最初は本当に、本当にただの遊びのつもりだったんだけど。
トリカブトの告白
あれから、学秀とカルマの付き合いは存外順調に続いていた。
付き合い、といっても恋人同士の男女がするような普通の交際ではない。相変わらず顔を合わせれば嫌みの応酬だし、日頃連絡を取り合ったりもしない。非常に乾いた関係だった。
しかしふと、お互いの気が向いた時に抱き合う。
最近では学秀の家だけでなく、カルマの家でも行為をすることもある。カルマの家も両親が旅行で不在なことが多いので、都合が良かった。
慣れ親しんだ自分の部屋に男を引き込むのは、奇妙な安心と背徳感に似たスリルがあった。普段は夜に眠るベッドの上で、カルマは学秀に抱かれる。それも何だか、妙な気分だった。
「……何を考えている」
「べっつに〜?」
あんたのことだよ、とはカルマは言わない。
今まさに学秀がそのベッドでカルマにのし掛かっていた。布団の下のマットレスが二人分の体重で沈む。
さらさらとした金の髪がカルマの目前に迫る。こいつ、いいシャンプー使ってんだろーなとその髪の艶と香りに何となく考えを馳せている間に、カルマは学秀に唇を塞がれていた。
「……ん」
カルマは瞳を閉じて学秀の唇の感触を味わった。柔らかく、角度を変えて啄ばんでくる。己の唇から脳内へ、じんわりと痺れのようなものが伝わる。
学秀はキスが好きなようだった。以前にキス魔かと訊いた時は、煩いとは言ったが否定しなかった。何より行為中にキスが多い。学秀は自覚しているかどうか知らないが、隙あらばキスをしてくる。
唇だけでなく、額や頬、耳の後ろや鎖骨に項…学秀は色んなところにキスを落としてきた。時には強く吸い上げて痕を付けることもある。流石に首筋など、目立つ場所に付けることは止めたが、その他はカルマは止めなかった。そうした時は、カルマの白い肌の上に赤い鬱血の痕が点々と残った。
それを見て、所有の証だ、と言わんばかりに学秀は満足そうにしているのだ。無意識かもしれないが。立派に独占欲だと思う。
「…っあ、は……」
学秀が少しカルマから離れて、舌先で唇を舐めてきた。ぞくりとする。
何だかんだ言っても、カルマは学秀のキスを結構気に入っていた。巧いし、何より気持ちいい。
優等生の生徒会長様が、一体いつどこでこんな技巧を習得したのやら。
(……そーいや最初も、キスから始まったっけ)
あの秋の日の放課後の出来事を、カルマはぼんやりと思い出す。
学秀とは、一度だけの遊びのつもりだった。
カルマの以前の担任が心の中で死んだ時、思っていた以上にショックを受けていた自分がいた。中学校のクラス担任なんて小学校程いつでもべったりじゃないし、所詮は学校だけの付き合い、そう割り切っていた筈なのに、見放された時にカルマは確かに傷付いていた。こんなことで傷付く程自分は弱くない、そう思いながらも、どうしようもなく荒んでいく心は止められなかった。
日に日に積もっていく鬱憤を晴らしたくて、不良相手との喧嘩の他に悪い遊びにも色々と手を染めた。男と寝たのも、その一環だった。
ちょっとコツを覚えれば、そういう趣味の男がほいほいとカルマに群がった。自分が食虫植物にでもなった気分だった。
少なくとも男達と寝るのはカルマは楽しかったし、気晴らしにもなった。以前学秀にも言ったが、男同士の性の営みは妊娠というリスクもない。快楽のみを貪欲に追える。
施されるだけでなく、施すテクニックもその時に磨いた。それはカルマの加虐的な性格と相まって、どんどん上達した。
情事に耽った時は、心のもやもやとかを全部、考えずにいられて楽で、だからこそカルマは溺れていった。
ただ、一時の楽しさこそあれど、不思議と後には何も残らなかった。却って虚しくなることもあった。それか何故なのかは分からないし、だから敢えて考えないようにしていた。
だってそれでいいじゃん、と。
男女間の付き合いでもないし、恋愛を求めているわけでもない。だからほんの泡沫の楽しみでも十分だと、カルマは思っていた。だって、すべては遊びなのだから。遊びってそんなものでしょ?と。
特定の相手を作らなかったのも、後腐れなく遊びに興じる為だ。それなりに安全そうな男や、面倒臭いことにならなそうな男を選んで抱かれてきたつもりだった。それでも誰でも良かったのかと言われれば、そうだったのかもしれない。
E組にあの超生物が現れて、暗殺稼業に勤しむようになってからは、そうした夜の遊びからはすっかり足が遠のいた。暗殺に勉強にと忙しくなったのもあるし、E組での日々は以前よりずっと充実していて、カルマが精神的に落ち着いたせいでもある。
ただ、悪い遊びの厄介な所は、一度はやめたつもりでもふとした時にまたやりたくなってしまうところだ。
E組メンバーの誰かを誘えるわけもないし(そもそもこんな不健全な遊びに引きずり込みたくない)、せっかく久し振りにするのなら面白い相手が良かった。その白羽の矢が立ったのが、学秀だった。
テストや学校行事の際にE組の前にこれでもかと立ち塞がる嫌な男。
性格は非っ常〜に難ありだが、それ以外は完璧に近いA組のリーダー様。
そいつを誘惑したらどんな反応をするんだろう。どんな抱き方をするんだろう。単純に、そんな興味が湧いた。
まー普通に考えれば流石に軽くあしらわれるよね、袖にされても十分にからかえるんだからいいか、とカルマは半ば試すように彼を誘惑してみた。本当に乗ってきたのには仕掛けた自分でもちょっと意外だったが、それでも学秀との行為は案外楽しかった。
日頃いがみ合う相手と寝るのは、刺激的で、滑稽で、背徳的で、だからこそ燃え上がった。
一度付いた火は学秀の中では燻り続けていたようで、こうも執着されてしまったのはカルマの計算外だったが、彼との行為自体に不満は無かったので、その後も大人しく応じている。決まった遊び相手がいるのも、悪くなかった。
学秀はカルマを支配したい、とこうした行為を望んでいるが、それは恐らく本音半分、建前半分、といったところだろう。もっとも、性交渉以外は大人しく支配されてやるつもりなどないのだけれど―――どんな形であれ自分が必要とされていることも、カルマは悪い気はしなかった。かつて本当に遊びだった頃には、縁のなかった気持ちだ。
だがそれは、決して恋だの愛だのではない。そうだとしたら気持ち悪い。自分にも、学秀にも、そんな感情は無いと思いたかった。
万が一そういうことにでもなったら、今度こそ全速力で逃げてやる。
「……何だか今日は気もそぞろだな」
「……そんなことないよ?」
カルマの様子をいぶかしんで学秀が動きを止める。
鋭いな、と思いつつカルマは笑って誤魔化す。
だからあんたとのあれこれを思い返してたんだって、と言ったら学秀はどんな反応をするのだろう。
シャツを脱ぎ捨てた学秀は不機嫌そうな顔でカルマを見下ろしている。
「それなら集中しろ。今、僕以外のことに気を取られるのは感心しない」
「りょ〜かい」
くすくすとカルマは笑う。
学秀は完璧超人を気取っていて実際色々と完璧なのだが、実は割と子どもっぽい。
こんな所、本校舎の奴らはほとんど知らないだろう。ほんのちょっとだけ、優越感。天才少年・浅野学秀の年相応の素顔や態度を、こんな風に見られるのは自分だけ。
今度はニヤッと笑ったカルマは、両腕をしなやかに学秀の首に絡ませた。
「じゃあさ、俺のこと溺れさせてよ、他のこと何も考えられないくらい。できるよね、浅野クン?」
カルマは学秀の耳に顔を近づけ、耳朶に軽く噛みついた。学秀がぴくりと肩を震わせたので、カルマはくつくつと笑う。
こいつをからかうのは面白い。だからこいつと抱き合うのはやめられない。単に楽しいことを求める、その本質自体は変わっていないのだ、きっと。
「…言われなくても」
囁くように言った学秀に緩やかに押し倒されて、カルマは再びシーツに沈んだ。
行為を終えた後、カルマはベッドにほぼ裸のまま横たわりながら、シャツを羽織る学秀のことを眺めていた。
成績優秀な生徒会長様は、決してもやしっ子ではない。文武両道を体現し、均整の取れたいい体つきをしている。身長はカルマと同じ位だが、学秀の方がほんの僅かに、体格はいい。
取り澄ました横顔は、ビジュアルだけなら満点に近い。
バランスのいいイケメンといえばE組にも磯貝がいるが、性格的にはそちらが圧勝だ。
これで学秀も普通に性格が良かったら。
想像してみて、カルマは即座に却下する。うん、無理。性格いい時点で既に学秀じゃない。
「何だ、さっきから。何故僕ばかり見ている?」
カルマの視線に気付いたらしく、学秀はシャツのボタンを留めながら尋ねてきた。その程度の動作すら無駄に絵になっている。
(外見だけならホントいいんだけどね)
「ん? 浅野クンに見惚れてたの」
カルマの白々しい一言に、学秀の顔には不信感がありありと浮かんだ。
面白い。絶対に何事かと怪しんでいる表情だ。こういう、ポーカーフェイスぶっていて何気に分かりやすいところは嫌いじゃない。
学秀の反応にふと悪戯を思いつき、カルマは内心にやりとする。
「ねぇ浅野クン。俺、浅野クンのこと結構好きだよ」
カルマは表には穏やかな笑みを浮かべて言ってやると、学秀が今度は驚きを隠せないといった顔になった。
さぁ、彼はこの後何を言うのだろう。「また僕をからかっているのか?」「いきなり何だ、気色悪い」……この辺りが本命だろうか。
そんな風に返って来たら次はどうおちょくろうか。カルマは仕掛けた罠を陰から見守るような調子で返事を待った。
学秀はしばし真顔でいたが、ほんの少しだけ口角を持ち上げて、カルマと目を合わせた。
それから、言う。
「じゃあ、せっかくの機会だから言わせて貰おうか。……僕も好きだよ、業」
「………っ、な、」
カルマは絶句した。
今、コイツは何て言った。
端正な顔から繰り出された学秀の誠実な告白。しかも名前まで呼び捨てで。
鳥肌がぞわぞわぞわっと立って、顔が一気に赤くなるのがカルマは自分でも分かった。
まさか学秀がそうくるとは思わなかった。斜め上過ぎる返答にカルマはらしくなく狼狽して、
……けれどすぐに思い直す。
「いやいやいや、ないないない絶対にない。
俺達が今こういう関係になってるのは、逆らう者は屈服させたいっていうあんたの歪んだ性癖の結果であって、だから個人的にどうこうとかあり得ないね」
有り得たら恐ろし過ぎる。来年三月に地球を破壊されるのよりも余程。
ぶんぶんと首を横に振るカルマに、学秀はシニカルな表情を浮かべた。
「よく分かってるじゃないか。君こそ僕のことはあくまでもていのいい遊び相手に過ぎないんだろう? 君の言葉をすべて鵜呑みにするほど僕は馬鹿じゃない」
学秀は淡々と述べる。
そうだよコイツはこういう奴だよ、一瞬でもうろたえてしまったのは不覚だった、とカルマは後悔する。
まだ頬に赤みを残すカルマを見て、学秀はくすりとした。
「…しかしさっきの君の顔は見物だったよ。E組の奴らにも見せたことはないだろう? ようやく、一矢報いた、っていうところかな」
「………っ」
人を散々おちょくることが趣味のカルマだが、からかわれることには慣れていない。学秀にまんまとしてやられた。その証拠に学秀はあの胡散臭い優等生然とした笑みを浮かべている。
もの凄く大きな弱みを握られた気分だ。やたら爽やかな顔なのが腹立つ。内心じゃどう思っているんだか。この腹黒め。
「君、案外可愛いところあるんだね、赤羽」
「はぁ!? 何言ってんの、殺すよ」
本当に何を言っているんだコイツは、とカルマは思った。
こっちが日頃散々振り回している仕返しに違いない。でなければそんなこと、学秀が言うわけあるか。
こっちの反応を見て楽しんでいるだけだ。まったく本当に嫌な奴。
先程言った“結構好きかも”の言葉は完全に嘘ではなかったけれど、気の迷いもいいところだった。
やっぱり嫌いだ、こんな奴。
カルマはふて腐れてそっぽを向いて寝転んだ。
「言うのやめとけば良かった」
「一度口にした言葉は元に戻らないから気をつけた方がいいよ?」
「ご忠告ど〜も」
背後から忍び笑いのようなものが聞こえる。
今、何を言っても茶化されるだろう。こういった時はまさに沈黙は金、だ。カルマは学秀に対し無視を決め込む。
ぎし、とベッドの軋む音がした。身支度を終えた学秀が腰掛けたらしい。
「いつまですねている気だ? 仕掛けてきたのは君の方だろう?」
楽しそうな学秀の口調にムカッとした。確かに先に茶番を仕掛けたのはこちらだが、こうも振り回されるのは不愉快極まりない。
カルマはむくりと起き上がると、学秀の右頬を軽くつねった。
「…いきなり何だ」
「何かムカつくから」
「だからと言って君はいきなり暴力を振るうのか?」
「こんなの暴力のうちに入らないし〜。ま、お望みならぶん殴ってもいいけど」
「返り討ちにしてあげるよ」
「ふ〜ん、言ったね? 一度あんたとガチでやってみたかったんだよね」
「奇遇だな。僕もそう思っていたよ」
二人が交わすのは不穏な会話だ。けれど自分達はそれでいい。
甘い言葉なんて似合わない。毒突き合うくらいが丁度いい。
恋じゃない。既に完全に遊びとも言えない。
だけどこの関係性はやっぱり、嫌いじゃない。
もう絶対に、口が裂けても言ってなんかやらないけれど。
カルマはつまんだままだった手を離し、にやっとした。学秀の頬の一部が赤くなっている。彼は挑むようにこちらを見ている。
カルマは学秀のその頬に、噛みつくようなキスをした。
END
トリカブト3部作(このまとめ方…)これで一応完結です。
タイトルはゆうわく、けいやく、こくはく、と韻を踏んでみました。
意外に甘い所に落ち着いたな、というのが正直なところです。
でも相変わらずとげとげした二人。学カルは仲悪いけど何か仲良しでもやっぱ仲悪いのが萌えです。
サイト用:2015,3,20
初稿:2015,3,6
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