夜想曲



満月の綺麗なある夜のこと。
魔族の集う絶望の魔都ハーメルンに、澄んだ笛の音が静かに流れていた。
サイザーだった。居城のバルコニーに出て、漆黒の空に浮かぶ月を見ながら笛を吹いていた。ただの笛ではない。その先には曲線を描く刃物がついており、それは戦場へと赴けば幾多もの人々を切り裂く魔性の大鎌となる。
数え切れない程の人間の血を浴びているのに、それでもそこから響く旋律は美しく、優しかった。
白く輝く月を見上げる彼女の双眸には、何かを想う切なげな色が浮かんでいた。
いつもサイザーに付き従っている副官・オカリナは今ここにはいなかった。サイザーは何となく、一人で笛を吹きたい気分だったからだ。
多分、寂しいのだと、思う。だからそれを紛らわせるために、サイザーは敢えて一人になってただ笛を奏でるのだ。
(・・・フン)
そんな自分の弱さを否定するように、サイザーは内心呟く。
サイザーの長い金の髪が、夜風にさらりと靡いた。
「! 誰だ!?」
不意に背後に気配を感じ、サイザーは演奏をぴたりと止めた。
穏やかな旋律を紡いでいたその笛を、今度は武器として使うためにサイザーはぎゅっとその柄を握り締めた。
ここは北の都。幾ら彼女が妖鳳王の地位を得ていたとしても、凄まじい強さと速さを誇っていたとしても、それでも憎悪と欺瞞が渦巻くこの場所で油断できる筈も無かった。
その気配の主は、足音も立てないほど静かにサイザーの方へ近付いて来る。
部屋の暗がりから現われたのはベースだった。魔界軍王No1にして冥界の王。ケストラー不在のこの北の都では、実質その組織の頂点に立つ男。
月明かりの注ぐバルコニーに近付くにつれ、その姿が次第に見えてくる。黒いローブを纏う細身の青年。その顔立ちは端正だったが生気は無く、表情もまた無い。
そしてその右手にはふてぶてしい顔をした生首が抱えられている。
普段は。
(・・・・?)
サイザーはおや、と思った。冥法王は青年と生首、二人で一人、むしろその生首の方がベースの本体なのだがその彼がいないとは。
サイザーの認識では、この青年はベースの操り人形。それなのにその己の意志を持たぬ傀儡が一人歩きをしているなんて、と意外に思ったのだ。
サイザーは知らなかったが、この青年はベースの反魂の法によって魂を奪われたかつてのスフォルツェンド王子、リュートだった。
「何だ、ベースか。どうした、私に何か用か?」
リュートの素性を知らないサイザーは、だから彼のこともそう呼ぶしかない。
先程までの切なげな瞳はどこへやら、ただサイザーは突如現われたリュートを鋭く見据える。
本体がいなくとも、彼がベースであることに変わりはない。隙を見せる訳にはいかなかった。
「・・・・・・」
けれどそんなサイザーにはお構い無しに、リュートはふっとバルコニーに足を踏み入れた。
警戒するサイザーの横をスッと通り過ぎ、手摺りに寄りかかる一歩手前で止まった。そうしてサイザーの隣に立ち、先程まで彼女がそうしていたように月を見上げた。
彼が何を思っているのか、その表情からは知れない。ただ、澱んだ瞳がその一瞬、違う色を湛えたように思えた。
「・・・・お前、」
ベースらしからぬ行動に、サイザーは思わず呆気に取られた。そうしてハッと気付く。
もしかしたらこの青年は、今はベースの、ではなく、自分の意思で行動しているのか?
そんなことが、有り得るのか。
「・・・・・・」
リュートは視線を月からサイザーの持つ鎌へと移した。サイザーもそれにつられて己の持つそれを見た。
何だ。何が言いたいんだ、この青年は。
そもそも、何でここに来たんだ? 何で私がここにいると分かった?
(―――ああ、そうか)
何故この青年がベースと別行動を取っているのか分からない。それでも、彼がここに来た理由は分かった。
笛の音だ。きっと、彼はそれを聴いて、導かれるようにしてここに来たのだ。何となく、サイザーはそう思った。
「私の笛を聴いてここに来たのか?」
「・・・・・・」
サイザーは率直に訊く。それでもリュートは応えない。
サイザーは苦笑して、言葉を続けた。
「・・・トロイメライだ。パンドラが、あいつによく聴かせてやっていた・・・」
今は水晶の中にいる母が、かつてバイオリンで弾いていた。サイザーと同じ血を分けた双子の兄に。
シューマン作の優しいその旋律を。
ベースの遠くを映す水晶越しにしか聴いたことは無かったが、サイザーは本当は自分もその曲を直に聴いてみたかった。
だから、かもしれない。母に愛されなかった哀しみを癒すために、その調べを奏でたのは。
「操り人形でも、音は聞こえるんだな」
クス、とサイザーは笑った。それは侮蔑ではない。
この青年が、かつてはベースではない存在だったというのなら、傀儡の身でもなお目に世界が映り音もまた確かに聞こえるというのなら。もし、未だに消えぬ意思があるのなら。
彼はその手で奪う命を己の重ねる多くの罪を、感じながらもどうすることもできないのか。
だったらいっそ、本当に心を持たない”操り人形”だった方が、ずっと苦しまずに済んだろうに。
「・・・・・・」
ベース、と呼びかけようとしてサイザーは止めた。それはきっと、彼の本当の名前ではない。
ただサイザーはリュートの頬に手を伸ばした。冷たい、死人のような肌だった。サイザーの指がそっとそこに触れても、リュートの反応は無い。
何故だか無性に胸が苦しくなって、サイザーはリュートに口付けた。唇も冷たかった。それでも、柔らかいそれをそっと食むように、サイザーはキスをしていた。
この青年を好きなわけではない。ただ、半ば衝動的に何かの感情が込み上げてきた。その感情が何なのか、サイザーには分からなかった。
それでもその一瞬は確かに、サイザーはリュートを愛しく思ったのだ。
「・・・なぁ、」
唇を離し、すぐ傍の彼の瞳を見上げながらサイザーは囁くように言葉を紡いだ。
その昏い瞳がどこか哀しみを帯びていたように見えたのは、多分、サイザーの気のせいではなかった。
「お前は、本当は誰なんだ・・・・?」
「・・・・・・」
サイザーの問いに、リュートは何も答えなかった。ただ、彼女から身を離すその刹那、ほんの少しだけ儚げな微笑を浮かべたのを、サイザーは確かに見た。
「あ・・・!」
そうしてサイザーが呼び止める間も無く、リュートはふいと踵を返してその場から去っていった。サイザーは追いかけなかった。コツコツと、廊下を歩いていく彼の無機質な足音だけが、ただ彼女の耳には届いていた。
言い知れぬ感情のみが彼女の胸に残る。
サイザーは再び笛を手に取ると、もう一度、トロイメライを奏でた。
遠く離れていたとはいえ母と兄、そして父がいるように、彼もまた生き別れた家族がいるのだろうかと、サイザーは漠然と、そんなことを考えていた。









「倒したのか・・・冥法王を・・・」
それから幾度かの季節が巡り、今は世界を救う側の立場として再び降り立った北の都で。
その地を覆う呪法が消えたことに、彼の命もまた潰えたことを悟り、サイザーは一人呟いた。
「そうか・・・あいつも、逝ったのか・・・」
思えば彼は、フルートにどこか似ていた。
リュートを失くして浮かんだ感情は、悲しいのとは違う。愛しいのとも違う。
ただ、何となく淋しかった。
結局、彼の名前すら知らないままだったなと、サイザーはふと思った。









<END>













2ちゃんの某ハーメルンスレを見てて思いついた話。ってか投下しました(爆)
これはそれにほんのちょっとだけ手を加えたお話。


リュート×サイザーって実は好きなんですよ。北の都で、お互いに苦しんでいたもの同士だからかな・・・。
リュートにずっと意識があり続けたのなら、魔族に騙され母を奪われ、その為に多くの人を斬り殺してきた妹に歳の近い少女をどう思っていたのでしょう。
きっと、サイザーのことすごく不憫に思ってたんじゃないかな・・・。


リュートが死んだ後のオリンの妄想のシーンは何だか、ずっと苦しんでたリュートを侮辱しているみたいで好きじゃなかったのですが、サイザーもどうやらリュートには自分に近いものを感じていたようだし、もし何かが違っていたらそんなこともありえたのかなーなんて思ってみたり。


「あいつも逝ったのか・・・」の時のサイザーの寂しいような悲しいような何ともいえない表情が切なくて・・・。結局リュートとベースの件はスフォルツェンド陣営だけで片付けちゃったから、ハーメルやサイザー達はリュートについて何も知らないわけですよ(その辺未だに不満)
自分に近い立場であり、どこか気になっていたリュートの名前すらも結局サイザーは知らないんだなーと思って書いた話です。
でもサイザーのそんなシーンを入れてくれただけでも渡辺先生には感謝です。
きっとフルート辺りが、戦い後の祝賀会か何かでリュートのことはみんなにも教えてくれたんじゃないかなーと私は思ってますが。
そうでも思わないとやりきれないよホント(泣)


リュート×サイザーは好きなカップリングなので、また書いてみたいです。
それにしても後書き長っ・・・。




2007年1月1日




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