最終話
気が付くとそこは、明治だった。
茶店の表の長椅子に腰かけて、右手に食べかけの団子を持って。唐突にこの状況に引き戻されたことに、宗次郎はやはり目を瞬かせるしかない。
「…あれ?」
つい先程まで、沖田と話をしていた筈だ。
それで出立を告げて歩き出して、道を進んで……なのに、どうして今ここに自分はいるのだろう。
茫漠と辺りを見回す。広大な田園風景の中に、ぽつぽつと立ち並ぶ民家。新緑を茂らせる木々に、同じようにぐんと若芽を伸ばした草むら。峠の茶屋故に人の行き交いもそれなりにあるが、そこを歩いている男達は皆、散切りか或いはそれに近い髪型だ。ちょん髷の人間など、誰もいない。
(もしかして僕、明治に戻ってきた……?)
とりあえずぱく、と串団子を口に運びつつ、宗次郎は思案する。
幕末に放り込まれた時と同様、帰還もまた突然だった。しかしこの茶屋は確かに、幕末に行く前に自分が立ち寄った場所で、左手の横におかれた皿には既に平らげた分の二本の串があって、やはりそうとしか思えない。
(……何だったんだろう)
唖然、とするしかなかった。
本当に一体何だったのだろう、つい今しがたまでの不可思議な体験は。
沖田と話した内容も、永倉・原田らにからかわれたことも、抜刀斎と闘ったことも、確かに宗次郎の脳裏に記憶されている。
それでも、幕末に投げ出される前に何事も無かったかのように戻っているこの現象。白日夢を見ていたとでもいうのか。
と、にゃあお、と悪戯っぽい笑い声のようなものが聞こえたような気がした。
宗次郎がそちらへと目を向けて見ると、草むらの中に黒猫が見えた。やけに毛並みが良く、向こうもまた宗次郎の方をじっと見ている。
黒猫は牙を僅かに剥き出した。まるで笑っているようにも見える。にゃあ、とまた聞こえた。
黒猫はそのまま身を翻して草むらの奥の森へと駆けて行った。その時、その黒猫に尻尾が二本あった風にも見えたが、それは宗次郎の気のせいだったかもしれない。黒猫の姿は、あっという間に見えなくなった。
いつまでたってもぽかんとした表情から脱せないままの宗次郎は、けれどその黒猫の姿に数日前のことを思い出していた。
(……そういえば)
たまたま立ち寄っていた里山で、木に引っかかって降りられなくなっている猫を見かけた。じたばたともがいてにゃあにゃあと鳴いていたそれを、宗次郎は気まぐれで降ろしてやったのだった。
降ろした途端、多数の野良猫の例と同じく、こちらを振り向きもせず一目散に遠くに逃げてしまったのだが。
その猫も確か、黒猫だった。
(もしかして僕…、化かされた、のかな?)
同一の猫かどうか、定かではない。しかし宗次郎が思い出していたのはどこぞで聞いた、長い時を生きた生き物は妖怪になる、という眉唾ものの話だ。
もし先程の黒猫が妖怪変化の類で、宗次郎に助けて貰ったお礼に(或いはちょっとした悪ふざけで)、幻術を見せていた、のだとしたら。
実際、本当かどうかは知らないが、山奥の里を通った際などあちこちで狐だの狸だのに化かされた、という体験談もちらほら聞いていたのだ。その時は大して本気にはせずに「へぇ〜不思議ですね」と流していたのだが。
もし宗次郎自身も、あの黒猫に化かされていたのだとしたら…あの奇怪な出来事にも説明が付く、と思えなくもなかった。
いや、でも、いくら何でもまさかそんなことが実際に起こり得るのだろうか?
(……ま、いいか。無事に帰ってこられたし)
原因はとんと分からなかったが、だから無闇に考えるのをやめ、宗次郎は次の団子を頬張った。どれだけ考えても分からないだろう、こんなこと。
幕末での様々な思い出を残したままで、また明治に戻ってこられた。だったらいいや、と宗次郎は気楽に構えた。
沖田にも言った通り、自分の真実を見つける為に歩き出せばいい、さし当たっては今自分がいるこの土地を。
ひとまずはそれでいい、と思った。
本州よりも遅れるとはいえ、北の大地にも春は訪れる。
山桜、霞桜……様々な種類がある為に画一的でなく、それ故に深みもまたある桜並木の中を、宗次郎はのんびりと歩いていた。
白、桃、紅色。そんな淡い色合いが支配する季節がこの北海道にもきたんだなぁ、と、舞い落ちる桜の花弁に思う。自然を愛でる情緒は持ち合わせていないが、ただ純粋に、綺麗な物は綺麗だ、と目に映る。空気だって冬の頃よりずっと和らいで、この所過ごしやすい。
呑気な宗次郎とは異なり、その見事な桜の花を眺めようと歩きに来ている人の姿も多くある。歩きながら木を見上げたり、時々立ち止まって枝振りを鑑賞したり……そうしてその立ち止まっている人物の一人に、宗次郎はふと目が行った。
自分の斜め前方、桜の幹に手を当て、何事かに思いを馳せている男。
その男の顔は。
(……永倉、さん?)
もう一カ月程も前に体感した奇怪な経験の中で、出会っていた人物。
ちょん髷ではないし帯刀もしていないし、当たり前だが新撰組の隊服でもないし、相応の歳を重ねた顔つきをしているけれど、間違いない。
思わずじっと見てしまった。
その視線に気付いてか、永倉がこちらを振り向いた。
「! お前は……」
驚いた顔をした永倉に、宗次郎は一瞬、身構えた。今度は何を言われるか。
しかし永倉はすぐに、何でもない、といった風に頭を振った。
「いや、違うか。あいつがこんな所にいるわけがねぇ」
悪いな、と気さくに言いながら永倉は近付いてきた。出会った頃そのままの姿である宗次郎を見ても、動揺は見られない。
「あのー、僕のこと、」
「ん?」
「…あ、いえ、何でもないです」
やはり宗次郎当人に対しての反応は薄い。
自分のことは覚えていないのか、それとも。
あれはやはり幻であって、永倉の方には宗次郎と出会った記憶が存在していないのか。
「昔馴染みに、あんたと良く似た奴がいてな…」
「それってもしかして……沖田さん、ですか?」
「おっ、若いのに良く知ってるな」
永倉の顔がぱっと華やいだ。沖田の名にはこの反応で、宗次郎の名が出てこないとなると、やはりあれは永倉にとっては“なかった出来事”らしかった。
本当、僕が味わったあの一連の出来事は何だったんだろう。
改めてそう思いつつ、宗次郎は“向こうにとっては“初対面なのであろう永倉と向き合う。
「…まぁ、あいつは有名だからな。新撰組一番隊組長。天才剣士、沖田総司ってな」
言ったきり、永倉は押し黙る。
そう、確かに世間的には名だたる剣士だ、沖田総司は。しかし宗次郎が彼について聞いたのは、だからではなく、あの対峙を経験していたからで。
この明治の世においての、沖田総司の行方。宗次郎はそれについては知らなかった。
だから永倉に尋ねてみた。
「沖田さんは、今どちらに?」
「あいつは死んだよ……ずっと前に」
「えっ?」
「肺を病んでな……俺達新撰組が江戸に戻って間もなく、労咳で死んじまった。もっとも俺も、それを知ったのはずっと後のことだったけどな」
歴史においては、新撰組は幕府側、つまり敗者側の人間達である。戦の中で命を落とした者は多い(内部粛清で落命した者も多いのだが、ここではそれについては割愛する)。
しかし沖田においては、数少ない例外である。
新撰組一番隊組長として数々の武勲を上げた沖田だったが、慶応三年頃より労咳を患い、第一線を退くことを余儀なくされた。その為鳥羽・伏見の戦いを始めとする戊辰戦争にも参加はしていない。
新撰組が江戸に帰還した後は千駄ヶ谷での療養生活に入るが、徐々に体は衰えていき、慶応四年の夏に死去。
辞世の句は「動かねば 闇にへだつや 花と水」。
享年二十四歳。
天才剣士の若過ぎる、早過ぎる死だった。
「病……ですか」
反芻するように呟く。少なからず、宗次郎にとっては意外な返答だった。
剣を取って闘っている以上、死んだのだとしたら、沖田はきっと闘いの中でだと思った。
けれど違う。彼を殺めたのは人ではなく、病であるという。
『無論死ぬまで、剣に生きたい』
限りなく凛とした声で、沖田はそう語っていた。しかし彼は、闘いの中では死ねなかったのだ。
どこまでも剣一筋に生きたいと願っていた筈の彼が、病によって体を蝕まれ、剣を満足に振るうことすらできなくなる……そのどこまでも深い無念は、まだ宗次郎には分からない。
ただ、得体の知れない薄靄が宗次郎の中に立ち込めていたことは、確かだった。
「総司だけじゃねぇ。近藤さんも土方さんも、他のみんなもほとんどもういねぇ。……みんな死んじまった」
「原田さんもですか?」
あの豪快な、そして自分を散々おちょくってくれた彼の姿を思い起こす。しばし暗い顔をしていた永倉も「あぁ、あいつか」と、ここでやっと苦笑した。
「あいつも死んだって聞いたけど……あいつ、変にしぶといからな。どーにかして生き残ってんじゃねーかって、何かそんな気もするぜ」
幻の中で、とはいえ、少しは関わった人間達のことごとくが今はもういない、というその事実に、宗次郎自身には大きな感慨は無い。へぇ、そうなんだ、とあっさり納得してしまう。心の一欠片がほんの僅か揺れ動きはしたが、それだけだ。
「何か、湿っぽくなっちまったな…。けど、懐かしい奴らの話ができてちょっと嬉しかったよ。ありがとな」
気さくに礼を述べる永倉の姿は、幻の幕末で出会った永倉の人物像そのままで。
あぁホント良く分からない、と軽く混乱しつつ、宗次郎はそれを打ち消すようににっこりと笑った。
「笑った顔、総司にそっくりだな。またあいつに会えた気がして、何だかやっぱり嬉しかったぜ。…旅の途中なんだろ? 気を付けてな」
「ええ。お気遣いどうも、永倉さん」
「……? 俺、名乗ったっけか?」
「…あ、」
うっかり藪蛇をつついてしまったようだ。
「何となくそんな気がしただけです。あははは」
「ふーん? …まぁ、いいか。それじゃあな。縁があったらまた会うだろうよ」
笑って誤魔化した宗次郎を大して気にする風でもなく、永倉はひらひらと手を振って去っていった。青空の下、遠ざかっていくその後ろ姿を宗次郎は見送る。
幹部達のほとんどが死に絶えている、それを思えば、この永倉やあの斎藤のように激動の時代を生き抜き、明治の世においても生き残っている新撰組は、本当に稀有なのだろう。志々雄が高く評価するわけである。彼らはそれだけの猛者で、それだけの強さがある。
沖田も間違いなく強かった。
しかし彼は、明治の世を見ることなくこの世を去った。
自分と瓜二つの顔を持つあの人と、実際に会う機会は永遠に失われてしまった。
『何だか貴方とは、他人という気がしませんね』
沖田の爽やかな声が、不意に耳の奥に蘇った。
(もしも、沖田さんがこの明治の世に生きていたなら……ちょっと話、してみたかったな)
もう話ができなくなった、と知ったからこそ、思う。
明治に生きる沖田総司に、剣についてとか、強さについてとか。
もっと、色々と聞いてみたかった。
(……でも、)
やはりそれは自分で探せと、自分で見つけてみろと、暗に言われた気がした。
宗次郎は顔を上げ、肩の荷物を担ぎ直した。はらはらと舞い散る桜が目に入る。まるで雪のようだ。
沖田の、緑風のような笑顔が思い出される。この桜の花さながらに短く儚い一生を、それでも懸命に生き抜いたのであろう人。不思議と、赤の他人には思えなかった人。
あの邂逅は幻だったのかもしれない。それでも、宗次郎の心には確実に何かを刻んだ。
宗次郎は小さく笑んで、一歩踏み出した。
先はまだ遠いけれど、自分自身の真実を求めて。
END
これにて「Double Wind!」完結でございます。
こんなトンデモ設定の小説に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
ふとした思いつきから始めたこのシリーズですが、意外に長い期間の連載となってしまいました…すみません…。(途中、半年くらい間が空いてたから…)
描写が甘いのも時代考証が浅いのもまぁギャグだからいーやw …な〜んて軽く構えていたのに、何、この後半の怒涛のシリアス……おかしい、これはギャグだった筈だ(笑)
沖田の享年の歳は諸説あるようですが、二十四歳説を取らせて頂きました。
本当に若いですよねー…。不憫です。
しかし、史実の彼がいたからこそ、瀬田宗次郎という素晴らしいキャラクターが生まれたわけで。
そういった意味でも、沖田さんには感謝です。
幕末にタイムスリップ、なんてアレな設定でしたが、この設定ならではの沖田と宗次郎とでの会話が書けて良かったです。
そして珍しく短気な宗次郎を書けたのも新鮮で面白かったです。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!
2013,7,29
初稿:2013,7,9
以下、悪ノリしたおまけです(あくまでもおまけ)
深く考えずお楽しみ下さい↓
剣心と再会した時に。
宗「そういえば緋村さんって、縮地のこと、一体いつどこで知ったんですか?」
剣「昔、拙者がまだ人斬りだった頃、一人の青年と遭遇してな……その彼が使っていたのでござる。当初は不可思議な動きだと思っていたのでござるが、その青年が“縮地”という言葉を口にしていたのでな。調べたのでござるよ」
宗「へぇ〜…(あれ?)」
剣「思い起こせば、彼はどことなく宗次郎に似ていたような気が……」
宗「……」
剣「……」
宗「えっ」
剣「えっ」
お粗末さまでしたw
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