<第十一章:逆鱗>


(・・・・・あれ?)
下妻町に足を踏み入れた途端、聖は妙な感覚に捕らわれた。
きょろきょろと町を見回す。
平八郎の件が解決した翌日、五人は下妻町へとやって来た。その名の町には、初めて訪れたはずなのに。
(ここ、前に来たことがあるような・・・?)
はっきりとは覚えていない。ぼんやりとした既視感。
うーんと唸りながら、必死に記憶を手繰り寄せて、ようやくその時の輪郭がはっきりしてきた。
そう、確かそれは、自分が薫達と出会う前、今の自身の中に残る最奥の記憶。傷ついた体でこの町を歩いていた時、不良達に絡まれ―――そして、赤い髪の流浪人さんに助けてもらった。
あの時は何も言わず立ち去ってしまったけれど・・・・・礼くらい、言えば良かった。小さな罪悪感がちくんと胸を刺す。
「どうしたの? 聖君」
「あ、いや、別に・・・・」
ぼーっとしていたのが気になったのか、薫が声をかけてきた。聖の答えを訊くと、薫はそれ以上は詮索せずに、それにしても、と呟いた。
「どう見ても普通の町よねぇ。割り符には、ここの場所が書いてあったんだけど」
彼女の言葉通り、下妻町はごく普通の町だった。活気に溢れ、人々も多く・・・・ただ、よくよく町を回ってみると、まだ江戸時代の面影を残すこの町に、酷く不釣合いな大きな建物が建っているのに気付いた。
町の人々によると、最近できたばかりの工場らしい。
「工場って・・・・」
聖は思い出す。東京を出立する前に恵が言っていた言葉。あの白い花の鑑定結果。
『ケシの仲間で特別な亜種ね。中毒性と習慣性が非常に強いの。何者か知らないけど、こんな物を栽培するなんて・・・・人の道に外れてるわ』
割符にこの町の名が載っていた以上、あの工場がその花を薬に加工しているのに間違いはなさそうだ。
人々を混乱に陥れる薬・・・・恵の言葉を借りれば、まさにそれは人の道を外れている、と思った。許せない。何とかして止めないと。
『絶対に思い知らせてやってね!』
強気な彼女はそう言っていた。
力で対抗して、また伊三や清海の時のようになってしまうかもしれないと思うと正直怖い。
けれど、自分達が闘わなければ、たくさんの人達が辛い目に合う。悲しみを味わう。
(だから、ぼく達が何とかしなくちゃいけない。できれば、あの人達も死なせずに)
犠牲も無しに済まそうなんて、甘いかもしれない。でも聖は、できることならそうしたかった。
「行こう」
毅然と言い放って、聖達は工場へと向かった。
壁が鉄造りの、冷たい印象を受ける工場。その中は薄暗く、かすかに薬品の匂いがした。
存外簡単に入り込め、受付で怪しい男に、
「お話は伺っております。中でずっとお待ちですよ」
「?」
(誰が? 誰を? 話って何?)
疑問符は耐えなかったが、とにかくそう案内され、聖達はそれに従った。
やけに大きく、薄気味の悪い機械が立ち並ぶ中、奥へ奥へと進み、そして突き当たりで、確かに一人の男が待ち受けていた。
「遅かったじゃないか。待っていたよ」
甲高いしゃがれ声をその男は発した。頭髪はすべて真っ白に染まり、ぎょろっとした目と低めの背が、その男をまるで餓鬼のように見せている。
「誰だよ、お前」
弥彦が訝しげに問うと、その男は喉でくくっと笑った。
「私は海野・・・・と言えば、正体が分かるかな」
「海野って、やっぱり十勇士の一人のはずよ!」
薫が声を上げると、その男、海野はあっさりと肯定した。
「その通り・・・・君達にやられた根津や穴山、清海、伊三、それに私達は十勇士なのさ。今の世の見せかけだけの平和に耐え切れず、こうして姿を現したのだ」
「・・・あなた達は、何を企んでるの?」
聖が静かに問うと、海野は目を見開いて答えた。
「知れたこと! 再び我々の世を取り戻す!」
清海も、同じことを言っていた。
我々の世を取り戻す。
我々の世、というのが戦乱の時代を指しているのだとしたら、今のこの平和な世は、すべて壊してしまおうと―――そういうことなのか?
「そのために、罪もない人々を苦しめても平気なの!?」
怒りの感情と、許せない、という思いと。それらをこめて薫は言った。
そんな彼女を嘲笑うかのように海野は、
「罪の無い人間などいるものか。人間は皆、生きながらにして罪人よ。ならば強い者が弱い者を利用して、何が悪い!」
「そんなの、屁理屈じゃねぇか!」
弥彦が顔を真っ赤にして怒る。
確かにそれは屁理屈かもしれない、手前勝手な言い分かもしれない、けれど、それもまた一つの真理。
海野の言葉に、袂を分かったもうこの世にはいない人を思い出し、宗次郎は静かに呟いた。
「所詮この世は弱肉強食―――か」
「何か言ったか?」
ぎろりとした目線を受け流し、宗次郎はやんわりと笑んだ。
「別に。それで、僕達をどうするつもりですか?」
「これ以上、我らの邪魔をするというのなら・・・・・」
海野が陰に向かって目配せすると、左手奥の廊下の方から、インテリ風の眼鏡の男と、やせ細ったぼさぼさ髪の少年が現れた。
「お呼びですか、海野様」
「奴らを片付けろ。さあ行け、左近児!」
「殺す、殺す、殺すっ!!」
海野が言った途端、ぼさぼさ髪の少年の方が聖に飛び掛ってきた。獣のように爪と牙をむき出しにして。
咄嗟に避けるが、左近児は着地してすぐに地を蹴って反動をつけて、聖を追尾して来た。
「!」
「殺すッ!」
左近児の爪が聖の左肩を切り裂き、血と布片が舞った。走る痛みに僅かに顔を歪めながら、聖は抜刀し刀を構えていた。
左近児が跳躍するのに合わせて、聖も跳ぶ。
「ヤッ!」
刀で突くと見せかけて、回し蹴りを放つ。意外な攻撃を予測できなかったのか、左近児はみぞおちにまともに食らい、受身を取って着地することができずそのまま墜落した。仰向けに横たわったまま、だらしなく虚空を見つめている。
「くっ・・・・邪魔者を殺せ、結城!」
「仕方ありませんね」
結城と呼ばれた眼鏡の男は、すっと短刀を取り出した。
そのまま舐めるような視線を聖達に向け、獲物を選んでいる。視線の止まった先にいたのは、薫だった。恐らく、少女相手なら楽に勝てると考えて、そうしたのだろう。
「上等、受けて立つわ!」
甘く見られたことにカチンと来たのか、薫が竹刀をブンと振るって結城に向ける。
結城はにやりと笑って短刀を取り出し、足を踏み出しかけ・・・・たが、その時には、薫がもう眼前に迫っていた。
「え・・・・」
「面、面、面ぇーん!!」
薫の凄まじい面の連打である。
頭や肩に激しい攻撃を食らって、結城はぼこぼこになった顔であっさりと後ろに倒れた。
ぱちぱちぱち・・・・と思わず男性陣から拍手が上がる。
女は怒らせると怖い。改めてそれを実感した聖だった。
「あ、あわわ・・・・許してくれっ」
赤く腫れた顔で、結城が涙目で後ずさりながら訴える。しかし左之助は一笑に付して、
「ふん・・・・今更命ごいかよ」
「降参して助けを求めてる人に、剣を向けたりできないわ」
薫はちら、と結城を見た。あのぼこぼこに腫れ上がって、鼻血まで出ている顔を見ると、十分自分は懲らしめた、これ以上痛みを与えなくてもいいじゃないか、と思う。あれだけだって結構ムゴい。
「そうだね・・・」
聖も、左近児に目を向けた。仰向けに倒れたまま動けない。これ以上、闘う必要は無い。
「後は、海野に話を聞こう」
聖達は、海野に向き直った。
海野はにやりと笑っている。
側近二人を倒されて、追い詰められているはずなのに・・・・?
「シャアアアッ!」
聖がそう思ったとき、彼らから丁度死角の位置になっていた左近児が突如起き上がり、薫に掴みかかろうとした。側にいた宗次郎が、反射的に薫を突き飛ばし、彼が左近児にしがみつかれる形となった。
「宗次郎君!?」
「し、しめた!」
薫が悲鳴を上げたのと、結城がほくそ笑んだのはほぼ同時だった。結城は懐から小型の爆弾を取り出し、宗次郎と左近児に向かって投げつけた。
「!!」
止める間も無く、その爆弾は弾けた。
衝撃で起こった風が聖達の間を通り抜け、爆煙が辺りを包み込む。宗次郎と左近児の姿は見えない。
「そ、宗次郎さん・・・!」
「ハハハッ、これで一人仕留めたぞ!!」
先程まで命乞いをしていたはずの結城は、俄然強気になり、高らかに笑う。その姿を見るに、先程までのは彼の演技だったようだ。
「あなたって人は・・・!」
卑怯な手口に、聖が唇を噛み締めて、ぎり、と結城を睨む。
それすらも可笑しそうに、結城は更に笑う。
「ヒャハハッ、いくら睨んだところで、さっきの小僧は帰ってこないぞ!」
「さっきの小僧って、誰の事です?」
「そりゃ〜勿論、お前のことだよ・・・・・・って、おおおおッ!?」
耳元で聞こえた声に、結城はぎょっとしてその場から飛び退く。
何故ならその声の主は、先程自分が葬ったと思っていたので。
「お、お、お前・・・・!」 
傷一つ無く、けろっとした顔をしている宗次郎を見て、結城が驚きの声を上げる。更に言うなら、宗次郎が小脇に抱えている左近児も、聖にやられた分を除いては傷を負っていないようだ。
「宗次郎さん、良かった、無事だったんだ!」
彼の健在を知り、聖が喜びの声を上げる。
逆に結城は、信じられない、といった顔で、
「な、何で生きてるんだぁ〜!??」
「何でって、避けたからに決まってるでしょう」
「避けッ・・・・!? どうやって!!?」
どう考えても、あのタイミングで避けられるはずが無い。焦りと疑問で、結城の頭の中は混乱してきた。
「そうか、縮地か! あれを使って、あの僅かな時間で避けたのか!」
左之助がはっと気付いたように声を上げた。
爆煙が晴れ、宗次郎が先程までいた爆弾が投げ込まれた所を良く見てみると、爆発でついたものとは違う、深い足跡が残っていた。
宗次郎はにっこり笑って御名答、と呟いて、今度は海野に目を遣った。同時に、左近児をそっと地に下ろす。
左近児は、主達が自分にしようとした所業を知って、傷ついた顔で茫然としている。
左近児を振り払って、自分だけ逃げることも、宗次郎にはできたかもしれない。けれど彼がそれをしなかったのは、自分と左近児はどこか似ていると、何となく思ったからだった。
多分、過去の自分と重なったのだろう。
「仲間まで巻き添えにしようとするなんて・・・・本当に、それがあなた達のやり方なんですね」
言葉を紡いだその時には、もう宗次郎の顔からは笑みが失せていた。
「仲間? 誰が?」
海野がはん、と笑って言った。
主のその堂々とした声に自信を取り戻したのか、結城も先程までの醜態はどこへやら、すっくと立ち上がって話し始めた。
「左近児を我々と一緒にするな。そいつは何かの役に立てばと拾ってやったまで」
ぴく、と左近児が反応した。
「生きようが死のうが、一向に構わんのさ。敵一人殺すこともできない、役立たずめ!」
「!」
一行の間に怒りが走って、誰かが何かを言おうとした。けれど、その前に左近児が。
「ウワアアアアッ!」
悲しみと怒りが入り混じった顔をして、結城に飛び掛っていった。
信じていたものすべてに裏切られた、そんな思いを抱えて。
結城はチッと舌打ちをして、持っていた短刀で、そのまま左近児の腹をぶすりと刺した。
「海野、様・・・・・・!」
左近児は腹からどくどくと血を流しながら崩れ、それからはぴくりとも動かなかった。
開いたままの眼に、この哀れな少年は死んだのだと、嫌でも悟らされた。
「ふん、最後まで使えない奴だったな」
「てめぇ!」
海野の吐き捨てた言葉に、左之助と弥彦は烈火のごとく激怒し、薫もわなわなと震えていた。
宗次郎までもが、氷のような怒りの表情を浮かべ、すっと木刀を構えていた。
誰もが海野達の方へ飛びかかろうとしていた、その時。
最初に動いたのは、聖だった。


(許 せ な い・・・・・!!)


人々を苦しめる薬を作り、卑怯な手で宗次郎を殺そうとし、
仲間を巻き添えにすることも何とも思わず、終いにはゴミの様にあっさりと捨てて―――。
彼らの非道な行いに対する怒りのあまり頭が真っ白になり、それが聖を無意識に突き動かさせた。
体が勝手にある技を放ち、それは結城をまっすぐに捕らえた。
「ぎゃあっ!」
結城は醜い悲鳴を上げて倒れた。気絶する瞬間、最後に見たのは、怒りに燃える聖の瞳。
聖が凄まじい速さで剣を振るい、それから生じた衝撃波のようなものが、結城の体を射抜いたのだ。
すぐ隣にいた海野も、一部始終を見ていた左之助達も、驚きで目を見開く。
「な、何だありゃあ!?」
見たことも無い型、初めて見る技だった。
かなりの威力であることが分かる。こんなすごい技を、聖は使えたのか?
「あ、あの技は・・・!」
一方の海野も、信じられないものを見たような顔で戦慄く。
「あの技、見たことがあるぞ。あれは・・・・」
「逃がすかぁ!」
言いながら、じりじりと後退する海野に左之助が向かっていく。と、何かが飛んできて邪魔をした。左之助の横をすっと通り過ぎて、その勢いのまま壁に突き刺さったそれは、小柄だった。
飛んできた方向を見ると、そこには人影が二つあった。
「てめえらは!」
一人は、見たことが無い曲芸師風の男、そしてもう一人は、根津と闘った後に現れた美女、由利だった。
心強い存在が来たことを知り、海野はそそくさとそちら側へ行く。
と、その時、聖が頭を抱えて倒れこんだ。
「聖!」
「大丈夫ですか?」
皆が聖の側に駆け寄る。特に体に異常は無い。ただ気絶しているだけのようだった。
さっきの技を放ったことで、肉体的に、いや、それ以上に精神的に負荷が掛かったのだろう。
その聖を見ていて、海野ははっと何かに気付いた。
「そうか、思い出したぞ! そいつは滅ぼした神爪の里の者だ!」
「神爪の里?」
弥彦が聞きとがめて反芻する。
”滅ぼした神爪の里”
その言葉は何を意味するのか、聖とどう関係があるのか。
彼の、失くした記憶に関わりがあるのだろうか。
「生き残りがいたとはな。まあいい。筧、由利、やつらを始末するんだ!」
筧、と呼ばれた曲芸師風の男は肩を竦めた。
「やれやれ、あくまでも人任せですか・・・・」
言いながらも、筧は懐から小柄を取り出し、左之助に投げつけた。
またもうまくかわす左之助。そして、弥彦があることに気付く。
「この小柄・・・清海と闘った時に見たやつと同じだぜ!」
「清海を殺したのはてめえだな!?」
「だったら、どうだって言うんです?」
左之助の怒声にも少しも怯まず、
筧はまたも小柄を投げつけてくる。
「速過ぎる! これじゃあ間合いに飛び込めないわ!」
薫の言う通り、筧達とは数間距離が離れていて、間合いに飛び込もうとしたところで、そこに入る前に狙い撃ちにされてしまう。万一小柄をかわしても、後ろにいる仲間に当たってしまうかもしれない。
左之助達がその事で躊躇して動けずにいると、筧は新たな小柄を構え、放ってきた。
「最期ですよ、皆さん!」
風切り音と共に、小柄がこちらに向かってくる。
けれどそれは、薫達のところへは届かなかった。届く前に、新たな風が現れ、その小柄を叩き落したからだ。
薫達は、あっ、と口を開く。
赤い髪を揺らし、刃と峰が逆についた逆刃刀を手にし、風と共に現れたのは。
緋村剣心、その人だった。







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