第四話



夏の日暮れは、遅い。
時刻で言えば夜に差し掛かりつつもあったが、空はまだ十二分に茜色である。
人気のない竹林の中の道を歩きながら、宗次郎は珍しく溜め息を吐いていた。
「…これからどうしよう」
新撰組屯所から逃げ出した後、足の向くままに宗次郎は適当に京都の町を抜けた。だが溜め息を吐いているのは現在地が分からないからとかそういうことではなく、当然、今後の自身の身の振り方についてだ。
差し当たって、お腹がすいてきた。最後に口にした固形物は、幕末に来る前に茶店で食べていた串団子だ。茶は屯所でも振る舞われたが、それ以降はずっと飲まず食わず。宗次郎のお腹の虫が鳴くのも当然だった。
宗次郎の懐には、中身はささやかではあるが財布がきちんと仕舞われてある。しかし、『でも、このお金って幕末でも使えるのかなぁ?』という疑問が、買い物することを躊躇させていた。
実際、明治維新期には通貨制度が改められていて、貨幣自体も変わっていた。だから宗次郎の懸念は正解であり、仮に買い物をしようとした所でそれは無理な話だった。
今夜の宿を諦めて野宿にするのは構わなかったが、空腹なのはちょっといただけない。今晩一晩だけでも、新撰組屯所に泊らせて貰えば良かったか…しかしあの分だと、なし崩しに入隊させられていたかもしれない。
何より、元の時代に戻るにはどうすればいいのだろう? その手立ても手掛かりも、何も分からない。
う〜ん、と顎に手を当てて、しかし悩んでいるのにあんまり悩んでいなさそうな笑顔で宗次郎は歩を進める。爪先に当たった砂利が一つ、転がった。
と、ここで前方から足早にやって来る人影とすれ違った。すれ違った時に気が付いた。
隣を通り抜けた、赤く、長い髪。
(……えっ?)
すれ違った後で宗次郎がはたと振り向いたのは、その人影が前方にいた時点で気付かなかった位、当人自覚ないうちに考え込んでいたからか。
「…もしかして、緋村さん?」
もう随分と宗次郎から離れていたのにもかかわらず、その人物はその言を捕らえて立ち止まっていた。
「…何のことだ」
努めて冷静、しかし険しい顔つきだった。
宗次郎はその人物を改めてまじまじと見る。
自身と大して変わらない単身痩躯な体付き。薄汚れた黒い着物に、大小の刀の二本差し、何よりも目をひく赤い長髪。この頃は沖田同様後頭部で結ってあるようだが、その色は宗次郎の知る彼と同じだ。
先程発した声は低く、どこか凄みも入り混じっていたが、やはり聞いたことのあるそれ。
若くはあるが顔の造りも当然同じで、左頬にはあの十字傷が……、
あれ? 十字傷じゃない。
「十字傷じゃない……でも、やっぱり緋村さんだ」
最初は一本傷だったんだ、と、宗次郎は変な感心をする。
「だから、何のことだ。知らないと言っているだろう」
口調はまるで違う。特徴的な“ござる”が無い。
しかしやはりどう考えても彼は幕末の頃の緋村剣心としか思えないわけで。
彼とは、京都でのあの闘い以来の再会となる(再会というのだろうか、この場合?)。
だから何だか懐かしい気持ちも手伝って、そして自分が沖田と間違われた状況とは違ってこちらは確かに剣心当人であるのにもかかわらず誤魔化しているのが不思議で、宗次郎は「またまたぁ」と軽く声を上げる。
「嫌だなぁ、その髪の毛にその声、間違いなく緋村さんですよ。僕が知ってる緋村さんよりは随分若いし、それにまだ十字傷じゃないようですけど」
「………」
剣心の訝しげな目つきがますます鋭くなった。しかし宗次郎は構わずににこにこしている。
自分よりも若い緋村剣心が目の前にいる……それが何だか不思議な気がした。斎藤の時はそれをじっくり堪能している余裕もなかったものだから、余計に。
しかし宗次郎は知らなかったのだ、今目の前にいる剣心が、彼の見知っている剣心像とは大きく異なっているということに。
「あぁ、そうか、この頃はまだ緋村さんは緋村さんでも、緋村抜刀斎さんの方でしたね」
ぽん、と手を打ちあわせるような調子で宗次郎はそれを言った。やっとその点に思い当った、だから口にした、宗次郎にとってはその程度のものだったのだが。
しかし、これは完全に墓穴を掘っていた。
刹那、その赤毛が翻って鋭い刃が宗次郎に迫った。抜刀術だ。
疾走と共に放たれたそれを宗次郎はすんでの所でかわし、退く。風圧で髪がふわりと揺れた。
「うわ、危ないなぁ。随分といきなりですねぇ」
しかも無言で一切の躊躇なく、だ。今の彼は完全に自分を殺す気だった。
沖田の初太刀同様、宗次郎だから避けられた一撃だったが、口調は何とも呑気である辺り彼らしい。
正真正銘の刀を手にした剣心―――いや、抜刀斎はゆらりと振り向く。その目は氷のように冷たい。
「…お前が一体何者かは知らないが、俺のことを知っている以上、生かしておくわけにはいかない…」
「え」
「私怨は無いが死んで貰う」
言うや否や、抜刀斎は再度斬りかかってきた。丸腰の宗次郎は邪魔になる荷物を投げ捨てながら避けるしかない。余計な物を持ったままでは反応し切れない、それ程の速さである。
宗次郎に当たること無く空振りで終わった一撃ですら、空気を切り裂く風切り音はどこまでも鋭利で重い。喰らっていたら確実に手や足の一つ簡単に無くなる。
不殺、などという甘さは、そこには微塵もない。
この時点での剣心は完全に“人斬り抜刀斎”であって、絶賛闇稼業中の頃なのだった。自分の正体が人に露見するのを恐れ、だからこそ尚更、容赦がないのだ。
(うわぁ、本気だよこの人)
これが昔の緋村さんか僕の知ってる緋村さんと随分違うしやっぱりこっちの方がずっと強い気もするなぁ、という感想をほんの一瞬だけ浮かべて、宗次郎は縮地の三歩手前で抜刀斎をすり抜けるようにして移動し、距離を取った。およそ五間程(約9メートル)、しかしその位、一瞬で詰められてしまうだろう。
けれど宗次郎の予測に反して、抜刀斎は刀を横倒しに構えたままで「何だ…今の動きは」と呟く。
「??? これが縮地だって言い当てたの、緋村さんじゃないですか」
闘いにおいて看破したのは、あの時の彼が初めてである。にもかかわらず彼が縮地を知らない……その矛盾に、宗次郎はただ首を捻るしかない。
それはそうと、どうこの窮地を乗り切るか。緋村抜刀斎と闘ってみたい、その思いはかつての宗次郎にも少なからずあった。だからそれが実現したことはある種、僥倖なのだろうがしかし、沖田と違ってこちらは単純に楽しむというわけにはいかなさそうだ。
抜刀斎は完全に標的を自分に定めている。本気で、殺すつもりで剣を振るっている。得物のない自分がどこまで立ち回れるか。
抜刀斎の刀が横薙ぎに払われる。宗次郎は身を低くしてそれを避け、抜刀斎の脛目がけて蹴りつける。
しかし彼は高く跳躍、そのまま落下の勢いに乗せて斬撃を繰り出してきた。
「…龍槌閃!」
やはり丸腰では受けることもできない。白羽取りなんてもっての外だ。落雷の如き速度と、威力。
今この場に刀もその代わりになる物も何もないことをもどかしく思いながら、宗次郎は素早く体勢を整えて、後方へと下がる。
次の瞬間、つい先程まで宗次郎がいた場所に抜刀斎の刀が深々と突き刺さった。突き刺さった、のだ。避けていなければ今頃脳天から串刺しだ。
(…これが、“人斬り抜刀斎”か)
成程、人を斬ることに何の躊躇いもないようだ。
底冷えするような双眸と静かに、だが激しく立ち昇る殺気と剣気に怖気ずにいられたのは、やはり彼が宗次郎だからだろう。
志々雄さんに聞いていた以上だな、とその強さを実感しつつ、けれどこんな、自分にとって害をなすと思われる者ことごとくを葬ろうとする抜刀斎が、あの“緋村剣心”へと変貌した不思議を、宗次郎はぼんやりと思う。
一体何がどうして、ああも甘くなってしまったのか。あまりにも違い過ぎる。しかしそれが、十年かけて見つけた彼の答え、なのか―――。
「おい、そこで何をしている!?」
「怪しい奴らがいるぞ、皆集まれ!」
「組長! こちらです!」
急に場が騒がしくなった。
見れば道の先、竹林が途切れた辺りに複数の人影がある。そして彼らはこちらに急速に向かいつつあった。
「……ちっ」
形勢不利と見たか或いはこれ以上の騒ぎになるのを恐れてか、抜刀斎は舌打ちを残して撤収した。
竹林の中にかき消えるようにして即座に姿を消した彼を、宗次郎はぽかんとしたまま見送る。
て言うか「ちっ」て。「ちっ」て!!
幕末と明治とで性格変わり過ぎです緋村さん。
「……あれ? 貴方は……」
自身に向けられた声に宗次郎は振り向く。
ともあれ自分は後から来た彼らによってこの場を切り抜けられたのだろう。
何となくそんな気がしないでもなかったが、やはりその場にいたのはしばらく前に別れた人で、意外にも早い再会となってしまったその彼で。
今度こそ、浅葱色のだんだら羽織で、すらりとした細身なのに風格すら漂わせる、
新撰組一番隊組長・沖田総司その人なのだった。











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やっぱ幕末なら抜刀斎を登場させなきゃでしょう、ってなわけで。
ちなみに志々雄さんはこの頃の消息はよく分からないので、出ません(すみません…)。多分まだ京都にいないだろうし。


やっぱり強さ的には抜刀斎>宗次郎なんじゃないでしょうか。これは対沖田も、ですが、感情欠落時で本気モードだったら…どうだろうなぁ。


2013,7,1

初稿:2013,6,23





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