雨の日には雨の中を
季節は梅雨。流浪の果てに辿り着いたここにも、それは例外なく訪れた。
初めはしとしとと降っていたそれがいつの間にかザーザーと激しいものへと変わり、手近な民家の軒下で雨宿りをしていた宗次郎は、表情には出さないし内心それほど動揺はしてなかったが、正直ちょっとだけ困っていた。
(どうしよう、濡れちゃうな)
心配しているのは、自分の体のことではない。強い雨に合ったことなんてこれまで数え切れないくらいあるし、自身が濡れることだって別段一向に構わなかったが。
ただ問題なのは、今が買い物の帰り道だということ。その荷物を濡らしてしまうのは、困る。
(よりにもよって今日に限って大荷物だし。お米に味噌に野菜って。
雨、いつになったら止むかなぁ。このまま雨止むまでここにいたら帰りが遅くなって、さんとさんに心配かけちゃうな)
待っている二人の顔を思い浮かべて、宗次郎は一人ごちる。この街で出会い、自分が今世話になっている医師の兄妹。
重い荷物だから買い物に行ってくる、と申し出たのは他ならぬ自分だが、だからこそきっと心配していることだろう。特に妹のの方は、心配性なところもあるから。そしてそれを、時々兄のにからかわれているけれど。
くすりと一旦笑みを漏らして、そうしてまた考える。
(まぁ、走って帰れなくもないけど・・・・)
待っていても当分止みそうにない。だったらそれも一つの選択だ。気がかりなのは荷物の方だったが、遅く帰った揚句濡れ鼠・・・・よりは、荷物が濡れてしまったとしても早く帰って二人を安心させた方がいいかもしれない。
流石に縮地までは使わないが、それでもできる限り早めに家に着くようにしよう、と心を決めて足を踏み出しかけた時。
「宗次郎くん?」
雨の抜こうに、傘を差したの姿が見えたのだった。
「あれ、さん?」
宗次郎は少しだけ目を丸くした。何故、彼女がここに。
は案の定心配そうな表情を浮かべて、宗次郎の側へと近寄ってきた。
「ごめん、やっぱり宗次郎くん濡れちゃったね。買い物、今日じゃない日にお願いすればよかった」
「いや、僕は全然平気ですけど・・・・それよりさん、まだ診療時間のはずじゃ? 出てきちゃって大丈夫だったんですか?」
宗次郎は浮かんだ率直な疑問を投げかける。の家はと二人で診療所を営んでおり、それなりに患者も来る。忙しい時には宗次郎も駆り出されるくらいだが、それなのにが外出しても平気なのだろうか、と。
傘を持ってきたことからするに、恐らくわざわざ自分を迎えに来てくれたのだろうが、却って迷惑をかけてしまったような気がしなくもない。
「いや、あの・・・それがね・・・・」
は少し言いにくそうに口ごもる。雨空の下の薄暗い空気の中でも、その顔がほんの少し紅潮したのが分かった。
「あのね、買い物に行ってそのまま雨に降られちゃった宗次郎くんを、私があんまり気にしてるもんだからね、お兄ちゃんに追い出されたのよ。『そんなに宗次郎が気になるんなら迎えに行って来い!』って」
「その言い方、さんらしいなァ」
宗次郎が情景を思い描いてくすくすと笑っていると、は更に顔を赤くした。
「でもきっと、さんに言われなくても、さんは来てくれたんでしょう?」
それを分かってたから、さんは敢えてを『追い出す』という形で送り出したのだろう。宗次郎のことが気がかりで、でも診療所を放っていくわけにも行かない。その気持ちを汲んでいたからこそ。
そういった兄妹の繋がりは、少し羨ましいなぁ、と宗次郎も思う。
「本当に、わざわざありがとうございます」
ぺこり、と改まって頭を下げると、は慌てて手を振った。
「いや、その、買い物お願いしたのはこっちだし、それで雨の中歩かせちゃったんだから、そんな、お礼なんて」
「いいえ。でも、良かった。さんが来てくれて」
口には出さないが、嬉しいと思う。彼女の優しさは、いつでも宗次郎に温もりを与えてくれた。
今まで色んな人と出逢って、闘って、分かり合って、傷付けて、そして別れて・・・・。それは確かに宗次郎を様々な意味で成長させた。それでも最後にここに留まることに決めたのは、本当の自分がずっと望んでいた平穏や安らぎを、きっと彼女に見たからだと思う。
宗次郎はの傘に入り、自然と相合傘の形となった。傘は一本しかないし予測していたことではあったが、それでもは緊張を覚え、再び頬をほんのりと赤く染めた。
二人はそのままゆっくりと歩く。何となく言葉を交わせなくて、しばし無言のままで。
それでも道の途中で見つけた紫陽花に、先にが思わず声を上げた。
「わぁ、綺麗」
青に紫、そして淡い赤。ゆるりと溶け合ったそれらの色を乗せた紫陽花の花が、それは見事に咲いていた。雨に誘われて、数匹の蝸牛がその葉の上を這う。
この季節の風物詩、とも言えるそれが、何故だかひどく微笑ましい。
こんな風に、雨を楽しめる日が来るなんて。
「実は僕、雨ってあんまり好きじゃなかったんです」
ずうっと昔の、忌まわしい記憶を思い出すから。
唐突な言葉には振り返る。目が合うと、宗次郎はにっこりと笑ってみせた。
「でも、こんな日があるなら、雨の日も存外、悪くないですね」
この先もきっと、あなたと一緒なら。
多分ずっと、心から微笑める。
雨の日には雨の中を。
空から落ちてくる雫はいつしか静かなものへと変わり、それは限りなく二人に優しかった。
<了>
何か短い割に色々詰め込んだような気がしなくもない・・・・。
えっと、以前書いた「小春日和」のヒロインと同一設定です。今回色々と設定小出しにしましたが(爆)
ふと思いついた話ではあったのですが、季節ものなのでどうせならこの時期に書いちゃおう、と一気に形にした次第です(そんなわけで出来が荒い(汗))。
「雨の日には雨の中を」。これは、相田みつをさんの詩(?)の言葉なんですが、響きがすごい気に入っていつか何かに使おうとずっと思っていて、それでもって今回やっと使うことができました。
とまぁ、そんな話ではありますが、さんが少しでも喜んで頂けたら幸いです。読んで下さってありがとうございました!
2005年6月5日
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