あの赤い色は、何故か頭からなかなか離れてくれなくて。






トリカブトの契約






生徒会長である浅野学秀は忙しい。
行事の準備や各委員会との話し合いなどで帰宅が遅くなることも多い。今日は次の学校集会で使うプリントの原稿を纏めていたから、生徒会室を後にした時には午後六時近くになっていた。十月も後半となるとその時間でも大分薄暗い。
「それじゃあ浅野君、また明日」
「ああ、また明日。気を付けて」
榊原と別れの挨拶を交わし、学秀は帰路につく。普段は一緒に下校することが多いが、今日は彼がこれから塾があるため、帰り道が別なのだ。
冷たい風が吹く中、学秀は帰路を急ぐ。帰ったらまず、宿題と今日の授業の復習をして、それから明日の予習を―――いや先に夕食を食べてから取りかかった方が効率がいいだろうか。
今夜の両親は各々の用事で留守だ。確か母さんは夕飯を作り置いてくれていると言っていたが―――
そんなことを考えながら歩いているうちに、学秀は自宅近くの小さな公園に差し掛かっていた。昼間や休日は近所の子ども達で賑わっているのだが、今は静かだ。
周りを木に囲まれた公園は、たった一つの街灯が頼りなく明かりを灯しているだけ。
普段は素通りしてしまうその公園の前で学秀が立ち止まったのには、理由があった。その街灯の下に二人の人間がいて、しかも共に椚ヶ丘中学校の制服を着ていて、そのうちの一人の頭髪が派手な赤い色で。
(赤羽業…!)
学秀の方向からは後ろ姿しか見えないが、髪の色や背格好から判断してまず間違いなかった。
赤羽業。エンドのE組の素行不良者でありながら成績優秀者。
顔を合わせれば皮肉の応酬ばかりしていた彼と、学秀は一ヶ月程前に関係を持った。
それは彼、カルマの方から誘惑してきたからで、学秀としては彼の弱みを握るつもりで行なったことだった。
ただそれだけ、学秀にとってはただそれだけだったのに、それ以来何故かふとした瞬間に組み敷いていた時のカルマの姿を思い出してしまうのだ。
初めて見る彼の婀娜っぽい肢体。艶めく声。そしてシーツ上で揺らぐ赤い髪。
学秀に誘いをかけた理由を、カルマは単に遊びだと言った。それが衝撃で、利用されたことが心外で、だからあの時のことは一時の過ちだと学秀は思い出さないようにしていたし、それ以来彼と遭遇する機会もなかった。
それでも時折ちらりと、その時のことが頭を過ぎり、学秀を密かに悩ませていた。何故、と。
理由が分からないだけに学秀は余計に混乱した。何故あんな奴のことを。あんな、男の癖に男に抱かれるような淫乱を、何故忘れられないでいる。
そしてその当人が目の前のほんの数メートル先にいることに、学秀は僅かに狼狽していた。
誰と、何を話している。E組の人間か。それとも。
ここからでは会話の内容までは分からない。木の陰に隠れるようにして、学秀は少しずつ距離を詰める。
「だからさ、俺と寝てみない? 男だけど、いい思いさせられるよ?」
カルマが口にしたのは、やはりというか何というか、体の誘いの言葉だった。
相手の男はE組ではない。直接話をしたことはあまりないが、確かB組の同級生だ。
カルマの誘いに男子生徒は満更でもない顔をしている。あの分ならカルマがもう一押しすれば承諾しそうだ。
(お盛んなことだ)
侮蔑にも似た感想が学秀に浮かぶ。
先日カルマと肌を合わせた時は、性交するのは久し振りだと言っていた。最近はしていない、とも。その舌の根の乾かぬうちにこれか。忙しいんじゃなかったのか。
「ね、いいでしょ?」
カルマは更に男子生徒に迫っている。
まったく、とんでもない奴だ。
相手は選ぶとか言っていたが、まるで見境なしじゃないか。あんな下品に鼻の下を伸ばすA組でもない者、まして僕よりも遥かに劣る人間に誘いをかけるなどと―――
(………今、僕は何を考えていた?)
己の中に浮き上がったものに学秀は愕然とする。
この憤りは何だ。
カルマが誰と遊ぼうが学秀には何の関わりもない。爛れていくのはカルマの体だけなのだ。学秀が不利益を被ったりはしない。少なくとも、彼の遊びが公にならない限り。
(あいつが誰と遊ぼうと、僕の知ったことか)
そう、何も関係ない。カルマがこれからそこの男に抱かれようと、学秀には何の影響もないのだ。
下賤な男が彼より格上のカルマを抱こうとも、あの赤い髪が乱れて澄ました顔が快楽で蕩けても、自分には何の関わりも……。
「………っ」
ない、筈なのに。
気が付けば、学秀は木の陰から姿を表していた。街灯の下へ近付くとまずカルマが気配を察してか振り向いて、男子生徒も学秀を見つける。
学秀は二人を見ながら優等生の仮面を完璧に被り、にこりとした。
「やぁ、奇遇だね」
「あ、浅野君…」
男子生徒は情けない声を出す。学秀は今度はカルマをまるきり無視して、その男子生徒に言った。
「何の話か分からないけど、E組の生徒と無闇に接触しない方がいいと思うよ。誰かに見られたらどんな噂を立てられるか…君の評判にも関わるだろうね」
あくまでも男子生徒の為、という名目で学秀は交渉を破綻させる。カルマが小さく舌打ちをした気がしたが、学秀はそちらには目もくれなかった。
「…分かるかい? この忠告は君の為だよ」
「あ、ありがとう浅野君。危うく間違えるところだったよ。…それじゃ」
カルマがE組だということが効いたのか、第三者の介入で自分が異様な世界に足を踏み入れかけていることに気付いたのか、男子生徒は礼を言って足早に去っていった。
すっかりその足音が無くなってしまうと、学秀はカルマを見た。酷くつまらなそうな顔が街灯に照らされている。
「本校舎の生徒に誘いをかけるのは感心しないな」
「あ〜あ。何でいいとこで邪魔するかなぁ」
カルマは頭をかいている。久し振りにまともに顔を合わせる彼は、色んな意味で相変わらずだった。
「第一、校内で噂など立ったらどうする気なんだ?」
「え〜? 大丈夫っしょ。ふつー男と寝たなんて、そうそう口外しないから」
確かにそれも一理ある。学秀自身、カルマとのそれを誰にも話していないからだ。おいそれと話すことでもないし、握った弱みはここぞという時にこそ使うもの、という魂胆もあったが。
しかしやはり同じ学校の者相手ではリスクが高いように思えた。先刻の一見冴えない男はそのリスクをものともしない程の相手だとでもいうのか。
「何故、先程の彼を選んだんだ? 何か理由が?」
「ん〜……ちょろそうだったから」
「……え?」
悪びれない態度のカルマに学秀は聞き返してしまう。
カルマは面倒臭そうに答えた。
「だから、すぐに落とせそうな奴だったからだよ」
「な…んだそれは。すぐにでも君を抱いてくれる者がいるなら、誰でもいいってことか……?」
以前、情事の後の別れ際にカルマは遊ぶ相手は選ぶ、と言っていた。
それは相手の性格や人間性を見て決める、または自分にとって相応しい遊び相手を見定める、という意味だと学秀は取っていたのだが違ったらしい。選考基準はただ単に、すぐに誘いに乗るかどうか。
となると学秀は、前回の時にカルマに舐められていたということになる。
―――この僕が、先程の雑魚と同列だと?
カルマの性交へのハードルの低さと、自分が見くびられていたという事実に学秀は憤然とする。
「失望したよ。君はもっとプライドの高い男だと思っていた。それが、自分の欲望を満たす為なら誰かれかまわず誘惑するような奴だったとはな」
学秀はそう吐き捨てた。わざわざ言葉にしなくても、学秀も既に分かっていたことだった。
だが実際、それを目の当たりにするとどうしようもなく不快であることも、分かってしまった。A組への下剋上を図れる程の凄い頭脳を持ちながら、カルマは彼よりもずっと劣る相手にでも体を開く。それを何故か、学秀は堪らなく認めたくなかった。
カルマはやれやれ、といった風に溜め息を吐く。
「あのさぁ、さっきから何様? 何で浅野クンに俺のことあれこれ言われなきゃなんないの。俺が誰と遊ぼうと、俺の勝手でしょ?」
その時のカルマは酷く冷めた顔をしていて、学秀は些か面食らった。
そして確かにカルマの指摘は的を射ていた。カルマの性倫理は逸脱していて、学秀が咎めるとしたらそこだった。けれど今はそれよりもむしろ、遊び相手の選び方に不満を抱いている自分がいた。
他ならぬカルマ自身が決めた相手に、学秀が口を挟む余地はないのに。
「それは、そうだが……」
「でしょ。分かったらほっといて」
学秀が返答に詰まると、カルマは持っていたカバンをぶらぶらさせながらその場を立ち去ろうとする。
反射的に、学秀はカルマの反対側の右手首を掴んでいた。カルマは驚いて立ち止まったが、そんな行動に出てしまった自分自身に、学秀は驚いていた。
今の動きは、完全に無意識だった。
「何? 浅野クン」
「………」
カルマは一応何の抵抗もしないまま、好戦的な笑みを浮かべる。
カルマの案外細い手首を握りながら、学秀は考えていた。まるで前回の時の再現だ。立場は逆だが。
ただ、ここでカルマを逃してはいけないと思った。
「離してよ」
「……離さない」
カルマは冷たく言うが、学秀の方もまた声の響きは冷たかった。
多分、何も知らなかったなら。
先程の光景を目にしても、学秀は介入しなかっただろう。それこそ頭の回転は速くても所詮はE組、救いようがないなと見下して、こうまで躍起には止めなかった筈だ。生徒会長として苦言は呈していたかもしれないが。
しかし学秀は知ってしまった。カルマの体の熱を。その感触を。初めて見る悩ましい顔に、色気の籠る声。そしてそれを呼び起こすのがこの自分であるという楽しさを。
強者を、更にその上をいく強者が従えるという構図。
それが可能なのはまさに絶対的な支配者だけであって、あんな小者に許される行為ではない。
「君を支配していいのは僕だけだ」
鋭く睨みつけながら言う学秀を、カルマは鼻で笑った。酷薄そうな顔で学秀を見下す。
「何ソレ。告ってんの。一回俺を抱いたくらいで調子に乗んないでよ」
「君の方こそ自惚れるな。誰が君などに懸想するか。だが……」
恋情ではない。そこは断言できる。
そんな可愛らしい、甘酸っぱいものではない。ましてそれをこんな尻軽な少年などに。
「君のような強者が、弱者から好きに扱われるのは看過できない。仮にも僕と対等に近い勝負をした君が、本当にそんな安い奴だったなら、僕の立つ瀬がなくなる」
「あーそう。けどさ、俺エンドのE組だよ? もう既にこれ以上にないくらい、堕ちまくってんの。俺のこと買ってくれるのは光栄だけど、あんたの都合を押し付けないでくれる?」
カルマは不敵に笑って学秀を見る。
カルマはまだ学秀を侮っているようだった。掴んだ先の手にはまるで力が入っておらずだらんとしている。しかしそれは学秀の次の行動次第では凶器に変わるのだろう。
学秀もふっと笑んで、その手をゆっくりと掬い上げた。絵本の中の王子が姫にするように、カルマの右手の甲にキスをする。
「………何の真似?」
カルマからは、思惑通り殴るより振りほどくより先に疑問が降ってきた。
意外な行動を取ることで相手の意表をつく。いつもE組がしていることだ。学秀はそれを実践しただけ。
学秀は次にカルマの手をひっくり返して、手首の内側が上に向くようにする。そのまま、つ、と舌を這わせ、手首の静脈の辺りをなぞる。
カルマが小さく震え、身を引いたのが分かった。
「………っ、」
「……あんな奴にまで声をかける程、男日照だったのか? 本当に君は淫乱だな」
学秀が目だけで見上げると、それでも涼しい顔をした、しかし僅かに困惑の見えるカルマがいた。素早くその後頭部を引き寄せて、キスをする。一瞬カルマの体が強張ったが、抵抗はなかった。
「結局、君は誰でもいいんだろう?」
唇を離し、けれど今にも触れ合うような距離で学秀は言う。
―――面白くない。
誰でもいいのなら、何故あんな程度の低い男を選ぶ。
もっと自分と釣り合いの取れる相手を選べばいいものを。たとえば、そう、……僕のような。
君のような跳ね馬を乗りこなせるのは僕だけだ。
「だったら僕がまた“遊んで”やると言っているんだ」
学秀は今度はカルマの背中を街灯の支柱に押しつけるようにして深いキスをする。舌で口内を弄ぶと、掴んだままのカルマの手に力が入ったのが分かった。
「はっ……ふ、ぅ……」
キスの合間にカルマから吐息が漏れる。抵抗もせずに、本当に好色な奴だ。
誰が相手でもいいのなら、この僕がまた直々に支配してやる、と捻れた欲望が学秀の内に宿る。
「……っは、俺のこと忘れられなかったの、会長サマ」
キスを中断すると、カルマがほくそ笑むような目で学秀を覗き込んできた。薄明かりの中のカルマは、光の加減がそうさせるのか凄絶な色気があった。それもあって、図星を付かれたような気分に学秀は陥る。
「……勘違いするな。僕は君を制圧したいだけだ。どんな形でもな」
「あっそ。物は言いようだね」
カルマは訳知り顔でにやにやしている。さっきまで大人しくキスされていた癖に。
学秀が苛立ちと共にもう一度口付けを仕掛けようとすると、「待った」とカルマに止められた。
「俺もその気になってきちゃったけど……流石にこのままここでじゃまずいでしょ。誰かに見られちゃったりしたら、俺はともかく浅野クンがヤバいと思うけど」
「……確かにね」
人気のない公園といえど、誰も通らないという保証はない。ましてや学秀もカルマもばっちり制服なわけで、椚ヶ丘中学校の生徒だとすぐに分かってしまう。
仕方なしに学秀は申し出る。
「覚えているだろうが近くに僕の家がある。そこに行こう」
「あっれ、俺もうあんたん家に上がっちゃ駄目じゃなかったっけ」
案の定、カルマはすぐさま揚げ足を取ってきた。前回の時に学秀はカルマを出禁にしたのである。
しかし今に限っては他に行き場がない。
「その前言は撤回する」
「うっわ、二枚舌。生徒会長の癖に」
「淫売に言われたくはない」
学秀は握ったままのカルマの右手を離した。カルマは手首の内側の辺りを眺めていたが、徐に歩き出した。ちゃんと学秀の家がある方角である。学秀もそれに続く。
辺りはすっかり暗くなっていた。けれどぽつぽつと灯る街灯や周囲の住宅の玄関ポーチの照明で意外に明るい。
高級住宅地の一角、周囲の家と比べて一回りは大きいそこが学秀の家だった。学秀はカバンから鍵を取り出し、玄関ドアの鍵穴に差し込む。
「今日、家の人は?」
「留守だ。幸運だったな」
お互いにな、と学秀は思う。カルマといるところを父に見られたら、それこそ痛恨の弱みを握られてしまう。
今年度、学秀の父である椚ヶ丘学園理事長はやけにE組に拘る。生徒全体の意識向上の為だけの隔離クラス。今までは底辺のそこには役割だけ課して見向きもしなかったのに、この半年はやたらE組に介入している。
父は、E組は何かを隠しているに違いなく、学秀はそれを暴いて父の上に立つことを目論んでいる。それなのに当の学秀がE組の生徒と関係のあることを知られてしまっては、一体何を言われるか。
もっとも、カルマにE組の隠し事を聞き出す、というという考えも無くは無い。しかしカルマの性格上、まともに答えが返ってこないのは目に見えている。
家に上がった学秀とカルマは廊下や階段の電気をつけながら二階の学秀の部屋に向かう。またこうしてここにカルマを連れてくることになろうとは、学秀は思ってもみなかった。
きちんと整理整頓された部屋に案内すると、カルマはカバンを部屋の隅に下ろして、ベッドにどっかりと座った。そして自ら黒のカーディガンを脱ぐ。
「さて、浅野クン。俺の邪魔をしてくれた分、俺を楽しませてね?」
唇は楽しそうな弧を描いている。
カルマはそのままシャツの胸元のボタンを二つばかり外した。鎖骨や胸筋の辺りが肌蹴られる。
実に堂に入った誘い方に、学秀はブレザーを脱ぎながら尋ねた。
「君は、今までに何人程の男に抱かれてきたんだ?」
「さぁ……? 覚えてない。大体一夜のお遊びだったし」
最初は天井の方を見て指折り数えていたカルマだが、すぐにカウントを放棄した。そんなにもたくさんの男の相手をしてきたのか。やはり聞いてみるだけ愚かだった。
「本当に呆れた奴だな。……まぁいい」
ネクタイもほどき、ブレザーと共に椅子の背もたれにかけると、学秀はベッドに向かう。
だらしなく座っているカルマの横に腰を下ろすと、その顔が学秀の方に向いた。すかさず耳の辺りの赤髪に右手を差し入れて、カルマの顔を固定する。
色素の薄い猫のような目が、学秀を真っ直ぐに見ている。
「これからは、僕だけにしろ」
命令のように学秀が告げると、カルマの目が一旦丸くなって、みるみるうちに半笑いの顔に変化した。
「やっぱ告ってんじゃん、それ。勘弁してよ」
「断じて違う。君が望んだ時にこの僕が君の遊びに付き合ってやる、と言っているんだ」
以前のあの交わりを、遊びだと一蹴したカルマに学秀はプライドを傷付けられた。今日、カルマが安い男の袖を引くのを見てまた傷付いた。自分はあのレベルと同じなのか。束の間でもカルマを服従させたのは嘘だったのか。
―――いや、支配するのだ再び。本当に、これから。
「君のような色狂いを鎮めるのは、並の男には無理だろう?」
薄笑いを浮かべながら、学秀は左手をカルマの頬に添える。カルマが小さく笑った。
「さっきから酷い言い様」
「事実じゃないか」
学秀はカルマに顔を寄せた。先程キスはしたが、もう一度したかった。行為の始まり、という合図のようで、やはりこれは外せなかった。
押し倒しても、やはり抵抗は無かった。むしろカルマは緩慢に学秀を受け入れた。
今回は行為中に口淫まで及んだ。キスばかりする学秀への嫌がらせ、とカルマが悪戯っぽく笑んだので、お返しに、と学秀はそのままやり返した。
カルマは実に手慣れていた。他の何人もの人間にそうした行為をしていることに対して、学秀は不思議と憤りのようなものさえ感じたりした。どうしてそんなことが誰かに許される?
彼を従えるのに相応しいのは、この自分だけだ、と。
「赤羽。君を従えていいのは僕だけだ。僕だけが君を好きにできる」
交わりの後に、学秀はカルマにそう告げた。
もうこんなことを他の男にさせる気はない、と言外に含めた。カルマのことを好きに扱えるのは、支配者たる自分だけ。
つまらない嫉妬心では決してないと学秀は思う。何故こんな奴にそんな感情を抱かなければならない?
「あんたさ、何か勘違いしてるみたいだけど、俺は誰のものでもないよ。俺は俺の好きなように生きたいし」
カルマは薄く笑ってそう主張する。彼がそう言うであろうことも、何にも縛られるような人間ではないということも、学秀は理解していた。
しかし、だからこそ。
「ああ、分かっているさ、君の性格は。それでも、君のような人間こそ、僕は支配下に置きたいんだよ」
たとえば空を自由に舞う方が良いと分かっている小鳥を、人は何故籠に閉じ込めるのか。
それは手元で見ていたいからだ。その美しさを、可愛らしい囀りを、自分の手が届くすぐ傍で。
カルマのように自分の思い通りにならないような者こそ、学秀は屈服し、従属させ、自分の下に置いておきたかった。
目の届かないところで、もう悪さをしないように。
時に手に乗せた小鳥に指を突かれるのも、主の特権だ。
「……ゆっがんでる〜」
「君には言われたくないな」
いわゆるドン引きといった反応をカルマはわざとらしくするが、彼にそう言われる筋合いはない。
「何でそんなに俺に拘るわけ?」
「そうだな……強いて言うなら、君が僕の喉元に届き得る存在だから、かな」
初めはまだ侮っていた。けれどカルマは次第に牙を向き、学秀のすぐ側まで迫ってきた。認めたくはないが、下手をすれば喉元を喰い千切られる。
そんな危うい相手だからこそ気になるし、手懐けておきたいのかもしれない。他の誰かに掻っ攫わられないうちに。
「見くびり過ぎじゃない? E組には俺以外にも凄い奴いるよ? そ〜だなぁ、磯貝とか、ある意味渚君とか……」
「他の人間はどうでもいい。今、僕は君と話をしている」
カルマはのらくらと話を逸らそうとする。しかしそれを許す学秀ではない。
「忘れるな。元は君から誘ってきたんだ」
そのアドバンテージを提示すると、カルマは困ったように溜め息を吐いた。しかしそれはあくまでもそうした風に装っているだけで、本心は別のところにある、学秀は何となくそう感じ取っていた。
「俺は浅野クンに支配される気はないけど、断ったらあんたのことだ、色々姑息な真似でもしそうだよね」
「どうかな。それは君次第だろうな」
学秀は敢えて肯定も否定もしない。いざとなれば得た弱みでE組全体を揺さぶるようなことは可能だ。しかし手の内を明かさないことで、初めて策は活きる。
「俺にとってあんたが、ただの都合のいい遊び相手だってことになっても?」
「初めから互いに気まぐれの遊びだろう? 今更じゃないか。それに、特定の相手がいた方が、不特定多数の人間を相手にするよりリスクは無いと思うけどね」
どんな形であっても。
こいつを支配するのは僕だけでいい。
「それって独占欲だよね、浅野クン。そんなに俺を逃したくないんだ?」
挑発するようにカルマが言う。
そうなのか?と学秀は自問自答する。カルマを支配したい、他者には支配させたくない、そこにあるのは支配欲と同率で並ぶ独占欲なのか。認めたくはないだけで。
けれど、逃がしたくないのは確かだったかもしれない。こうした行為をカルマが他者と行うことは、許しがたいことだった。彼が自分以外にいいようにされるだなどと。
「ああ……逃がす気はないよ、赤羽」
少なくとも閨の間だけでも、その髪も顔も声も手も体も征服する。
琥珀色の瞳も細い指も、僕だけに向けていればいい。
学秀はカルマの左手に指を絡め、顔を覗き込んだ。捕えたいとはいえ、抱き締めるような真似はしない。決して恋人同士ではない、成り得ないからだ。
「…………」
カルマは無言で口の端を吊り上げて、学秀の右頬に手をかけてキスを仕掛けてきた。男の味のするキスは、嫌がらせ以外の何物でもない。
しかし学秀はそれを受け入れた。舌を絡め合い、共犯者めいたものを共有する。
「まさかあんたなんかに捕まるなんてね……予想外もいいとこ。最悪。
でもまぁ、あんた巧いし、エッチはそこそこ楽しいしね」
唇を離したカルマは学秀の髪を一束掴み、軽く引っ張る。
「選ぶ相手、間違ったかな?」
何だかんだで受け入れながらも、カルマは軽く笑って後悔を口にする。
学秀はにこりと笑う。
「今頃気が付いたのかい?」
そう、僕は安易に選んでいい相手じゃない。
選んだからには付き合ってもらう。これからも。
学秀もカルマの綺麗な赤毛を一束掬い上げた。くるくると指先に絡め取る。
巻き付いた赤毛が模様に見えて、まるで契約の証のようだった。












END











浅野君がどつぼにはまってますw
この二人の高度な駆け引きを書くのは難しいけど楽しい。
三部作の中で一番長い話になりました。

サイト用:2015,3,20

初稿:2015,3,3











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