第五話



「このところ長州勢の動きが妙なので、夕刻から夜にかけては見周りを強化しているんです。まさか貴方とこんなにも早く再会するとは思いませんでしたけど」
竹林に程近い寂れた寺の境内で、沖田はそんな風に説明してくれた。
正面の石段に軽く腰掛けた沖田と少し間を開けて同じように座っている宗次郎は、「そうだったんですか」と頷く。
またまたややこしいことになっても困るので、宗次郎は先程の抜刀斎との小競り合いを「道を歩いてたら妙な人に因縁つけられちゃって、あはは」と誤魔化していた。どうにも、抜刀斎のことは口にしない方がいいらしい。
あのまま闘っていたら、不利だったのは間違いなく刀のないこちら側だった。それでも抜刀斎と本気の勝負ができなかったのはやっぱりちょっともったいなかったなぁ、と今更になって幾ばくか惜しむ。志々雄さんが闘いたがってたわけだ、と、その点について納得してもいた。
「でも、幸運でした。先程は、貴方とゆっくり話せませんでしたからね。あの後も大騒ぎだったんですよ」
宗次郎は隣の沖田に意識を引き戻す。にこりと笑う彼の顔は、深まった茜色に照らされている。
沖田は彼率いる一番隊の面々をどうにか言い含めて、宗次郎と二人で話す時間を設けたらしかった。彼の口にする時勢を思えばそんなゆとりは無い筈なのだが、しかし宗次郎の方にもまた、自分とよく似た顔を持ち、剣腕も優れる沖田と話をしてみたい、という気持ちがあった。
「貴方は流派を修めていないそうですね」
「はい。僕はある人に習ったんです」
「その方はきっと、とてもお強いのでしょうね」
「ええ……少なくとも僕にとっては、誰よりも強い人でした」
空の端に落ちている紅玉のような夕日を宗次郎は見遣った。あの色のような炎を纏っていた人。こちらに来てからは頻繁に思い出している。
志々雄さん。
弱肉強食の真実を教えてくれ、剣も教えてくれた、宗次郎の強さをここまで引き上げてくれた人。
あの揺るぎない強さは、宗次郎にとっては何よりも憧れだったのだ。
「あの人みたいに、僕は強くなりたかった。強くなろうとして、実際に強くなった。だけど…」
『もしそれがまだ手遅れでなくば、今からではやり直しは効かぬのか…?』
―――ボクハ人ヲ殺シタケド、ホントハ殺シタリナンカ。
『所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ』
―――アノ時僕ヲ守ッテクレタノハ、タダ一振リノ脇差トソノ真実。
『真実の答えは、自分自身の生き方の中から見出すでござるよ』
『お前なら、俺の次に強くなれるさ』
沢山の言葉が宗次郎の中で木霊して、消える。
剣の腕なら宗次郎はまさに、志々雄の次を担える程に強くなった。けれど、剣心には敗北した。あれだけ信じていた筈の真実が揺らいだ。
揺らいで、迷って、信念がぐらついて……そう、それは弱さの証ではないのか。確固たる信念を持つ志々雄や剣心といった男達はやはり、どこまでも強かった。しかし、今の宗次郎にはそれが無い。元々、人から貰ったもので、自分自身で見つけた答えではないのだ。だからそれを見つけに歩き出して、……けれどそれはまだ、到底見えない。
だからふと、本当にふと、思った。太腿の上の両手を、所在なさげに組み替える。
「強くなった筈なのに……僕は結局のところ、弱いままなのかな」
もう理不尽に他者に蹂躙されなくてもいいくらい、宗次郎は強くなった。踏みにじられる弱者から、踏みしだく方の強者となった。それを良しとしていた筈なのに、―――やはりあの時の剣心との闘いで、それが脆く崩れ去った。少なくとも簡単に崩壊してしまうくらいに自分は弱かったのだ、と、やはり志々雄程には強くはなれなかったのだ、と、今更ながらに、悟る。
あの強さには届かなかった。それがいいのか悪いのかも、今の宗次郎にはもう分からない。
いつになく遠い目をした宗次郎を気遣ってか、沖田はすぐには話しかけてはこなかった。
寺を囲む木々が風を受けてさざめいている音だけが辺りに響く。
「……貴方にとって、剣とは何ですか?」
「剣は……強さです」
会話を再開した後の沖田の問いに、宗次郎は率直に答えた。
義兄の剣、志々雄の剣、剣心の剣、そして己自身が振るう剣……それはすべて強さの象徴だった。
使い方一つで人の命を簡単に左右する程の、力。
剣とは強さ。宗次郎にとっては、それが何よりの定義だった。
「成程。理に適っています」
宗次郎の返答に沖田は穏やかな顔で頷いた。
同じ表情のままでこう続ける。
「しかし、単純に強くなりたいだけなら剣術に限らず、槍術や柔術、今のご時世ならば砲術と、他の道もあった筈です。それでも剣を選んだということは、つまるところ、貴方は剣が好きだということです」
「剣が…好き?」
ここで宗次郎は首を傾げた。
正直なところ、宗次郎が剣を学んだのは志々雄の存在が大きい。
志々雄が剣をやっていたから、宗次郎もそれに倣って剣を修めたのだ。生まれて初めて手にした“凶器”が剣で、そのままそれで強くなることを決めた、その事実も大きい。
国盗りに備えてあらゆる事態に対処できるように、と、志々雄は柔術や砲術の基礎も学ばせてはくれた。けれどそれでも、宗次郎が剣客になったのはやはり、志々雄が剣客だからだ。
志々雄が槍使いだったら宗次郎も槍を選んでいたかもしれないし、体術専門なら宗次郎もそうなっていたかもしれない。
志々雄のように、強くなりたかったのだ。
剣の腕が上達すれば志々雄には褒められたし、誇らしかった。扱いに慣れれば、人を斬るのも簡単だった。
身軽な宗次郎には刀が持って来いで、相手を倒すのには好ましかった。人を殺す為に、何よりも有効な手段。しかし……、
宗次郎は沖田の問いに改めて考え込む。
得物として使う分にはこの上ない。しかし、自分自身の嗜好としては、剣が好き、とはっきり言い切れるだろうか?
確かに沖田との勝負は楽しかったし、抜刀斎とのそれも緊張感はあったが今にして思えばほぼ同様だった。それも剣が好きであるが故なのか?
強くなりたくて、一心不乱に剣を習った。志々雄のようになりたくて。
しかし単純に剣が好きかどうかだなんて、考えたことは無かった。
「そうなのかなぁ。…良く分かりません」
「あははっ…それだけの腕をお持ちなのに良く分からないとは、貴方は面白い方ですね」
沖田は屈託なく笑った。その明るさだけなら己と同様、全く強いようには見えない。
そんな彼に、宗次郎は同じ疑問をぶつけてみたくなった。
「じゃあ、あなたにとって、剣とは何ですか?」
「僕の全てです」
即答だった。
一片の迷いもなかった。
凪のような表情に反して、沖田の眼差しはどこまでも直向きである。
沖田は右手で大刀の柄尻に触れた。まるで慈しむように。
「この剣を、自分自身の為に、近藤さんや土方さん達の為に、新撰組の為に、そして御公儀の為に使いたい。
僕は剣客ですから、無論死ぬまで、剣に生きたい。……それができるなら、僕は本望です」
やはり真っ赤な夕日を見つめながら語った沖田の横顔を、宗次郎はじっと見ていた。
剣は全て、と言い切った。
きっとそれが沖田にとっての真実なのだろう、と宗次郎は思った。彼の強さをより高みへと引き上げているもの。弱肉強食の真実を見失った後、自分はまだ見出していないもの。
「死ぬまで剣に、ですか。流石は生粋の剣客ですね」
宗次郎は素直に褒め言葉を口にする。
この沖田も、あの志々雄も剣心も生粋の剣客だった。じゃあ自分は、と考えると、剣客ではあるけれど生粋の、とは評せない。
志々雄は死ぬまで剣を手放さなかっただろう。剣心も、何だかんだでずっと剣の道を歩むような予感もする。
じゃあ、自分は。
この先剣を振るう機会はあるかもしれないけど、それを死ぬまで、貫けるだろうか?
剣と共に生き、剣と共に死す。
彼らのような、そんな剣客としての高潔さは、自分は持ち合わせていないような気がした。
「貴方も十分に立派な剣客だと思いますが」
「そうですか?」
「ええ」
聞き返した宗次郎に、沖田はしっかと頷いてくれた。
「たとえ元々才能があったとしても、剣の腕は一朝一夕で身につくものではありません。技術を会得する為に、それ相応の努力をした筈です。貴方の剣を見れば分かります。
剣を身につける為に力を尽くしたことは、貴方は誇っていいと僕は思います」
それはきっと、沖田もまたここまでの腕を身につける為にした研鑽の厳しさが骨身に沁みているからこその言葉。
強さ弱さの是非は抜きにして、強くなる為の努力をした、その点を認め、称える言葉。
剣の修行は指摘の通りに、生易しいものではなかった。宗次郎にとっては、その長年の労苦を労られたような、そんな風に思えただろう。水面を伝う波紋のように、胸の奥にじわりと染み渡る。
しかしその為に、大きな犠牲を払ったことも確かなのだ。他者に対しても、自分自身に対しても。
「…その為に、人を本当に斬ったとしても?」
「実際に人を斬ったからこその強さ、というものもあると、僕は思います」
これもまた、沖田も人を殺めたことがあるが故の発言だろう。
「そうでなければ得られない強さというものも。
当然、進んで誰かを斬っていいというわけではありません。ですが、命を賭して闘った末でないと得られない、そういったものがあることは、紛れもない事実です」
本来、人が人を殺めることは禁忌である。太古の頃より、それは変わらない。
しかし、敢えてそれをすることで、そうせざるを得ない状況を乗り越えることで手に入る強さもある。
逆説的ではあるが、沖田はそう述べているのだ。そしてそのことは、宗次郎も良く分かっていた。
あの雨の日に、その一線を踏み越えてしまったことで、自分は強さを手にしたのだ。
志々雄の強さもきっと、多くの弱者を糧としてきたからこそのもの。
しかし同じように人を殺めておきながらも、不殺を掲げたままで、そんな自分を打ち破った人がいた。
『不殺を貫かれたままでこれほどの強さを会得できるなんてなぁ…。何か、ちょっとずるいや』
あの時は、そう口にした。
圧倒的な強さを見せつけながら、且つ相手を殺さないままで、あの人は勝った。人を斬り続けたことで強くなった自分に。
意図せず巡り会った“人斬り抜刀斎”はその、人を斬ることで得た強さ、を十二分に抱えていたのだろう。強さの質がまるで違っていた。
けれど、“緋村剣心”の方はその点については理解していて、だからこそ今は不殺を唱え、弱者を守る選択をしたとでも? 人を斬ることで得た強さ、を良く知っていて、だからこそあんなにも、不殺のままでより強くなることができたのか?
その考え方も、彼がそうなるに至ったその理由も、宗次郎にはまるで分からない。
分かっているのは、あの抜刀斎が長い時間をかけて己の生き方を模索して、その末に見出したものが不殺の道だということ、それだけだ。
今度彼に会ったら、どうしてそうなるに至ったか訊いてみようか…。
そんな風にも、思った。
「人を殺めることが禁忌であるということ、僕もそれは勿論分かっています。
けれどそれ以上に、命をかけた刀同士での闘いは、いやが上にも気分が高まる……。強い人間と剣を交わし合えることが何よりも嬉しい。相手を殺すのが楽しいのではなく、自分自身の剣で相手を打ち破ることが楽しくて仕方ない。どうしようもないんです、こればかりは。
やはり僕は、剣客なんです」
「……その気持ち、何となく分かります」
沖田の心境に、宗次郎は同意した。
志々雄のように血が騒ぐ、とまではいかないが、強者との勝負はやはり胸が躍った。強い力同士のぶつかり合い、その末に相手を破った際の爽快感。自身は強くなったのだ、と再確認し、心が満たされた。
弱者を葬る時も同様で、刀を一振りするだけで呆気なく相手が死ぬことに満足した。
強くなどならなくていい、と思う心もずっと昔は確かに存在していた筈なのに、いざ強者の側に回ってみれば、相手の命を自分が握っているというそのことに、優越感のようなものを覚えるようになっていたのだ。
いつしか楽しくなってしまった。自分が他者の命を簡単に、どうにでもできるということ。
「そうですか。分かってくれますか」
沖田はきっともっと純粋に強い者との闘いについて言っているのであり、宗次郎の思い浮かべていることとは異なっていただろう。しかし、強い人と闘うのは楽しい、その点については宗次郎は同感であり、だからこその相槌に、沖田はどこか、安堵するような顔をしていた。
沖田は恐らく、様々なことを理解した上で剣を振るい、闘っている。他者の血を纏うことも、理由はどうであれとうに納得済みなのだろう。
そういった所は自分とは違う。ただ。
「何だか貴方とは、他人という気がしませんね」
「…奇遇ですね。僕もそう思います」
顔立ち以外にも、どこか似通った部分がある。
具体的にどこがどう、とは言えないが、互いの根底を流れるものに等しい何かがある……そんな奇妙な連帯感。
何とも表現しがたい気持ちを胸に灯しながら、宗次郎は笑みを深める。そうして、すくっと立ち上がった。
「沖田さん、僕は行きます」
隣を振り向いて、告げる。突然の宣言に沖田は大して驚いた風でもなく、宗次郎を見上げるばかりだ。
「あなたはもう答えがあるみたいですが、僕にはまだ無いんです。やっぱり、自分自身で見つけ出さないと、あなたや、志々雄さん、緋村さんみたいに本当に強くはなれない……そんな気がするんです」
だから、まだ一つの場所には留まれない。
「出立します。行き先がどこかは、まだ分からないけど」
元の時代に戻れるのかは分からない。けれど歩みを止めたままではいられない。
もう少し沖田と話をしてみたいという思いが無いわけではないけれど、教えられるばかりでは、結局何も変わらない。強さのこと、弱さのこと、剣のこと、己のこと―――自分自身の頭でもっと、考えなくてはいけない。考えてみたい。
宗次郎の面にあるのは朗らかな笑みだ。少しばかりそれを無言で見据えて、沖田は頷く。やはり穏やかな微笑みを浮かべて。
「そうですか…。同志になれないのは残念ですが、それが貴方が選んだ道だと言うのなら、大人しく引き下がりましょう」
沖田もまた立ち上がった。石畳に、二人分の影が長く伸びていた。
どこか遠くから、鴉の鳴き声が聞こえる。
「道中、お気を付けて」
「ありがとうございます。沖田さんもお元気で」
「もし、また近くに来るようなことがあれば、屯所の方にも顔を出して下さいね」
「あははっ……今度こそ逃してくれなさそうな気もするなぁ」
永倉や原田、近藤らの姿を思い浮かべて、宗次郎は苦笑する。
幕末最強の剣客集団・新撰組……思わぬ形で関わることになってしまったがしかし、こんなことでもなければ、こうして沖田と話す機会も無かった。
「それじゃ……」
宗次郎は軽く会釈をして沖田に別れを告げた。空の色はほんの少し、暗くなっていた。藍が茜を侵食する中、それでも相手の姿形はよく見える。
沖田は微笑を浮かべ、見送る姿勢だ。やはり、自分と似ているであろう笑顔。
夕暮れの風が吹き渡る中、宗次郎は再び歩き始めた。











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Q「剣は好きですか?」
「好きですよ。だって簡単に相手を殺せますからv」

十本刀時代の宗次郎だったら、こんな風に即答しそうです。


剣心は「剣術が好き」とはっきり言ってるけれど、宗次郎は剣術が好きは好きなんでしょうがそれを自分では良く分かってない、そんなイメージ。
でもあっさり「好きです」と言う絵も浮かんだりして……ああホント、彼は掴みにくいです。内面描写にはいつもいつも悩まされます。
台詞とモノローグと簡単な状況説明で済む脚本形式なら、どれだけ楽なことか…(遠い目)


急激にどシリアス。
沖田に関しては、るろ剣やその関連作品以外に、他の新撰組取り扱い作品の影響もあり、こんなキャラに。るろ剣の沖田像とは大分違うかもしれませんが……やっぱり剣に関してはストイックなイメージ。


2013,7,1

初稿:2013,6,23





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