かげろふ
「残念です。あなたが政府の密偵だったなんて―――」
雑兵の脇腹に刀を突き刺しながら、宗次郎は爽やかな笑顔で言い放つ。
口では残念、と嘯きつつも、ちっともそんなそぶりが見られない辺りは、主君に楽以外の感情がないと称される修羅らしかったかもしれなかった。
雑兵の口からくぐもった声が上がる。口元を覆う布がずれて、血が溢れる唇が露わになった。
宗次郎が今まさに粛清せんとしているのは、彼付きの雑兵の一人だった。宗次郎直属の部下として良く働いてくれた男だったが、実のところその正体は、明治政府から送り込まれた間者だったのだ。
裏切られた、ということには心動くことはなく、ただ“敵である”という認識の下、宗次郎は彼に制裁を加えている。それも閉ざされた個室ではなく、アジトの一角、ごく普通の廊下にて。何事か、と、数人の雑兵達が陰からこっそりと覗いている姿もあるが、宗次郎は一向に構わない。
むしろ好都合だ。志々雄や自分に逆らうとこうなる、という良い見せしめになる。それに、彼と同じように内部に潜んでいる者が他にもいるとしたら、炙り出すことができるかもしれない。恐怖で人を支配する……宗次郎が、志々雄から知らず知らずのうちに学んだことだった。そして拷訊の手練手管も。
まずは内腑から。
ここを痛めつけておけば、容易に抵抗はできない。僅かな損傷が命取りになる場所だ。彼の背を壁に押し付けるようにして、逃げ道を防ぐことも忘れない。
殺すのは簡単だが、すぐに命を奪うわけにもいかないのだ。
「それで、」
声をかけながら、宗次郎は手首を返す。切っ先は勿論、男の腹部に埋まったまま。臓物をかき混ぜるように刃が動き、また苦しげな呻き声が上がる。
「何か、有益な情報は掴めました?」
にっこり。
無垢な童のごとき微笑み。男の苦悶の表情とはまるで正反対である。
男の背がずる、と壁を滑り落ちた。太筆を紙に走らせた時と同じような塩梅で、漆喰の壁に赤い色がべったりと付いた。床もとうに同じ色で染まっている。
アジトの内部を自らの手で酷く汚すことになってしまったわけだが、まぁ別段差支えは無い。このくらいで怒る程志々雄は器量の狭い男ではないし(あぁ、でも方治さんは怒るかもしれない)、どうせ“後片付け”や掃除は他の雑兵の役目だ。
正体が露見するまでは忠実な部下として働いていた男に対し、宗次郎は何の躊躇いも無く加虐行為を繰り返す。無造作に刀を引き抜くと、血塗れの刀を男の肩へと突き立てた。
ずぶ、と呆気なく肉に沈み込む鈍色。
「僕達の組織に随分深くまで潜り込んでいたわけですけど、まぁその辺りは敵ながらお見事です。でも、ばれちゃあしょうがないですよねぇ」
声色はどこまでも明るいが、宗次郎の手元は狂いなく突き進む。深く、深く、刃がめり込んでいく。
「素直に喋った方が身の為ですよ。黙っていたところで、ただ痛みが増えるだけです」
「ぐぅ…っ……」
床の血溜まりがじわりじわりと広がる。
常人ならば吐き気を催すような血の臭いの中でも、相変わらず穏やかな笑顔で宗次郎はそこに立っている。
男はそんな宗次郎を、この上なく恐ろしいものを見るような目つきで見上げた。
「悪鬼共め…!! 貴様らにこの国を掌握されたら、日本は終わりだ…! 見ているがいい、今に政府は貴様らの組織を……ぐあっ」
「嫌だなぁ、まだそんな減らず口が叩けるんですね」
唄うような調子で、宗次郎はまた刀を動かす。傷口を広げるようにぐりぐりと。
ただ斬るよりもこの方がずっとずっと相手が苦しむ。もう肩の辺りの肉はぐちゃぐちゃだ。
「でも、ちょっと気になるなぁ今の発言。政府は志々雄さんや僕達に何をする気なんです? どんな対抗策を練っているんですか?
…まぁ、どうせ無駄でしょうけどね、何をしたって」
宗次郎は肩口を責めるのを止め、今度は手当たり次第に男の体を斬りつけ始めた。顔。胸。腕。太腿。相手の苦痛を増やし、その苦しみから逃れるために情報を吐き出すまで。
生かさず殺さず、そのぎりぎりの境目で。
血と細かな肉片が飛沫となって舞う。男はもう息も絶え絶えだ。生きているのが不思議な程のおびただしい出血量…それでも口を割らないのは、流石は一派内の深くにまで首尾よく潜り込んだ程の政府の手先というところか。
「ほら、早く喋った方がいいですよ。でないとあなた死んじゃいますよ」
どうせ殺しますけどね。
そこまでは言わず、けれど宗次郎はにこにこにことまるで悪びれない笑顔。それは子どもが玩具で遊んでいる時に浮かべるものと同質かもしれなかった。
男の顔は既に青白く、最早幽鬼のようですらある。
ひゅうひゅうと息をしていた男は、最後の力を振り絞るようにして、震える唇を動かした。
「……哀れな、子どもだ……」
男の虚ろな目が、虚ろなまま宗次郎の方を向いた。
「志々雄の方がまだ……笑いながら人を斬る、その行動は理解できる……。だが、瀬田……貴様は間近で見ていても、その行動は理解できなかった……愉悦の為に笑うのではなく、悪気なく、ただ笑っているだけで……。
まだ若い……むしろ幼いとまで言える年頃なのに、何故にそうも歪んでいるのか……そしてその歪みに、自分自身で気付いてはいまい……だからこそ貴様は恐ろしく、そして哀れですらある……そんな人間の方が余程、危ういというのに……」
途切れ途切れに言葉を吐く男を、宗次郎はその間は手を止めて見下ろしていた。
しかし、男が言い終わっても宗次郎は顔色一つ変えることはなく、やはりむしろ、にっこりと笑うのだった。
「何を言っているんです? あなたが言っていることの方こそ、僕にはまるで理解できませんよ」
宗次郎の手の動きが再開する。服と共に皮膚を裂き、血の通う肉を露出させ、絵を描くように鮮やかに切っ先は男の体に傷を増やしていく。
「所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。
ただそれだけです。
簡単なことじゃあないですか。どうしてそれを不思議がるのか、僕にはホント分からないや」
男はもう何も言わない。背を壁に預けたまま、四肢をだらんと落としている。ただ指先とか唇だとかが僅かにぴくぴくと痙攣しているだけ、それでも宗次郎の攻撃は止まらない。
「そんな世迷い言を言うくらいなら、素直に命乞いでもしたらどうです?」
一閃。また一閃。
あどけない顔や薄水色の着物に返り血の赤い模様を増やしながら、刀を振るう。
瀕死における男の言葉は、宗次郎の心に何の作用ももたらしはしなかった。宗次郎をそれなりの時間、近くで見ていた男の正直な心境、しかしそれも宗次郎にとっては全く内容の無い繰り言でしかない。言っていることの意味が理解できない。まるで飲み込めないのだ。単なる音の羅列で、右から左へと耳朶を流れていくだけで。
彼が何故あんな風に言ったのか。自分が何故あんな風に言われたのか。その理由も意味も皆目分からない。けれどそれもどうでもいい。
無駄な台詞ばかりで、これ以上何も吐くつもりは無いというのなら、生かしていても仕方がない。
「本当に、あなたは良く働いてくれていたんですけどねぇ、……」
とどめとばかりに首筋の辺りを斬りつけようとして、宗次郎はふと気付く。
しゃがみ込んで、ぐったりとしている男の様子をまじまじと観察した。そうしてすぐに、宗次郎はあっさりと立ち上がる。
「あーあ。死んじゃいましたか。あなたからはまだ何も聞き出して無かったのに」
手の中で転がしていた虫の命を意図せずに奪ってしまった時の子どものような言い草だった。“殺した”という自覚がなく、勝手に相手が“死んで“しまった、そんな認識。
普通の子どもならば、その行為に後に罪悪感を覚えることもあるだろう。しかし宗次郎は違う。拷問していたつもりが勢い余って責め殺してしまった、やはり単にそれだけである。やり過ぎちゃったかな、と自分の行為への若干の反省はあるが、散々苦しませた挙句殺した男へ申し訳なく思う気持ちだとか、そういったものは微塵も無い。
宗次郎は刀を振って血糊を払うと、慣れた手つきで納刀した。
「まぁ、いいか。どうせ向こうがどんな手を打ってこようが、志々雄さんには敵う筈ありませんよ。ねぇ―――
元、“僕の忠実な部下”さん」
くすくすと忍び笑いを零しながら、宗次郎はただの肉塊と化した彼を見下ろす。
彼が称したように、それはまさに童の顔をした鬼の姿かもしれなかった。
「虫退治をしてくれたそうだな。良くやった」
洋風の長椅子に悠然と腰かけた志々雄が、煙管を口元へと運びながら宗次郎の労をねぎらう。
その言葉が示唆するのは、勿論先程の出来事だ。
宗次郎は目を細めて笑う。
「ふふ、志々雄さんに褒められちゃった。でも、大した手間じゃなかったですし、それに情報を聞き出しはぐっちゃいました。吐かせる前に死なせちゃったから」
「まぁいいさ。俺達に気取られるようじゃ、政府の犬も所詮はその程度ってことだ」
「でも、なかなか根性ありましたよ。結構痛い目に合わせたと思うんですけど、頑として何も吐き出しませんでしたし」
「そうかい。なかなか骨のある奴だったようだな、そいつも。だが―――
結局は、弱者だったってことだ」
志々雄の意見に、宗次郎はにんまりと笑みを深める。まったくもって同感だった。志々雄が自分と同じような感想を抱いたというそのことに、宗次郎の心は何故か落ち着く。
そう、幾ら意地を張ったところで、彼は“死”そのものから逃れられはしなかった。政府の手の者としての、或いは彼自身としての矜持? そんなものが何になる? 死んでしまえばお終いだ。だったらせめてもっと早く何か有益なことを話していれば、あんなに苦しまなくて済んだものを。
「とにかく、今は国盗りに向けての大事な時期だ。余計な憂いは無いに越したことはねェ、良くやってくれたな宗次郎」
「はい」
宗次郎はまた満足そうに笑む。
報告の後に幾つか雑談を交わして、宗次郎は志々雄の部屋から退出した。
自室へと向かう廊下の途中で、宗次郎は床に一匹の小さな百足が這っているのを見た。
穴蔵のアジト故に時折こうして紛れこんでくる虫を普段なら気にも留めないところだったが、自分の方へと近付いてきたその百足を、宗次郎は無下に踏み潰した。
ほんの一瞬で失せた命。体節を崩し、液に塗れて平べったくなった虫を見て、宗次郎はまた笑う。
所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ―――。
確認するように心中で呟くと、宗次郎は歩を再開した。
終
こちらはサドな宗次郎、略してS次郎に挑戦の巻。
何となくの構想は前からあったのですが、ようやく形にできました。痛いのは苦手なんですが、S台詞・表現書くのは面白いという…(←オイ)
2013,11,28
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