星蝕
団子屋の店先に、小振りの笹が飾ってあった。
紅や黄色、白…吊るされた色とりどりの短冊が風に揺れている。そのうちの一つがはらりと落ち、ちょうど近くを歩いていた宗次郎の足元に滑り込んだ。
「…おっと」
危うく踏みそうになったが、寸前で足を止める。紅色の短冊には、たどたどしい字で願い事が記されている。
「あっ、お兄ちゃん!」
数人の子ども達が宗次郎のそばに駆け寄ってきた。皆の背丈は宗次郎の胸元辺りか、或いはもっと下である。あっという間に囲まれてしまった宗次郎は、やんわり笑んで「何?」と聞き返す。
「その取れちゃった短冊、笹に結んで貰っていい? 届かないの」
一番年上らしい、十歳前後の少女が困ったような顔で見上げてくる。あぁ、と宗次郎は納得した。確かに彼らの背丈では、軒端の笹には手が届かない。
いいよ、と軽く了承して、宗次郎はその短冊をしっかりとした枝に結びつけてやった。再び笹の枝に短冊が翻ったことに、子ども達から小さく歓声が上がる。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
子ども達の反応は屈託がない。見ず知らずの人間には通常、警戒してもおかしくは無いのに、どこにでもこういった人懐こい子どもは存在するものだ。恐らくは宗次郎がニコニコ笑顔で取っ付きやすいことも大きく作用しているのだろう。こうして旅先でその土地の子ども達に囲まれたことも、一度や二度ではない。
「もうすぐ七夕なんだね」
「もう今夜だよ、お兄ちゃん!」
のんびりと言った宗次郎に、少女が即座に主張する。あぁそうなんだ、と宗次郎は頭をかいた。旅を始めてからこっち、どうにも日時の感覚が薄い。町なり村なりに滞在している時はともかく、野山を流離っている時にはそこまで気にすることが無いからだ。無論、空の色だったり気温だったりで大雑把に時の移ろいを把握しているが、今は何月何日…とそこまで厳密には数えていないのだ。また、時に追われる必要ももうほとんど無かった。
流浪し出してから約一年。目安まではあと九年もある、長い長い旅路である。
「願い事、叶うといいなぁ」
「叶うよ。だって短冊に書いたもん!」
「私、縫物が上手になりますようにって書いたの」
宗次郎を蚊帳の外において、子ども達はそんなことを口々に言い合っている。はしゃいでいる、といった方が正しいかもしれない。
そんな光景を見て、宗次郎はずっと昔のことを思い出していた。
「あっ、笹飾りだ」
幼い宗次郎が指差したのは、旅籠の先に飾られた笹竹だった。
あの嵐の夜の惨劇以降、初めて迎えた七夕である。夜更けの村には人の姿はほぼない。それでもあちこちに飾られている提灯が祭りを彩るようにして仄かな光を宿し、集落をどこか幻想的に染め上げていた。
義理の家族達から買い物を命じられて町に出た際など、目にしたことはあった。この頃の七夕は技芸の上達のみならず、五穀豊穣・無病息災・商売繁盛を祈る祭りなので、義理の家族達が営む米問屋の店先にも、毎年豪華な笹飾りが掲げられていた。欲深い家族達はこれ幸いとばかりに私利私欲に塗れた短冊を吊るしてはいたが、宗次郎は当然、除け者だった。
七夕のお祝いなど味わったことが無い。また、七夕というものについても、何となくしか知らない。
しかし今年の七夕の夜、傍にいるのは義理の家族達ではなく、志々雄である。宗次郎に強さを見せつけ、弱肉強食の真実を教えてくれた人。
「僕、強くなれますように、ってお願いしようかな」
宗次郎は無邪気に言う。志々雄の指導の元、剣術修行は既に始まっていたが、まだまだ志々雄の足元にも及ばない。早くあの強さに追いつきたい、早く志々雄さんみたいに強くなりたい、そんな思いが宗次郎にそう口にさせていた。志々雄さんとなら、七夕を祝えるかもしれない、そういったささやかな期待もどこかにあっただろう。何せまだ九歳なのだ。
何より、志々雄は宗次郎のことを邪険にしたりしない。修行は厳しいが、課題をこなせばきっちり褒めてくれる。義理の家族達は仕事を終えても、褒めてくれたりなどしなかった。容赦なく次の仕事を言いつけてくるだけだ。むしろ宗次郎がどんなに懸命にこなしても、「出来が悪い!」と殴りつけてくるか。
志々雄はそんな真似はしなかった。言いつけを達成できなくても、にやりと笑って「上出来だ」と言ってくれた。それで尚更、宗次郎は次は頑張ろう、と思えた。
ボロボロだった着物も新調してくれたし、草履も設えてくれた。もっとも、志々雄は身を隠さねばいけない立場だから買ったのは宗次郎自身だけれど、その為の金を工面してくれたのは志々雄だ。数年振りの新しい衣類だった。随分動きやすくなったし、志々雄は無闇に暴力を振るったりしないから体中の傷も癒えて、見た目もかなりまともになった。今の宗次郎は、一見、そこいらにいる子ども達と何ら遜色が無い。
野宿続きの日々でも、以前のように食いっぱぐれることも無くなった。義理の家族達は宗次郎に満足に食事を与えてはくれなかった。が、志々雄は狩りのやり方、釣りのし方……時には人気のない畑からこっそり作物を失敬したりだとか、そういった食に困らない方法を教えてくれた。これまた宗次郎が店で買った品々を共に食したこともある。食事情もかなり改善された。
「宗次郎」「宗」、と自分の名前を呼ばれるのも嫌じゃなくなった。
以前だったら、今度は何を言われるか、今度は何の難癖をつけられるか…そんなことばかり考えて、名前を呼ばれるのすら嫌で嫌で堪らなかった。しかしもう、名前を呼ばれてもびくつく必要はない。呼びかけられても身構えずに「はい」と言える。
むしろ志々雄が投げかけてくれる言葉の一つ一つが、宗次郎にとっては新鮮だったかもしれなかった。彼は、今まで宗次郎が知らなかったことをたくさん教えてくれた。日常的なことは勿論、非日常的なことも。それから、何よりも大事なこの世の真実、『弱肉強食』の言葉。
今まで苛められていたのは、生まれが悪いのではなく自分が弱いから。ならばそれを脱するにはどうすればいい? 事は簡単、強くなればいい。
強いこと、それは実際に何よりも正しいのだと思えた。強ければ生き弱ければ死ぬ、至極単純な摂理。
神や仏に祈った所で、あの暴虐で支配された日々は何一つ改善されなかった。その状況から逃れられたのも、すべては志々雄の言葉と刀と、自分自身の内に秘められた“強さ”に追い縋ったからだった。志々雄と出会わなかったらきっと、まだあの理不尽な日々を続けていた筈だ。
神も仏も、宗次郎には深い意味は無い。だから宗次郎はそういったものの存在をまるっと信じているわけではなかった。ただ、あくまでもお祭りの一環として願い事をするのであればやはり“強くなりたい”であると、単にそう思ったのだ。
にこにこと笑う宗次郎に、志々雄はニヤッとした。いつもの不敵な笑みだ。「宗、」その呼びかけに乱暴さはやはり無い。はい、と素直に頷きたくなる。
「そんなのは神頼みするもんじゃねェ。自分の力で叶えるモンだ」
宗次郎は一瞬だけきょとんとして、また笑った。
(志々雄さん、格好良いなぁ)
素直に、思う。
無論、外見だとか姿形に対してではない。生き様や性分、発言の内容、有り体に言えば志々雄という人間を。
実際、志々雄は宗次郎が初めて出逢った“格好良い大人”だった。それまで知っていた大人達は、あの義理の家族達だったりとか、彼らにこびへつらう使用人達だったりとか、そういった者達がほとんどで、少なくともその中に宗次郎が見習いたいと思えるような人はいなかった。一緒にいたい、と思う者もいなかった。
しかし志々雄は違う。真っ直ぐな信念を、自分というものをしっかりと持っていて、ブレない。常に自信に満ちた力強い口調と発言、そしてそれを実行できるだけの実力もまた、備えている。
父親、とは違う。兄、でもない。家族としての続柄で例えようにも例えられない。
強いて言うなら剣の師匠だろうか? …いや、それもまた、しっくりこない。
志々雄と自分のこの繋がりを何というのか、宗次郎には良く分からなかった。しかし敢えて名前で括らなくても、それでいいような気もしていた。
志々雄さんは志々雄さん。
宗次郎を“個”として認めてくれ、側にいることを許してくれ、強くしようとしてくれている人。強くなる上での道標。
「はい。僕、強くなります。志々雄さんみたいに」
屈託なく笑う宗次郎に、志々雄はやはり悠然と笑んだ。「いい答えだ」、と。
夜の道を颯爽と歩く志々雄の後を、宗次郎もやや急ぎ足で付いていく。途中途中で振り返るような甘い真似は志々雄はしない。それでも宗次郎は彼と決してはぐれぬように、その後ろ姿をしかと目に入れて後を追う。そのどこまでも前を向いて肩で風を切るように堂々と歩いていく姿すら、格好良い、と思うのだ。
(僕もいつか、志々雄さんみたいに―――)
ごくごく子どもらしい、無垢な憧れである。
七夕の星に願うようなことはもうしない。ただこの人のように、この人を目指して進んでいけばいいのだ。
少し足を速めて志々雄に追いつき、ようやくその隣に並ぶと、宗次郎はそのまま彼を見上げた。包帯の間から覗く目と口元が、どこか満足げに笑む。
闇にかき消えるようにして、二つの影はそのままその集落から姿を消した。
すぐ傍を見上げてみても、もうあの大きな背中は目に映らない。
見えるのは、夜天に流れる薄ぼんやりとした天の川だけだ。
地獄の空からでも、あの星の川は見られるのだろうか?
(……志々雄さん)
ぼんやりとしているうちにすっかり時間が経ってしまって、子ども達の姿もいつしかないたった一人の薄暗いその空間で、宗次郎は目を閉じてかの人に思いを馳せてみる。
たとえ心の中で呼びかけてみた所で、「宗次郎」と自身を呼ぶ声は決して帰ってきやしない。それでも、あの響きは今もしかと覚えている。
緋村剣心との二度目の闘いの際。
本当は誰も斬らずに生きていきたかった、と気付かされた。それでも、宗次郎はその“人を斬る為の”言葉と道具とを与えてくれた志々雄を、嫌いになどなれなかった。
あの人のお陰で生き延びられた。その事実は変わらない。
こうして自分で行く道を選べるまで育ててくれた。鍛えてくれた。信頼してくれた。重用してくれた。それがすべて。
この先どんな答えを見つけたとしても、きっと、志々雄と共に過ごしたあの日々を忘れることは無い。
志々雄と出会ったからこそ、今の自分がここにいるのだ。
(嫌だなぁ、何だか不思議な気分になっちゃった)
思い出すたびに胸の奥が疼くようなこの感覚を、宗次郎はまだ持て余している。敢えて名を付けて呼ぶのならそれは“寂しさ”なのだろうが、そんな感傷があることすら、長らく忘れて久しいのだ。
胸の内に様々な色が灯ることにも、宗次郎はどこか振り回されている。それでもきっとそれを深く探ることも、答え探しには必須なのだろうから。
「さて、と……」
やはり軽やかに笑ったままで、宗次郎は歩き出す。目線は空を見上げたまま。星見の夜、と洒落込むのも、たまには悪くないだろう。
当てもなく、行く先も見えない道のり。それでも気の向くままに宗次郎は進んでいく。
一つの標を示してくれた志々雄真実というその人を、ずっと決して、忘れることなく。
※ ※ ※
正直、宗次郎は予想以上の拾い物だった。
元々聞き分けは良かったが、あの雨の日に一線を踏み越えて以降、尚更従順になった。
無邪気で素直だが、決して愚直ではない。世間知らずではあるが、頭の回転は悪くないのだ。
育った環境によるのだろうが、相手や周りの反応を良く見て動いている。簡単に言えば、相手の顔色を伺っているのだ。己の感情には疎くなっても、そういった観察眼は残っている。
そして何より、懐いてくるが、甘えてはこない。
その辺が尚更、御しやすかった。
修羅としての才能はあるが、まだ子どもだ。時には甘えたい気持ちもあるのだろう―――が、こいつはそれをしない。甘え方を知らないのだ。甘えさせてくれる存在がいなかったから、そして環境がそれを許さなかったから。
そして自己評価が極端に低い。義理の家族共に散々虐げられてきたからか、自分に価値など無いと思っている。
(勿体無いことを)
思わずほくそ笑む。こんな掘り出し物は滅多にない。
こいつは叩けば叩く程切れ味を増す刃だ。その素材も素質も申し分ないのに、あの阿呆共はそれを見抜けずにいた。もっとも、こちらはそのおかげでこの上ない“修羅の卵”を手に入れられたわけだが。
自己評価が低い奴は、とにかく褒めて、その力を認めてやればいい。ちょっとしたことでも褒めてやったら案の定、簡単に意欲を増した。かと言って、褒められてどこまでも有頂天になる程馬鹿でもねぇ―――匙加減に苦心することも無かった。
元々政府に追われていた自分にすら、水を向けてみれば簡単に境遇を話した。人との関わり合いも碌に無かったに違いない、人と関わることを恐れながらも、飢えている、そんな風に思えた。
ならば手っとり早いのは、話を聞いてやることだ。相槌を打つだとか、疑問に思った点は訊いてみるとか、そういったごく普通の反応を返してやれば思った通り、“極悪人”である俺に最早何の躊躇いもなく接してきたのだ。
恐らくは例の家族とそこを取り巻く大人達がせいぜい宗次郎の世界の全てといったところだったに違いない。視野が狭いなら尚更、折りにつけ弱肉強食の理念を言って聞かせ、心身共に刷り込んでいけば事は足りる。
「志々雄さん」「志々雄さん」
久方振りに撫でて貰った犬のように、無邪気についてくる。遠慮のないそこらのガキのようにべたべたと纏わりついてくることもまた、こいつはしない。無意識のうちに、人と一定の距離を保っている。あの苦難の日々の中で、こいつなりに身につけた保身術なのだろう。
(こっちは好都合だがな)
元々、俺は子ども好きというタチじゃない。こいつを引き連れているのも、単に見込みがあるからだ。鬱陶しい程に構って貰いたがるような奴だったら容赦なく置いていけるし、或いは斬ることすら俺は何の躊躇いもない。
だがそんな気苦労すら、俺には無用のようだった。元よりそんな程度の奴なら、端から『弱肉強食』の言葉を伝えたりしねェ。こいつなら、俺の言葉を何よりも体現し、そして何よりも従順な修羅になるだろう。そうした期待がある。
(ったく、ガキを持つ気も、弟子を持つ気も無かったのにな)
本音は、それだ。
当然、俺のガキにしたつもりも、弟子にしたつもりもない。
しかし以前のような五体満足な体を持たない以上、どうしても俺は俺の代わりに意のままに動く手足が必要となる。いわば、こいつはその一本目と言うわけだ。
強いて言うなら、手駒に近い。『歩』の駒に似ている。今はまだ頼りないが、いずれはこいつは必ず『金』に成る。
そこまで昇華させるのもそれなりに労力は必要だろうが、まぁいい。こいつは、宗次郎は俺の手で極上の修羅にしてみせる。
人を育てる歓び、そんな感情が俺にもあったとはな。自分自身のことではあるが、心外な気がしなくもない。
「ねぇ、志々雄さん」
宗次郎の底抜けに明るい声が聞こえてきて、俺の思考を引き戻した。
「僕、強くなれますように、ってお願いしようかな」
こいつの視線の先には、七夕の笹だ。あぁ、と俺は簡単に納得する。七夕だとか正月だとか節句だとか、そういったものともこいつは一切、無縁のようだった。本気で神を信じているわけではなく、祭りというものに対する子どもらしい憧れ、単にそういうことなのだろう。
だがな、
「宗、」
俺の修羅に、そんな他力本願な感情はいらねェ。
「そんなのは神頼みするもんじゃねェ。自分の力で叶えるモンだ」
強くなりたいのなら、自分自身で為すべきなのだ。今は俺が稽古を付けてやっているが、それだって何よりもこいつ自身にそれに応じる気持ちが無ければ、何の意味もない。
あの嵐の夜の“あの時”にしても―――宗次郎が弱肉強食の思念にしがみつき、生き延びたい一心で刀を振るったから生きられた。そうじゃないのか? それができるだけの強さは少なくとも、こいつにはある。それすらなかったら、あの時宗次郎はそのまま奴らに殺されていた筈だ。
あの局面を生還できた。だから断言してもいい。こいつは強くなる。やはり、俺の次に並べる程に。
「はい。僕、強くなります。志々雄さんみたいに」
いい答えだ。
素直に思った。だからそのままを宗次郎に返した。作り笑いではない笑みが俺の口元を動かす。何とも言えず愉快だ。俺の言葉にあっさりと従う、それだけでこうも満足だとはな。
もっとも、この屈託の無さが宗次郎のある種の利点だ。元々の素質はあっても、そうなるように仕向けたのは、まぁ俺だがな。
振り向かずに闇夜を歩く。それでもきちんと俺の後についてきていることを、足音が知らせる。散々こき使われていたせいか、こいつは足腰も強い。鍛えればそれもまた、強力な武器になるだろう。
漆黒の空に散らばる星が俺達を見下ろす。願かけも祈ることもしねェ俺には、何ら普段と変わらぬ夜だ。ただ少なくとも、一年前の七夕には、こいつはまだいなかった。違いといったらその位だ。
「志々雄さん」
時折宗次郎から発せられるその呼びかけは、耳障りではない。俺を慕い、俺の名を呼ぶ声。
(まぁ、悪くねェ)
その心持ちすら、駒を思い通りに動かすには重要なものだ。それがある限りこいつは、どこまでも俺に付き従う。せいぜい利用させて貰うさ、……そいつもな。
所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。
弱者はあくまでも強者の糧。糧にすらならない者は、存在自体に意義が無い。
しかし宗次郎は俺の糧として、大いに価値がある。それも、当初俺が思っていた以上に。嬉しい誤算だった。
さて、どこまで俺についてこれるか―――。
どこかこいつを試すような、挑むような言葉が浮かぶ。強さに関してなら、こいつは存分に下地があるのだ。
だが、もしも、だ。
もし、こいつが俺に『ついては来れない』その時が来たとしたら、俺はやはり、こいつを斬るのだろうか?
……愚問だな。
そんなこと、考えても詮無いことだ。その時になってみなけりゃわからねェ。
ただ、一つだけ確実なのは。
仲違いで別れるにしても、思考の違いで別れるにしても、それこそ死別で離れるのだとしても。
『所詮、この世は弱肉強食』
―――その真実からは、宗次郎は決して逃れられない。
何故なら。
『強ければ生き、弱ければ死ぬ』
あの脇差以上に、俺がくれてやった贈り物だ。
お前をこの世に縛りつけたのは、何よりもその言葉と、俺なのだからな。
そうだろう?
なぁ―――宗次郎。
<END>
相互リンクしている葵さんとの小説交換企画で書かせて頂いた、志々雄と宗次郎の話です。
どうにも私が書く志々雄さんは非情になり切れないようです…。これ、ちゃんと志々雄さんになってますか…(←聞くな)
原作において、宗次郎は志々雄を慕っているし、志々雄の方も「俺を慕っている」と言い切っています(言い切っちゃうのも凄い(笑))。
やはり宗次郎の方には、志々雄を慕うそれだけの理由があるんだろうな、と思いつつ、志々雄との触れ合い(?)を書いてみました。
志々雄→宗について改めて考えて思ったのは、「愛情は無いけど愛着はある」的なのかな、と。この場合の愛情ってのは勿論、ヘンな意味じゃないですよええ(笑)
志々雄は宗次郎のことを利用する為に育てていたのは確かなんだろうけど、育てる楽しさ、宗次郎が育つ楽しさ、はあったんじゃないかな、と思う。自分の思った通りに鍛え上げる楽しさ、というか。
自分も一応子持ちだし、仕事も教職関連なので分かりますが、子どもを思った通りに育てるってのは簡単なことじゃないです、本当に。
だからやっぱり、苦労したり手塩にかけた分、それなりの情というか拘りがあるというか、そんな気もしなくもない。
改めて原作を読んで思ったのは、袂を分かった宗次郎を志々雄は「斬っていない」! …という、その事実。志々雄の部屋と宗次郎のあの部屋の距離なら、最早手駒でなくなった宗次郎を斬り捨てに行っててもおかしくは無いわけです。まぁ剣心との闘いが控えていますから、体力を温存したとも考えられなくは無いですが…。
でもやっぱり自分と別れようとする宗次郎を、それを分かっていながら見逃したとも考えられるわけで。でもやっぱ面白くないから、脇差には八つ当たり、と(笑)。
う〜ん、我ながら甘いですかね…。
アニメ版だと「どう足掻こうが宗次郎もあんたも、弱肉強食の摂理からは逃れられやしねェんだよ」とか剣心に語ってる志々雄ですが、やっぱり弱肉強食の言葉は、良くも悪くもその後の宗次郎をも縛り続けるのではないかなと、そんな風にも思います。
だからこんなタイトルにしてみました。
長らく理不尽な暴力を受け続けた宗次郎にとっては、“無闇に自分を傷つけない人”が傍にいることがいかに安心できたかということ、この話を書いていて、それを改めて思いました。
嬉しいと楽しいの境界線ってなんでしょうね…難しいです。
あとがき(というか解説)長くなりました。すみません;
2013,8,18
初稿:2013,7,27
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