<第十章:学びの庭に集いきて>


数日ぶりに戻ってきた神谷道場は、何だか懐かしい気がした。
それぞれの部屋で一夜を明かし、次の朝。
薫が目を覚ますと、台所の方からいい匂いが漂ってきた。
味噌汁の匂いだ。
着替えを済ませてから台所を覗くと、宗次郎が鼻歌を歌いながら朝食を作っているところだった。
「おはようございます、薫さん」
薫の存在に気が付くと、宗次郎は爽やかな笑顔でそう挨拶を返した。薫もつられて笑顔になって、おはよう、と声をかける。
「何だか悪いわね、朝ご飯作って貰っちゃって」
普段作って貰ってる剣心なら、もうすっかりその日常に慣れているのでいざ知らず、一応客人である宗次郎におさんどんを任せるのは、満場一致で決定した事だったとはいえ、流石の薫も少々気が引ける。
「いえ、こちらでお世話になっている身だし、これくらいしないと」
言いながら宗次郎は、味噌汁をかき混ぜている。青菜と豆腐が顔を覗かせ、美味しそうである。
「そろそろできるんで、皆さんを起こしてきてもらってもいいですか?」
「ええ、分かったわ」
薫は宗次郎のその言葉を受け、まだ夢の世界にいる皆を起こしに行った。廊下を歩きながら、思う。
(剣心といい宗次郎君といい・・・女の私より料理が上手なのよね。
・・・・私も修行しよう・・・・・・)
閑話休題。
「おはよーさん」
「あ、左之さん、おはようございます」
「またタダ飯食いに来たのかよ」
「別にいいじゃねぇか、固いこと言うなよ」
起きてきた聖、弥彦、そして薫に宗次郎が食卓を囲んでいると、左之助が飯をたかりにやってきた(彼は昨晩、自分の家である長屋に泊まっていたのだ)。
むしゃむしゃと遠慮なく食べながら、話を切り出す。
「あの花の鑑定は恵に頼んだし、メシ食ったらさっそく下妻町に行こうぜ!・・・・って言いたいトコなんだけどよ、実は気になる事があってさ」
「気になること?」
薫が尋ねる間に、左之助はちゃっかり二度目のおかわりをよそっていたりする。
「さっき、たまたま先生と会って話してたんだけどさ、」
「「先生?」」
聖と宗次郎がハモって聞き返すと、
「ああ、聖と宗次郎は知らねぇか。俺と同じ長屋に住んでる、寺子屋の先生さ」
左之助の簡易な説明に、本名は佐々木平八郎っていうんだ、と弥彦が補足した。
更に彼について説明を加えるとすれば、彼は幕末の頃、京都見廻り組の一員で、剣心と闘った事もあった剣客だった。けれど今は剣を棄て、子ども達に学問を教える毎日である。
以前、彼が巻き込まれた事件に剣心や左之助達が関わり、解決に導いたことがあった。そんなわけで、平八郎とは縁がある。
「何だか先生、元気なくてさ。誤魔化しちゃあいたが、ありゃきっと、何か厄介事を抱え込んでるに違いねぇ」
「もしかして、あの人達絡みかな?」
聖が示唆しているのは、勿論、根津や穴山達の事。
「分からねぇ。けど、その可能性もあるかもな」
「じゃあ、先生に話を聞きに行きましょう」
「ああ」
薫が話をまとめるが、左之助は神妙な顔になって、
「だがその前に・・・」
「その前に?」
「おかわりまだあるか?」
「「こんだけ食べてまだ足りんのかッ!!」」
薫と弥彦、綺麗に揃ったツッコミが左之助に炸裂した。







左之助が住んでいるゴロツキ長屋から少し離れた森の中に寺があり、そこで先生こと佐々木平八郎は学問塾を開いている。
聖達がそこを訪れると、成程確かに平八郎は浮かない顔で、おまけにハァ・・・と重い溜息まで吐いていた。
ぼさぼさの髪を高く結い、口元と顎を覆った髭は、平八郎の印象を温和なものにする。けれどいつもの柔和な表情も、すっかり消え失せていて。
「やっぱり先生、元気ねーな」
「左之さんか・・・・」
左之助の声に顔を上げた平八郎は、見覚えのない二人に目を留め、おや、と呟く
「そちらの二人は?」
「ああ、聖と宗次郎っていって、今一緒に行動してんだ」
「こんにちは」
「初めまして」
左之助に紹介された聖と宗次郎は、ぺこりと頭を下げる。平八郎の方も、簡単に自己紹介した。
「私は佐々木平八郎といいます。この寺で、学問塾を開いているのですが・・・・」
言いかけて、また大きな溜息。心配そうに薫が訊いた。
「何か思い悩んでるみたいですね?」
「ええ・・・・実は、もうすぐこの学問塾を閉鎖することになりそうなんです」
「何だとォ!?」
左之助が驚きの声を上げる。そんな話は初耳だ。
平八郎は続けた。
「実は・・・・この寺が壊されることが決まったとかで、立ち退かなければならんのです」
「どうして? 何故、そんな急に・・・」
薫もまた、戸惑いを隠せない。
「見ての通り、この部屋は寺の一室を借りたもの。今までは、この寺のご住職の好意で学問塾を開いていられたのだが、寺が壊されるとなれば・・・・」
平八郎の表情はますます沈んでいく。
確かに、寺が壊されるとなれば学問塾は続けられない。学問を教えることに生きる道を見出した平八郎、そして何より、学問を学ぶことを楽しみにしている子ども達はどうなる?
見るに見かねた左之助が、平八郎を元気付けるように力強く、
「元気出せよ、先生。あんたがそんな暗い顔してたら、子ども達が不安になるぜ」
薫も、
「そうよ。このお寺で学問塾を開けるのが無理でも、きっと他にいい場所があるわ。
・・・・そうだ! 良かったらうちの道場を使って。そりゃ・・・・ずっとってわけにはいかないけれど、しばらくの間なら大丈夫よ」
「すまんな、薫さん」
二人の厚意が心底ありがたく、平八郎は深く頭を下げた。
「遠慮なんかすんなよ、先生」
「皆さんの言葉を聞いて元気が湧いてきました。私も、このまま学問塾を続けられるよう頑張ってみます」
平八郎のその言葉を聞いてとりあえず安心し、一同はお暇した。
寺を出たところで、左之助が、
「先生・・・・すっかり疲れきってたな」
「うん・・・」
平八郎のやつれた顔を思い出し、聖も頷く。
「ったく、一体誰でェ!? 寺を壊すなんて決めた奴ァ・・・!」
苛立ちと、怒りの篭もった言葉を吐くと、宗次郎がさらりと。
「明治政府じゃないですか?」
「お役所が決めたことだって言うの?」
「安慈さんが言ってましたけど、前にそういう運動があったって話じゃないですか。廃仏毀釈とかいう・・・」
「ああ・・・それか」
左之助は苦い顔になる。未だ直りきらず、包帯を巻いたままの右手がずきりと痛んだ。
明治元年、政府が布告した神仏分離令による仏教勢力の抑制、それにより全国の寺院、仏具等が破壊されるという仏教弾圧の嵐が巻き起こった。
それが廃仏毀釈である。
京都での、十本刀”明王”の安慈との死闘で、左之助はその事を初めて知った。そしてそれが、一人の男と、心清き子ども達の運命を捻じ曲げてしまった事も。
安慈は今、北海道の集治監で服役してるという。元気でいるだろうか・・・と、左之助はふと彼のことを思った。
「生憎、役所にツテはねーが、警察にはちょいと顔がきくんだ。寺の取り壊しの件、ヒゲメガネの署長に聞いてみよーぜ」
「でも、左之助、そーゆーのって警察の担当なのか?」
弥彦の追求に、一瞬言葉に詰まる左之助。
「・・・・分かんねーけど、行かないよりマシだろ」
「左之さんの言う通りだよ。行ってみよう」
たとえ警察の管轄でなかったとしても、何か得られるものがあるかもしれない。
そう考え、警察に向かった皆だったが。
「・・・・成程。それであなた方は、その学問塾を開いている寺の取り壊しをやめさせるために、今日ここへ来たというのですね」
運良く、あのヒゲメガネの浦村署長に会え、話をすることができた聖達。
ただ、今この場に宗次郎はいない。
何故ならつい先程、この警察署に入る前、
「すみません。警察には皆さんだけで行ってきて下さい。僕は別口から情報収集してきます。では」
そう言ったかと思うと、宗次郎はさっと姿を消してしまったのだ。聖がぽかんとして見送っていると、
「そうか、そーいやあいつは、明治政府から追われてる存在だったな・・・」
「迂闊に警察に顔出しちゃあマズいって事か。まぁ、多分極秘に指名手配されちゃいるんだろうけど・・・」
恐らく、弥彦と左之助の見解が正しいのだろう。警察にそう易々と捕まる宗次郎ではないだろうが、本人も一応懸念はしているらしい。
そんなわけで、署長とは聖達四人で話している。
「困りましたなァ・・・」
事情を聞いた後、署長はどこかのんびりとそう言った。弥彦が声を荒げる。
「なあ! あんた偉いんだろ!? 何とかならねーのか!?」
「そう言われましても・・・・あの寺を壊す予定など、どこにも無いのですから・・・・」
「ええっ!?」
「嘘じゃねェだろーな、オイ!」
弥彦と左之助に詰め寄られて、署長は慌てて説明する。
「そんな予定は本当にありませんよ。われわれ警察は神風隊の一件で、佐々木さんにはお世話になっているんです。その佐々木さんを追い出すなんて・・・・恩をアダで返すような真似はできません」
「でもさ、警察がそう言ってても、他にも役所はいっぱいあるわけだろ。その中のどこかが・・・なんてことはねェのか」
「いいえ。今のところ、そのような情報は入っておりませんが・・・」
弥彦の追及に署長は首を振り、その答えを聞いて聖達も肩を落とす。
「こういう事って、警察の担当じゃないんだね・・・」
「廃仏毀釈って、明治政府が決めた方針だものね」
左之助も、苦々しげに舌打ちをした。
「無駄足だったって事か・・・・チッ」
「それにしても妙ですな。廃仏毀釈運動による、寺や仏具の排斥が盛んに行われたのは、神仏分離令の出された明治元年から数年の間・・・・最近では、噂も聞かなくなっておりましたのに・・・・」
「そういえばそうね・・・」
署長の独り言のような呟きに、薫も同意する。
「何か引っかかるね。もう少し調べてみようよ」
聖の言葉に、言われなくても!とばかりに皆が頷く。
「私も、できる限り調べておきましょう」
「お願いします、署長さん」
具体的な情報は得られなかったものの、どうにもこの一件はキナ臭い事が分かった。
別の所から探ってみよう、と四人が警察署を出たところで、
「あ、皆さん、お話終わりましたぁ?」
丁度いいタイミングで、宗次郎が現れた。
合流した宗次郎に、聖が得た情報を簡単に説明する。
「寺の取り壊しに関しては、警察の担当じゃないみたいなんだ。寺を取り壊す予定はないし、それらしい情報も入っていないって・・・・ただ、今頃になって廃仏毀釈運動が行われるってのが、何か怪しいな、って感じ」
「へぇ〜」
感心した風に頷く宗次郎に、弥彦はジト目で、
「そういうお前は、何か掴めたのか?」
「この件と直接関係あるかどうか分からないけど、面白い噂を聞きました」
「噂?」
「最近、あの寺の周辺の土地を買い占めてる人がいるそうです。名前は確か・・・・比留間伍兵衛」
「何ですって!」
「比留間伍兵衛っ!!」
聞き覚えのある名前に、薫や弥彦、そして左之助が色めき立つ。
「あいつが黒幕だったのか・・・・!」
「知ってる人?」
聖が尋ねると、弥彦が教えてくれた。
「小悪党なんだがよ・・・・神谷道場を乗っ取ろうとしたり、その事で俺達に逆恨みして命を狙ってきたり、色々企んでやがったんだ。散々俺達にコテンパンにされたから、もう懲りたと思ってたぜ」
確かに比留間は小悪党だ。しかし、奴は卑怯なことばかりする。野放しにしては置けない。
「こーしちゃいられねェ、先生が心配だ!」
「早く行きましょう」
すぐさま皆は、あの寺に向かった。







寺へと向かう森の途中、小さな影が一つ、それよりずっと大きな三つの影に道を塞がれて、困り顔をしている。その小さな影は、菊松という少年だった。
「ねえ、通してよう!」
「ダーメだ! ここから先は、我々の許可が無いと、通すわけには行かないな」
「じゃあ、そのキョカをちょうだい」
勇気を振り絞っての懇願だったが、その声を受けた三人の愚連隊の青年は、菊松を嘲るようにニヤニヤとして。
「へっへっへ・・・・・欲しいか? あーん?」
菊松が頷いた次の瞬間、愚連隊の一人がその少年を突き飛ばしていた。それを見て、残りの二人も馬鹿笑いする。
「お前みたいにゃガキにゃ、あげらんねーよ! ギャハハッ!」
「オラオラ、こんなとこにいたって通してやんねーぞ! とっとと帰りな!」
「うわーん!」
顔をくしゃくしゃにして、火の点いたように泣き出す菊松。
その声を聞きつけて、聖達は急いでその場に駆けつけた。
「どうしたの!?」
心底心配そうな顔をしている聖を見て、菊松の泣き声も止まる。更に、聖の隣に左之助の姿があるのを見つけ、菊松はそのまま飛びついた。
「どうした、菊松、何かあったのか?」
「左之助兄ちゃん! 塾に行きたいんだけど、あの人達が通してくれないんだ」
ぐしぐしと涙を拭いながら、菊松は言う。
「それで、先生は?」
「分かんない・・・・けど、きっとお寺の中だよ。外にはいなかったもん。お願い、先生を助けて!」
「分かってらぁ。この俺に任せとけって」
左之助が力強く笑うのを見て、菊松も安心してようやく笑みを浮かべる。
左之助と愚連隊が対峙してる間に、聖はそっと菊松を逃がした。
「さーて・・・怪我したくなかったら、道を開けな!」
左之助が拳をボキボキと鳴らしながら睨みつけるが、愚連隊は無謀にもそのまま左之助に飛び掛っていった。
「うるせえ、このヤロウ!」
しかし、悲しいかな、実力の差がありすぎる。たった一発、拳を受けただけでその愚連隊は倒れた。
「弱い奴がいきがってんじゃねーよ。さ、道を開けてもらおうか。嫌だっつっても、無理矢理にでも通してもらうぜ」
「くっ・・・・・! 畜生、覚えてろよーーー!!」
叶わないと悟ったのか、お約束の捨て台詞を吐いて、愚連隊はそそくさとその場を去っていった。左之助はふうと溜息をつく。
「あーゆー弱いのに限って、威勢だけは一人前なんだよなぁ」
「あはは、言えてるかも」
思わず聖はぷっと吹き出してしまった。
「よし、じゃあ寺子屋に行くぞ!」
「! 待って、誰か来た!」
薫が何者かの気配に気付き、身構える。聖達も、そちらの方向を見据えた。
木立の合間から現れたのは、例の小悪党、比留間伍兵衛、そいつだった。
比留間も聖達の姿に気が付いたのか、ぎくりと足を止める。
「比留間伍兵衛!」
「ぬぅ、貴様ら・・・・!」
「丁度いい場所で会ったな。お前さんに、ちと用が会ったんだ」
ニヤ、と笑う左之助を見て、比留間の額に脂汗が滲み始める。
どうやらこの場に、緋村剣心こと抜刀斎はいないようだが、左之助達の強さは身を以って分かっている。流石に、彼らと正面からぶつかり合うという愚かな事をするほど、比留間は馬鹿じゃなかった。
「・・・・むむっ! こっちには用なんか無い! どいてくれ、わしは帰るんだ!」
無理にでも帰ろうとする比留間、けれどその前に聖が立ち塞がった。
「だから、あなたに用は無いかもしれないけど、こっちにはあるんだってば。ちょっとこの先の寺の事について聞きたいんだけど・・・」
「くっ!」
比留間は焦って踵を返す、がしかし、その先はすでに弥彦達によって逃げ道を閉ざされていた。
「往生際が悪いぜ!」
「さあ、聞かせてもらいましょうか?」
「ぬぅぅ・・・・っ!」
比留間の顔を流れる脂汗の量は増えている。
まずい。どうしよう。どうやってこの状況から抜け出そう?
必死に考えているうちに、比留間の脳裏にピーンと閃くものがあった。
先程までの弱々しい態度はどこへやら、急に強気になって、比留間は聖達を見回した。
「ふっふっふ・・・・いつまでもわしに構っていていいのかな?」
「何っ!?」
「どういう事なの!?」
どうやらこいつらはうまい具合に食いついてくれたようだ。内心ほくそ笑みながら、比留間は言葉を続ける。
「寺の中にも、たんまり愚連隊の奴らがいる。奴らが今頃、佐々木に何をしているのかは・・・わしは知らないぞ?」
「何ですって!?」
聖達の間に動揺が走った。その隙を付いて、比留間はダッと彼らの間を駆け抜け、寺に向かった。
「あっ、あいつ・・・!」
「くそっ、後を追うぜ!」
すぐさま聖達も走り出す。森を抜け、あっという間にたどり着いた寺は、静寂に包まれていた。
森の中の静かな学び舎・・・・けれどそれは、小悪党の手によって、今蹂躙されつつある。
急いで中に入っていくと、最奥の仏像が置いてある部屋、そこに数人の愚連隊と比留間、そして彼らに囲まれている平八郎とその寺の住職の姿があった。
しかしどうやら、まだ平八郎達は無事であるようだった。
ほっとした聖は、安心して次の言葉を投げつけた。
「もう逃げられないよ、比留間伍兵衛!」
「ええい、うるさい、かかれっ!」
比留間が言った途端、愚連隊は武器を手にして聖達に襲い掛かってきた。
だがしかし。
何秒もしないうちに、みんな聖達に倒されていた。たかだかチンピラ崩れと、幾つもの闘いをくぐり抜けてきた五人とでは、強さがまるで違うのだ。
勝負になっていない勝負を、ぽかーんとした顔で、比留間も、平八郎も、眺めていた。
「だ、ダメだ。こいつら強すぎる・・・」
「いくら金を貰ったって、こんな奴のために死にたかねー」
愚連隊は恐れをなして、ほうほうの体で逃げていく。残された比留間も、あわわわわ・・・と顔面蒼白になっていた。
「さ、どうするの?」
まだ少年ではあるが、聖の闘いぶりと凛とした様子に圧倒されて、比留間は半分涙目になった。
彼の背後には左之助達が・・・ひいては、抜刀斎がいる。それでようやく、比留間も観念したのだろう。
「わ、分かった、ここの土地は諦める! だ、だから、許してくれーーー!!」
わたわたと、慌てて逃げていく比留間。弥彦が呆れたように呟いた。
「やれやれ・・・・ずる賢い割には小心者なんだよな」
薫も、
「卑怯者なのは相変わらずだけどね」
と評しながら、平八郎の元へ行く。怪我などは負っていない。勿論、住職も。
「大丈夫か、先生?」
左之助に声をかけられ、ようやく平八郎は安堵の表情を浮かべる。
「ああ・・・すまんな、左之さん。また助けられたようです」
深い礼の言葉に、左之助はからからと笑う。
「いいってことよ。その様子だと、約束は守ってくれたみてーだしな」
「ああ、約束どおり剣は握っておらぬよ」
やんわりと平八郎は笑みを浮かべる。
約束・・・そう、剣を棄てた平八郎は、もう二度と剣を握らないと、約束していたのだ。
それは彼がかつて剣心と同じく、殺人剣を振るっていたことに由縁する。
平和な時代には、もう剣はいらぬから、と。
子ども達に学問を教えることが、今の平八郎の生き甲斐だから。







「・・・・・というわけで、このお寺を出て行く必要なんてどこにも無かったの」
薫が一通り事情を話すと、平八郎はううむと唸って、
「あの比留間という男・・・・もっともらしい理由をつけて立ち退きを要求していたが、ここの土地が目当てだったのか」
「ああ、全部比留間の策略だったんだ」
とはいえ、もし聖達が動かなかったら、それが露見することなく、まんまとこの土地は比留間の物になっていた事だろう。
「いやはや、本当に助かりました。我々・・・僧侶は、神仏分離令と廃仏毀釈を掲げられては、何もできませんからな」
住職は、ありがたやありがたや、と聖達を拝む。
お地蔵様じゃないんだから、と聖は内心ツッコんでいた。
「まぁ、この先、この寺を壊そうなんて人はいないでしょうね」
「何たって、この寺には俺達っていう用心棒がついているんだからな」
宗次郎と弥彦の言葉を受けて、薫も言う。
「そうね。それに、警察署の署長さんだって、いざって時には頼りにしていいんじゃないかしら? 署長さん、先生の恩をアダで返すなんて真似はできない・・・って言ってたもの」
「恩だなんて、そんな・・・・」
気が引けて微苦笑を浮かべる平八郎だったが、その言葉を聞いてある事を思いついた。
「そうだ皆さん・・・・私は、皆さんにも、恩返しをしたい」
「恩返し?」
皆が驚くのを尻目に、平八郎は続ける。
「ここ数日、左之さんや薫さんが不在だということは知っていたよ。恐らく、どこかで何かが起こっていて、それを止めようとしているのだろう、私はそう思っていた。
そのためには、きっと力がいる。だから・・・」
平八郎は聖に目を止めた。澄んだ瞳をしたその少年は、きょとんとした顔をしてこちらを見つめ返している。
「お主に、私の剣技を伝授しよう」
「!」
皆、少なからず驚く。何故なら、彼の剣は。
「先生の剣って・・・・まさか、紫雷の太刀か?」
弥彦の声に、平八郎は静かに首を振る。
「いや、紫電の太刀は、一撃必殺の殺人剣。これからの世には必要ない。伝授するのは、まったく別の型だ」
「でも・・・・確か、先生は二度と剣を持たないって・・・・」
薫の言う通りだった。何より、今しがた確認したばかりなのに。
平八郎は苦笑して、
「その通りだ。だが、私が力になれることといったら、これぐらいしか思いつかんのだ」
聖達は顔を見合わせた。
平八郎は約束を反故にしてまで、聖達に尽力しようとしている。その思いを無碍にすることなどできない。
しょうがないか、と薫は笑って溜息をつく。
「仕方ねェ。今回だけ、約束破りに目をつぶってやるぜ」
「剣を取るって言っても、人を斬るためじゃないものね。大目に見ましょう」
「ありがとう、左之さん、薫さん。
・・・・どうだ、聖君。技を覚える気はあるか?」
聖はじっと平八郎の目を見据た。
迷いの無い目だ。
彼はこの自分と、自分達のためを思って言ってくれている。その思いを裏切れない。
それに、
「はい!」
聖は深く頷いた。
強くなりたかった。
根津達を止められるように。人々の平和な生活を守れるように。
もう、何も失くさなくてすむ様に。
強く、なりたかった。
「そうか、ならばさっそく始めよう」
聖と平八郎は、寺の外へ出て行った。薫達も後を追う。
深い緑の木々の下、聖と平八郎は対峙した。
「では・・・・行くぞ!」
弥彦から借りた竹刀を持って、平八郎は聖と打ち合う。刃を交わせば、自然と相手の実力が分かるもの・・・・平八郎は、聖はまだ発展途上でありながらもかなりの実力を持ち、また、未知の可能性も秘めていることを見抜いていた。
彼はもっと、強くなれる。
「うむ、いい動きだ。お前なら必ず会得できるだろう」
平八郎は聖と打ち合うのを止め、すうっと息を吸った。
「いいかね・・・・」
平八郎は竹刀を振るい、型を見せた。
鋭い剣速による連続攻撃。相当な技であることが分かる。
聖はこくんと頷き、真似て剣を振ってみた。・・・・が、何か違う。
「?」
首を傾げる聖に、平八郎が助言する。
「違う違う。もっと剣に気持ちを込めるんだ。殺気ではなく、気持ちをだ」
(気持ち・・・・)
確かに、今はただ真似をして剣を振るっただけだった。気持ちなど何も篭もっていない。空っぽだった。
だから何か、違う気がしたのだろうか。
「分かった。もう一度やってみる。・・・・お願いします」
「うむ」
平八郎は、もう一度刀を振るった。聖もそれに続く。
強くなりたい。
今度は気持ちを込めて。すると、
「!」
「!」
その場にいる誰もが分かった。
今の聖の動きは、平八郎のそれとまったく同じだった。
「でき・・・・た?」
聖が目をぱちくりさせていると、平八郎が清々しい顔で言った。
「そう、それだ! 我が秘剣の真の姿、掴むことができたようだな。
・・・この技の名は那托の型。きっとお前の役に立つであろう」
「・・・・・ありがとうございます・・・・・!」
聖は深く深く頭を下げた。
「これで貸し借りは無しだぜ。もう恩返しなんて、考えなくていーんだからな」
「ハハハ・・・・分かってるよ左之さん。
―――では、私はこれで。皆さんもお気をつけて。本当に、ありがとうございました」
平八郎は最後に、ペコリと礼をして、寺の中へ戻っていった。
これでもう彼も心置きなく、学問の道を貫けるだろう。
「良かったわね、聖君」
「こりゃ、俺も負けてらんねーな」
笑いながら、聖達は帰路に着いた。
この件に関して、根津達は絡んでいなかったし、手がかりも掴めなかったが、平八郎と寺を助けることができて、それはそれで十分だった。
新しい時代で子ども達が集う、学びの庭を守れたのだから。








第十一章へ










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平八郎イベント、ちょっと長めでしたが、一章内に全部収めてみました。一応、結構削ったのですが。
何だか会話が多くて、地の文がなかなか思い浮かばんかったです・・・・平八郎のキャラも良く分からないし(アニメの平八郎の話見てない)
明るく楽しく書けたら・・・・と前章の後書きで述べましたが、あんまりコメディっぽくできなかったなぁ。ちょこちょこと入れては見たのですが、やっぱりこの章は全体的に力不足(汗)。もっと頑張らないとなぁ。
サブタイも、どーにも浮かばなくて、高校の時の演劇大会に出てたある学校の劇のタイトルをお借りしてしまいました(爆)

さて、番外編も終わり、次はいよいよ、海野編です。
またもオリジナルシーン満載の予感・・・。





2004年7月25日







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