たとえば、こんなやわらかな日に
ふわふわと暖かい空気の中を二人の人物が歩いている。空は快晴、微風も心地良い。
二人は兄妹で、兄の名をリュート、妹の名をフルートといった。フルートの方がリュートのずっと前を歩いており、道端の小さな花にも気を止めてやんわりと歩いている兄に対して、早く早くとせかしているようである。フルートの手には蔓で編まれたバスケット。これから二人で、この先の野原にピクニックに行くところなのだ。
「ほら、お兄ちゃん、早く行こうよ」
「うん。でも急ぐ事もないし」
「まぁそうだけど・・・」
なんとも呑気なリュートの台詞に、フルートは苦笑する。確かに、急ぐ必要は無い。ゆっくり歩を進めても一向に構わないのだけれど。
この先の野原をフルートは思い浮かべた。先日、少し、いやいや、思いきりひねくれた、この世界を救ってくれた勇者と共に一度訪れた。その時、野を覆う満開のシロツメクサと澄み切った青空のコントラストがあまりにも綺麗で、それを兄にもぜひ見せたいと思ったのだ。
リュートは、その勇者が北の都と呼ばれる魔族の城で繰り広げられた最終決戦でベースの支配から解放されたばかりだった。冥法王に操られていた15年もの間、彼はその日々のほとんどを北の都の中で過ごした。たまに外へ出るかと思えば、それは大抵出陣の時。彼がリュートではなく、冥法王ベースの肉体“聖杯”として魔法を放てば、例外無く人々は死に至った。自由を奪われ、意志もほとんどかき消されていた彼の凍った瞳に映ったのは殺戮と残酷にまみれた暗い世界だけ―――。もう長いこと、彼がまだ自由な少年だった頃慈しんでいた、青い空や生命力に満ち溢れた緑、可憐な花々、様々な動物達といった自然からは引き離れていたのだ。
そんな兄と、フルートはまだ分かり合えたばかりだったのだけれど、その時に兄はもう大好きな存在になっていた。彼女が赤ん坊の時に別れてから、実に15年ぶりの再会の時は、リュートはまだベースで、しかもその非道な行いにフルートは彼を罵ったりもしたものだが、紆余曲折を経てリュートがベースから元の彼に戻った時、フルートは初めて兄の心を知った。彼の苦しみと哀しみと、フルート達への想いを知った。自分を守るためにリュートが戦い、その果てにリュートがベースに肉体と魂、そして人間としての人生を奪われたことも・・・。
けれど一度失われたはずの彼は戻ってきて、魔族の王ケストラーをパンドラの箱に再度封印することによって、世界もやっと平和になった。公式では死んだことになっていたリュートが再びスフォルツェンドに戻ってきた時、人々はひどく驚いたものだが、それ以上に喜びを隠せないでいる。もちろん、フルートや母であるホルン、パーカスやクラーリィといった面々も嬉しいのに変わりはない。むしろ、民衆よりも彼に近しい存在である分、その喜びはひとしおだった。フルートの仲間達も、各自思うところがあるとはいえ、祝福してくれた。ただ、勇者ハーメルだけは、フルートとの仲を勘繰られて、リュートに時々邪魔されるのが面白くないようだったけれど。
そして、奪われていた兄妹の時間も取り戻すべく、フルートはリュートと過ごす日も多くなった。ホルンも入れて、家族3人水入らずで過ごすことも多々あった。今日も本当はホルンも連れて来るはずだったのだが、何やら会議があるそうで、二人での外出となった。しかし、こうして兄妹で過ごせるのもフルートがこの国に滞在している間だけであろう。いまはまだスフォルツェンドに留まっている仲間達もあと数日でそれぞれの場所に旅立つことになっていた(トロンはダル・セーニョの復興のため既に自国に戻っている)。フルートも、ホルンの没後はハーメル・オーボウと共に彼女のもう一つの故郷、スタカット村へ帰ることが決まっていた。
彼女は次代女王を継ぐことになっていたが、ホルンやリュート、そしてスフォルツェンドの重臣達と何度も話し合った結果、ホルンの没後はリュートがスフォルツェンドを治めることとなった。彼に女子が生まれ、その子が一人前になるまでの間だけだが、女王国家スフォルツェンド始まって初の男王となるだろう。リュートは王の素質を兼ね備えていたためあまり問題にはならなかったが。
フルートが女王を継がないのにはいくつか理由がある。第一王位継承権は間違いなく彼女にあるが、やはりハーメルのことが大きい。国政的に、世界を救ったとはいえ、魔王の血を引くハーメルを、いつ目覚めるか分からない魔の血を抱える男を女王の婿に迎えるのは難しいのである。いくらホルンやリュート、クラーリィ経ちが彼の事を認めていても、だ。かといって、二人を引き離すことはできず、そうなるとフルートは女王にはならないという道を取らざるを得ない。そこで、第二王位継承権を持つリュートに白羽の矢が立った。というよりも、自分からその案を出した。フルートの幸せを思ってのことだった。彼の、この国を愛している、だから平和が続くように治めたいのだという気持ち、それも紛れも無い事実だったけれど。
「どうしたの? フルート」
「え? ・・・ううん、なんでもない」
いつのまにか、リュートがフルートの目の前にいた。顔を覗き込まれたフルートは僅かに赤面して首を振った。どうやら色々と考えこんでいたらしい。
「そう、ならいいけど」
と今度はリュートがフルートの前を歩きはじめた。彼によく似合う青色のマントが揺れている。
フルートはその後を追った。
「わぁ、綺麗だね!」
野原に着くと、リュートは感嘆の声を上げた。
そこは緩やかな丘陵になっており、白い花をあちこちに散りばめたクローバーが広がっている。蝶も何匹か舞っており、花々の蜜を味わっていた。そして遥か彼方まで広がる、澄んだ青天。
そこの景色は本当に美しかった。
「この辺に座ろうか」
フルートは持ってきたクロースをそっと緑の上に敷いた。二人もその上に座る。フルートは持参のバスケットの中から弁当を取り出した。
「お兄ちゃん、ハイ、どうぞ。これ、私が作ったのよ」
その包みを広げながらリュートに差し出す。中から現れたのはサンドイッチだった。ゆで卵の輪切りにしたものや、みずみずしい野菜が挟まれている。
「おいしそうだね。いただきまーす」
リュートは律儀に手を合わせるとそのサンドイッチを頬張った。
「うん、やっぱりおいしいや。フルートは料理がうまいよね」
そう言われて、フルートは微笑んだ。
「ふふ、ありがとう。・・・あのさ、お兄ちゃん、悪いんだけど、しばらく一人で食べててくれない?」
「どうして?」
「ちょっとすることがあるの。すぐもどってくるね」
フルートはそう言うとすっと立ちあがって、野原の向こうへ駆けて行った。
一人残されたリュートは少し呆然と二つに結んだ髪を揺らして走っていくフルートの後ろ姿を見送っていたが、やがてもう一口、彼女の作ったサンドイッチを口に含んだ。
そうしてその一つを食べ終えてしまうと、彼はぼんやりと空を見上げた。思うのは、自分がベースに囚われていた頃の日々。あの頃は本当に辛かった。なにも言えず、なにもできず、だたの傀儡だった日々。
リュートはその強靭な精神力で、かすかに、本当にかすかに意思があった。本来なら、反魂の法によって操られた人間に心などあるはずがないのだ。何せ魂を取られてしまうのだから。それなのにリュートには意思があったのだ。普段は表に出てこられないほどでも・・・。
もしかしたら、それはリュートの肉体に宿る残留思念とでも言えるものかもしれなかった。
とにかく、何にしてもリュートにはリュートとしての心が残っていたので、自分が行った残虐なことも、その哀しみとその罪も。全て解かっていた。解からざるを、得なかった。
こうしてまた生命が戻ってきて、それならば生きて償いたいと思う反面、他人を犠牲にして生きていく自分に嫌気がさすこともあった。自分がかつて守った人達を、自らの手で殺してきたのだ。数え切れないほどの人たちを葬ってきた、それなのに自分はまだ生きている―――。
その苦悩はリュートの、自分より他人を優先する気質から来ているものだったろう。同じような苦悩は元妖鳳王サイザーも抱えていたが、彼女は北の都での決戦で答えとでも言えるべきものを見出している。罪を受けとめて、それを背負って、生きながら償う覚悟を彼女は決めた。その覚悟はリュートとて同じ。しかし彼は生前も人の幸せを想って戦ってきた分、自分が失わせてしまった幸せを思うと辛いのだろう。
ホルンやフルートから言わせれば、リュートはそれでもたくさんの人を救ってきたし、彼自身も長い間苦しんできたのだから、彼こそ幸せになって欲しいと思っている。辛いことが多かった分、今度こそ平和なこの世界で生きて欲しい、と。ホルンの生命はあと少しで尽きてしまうけれど、彼が昔からずっと望んできたように、母と、妹と、彼との3人で―――。
(そういえばフルートはどこに行ったんだろう)
すぐに戻って来ると言ったわりには、ずいぶん時間が経っている気がする。もしかしたら彼女の身に何かあったのではと、リュートは腰を上げかけて、
パサッ
何かが頭の上に降りてきた。
「?」
手にとって見ると、それはシロツメクサで作られた花輪だった。彼の後ろにはフルートが立っていて、彼女は柔和な笑みをその可愛らしい顔に浮かべていた。
「どうしたの、これ」
「ここに来たら、シロツメクサの冠をお兄ちゃんに作ってあげようって思ってたの。それから・・・これ」
フルートはリュートにクローバーを数本束にしたものを差し出した。よく見ると、そのクローバーは3枚の葉ではなくて。
「四つ葉のクローバー・・・」
「・・・うん。お兄ちゃんには、やっぱり幸せになってもらいたいの。私は、お母さんがいて、お兄ちゃんがいて、みんながいて、・・・ハーメルがいて。辛い旅だったけど楽しかったし、今だって本当に幸せだって、思う。私ばっかり幸せじゃ、不公平じゃない。だから、」
少しでも、お兄ちゃんに幸せを分けたくて。そう言って照れくさそうに笑むフルートに、リュートも優しい笑顔を返した。
あの頃よりずっと平和な日常で、しかも君が側にいる。・・・それだけで充分幸せなのにな。
「・・・ありがとう、フルート」
今日の日と同じようなあたたかい微笑をフルートに贈る。フルートも少し笑って、クロースの上に腰を下ろした。
「それじゃあボクも、フルートに花輪作ろうかな」
「うん、嬉しいな。でもその前に、お弁当食べちゃおうよ」
「そうだね。せっかくフルートが一生懸命作ってくれたんだし」
兄妹の談笑が野原に広がる。
二人の影は光に溶け、一面のクローバーはそよ風に揺られ、さざめいていた。
<Fin>
リュート・フルート兄妹が花畑で仲良くピクニック・・・ってな話を書きたかったんだけど。何か過去エピソードが多くなっちゃったι 実は小説としてはリュート初書きなんで、イマイチうまく書けなかったなぁ・・・フルートは2度目なんだが・・・。
もしも最終決戦の時リュートが死ななかったら、なお話。死んじゃうんだもんなぁ、リュート(涙)。もうすぐ2周忌だし。ううう・・・。未だに彼の死には納得いかないところがあります。
ずっとこんな光景が頭の中にあって、突発的に書きたくなったので書きました。ドリー夢炸裂。いや、リュートが生きているという時点で既にドリー夢なんだが・・・。勢いのままに書いたので、何か変なとこ多いかも。
そう取れなくもないけど、断じてリュート×フルートではありません(汗)。私の中でリュート・フルート兄妹はこんな感じ。仲良しさんなのです。
なんだかリュートに対しての愛が爆発してる小説だなぁ・・・ι
2002年3月12日