。そして大岩が先程まであった場所には・・・・地下へと続く階段が顔を覗かせていた。
皆あっと息を呑み、その階段を見下ろす。
「何だこりゃあ?」
「こんなところに階段があるなんて?」
「隠し階段みたいですね」
聖も茫然とその階段を見下ろしていた。
(どうしてぼくは、こんな仕掛けを知ってたんだ?)
心の奥底で、覚えていたというのだろうか。ついさっき、岩を動かした時の記憶さえ曖昧だというのに。
聖は思わず後ずさり、頭を抱えた。
(分からない・・・・ぼくはどうしてこの事を知って・・・・。やっぱりぼくは神爪の里に何か関係があるの?
でも・・・・でも、何も思い出せない・・・・・)
「・・・・まだ、思い出せないのでござるな」
聖に手を貸して、そっと立ち上がらせながら剣心が言った。
「けど、今のが偶然のわけねぇ。どうやら、聖は本当に神爪の里に関係のある奴みたいだな」
「この階段の先に、答えがあるのでござろうな」
左之助の言葉に剣心も同意し、階段を見つめた。
聖もごくりと唾を飲む。
(この・・・先に・・・・・・)
一体何が待っているのかは分からない。けれど今は進むしかない。
意を決して、聖は階段を下り始めた。剣心達も続く。
石造りの階段は、湿気で湿って滑りそうになる。ゆっくりと、踏みしめるようにして下り、階段の次には洞窟が続いていた。
ひんやりとした空気の中、誰も何も言わない。いや、言えなかった。
真剣な眼差しで先頭を歩いている聖から発せられる緊張感を思うと、余計な口を挟めなかったのだ。
(あ・・・・)
聖は声に出さずに呟く。
光が見えた。洞窟の出口は近い。
暗闇に差し込む眩しさに目を細めながら、聖は更に歩を進めた。そして、彼は見た。
荒れ果てた村が、そこにあった。
「ここが、神爪の里・・・・?」
弥彦が思わずそう呟いた。
火事でもあったのか、藁葺き屋根の民家や、その近くに生えている木が黒焦げになっている。人の気配はなく、生活感などどこにも感じられない。寂寥感のみがただただ伝わってきた。
あまりの様子に聖が声も無く立ち尽くしていると、薫が言った。
「とにかく、様子を見てみましょうよ」
その言葉に何とか頷き、聖は歩き出した。
村中をみて回る。やはり誰もいない。焼け焦げた民家を見てみると、その様子から察するに、どうやらずっと昔に燃えたというわけではなさそうだ。となれば、つい最近にこの村は滅びたのだろうか。いや、滅ぼされたのだろうか。
ふと、聖が足を止めた。汚れた鉢巻が落ちているのが目に入ったのだ。今見たばかりなのに、何故か見覚えがあるような気がして・・・・・聖はそれを拾った。
「おろ・・・・鉢巻でござるか」
「随分汚れてるわね」
剣心と薫のその言葉に、聖は改めてその鉢巻をみる。朱色の鉢巻に滲む赤茶けた汚れ。もしかして、これは・・・・。
「・・・・・・っ」
無性に胸が痛んで、聖はその場から逃げるように駆け出した。追おうとした薫を、剣心は制す。
「何よ、剣心?」
「薫殿・・・・気付かなかったでござるか? あの汚れは、血でござる」
「血!? 人の?」
顔色を変える薫に、剣心は険しい表情で淡々と続ける。
「まず、間違いなく・・・・・。ここで何があったのかは分からぬが、・・・・・・聖には、辛い事だったでござろうな」
「・・・・・・」
記憶を封じ込めてしまうほど忌まわしい事が、この村であったのだろうけれど、今、それを知る術はない。
あまりに酷すぎて、聖の心がきっと、それを忘れる事を望んだのであろうから。
聖を辛さを思うと剣心の胸も痛み、恐らくそれ以上に苦しんでいるに違いない聖に目を向けた。彼は今、多分かつてこの村で子どもが遊んでいたと思われる焦げたブランコを、手で押して揺らしていた。
(ここまで来ても、何も思い出せない・・・・・)
胸の内は息もできなくなるほどに苦しくなるのに、肝心の記憶は戻ってこない。いや、むしろ、思い出そうとするほどに頭に激痛が走り、まるで思い出すのを拒絶しているかのようだった。
崩れた家・・・・・葉がすべて燃え落ちた木・・・・・血の染みが未だ生々しい鉢巻・・・・・もう誰も遊ぶ事のない遊具・・・・。
それらがまだ無事であったころ、自分は多分その中にいたのに、今はもう客観的にしか見られない。
こんなにも取り戻したいと思うのに、どうしてその自分は、思い出す事を拒むのだろう。
聖はもう一度ブランコを押した。キィ、キィと軋む音が、一層哀愁を漂わせる。もうこの村には誰もいない。自分だけが取り残されてしまった。かつてのこの村を知る者は、もう自分以外にいないのに、その思い出だけを置き去りにして。
「・・・・帰ろう、みんな」
振り向き、戻ってきた聖は、俯いたままそう言った。
「もういいのかよ?」
弥彦が驚いて尋ねる。まだこの村に来てから、一刻も経ってはいない。
それでも、聖は頷いた。
滅びた村の中はすべて見て回ったし、記憶も戻らなかった。それならば、胸に鋭い痛みを刺し続けるこの場所に、どうしてこれ以上居られようか。
「分かった、帰ろう」
聖の気持ちを汲んだのか、剣心はあっさりと承諾した。
聖はあの鉢巻を手にしたまま、黙って帰り道を歩いていた。洞窟を抜け、入り口の岩を元通りにし、葉隠山を去るときもずっと。
神谷道場に戻ってからも言葉数は少なく、夕食を食べて風呂に入ると、すぐに寝入ってしまった。
目を閉じると、様々な事が浮かんでくる。
神爪の里。滅びた村。十勇士。血に汚れた鉢巻。記憶を失くした自分。
何だか今は、全部考えるのが嫌で、何も考えないようにして聖は眠った。今までの疲れもあったのか、聖は深く、深く眠りに落ちていった。





その夜、聖は懐かしい夢を見た。











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