For you
”私のお墓の前で 泣かないで下さい”
両手いっぱいに花を持って、フルートはその場所を訪れた。
スフォルツェンド城下町が一望できる小高い丘、王家の人間が代々眠るその墓地に。
端から一つ一つ、墓石に刻まれた名前を見て歩く。白い大理石の墓碑達は、墓守か或いは親しい人の手によってきちんと手入れされているのだろう、かなり古い墓であるにもかかわらず苔一つなく静かに佇んでいる。
そうして一つの墓の前でフルートはぴたと足を止める。十字架を模したその墓標を、フルートは屈んで真正面から見据える。
碑に記された名前はリュート。彼女の兄である。
”そこに私はいません 眠ってなんかいません”
どこか見知らぬ遠い国の歌の通りに、そこにリュートは眠っていなかった。
骨の欠片も、髪の毛の一筋すらもその中には遺されていない。
比喩でも何でもなく、墓標はあれどその棺にリュートはいない。
十五年、魔族として生きたことが彼に人間としての死をもたらさず、肉体は砕け散り跡形もなく光に溶けた。
やっと逢えたのに、どうして、とフルートは涙を流した。
知らなかった。冥法王が兄だと。
知らなかった。彼が自分を守って十五年前に一度命を散らしたこと。
知らなかった。兄がずっと自分を想ってくれたということ。
知った時はもう、遅すぎた。
ようやく分かり合えると思ったのに、ろくに話もしないまま兄はいなくなってしまった。
せめて人間らしく、逝けたら良かったのに。
”私のお墓の前で 泣かないで下さい
そこに私はいません 死んでなんかいません”
彼は命と引き換えに、たくさんのものを遺してくれたことを知っている。
けれど、この世に肉体の一つ残さず消えてしまった。
死んだんじゃない。消滅と呼んでいい。
あんなにも人々のために戦ったのに、魔族と同じ死に方で彼は逝った。
「・・・っ、お兄ちゃん・・・・」
あの決戦の場で母と兄の死を振り切っていても、それでもその事を思い出すとどうしようもなく胸が苦しい。
フルートの歪んだ瞳から、大粒の涙がいくつも零れ落ちる。
”私のお墓の前で 泣かないで下さい
そこに私はいません 眠ってなんかいません”
泣かないなんて、無理だ。
幾ら心が傍にあっても、彼がいないという事実は変わりはしない。
”千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹き渡っています”
確かに彼は風になった。
光と共に天に昇った。
風として見守ってくれているとしても、彼が死んだという事実は変わりはしない。
―――フルート、ごめん、君を、傷つけてしまって・・・
謝るのはこちらの方だ。傷つけた上に、何もできなかった。
フルートの嗚咽が一層激しくなる。一度しゃくりあげると止まらなかった。
「こんなとこにいたのかよ。探したぜ」
「―――ハーメル」
涙目でフルートは振り向いた。背後には今名を呼んだその人がいた。
闘いが終わりあの黒装束も脱いで、スフォルツェンドの服を纏う彼はまるで別人のように見える。けれどトレードマークでもある帽子とバイオリンは、きちんと彼の元にある。
太陽の光を反射し煌めく金髪を揺らしながら、ハーメルはフルートの側まで歩き、そして彼女と同じように屈んだ。
そうしてじっと墓標を見る。
「ここが例の、フルートの兄貴の墓か」
「・・・・うん」
鼻をぐしぐしと鳴らしながら、フルートは短く答える。
リュートが冥法王ベースに操られていたということは、最終決戦が終わりしばらくした後に仲間達に話した。
誰もが驚いていたが、あの戦いの最中に母と兄とを同時に失ったフルートのことを皆は気遣ってくれた。
ハーメルも色々とベースに恨みはあるだろうに、一頻り驚愕した後は
「お前も辛かったな」
と一言だけ言って、フルートの頭にぽんと手を置いた。
その言葉と仕草だけで、どれだけフルートが救われたことか。
「わかってるの。頭じゃ・・・私が泣いたらお兄ちゃんも悲しむだけだって。でも・・・」
あの時もそうだった。泣きながら非を詫びるフルートに、リュートは困ったように笑っていた。
そして、酷く辛そうな表情をしていた。
「でも、時々、こんな風に悲しくてたまらなくなるの・・・・」
フルートは口元に手を当てた。自分自身の溢れ出す感情を抑えきれずにいて、瞳からはやはりとめどなく涙が流れる。
堪えきれずまた嗚咽を上げるフルートの頭に、ハーメルはぽんと手を置いた。
以前と同じ状況にフルートに安堵の気持ちが芽生えそうになった時、不意にその手は彼女の頭をわしわしと乱暴になでた。
期待外れの行動にがっかりし、またびっくりして思わず涙が止まる。
「な、何すんのあんたはっ!」
「だからっ、泣いてたらおめーの兄貴が悲しむんだろっ!」
食って掛かるフルートに、ハーメルも負けじと言い返す。
言い方こそ荒っぽいものの、それでもその言葉はフルートのことを思ってのもの。自分自身の言葉にわずかに赤面したハーメルは、ちっと舌打ちして立ち上がる。
「俺はお前の兄貴についてな〜んにも知らねぇし、それどころかベースだと思ってずっと憎んでたくれーだ。けど、操られる前は、きっとお前みたいに大ボケで変にたくましくって妄想癖があって強情っ張りで、」
「ちょ、ちょっとぉ!」
ハーメルの突然のリュートへの暴言に、フルートもカチンと来て立ち上がる。
「黙って聞ーてりゃ人のお兄ちゃんのこと・・・・!」
「・・・けど」
今にも襟元に掴みかかりそうなフルートに、ハーメルがふと穏やかな眼差しを向ける。どこか優しげな色に、フルートも動きが止まる。
「きっと、すごくいい兄貴だったんだと思うぜ」
さあっと、風が流れた。
二人の足元の草をくすぐり、揺れた髪が頬を撫ぜる。
柔らかな風だった。
「何たってお前の兄貴だもんな。いい奴なんだろーな、きっと。俺も一度くれー話してみたかったぜ」
「・・・・ハーメル」
いつになく優しい言葉に、フルートの乱れた感情も少しずつ解きほぐされるように落ち着いてくる。
そう、リュートはきっと、いい兄に違いなかった。想いの強さゆえに暴走し、フルートや母ホルンを困らせるようなことがあっても。
優しくて、頼もしくて、温かい・・・・いつか誰かが例えたような、太陽のような人だった。
束の間の再会だったけれど、きっとフルートはリュートのことを兄としてすごく慕っていた。
「・・・そうだね。私ももっと、お話したかったな・・・・」
旅の途中の出来事とか、普段の何気ない事だとか、そういったことを話したかった。
普通の兄妹らしく、もっと過ごしてみたかった。
もう叶わぬ夢。
けれど、フルートの兄を想う気持ちにハーメルが同調してくれたことで、フルートの気もずっと軽くなった。
「あんたの妹が凶暴なせいで、俺はいつも苦労してますよ〜ってな」
「は、ハーメル、あんたね・・・・・」
シリアスな雰囲気をぶち壊すハーメルの発言に、フルートも拳に青筋を浮かしかける。
でも、分かっていた。これはハーメルなりの照れ隠しで、表現はどうであれ、彼は自分を慰めようとしてくれたこと。
「・・・・ありがと、ハーメル」
「・・・・フン」
その証拠に、素直に礼を述べるとハーメルは照れたようにそっぽを向いてしまう。
次の瞬間、また穏やかな風。
案外、空気に溶けた彼は輪廻の輪をくぐるまで、かつて己が守ったこの世界に留まっているのかもしれない。
幾つもの、数え切れない・・・・そう、千の風になって。
”私のお墓の前で 泣かないで下さい”
ハーメルが奏でるバイオリンの優しい旋律が、鎮魂歌のように流れていく。
”そこに私はいません 眠ってなんかいません”
そよぐ風に髪をかきあげるフルートが、優しい眼差しでそれを見守っている。
”千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹き渡っています”
墓標に供えられた花が、やはり風で小さく揺れている。
悲しい気持ちは変わらないけど、あなたはもうここにはいないけれど。
きっと、あなたは形を変えてそこにいるから。
だからこの、あなたを想う気持ちが、あなたに届けばいい。
安らかに、いてくれればいい。
あなたのことを、決して忘れはしないから。
だからどうか、いつかまたどこかで。
風と共に、出逢えればいい。
<fin>
何とかまとまりましたが、何だかわけわかめな話に・・・・。当初はもっと短く、さらっと書くつもりだったのですが。おかしいなぁ(汗)
巷で話題の「千の風になって」をモチーフにした話です。著作権とか大丈夫かしらっ(汗)
あの歌は私も好きなのですが、聴くたびにどーしてもリュートのこと思い出してしまいます。
だって、本当に墓の中にリュートはいないんだもの(泣)
そんな歌に抱く思いを形にしたくなって書いてみた次第です。何だかまとまりの無い話ではありますが・・・。
2007年4月1日
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