彼に下された処罰は、死罪だった。
「まぁ、そうですよねぇ」
それを聞いた時、彼は全く動じずに、むしろ笑ってすらいたという。
凍晴の、
あの闘いから十一年。
つまりそれは流浪れ出してから十一年ということで、流石にそこまで月日が経つと、腰を落ち着かせられる場所もできた。
殆ど初めて得た、と言っていい“家”。
優しくて温かいその家の家主の女性に惹かれたのは確かだけれど、一緒にいたい、と言ってくれたのは彼女の方だ。
「じゃあ、そうしましょうか」
あっさりと、その言葉に甘えた。
当初の目標の年月は経った、だったらもういいだろう、
そんなのは単なる言い訳であって、彼女がそう言ってくれたのが多分、嬉しかったのだと、思う。
長く流浪したけれど、答えなんて結局、分からなかった。
沢山の人達を見てきた中で分かったのは、誰もが皆それぞれの生をそれぞれに生きているに過ぎないということ、それだけだった。
思えば自分もそうだったのだ。
傷だらけで日々を過ごしたあの幼い頃も
志々雄と共に歩いた十年も
流浪人としての月日も
目の前にあった道を、直向きにがむしゃらに進んでいただけでしかなかった。
ただどうしようもなく選ばざるを得ない道もあっただけで、そこを懸命にひた走っていたのは、他の人達と同じだった。
(その懸命さを向ける方角が、大幅に間違っちゃってたんだけど)
まぁ、その点は今更言っても詮無いことだ。
彼女と二人きりの生活は、酷く穏やかなものだった。
朝、目が覚めて支度を済ませた後は彼女の作ってくれた美味しい食事を食べ、昼は家事を手伝ったり、ふらりと日雇いの仕事に出かけたりして、夜はまたこの家に戻ってくる。
夜が更けると二人布団を並べて眠り、時には彼女を思いっきり抱きすくめてその温みに触れる。
この腕で包んでしまえる温かい命があるということ、多分、それだけで満足だったし、それがどうしようもなく、堪らなく、幸福だったのかもしれない。
でき得るのなら、そんな日々がずっと続けばいいと、
けれどそれが続かないであろうことも、心のどこかで予感していた。
だから唐突に政府のお役人が来てしょっ引かれた時も、「あぁ、やっぱり」といった感じだったし、ただ何も知らなかった彼女だけは酷く驚いた顔をしていたけれど。
彼女の詰問をのらりくらりと笑って交わして、それじゃあちょっと行ってきます、といつものような調子で、出かけた。
志々雄さんが死んでも、組織がとっくに無くなっていても、無論己が犯した罪が消えるわけでも無くて、大罪人の判を押された後はあっさりと死刑と相成った。
裁判も何もあったもんじゃない。まぁ薄々分かっていたことだけれど。
覚えている限りでの悪行を、洗い浚い話はした。
こんなにたくさんのあくどい事をしてたんだなぁ。
話している途中、何故か他人事のようにそう思って苦い笑い声が漏れた。
志々雄さんが表沙汰にはできない存在だから、自分の事も世間には公にされないまま、政府は片を付けるんだろう。
処刑方法は、斬首らしい。腕の良い処刑人なら一瞬で死ねる。
本来なら磔獄門にされても文句は言えない立場だけれど、先進国と肩を並べようと舵取りをしているこの国だから、敢えてあっさりと消すことにしたのだろう。
(そんなことをしようものなら、今のご時世、野蛮だって言われちゃうし)
あんなにたくさんの人を苦しませた挙句に殺してきたのに、
「僕だけ、そんな楽な死に方していいのかな」
ほんの少しだけ、思った。
「お願いします、一時間だけでいいので。…え? 嫌だなぁ、絶対に逃げたりなんてしませんって。
最後にちょっと、彼女には会っておきたくて」
素直に罪を白状したのと引き換えに、彼女に別れを告げる時間を得た。
本当ならどんなに頭を下げたって認められることじゃないだろうに、何故か政府側はしぶしぶ了承してくれた。
後から聞けば、彼女の他に、どこかでこの事を漏れ聞いた緋村さんからも助命の嘆願があったらしい。
結局助命は叶わずに僅かな時間を手に入れられただけだったけれど、それで十分。
(ありがとう、緋村さん)
分岐点を指し示してくれたもう会うことも無い剣客に、心中で深々と頭を下げた。
久方振りにあった彼女は憔悴していて、泣いて泣いて何故、どうしてと訳を聞いてきた。
詳しくは語らずに、ただ多くの罪を重ねてきたことだけを告げる。
本当の事を話す方がいいのか、悪いのか、よく分からなかった。
単に、知られたくない、そんな我儘だったのかもしれない。
本当の事を話した後の彼女の反応を見てみたかった気もする。突き放すのか、それとも、それでも受け入れてくれるのか。
だけど生憎とそれを試すだけの時間は無いし、拒絶する彼女を知らないままでいたかった、というのもある。
「今まで、お世話になりました」
泣きじゃくる彼女を抱き寄せながら、こんな風に人の肌の温みに触れるのも最後だな、と思う。
この感触を、もっと味わっていたかった。
血生臭さの気配も無い平穏な暮らしを、もっと送っておきたかった。
けれどたくさんの人達からそんなささやかな願いを奪ってきたのも紛れもなく自分なわけで、
それが今更ながらに良く分かったからこそ、すんなりと処罰を受け入れたのだ。
己の死、ぐらいではそんなことは贖えないのではないか。そんな思いも無くは無いけれど。
それもまた一つの償いの形なわけで、ただ、今は難しいことは考えずに。
(このひと時だけでも)
この人の温かさに浸っていたい。
彼女の泣き声ごと、ぎゅう、と強く抱き締めた。
時間が来ると、あっけなく引き離された。
政府のお役人に押しとどめられている彼女は、泣き腫らした顔で、縋るようにこちらを見ている。
せめていつもの柔らかな笑顔で見送って欲しい、というのは、それこそ自分勝手だろう。
ありがとう、も、ごめんなさい、も、大好きですとかあなたに会えて良かっただとかは、先程の時間で散々言い尽した。
もっと言いたいことはある筈なのに、この今生の別れ際には不思議と浮かんでこない。
「おい、行くぞ」とお役人は乱暴に促してくるので、熟考している暇も無かった。
(あぁ、どうしよう)
一瞬、迷って、けれど結局は彼女の名前と、感謝の言葉しか言えなかった。
それだけなのも何だか気恥ずかしい気もするから、
「それじゃあ…」
とまたいつもの文句だ。
背を向けると、彼女の嗚咽が勢いを増した。
彼女は悲しんでくれている。死を惜しんでくれている。こんな大罪人に。
これから処刑されるというのに、それだけでも、そんな人と出会えただけでも、生きてきた価値はあったのかもしれない。
(もっと、ずっと昔に、)
あなたのような人と出会えていたなら。
ふと、そんな仮定を思い浮かべる。
だけどそれこそ言っていてもどうにもならないことだし、今更だ。
ただ、同じ死罰を受けるにしても、誰にも知らずに葬られるのと、誰か悲しんでくれる人とがいるのとでは大きく違うのかもしれない、
そしてそんな人がいてくれてやはり良かったと、そんな風にも思うのだった。
(さようなら)
目を伏せて、微笑んで、声には出さずに別れを告げる。
今この時心を満たしていたもの、それは紛れもなく、満足感だった。
私にとっては、とても大切な人でした。
長く一人で生きて来た私が、でもこの人とはずっと共にいたいとようやく思えた人でした。
あの人はとても穏やかで、いつも笑っていて、それだけで心が落ち着いたんです。
何を考えているのか分からない時もありましたし、掴み所の無い人でしたし、時に呑気すぎる時もありましたが…、そんな彼でも好きでしたし、大らかなあの人を見ていると、私も自然と肩の力が抜けたものです。
ずっと一人で暮らしてきた家にもう一人いて、朝起きればおはようと、食事を作れば頂きますと、そんな声が増えたことも嬉しかった。
強く抱き締められると温かくて、この人に自分は必要とされているのだと、そう感じられたことも、この上なく幸せだったのです。
あの人が極悪人だったと知って、今でも信じられません。極秘裏に始末される程の悪事を、あの人は働いたのか、と。
あの人は何も語らず、政府の方々も碌に教えて下さいませんでしたから、結局は今も、よく知らないままです。
それでも……あの人は私にとっては何よりもかけがえの無い、大切な人でした。
今でも、あの人の笑顔をありありと思い出せます。今から殺されに行く、と分かっているのに、それでも動じずに笑うあの人の心持ちは、理解できなかったままでしたけれど……本当に、最後の最後まで掴めない人でしたね。
だけどやはり、あの人が好きだったんです。
あの人がいつも浮かべていたあの柔らかな笑顔は、少なくとも私にとっては―――…救いでした。
明治の時代も二十年余り過ぎた、小雪のちらつく日。
日本の片隅で、一つの命がひっそりと消えた。
瀬田宗次郎。
享年二十九だった。
終
あっさり死刑に臨む宗と、それを見送るヒロインの図…のイメージが前からあって、それを雰囲気重視で書いていったらこんな風になりました。
ちょっと切ない系目指したんですが、うまくいったどうかは…;
新年一発目の話がこんな薄暗い話ですみません^^;
2014,1,13
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