第三話
それは何とも奇妙な対面だった。
まるで等身大の鏡を目の前にした時のような、いや、実体を伴っている分、そんな単純なたとえのようにはいかず。
今、自分は多分、目と口をぽかんと開いたその青年と同じような表情をしているんだろうな、と宗次郎は思った。
後頭部の高い所で結わえた髪、きりりとした濃紺の着物に薄鼠色の袴、と出で立ちこそ宗次郎と大きく異なっているが、成程、確かに顔そのものはそっくりだ。向こうの方が幾つか年上のようだが。
「あのー…こちらは?」
その青年―――名前を訊くまでもない、沖田総司だ―――は、不思議そうな顔をしたまま部屋に入ってきた。宗次郎よりも高めの、だが凛とした清涼感のある声だ。
よく似た顔同士の二人の視線がかち合う。宗次郎はほぼ反射的に、しかし慣れた笑みをようやく浮かべて口を開きかけた。
「僕は、」
「あぁ、こちらは瀬田宗次郎さん。お前の生き別れの弟だとよ」
「「はい!?」」
永倉の爆弾発言に、宗次郎と沖田の声が揃って上がる。
永倉はニヤニヤしている。
「ちょっと、永倉さん、また適当なこと言わないで下さいよ」
「僕に弟…ですか。そんな話、姉さん達から聞いたことなんてないんですけどね…」
宗次郎は軽く抗議をするが、沖田はというと真面目にその話を受け止めてしまっている。
宗次郎はさっそく訂正を入れようとする。
「あぁ、違うんです。僕は、」
「あーと総司。こちらはお前の父親の従姉妹の弟の友達の親戚の許婚の兄の知り合いだそうだ」
今度は原田だ。
原田もニヤニヤしている。完全に遊んでいる。
「原田さんまでそんな出鱈目を…というより、完全に他人じゃないですかそれ」
普段天然純粋大爆発で周りを振り回している宗次郎にしては珍しく、ここに来てから周りに振り回されっぱなしだ。そのせいかどうかは知らないが、何となく調子が狂う。
「いやしかし並べて見ると本当に似てるな」「案外本当に総司の弟だったりしてな」「おみつさんに今度聞いてみるか」「お前ら、永倉と原田の冗談を真に受けるな」「いや、でも剣の腕まで立つとなると赤の他人とは思えないがな」
……本当に好き勝手言っている。
当の本人の気持ちを無視してこうも周りで盛り上がられると何だか面白くない。イライラ、とはまた違う、しかし不愉快なもやもやが宗次郎の胸の内に募る。
とにもかくにも、いつまでもこの場にいては面白がられるばかりで、一向に話が進まなさそうだ。
「貴方も剣を? …へぇ、ならばそれを是非とも見せて頂きたいものだ」
助け船のような一言を投げかけてくれたのは、意外にも沖田だった。
今しがたまで彼自身も遊ばれていた筈なのに、剣、の一言を耳にしただけで瞳に鋭い光がよぎったのを宗次郎は確かに見た。表情こそ未だ穏やかだが、しかし沖田が宗次郎に向ける目線はどこか挑戦的だ。
「いいですよ。僕もあなたの腕、ちょっと気になってたんですよね」
宗次郎はそれに素直に応じ立ち上がる。かの新撰組の一番隊を任される程の剣腕。強い、と自負している自分と同じか、あるいはそれ以上の実力の持ち主。そんな相手が目の前にいる。
その上、この唐突に幕末に放り込まれて状況も良く分からないまま振り回され続けたこの何とも言えない鬱憤のようなものを、晴らしたいという気持ちがあった。
それが剣と剣とを交えて叶えることができるというのなら、上出来だ。
「おーっと? 何だか面白いことになってきやがったぜ!」
「近藤さん、好機じゃねぇか。直にこいつの腕、見られそうだぜ!」
「それは願ってもないが…いきなり総司相手で、大丈夫かね?」
宗次郎の身を気遣うような近藤の発言は、それ程までに沖田の剣の腕を買っているということだろう。宗次郎の実際の強さを知らない近藤からしてみれば無理からぬ一言なのだが、しかし宗次郎からしてみれば、自身の実力を甘く見られたも同然だ。
「大丈夫ですよ。僕は強いから」
意図的でなく、挑発するような口調になった。
宗次郎は笑う。
こっちだって、志々雄お抱えの精鋭部隊・十本刀の筆頭だったのだ。宗次郎の剣客としての自尊心が期せずして刺激される。単純に、沖田自身の剣がどういったものであるか、という好奇心もあった。
だから急に動き出した話の流れに、宗次郎はそのまま乗っかることにした。
あの志々雄や剣心のように、幕末を駆け抜けた男の剣……是非とも見せて貰おうじゃないか。
屯所の庭外れの道場にて、宗次郎と沖田はそれぞれ竹刀を手に相対していた。
新撰組幹部のほとんどが学んだ天然理心流は、実戦本位の流派。通常の稽古に木刀を用いることもある程だ。しかしこの場においての得物は、敢えて竹刀だ。
本来ならば、実力を測るには木刀の方がいい。正直、二人には竹刀は軽過ぎるのだ。
しかし強い力同士がぶつかり合った場合、木刀では危険であることも確かなので、結局は竹刀での立ち合い、ということになったのである。
外からは蝉の元気な鳴き声が響いてくるが、道場内に張り詰める空気はごく静かだ。生き写しのような顔をした者同士は、ようやく真正面から対峙する。
「先程はすみませんでした」
まだ竹刀を構えないままで沖田が言う。口調も宗次郎と似ているが、こちらの方が丁寧な話し方だ。物腰も礼儀正しく、彼が元は武家の出である、ということを彷彿とさせた。
「世間じゃあ壬生狼、なんて呼ばれて怖がられてるようですけど、仲間内だと結構悪ノリしたりするんです、ここの人達」
「そうでしょうねぇ」
道場の壁際にずらりと居並ぶ一同を見遣って、宗次郎は相槌を打った。外から見れば恐ろしい男達なのだろうが、内部でのそのノリに巻き込まれてしまった宗次郎からしてみれば、実に納得のいく話である。
「でも、皆さんあんな風でもお強いんです。…勿論、僕も」
沖田は強気に笑んで正眼に構えた。成程、実力に釣り合うだけの自信もあるようだ。
しかしそれは宗次郎も同様だ。
闘いの場には似つかわしくない無邪気な笑みを深めて、宗次郎は無形の位のままで柄を握る右手に力を込めた。
「楽しみです。あなたと剣を交えるの」
本音だった。
当初こそ、どうにもやるせない不快感を晴らしたいという気持ちもあったものの、いざ道場でこうして(竹刀とはいえ)剣を持って相対してみれば、強者と闘える、という剣客としての高揚感の方が勝った。まして、その相手が通常なら絶対にお目にかかれなかった筈の、幕末の頃の沖田総司となれば―――。
何の因果かは知らないが、その不可能だったはずの立ち合いが今こうして可能となった。
ならばそれを味わってみたいと思った。
一体どのくらい強いのか。どんな剣を振るうのか。
真新しい玩具を目の前にした幼子のように、宗次郎も無邪気にわくわくしていた。
「…行きます!」
先に動いたのは沖田の方だった。勇猛果敢にこちらに向けて駆けてくる。速い。
振り下ろされた鋭い一撃を、宗次郎は後退することで避けた。宗次郎だからこそできた反応だ。常人ならば先程の一撃で斬り裂かれているだろう。それ程までに速く、流れるような美しい剣閃だった。
今度は宗次郎の番だった。沖田が体勢を立て直す前に足を踏み出し、下から斬り上げる。沖田がそれを弾く。弾かれても宗次郎の体勢は崩れない。柄を握り直し、今度は先程の沖田の如く振り下ろす。沖田は難なくかわし、そして二人の竹刀が交差する。
率直に言えば、案の定、竹刀では軽過ぎた。両者共に。それでも竹刀剣術の経験はある沖田に対し、宗次郎の方のそれはほぼ皆無だ。真剣の重さに慣れている分、竹刀ではやはりあまりにも軽い。
先だっての峰打ちにも抵抗があったのと同様、竹刀剣術もどうしても、宗次郎は馴染めない。
しかしひとまず刀は手放すと決めた以上、このか弱さにも慣れなくてはいけないのだろう。
(…おっと、)
思考を飛ばしている場合じゃなかった。そんな状態で勝てる相手じゃない、ということは、たったこれだけ剣を交わしただけでも良く分かった。
相変わらずの穏やかな笑みの宗次郎とは反対に、闘いに臨んだ際の沖田の表情はどこまでも真剣だった。彼にとっても竹刀剣術は児戯にも等しいのだろうが、逆にその軽さを利用して、疾風の如き攻撃を幾度も繰り出してくる。時にはかわし時には刀身で受け止めその攻撃を捌きつつ、その合間を縫って宗次郎も竹刀を突き出す。これまた恐ろしく鋭い一撃だったが、沖田は一足飛びに後退し、回避する。
お互いの間合いから脱し、二人は一旦、よく似た顔を見合わせる。ようやくここで沖田が笑った。
「素晴らしい。貴方は確かにお強い。この僕とここまで打ち合えるなんて」
「沖田さんの方こそ、凄いですね。こんなに長く剣を交えられた相手は久し振りです」
それこそ、あの緋村剣心以来だろうか。
流浪の旅路に出て闘いそのものから遠ざかってはいるものの、それ以前でも宗次郎とここまで剣戟を交わせる相手はそうはいなかった。
その腕前を、互いに素直に称賛し合う。
「しかもそれが僕とよく似た顔立ちの貴方だなんて。何だか不思議な縁のようなものを感じますね」
「……」
宗次郎は曖昧に微笑んだ。
まさかの幕末時代で、実は自分と瓜二つだった沖田総司と打ち合う。これを不思議と言わずして何と言おうか。宗次郎自身、突如こんな状況下に放り込まれてしまったことをまだ理解し切れずにいるのに。
これは夢か、それとも幻か。いずれにしても、今の宗次郎の前には自分と同等か、或いはそれ以上の力を持つ沖田がいる。そしてこうして剣を交わす機会を得た。
双方共に息一つ切らさず、まだ実力をすべて出しているとは言い難い―――縮地の三歩手前ですら披露していない宗次郎も同様だ。
それでもこの不可思議な、しかし不可能である筈だった今この時分での対面に、宗次郎の気分はいつしか弾んでいた。
これが夢でも、幻でも……もっと楽しみたい。もう少し、この人と闘ってみたい。宗次郎の性格や思考は抜きに、それは剣客の性のようなものかもしれなかった。
「これが実戦じゃないのが少し残念ですが…それでも十分です。さぁ、続けましょう」
沖田のあの涼やかな声が闘いの再開を宣言する。再び正眼に構えた沖田の背はぴんと伸びていて、整ったその構えすらも何かの絵のようだった。
沖田の口元から笑みが消える。宗次郎は依然微笑んだままで、それでも緩やかに竹刀を引き上げた。
今度は宗次郎の方から仕掛けた。懐に飛び込み横薙ぎに払う。防がれる。懲りずにまた一撃。今度は弾かれた。沖田が前に出る。中段の斬撃。宗次郎は体を捻ってかわし、体勢を立て直すのと同時にまた竹刀を振りかざす。
両者共に一歩も譲らない攻防だった。これが真剣同士での立ち合いだったら、一体どんな風だったろうか。そんな仮想が宗次郎の頭の中をちらりと過ぎる。或いはそれこそ命をかけた殺し合いだったら―――きっともっと互いに全力で、遠慮なく攻撃を繰り出していたんだろうか。そんな風にも思う。
けれどもう、人を斬ることはしない。答え探しの一歩として、宗次郎はそれだけは自分に課していた。だからそれは決して望めない勝負で、沖田の方とて仮にそう望んでいた所で、実行しようとはしないだろう(新撰組は恐ろしい非情の人斬り集団だと思われがちだが、それは不逞浪士の取り締まりには止むなしのことであって、機関的には警邏団に近いのだ)。
だから、今はただ―――竹刀剣術の範囲で、そこで出せる力で二人は向かい合う。
そして短いようで長く、長いようで短かった勝負にも、ついに終局が訪れた。沖田の左肩には宗次郎の、宗次郎の右脇腹には沖田の、それぞれの竹刀の一撃が叩きこまれていた。相打ちである。
無言のままで二人は竹刀をひく。納刀の仕草をして、沖田はにこっと笑んだ。礼儀正しく辞儀をして、宗次郎もそれに倣う。
右の脇腹がひりひりと痛む。竹刀での一撃とは思えない程に重かった。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
「いい勝負でした。互いに刀で、真剣勝負だったらどうなっていたか、分かりませんけどね」
真剣勝負だったら、にアクセントを置くようにして沖田は言った。
やっぱりそう思ったか、と宗次郎は心中で呟く。
宗次郎が本来の実力を発揮していないことを、沖田は見抜いている。沖田も十二分に余力を残していると、宗次郎の方もまた気付いている。
この勝負において、二人はすべての力を出し切ったわけではない。だから何もかもを気兼ねなく表した闘いであったなら、一体どんな風になっていたのか。勝負はどう転がっていたのか。沖田の方もまたそのことを思案していたというのは、想像に難くない。
にこにこと、まるで遊んでいる最中の子どものように沖田は笑っている。自分も普段こんな顔をしているのかもしれないな、と、宗次郎はやはり自身の姿見のような彼を、何となく眺めていた。
勝負の終幕から遅れて「おおーっ」と上がった歓声と拍手に宗次郎は振り向く。新撰組幹部一同が総立ちになったかと思うと、あっという間に宗次郎と沖田の二人の周りを囲んだ。
「いや、御見事御見事! 実に素晴らしい立ち合いだった!」
「ああ。まさか本当に総司とほぼ互角で打ち合えるとはな…」
「互角じゃないですよ土方さん。互いに全力じゃなかったこと、見ていただけでも分かったでしょう」
「本気じゃないってんなら尚更じゃねーか。どんだけ強いんだよコイツ? やっぱ掘り出し物だぜ」
「そーだな! こりゃもう入隊させるしかねーって! な、総司もそう思うだろ!?」
「僕としては、彼に入隊して貰えるなら願ってもないことですが…力強いし、稽古の相手も増えますしね」
「総司もこう言っていることだし、どうだ。瀬田君、新撰組への入隊をもう一度検討してみてくれんかね?」
「君が望むなら、それなりの立場を用意しよう。なるべく便宜を図る。どうだろうか?」
「局長と副長のお墨付きだぜ! もう入るしかねーよ!」
「是非とも入隊してくれ!」
「一緒に闘おーぜ!」
「あはははは、え〜と……」
宗次郎は乾いた笑い声を上げて頭をかいた。
これはもう、勧誘する気満々再びである。周囲を取り囲む男達は、期待に満ちた眼差しでこちらを見つめている。先程の勝負を目の当たりにしたのと、沖田の後押しを得て、となれば尚更の反応かもしれない。
しかし宗次郎自身にはやはり、新撰組に入隊する気などないのだ。
「ああ、近藤局長。それに土方さん達もこちらにいたんですか」
一石を投じるような第三者の声が道場の入口の方から聞こえてきた。聞き覚えのある声に宗次郎は内心、あ、と思う。
「三番隊の巡察の報告を、と思ったのですが、母屋の方にいらっしゃらなかったので…」
「おお、斎藤君いい所に。今、有望な新入隊士候補がいてね。君からも説得してくれないか」
ホント、斎藤さんいい所に、と宗次郎も思った。近藤の気が逸れた隙に、宗次郎はさっとその輪の中から抜け出す。
「すみません、旅の途中なので僕はこれで」
そのまま、道場の隅においてあった荷物を担ぎ上げると(ここに持ってきておいて良かった)、宗次郎は入り口に立ったままの斎藤の横をすり抜けた。ちらりと見た斎藤は若々しくて髪も長くてもう少しじっくり観察してみたい気もしたが、何かとややこしいことになっても困るので、宗次郎はそのまま急いで草鞋を履くと、脱兎のごとく逃げ出した。
「おい、君!」「待ってくれ、話を、」などという声が聞こえてきたが、宗次郎は勿論それには振り向かずに、勢いのままに新撰組屯所を後にした。
第四話へ
実戦経験を踏まえると、強さは沖田>宗次郎なんじゃないかと思います。何となく。
宗次郎も沖田も敬語口調で二人が喋ってるとどっちがどっちか分かりにくいですが、沖田の方がより丁寧な喋り方、って感じで差別化を図っています、一応…。
アクション久々に書きました。相変わらず難しいです…。
初稿:2013,6,21
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