光の獄




結局僕は、斎藤さん付きの密偵というところに落ち着いた。
煉獄が沈んだ後、警察に連行された僕は様々な取り調べを受けた。それは僕達の組織についてであったり、犯した悪事についてであったり、極秘裏に入手していた情報についてだったり、多岐に及んだ。
志々雄さんが死んで、組織も形を失ってしまった今、隠していても仕方なかったし、もうどうなってもいいやってそんな投げやりな気持ちも手伝って、僕は実に事細かにそれらについて述べたと思う。内務卿暗殺の実行犯だったし、洗いざらい罪科を吐かされた後はいっそ死刑台に送られてもいいかなぁ、なんてそんな風にも思っていたのだけれど、どういうわけかまんまと生かされることになってしまった。
政府の上層部の方では、やはり僕を危険と見なして死刑にするべきだという声が上がったとか、いやあの剣才を捨て置くのは惜しい、軍部で有効利用すべきだとか、そんなやり取りが交わされていたらしかったけど、僕には詳しいことは分からない。ただはっきりしているのは、何だかんだで恩赦という形で命は許されて、結局は政府のいいように使われるようになってしまったのだということだけだ。
まぁ、斎藤さんの世話をすることは確かに志々雄さんからは言い遣ってはいたし、今となってはちょっと遺言みたいなものかもしれないから、別に斎藤さんの下で働くことは構わなかった。
というよりも、志々雄さんを失ったその時から、僕にはこの先の標も無くしてしまったようなものだ。
あの人は強かった。この上もなく強かった。あの強さについていけば、間違いはないと僕は信じていた。だって、僕も十年前に義理の家族達に殺されかけたあの時に、己の強さに縋ったから生き延びられたのだ。弱肉強食、それが真理だった。強いことが何よりも正しく、確かに僕が弱かったから、あんな散々な目に遭う羽目になったのだ。
強くなってしまえば、誰かから痛い思いをさせられることは無くなった。強い方が正しいから、弱い者の命をどうしたって構わない。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。志々雄さんがこの国の天辺に立てば、そんな一貫した、分かりやすい世の中になる筈だった。あの強さに憧れたし、それ以上に僕という存在に目を止めて認めてくれた志々雄さんが好きだったから、僕も進んで手伝ったのだ。
志々雄さんは光だと、由美さんは言っていた。その時はピンとこなかったけど、今だったらほんの少し分かるような気がした。宇水さんや由美さんにとって、志々雄さんは光のような人だった。僕にとっても多分、そうだったんだろう。
あの日、砲弾を撃ち込まれて傾ぐ煉獄で、伝声管を通して聞いた由美さんの悲鳴に、僕は志々雄さんの敗北と死を悟った。到底信じられなかった一方で、あぁ、と変に納得してしまったのも事実だ。
志々雄さんは死んでしまった。あんなに強かったのに。あんなにも、強かったのに。
もしかしたら、斎藤さんの鉢金への一撃が、想像以上に志々雄さんに効いていたのだろうか。そして緋村さんとの闘いが、とどめになった? いずれにしても揺るがないのは、志々雄さんは死んだという、その一点だ。
強ければ生き弱ければ死ぬ。あの人は間違いなく強かった。ただ、斎藤さんや緋村さんの強さがそれを上回った、それだけだ。
そう結論付けてしまえば楽なのに、何故か簡単には受け入れられなかった。強ければ生き弱ければ死ぬ。ずっと信じていた真実が、この時ばかりは枷になった。でも、志々雄さんは弱くなんかない。絶対にだ。
京都方面に火の手はやはり上がらない。煉獄も沈む。作戦は完全に失敗だ。かといって、僕にやり直せるはずもなかった。これは全部志々雄さんが立てた計画で、僕はその指示に従って動いていたに過ぎない。僕がもう一度、組織を立ち上げて兵隊を集めて、再び国盗りを挑む。そんなことは無理だ。これは志々雄さんだったからこそできたことだ。僕にはできない。する気もない。明治という時代に背かれた者達にとっての光というものが、あの志々雄さんだったからこそ可能だったんだ。
そして、その光が消えてしまったことに気付いてしまったから、その光に惹かれて集った者達もまた散るんだろう。炎上する船を見捨てて、兵隊達が海に飛び込んでいく。或いは小舟に乗り、煉獄から遠ざかっていく。誰も志々雄さんを助けようとしないのは、志々雄さんがもう生きてはいないからだ。またここで、その事実を肯定されてしまった。
僕は後部甲板の手すりに寄りかかって、ぼんやりとそんな光景を見ていた。炎に照らされてもまだ暗い海に、兵隊達の乗った小舟がぽつぽつと浮かんでいる。斎藤さん同様に、まだ海水浴の時期でもないのに頑張って泳いでいる者の姿も多々見えるが、岸もそう遠くないし、どうにか死なずに済むんじゃないかな。以前だったら、組織に裏切り行為を働いた者は容赦なく粛清していたけれど、この時はそんな気分にはなれなかった。逃げたいのならば逃げていい、と志々雄さんも言っていたし、今更、だった。
由美さんはきっと、この船もろとも、志々雄さんと心中する気だろう。だって志々雄さんのところに行ったきり、帰ってこない。光を失った闇の中で生きるよりも、光と共に消えることを、由美さんは選んだんだ。
僕はどうしようか。志々雄さんが闘いで負けて死ぬなんて考えたこともなかったから、本当にどうしたらいいのか分からなかった。ただ、僕もこのまま船と一緒に沈んじゃってもいいかなぁって、何となく思っていた。志々雄さんにとっては強さが正義で、僕にはそんな志々雄さんこそが正義だった。光も、正義も、何よりも志々雄さんそのものを失って、この先一人で歩いていく気力なんて、湧いてくるわけないじゃないか。
多分、僕もそのまま死んでいただろう、あの時、斎藤さんが声をかけてくれなければ。
「…どうした。いつまでそうやって呆けている気だ」
不意に聞こえてきた低い声に、僕は意識を引き戻される。
ああそうだ、ここは今斎藤さんが勤めている警察署の一室だった。僕は斎藤さんから受け取った次の任務についての書類に目を通していて、そのまま京都大火のあの日のことへ思考を飛ばしてしまっていたらしい。
壁沿いの長椅子に深く腰掛けた斎藤さんは、制服を着崩して足を組み、勤務中だというのに紙たばこを咥えている有様だった。本当に不良警官だなぁ、この人。
でも僕は、どういった形であれ、この人に命を救われてしまったわけだ。そしてその誘いに乗ってしまったのも、他でもない自分。
「あの、実はずっと気になってたことがあるんですけど」
「質問は簡潔にすませろ。長いことぼけっと突っ立ってた挙句に下らんことを訊いたら、承知せんぞ」
斎藤さんはどこまでも不遜に僕を見返してくる。
所長さんや他の部下の人には絶対に見せない態度だ。この人は実にうまく、猫を被っている。まぁ、僕は別にどうだっていいけど。
「何であの時、僕を助けてくれたんですか?」
ただただ不思議だった。足を怪我したから櫓が漕げない、だから岸まで送れ。それも確かに理由の一つだろう。でも、かの新撰組の幹部で、そしてその数少ない生き残りでもある斎藤さんなら、僕に手を借りなくたってどうにか自力で脱出できたんじゃないかと、今となれば思う。水中で、ガトリングガンの斉射すら避けてみせた人だ。
それじゃあ、と思うと、やはり僕もあの燃え盛る船から連れ出すため、となる。でも。
「…阿呆が」
溜め息のように、斎藤さんが長く長く白煙を吐き出した。その表情は変わらないけれど、僕を呆れたような目で見ているのは分かる。
「組織の親玉である志々雄が死んじまった以上、その片腕的存在であるお前に聞かなくちゃならないことはごまんとあるんだ。勝手にあの世に行かれちゃ困るんだよ」
それを聞いて、多分僕は苦笑していた。ごもっともな理由だった。現に色々取り調べを受けたわけだし。
「じゃあ、その後斎藤さん付きになったのは?」
「全部言われなきゃ分からんのか、貴様は」
今度はあからさまに嫌そうな顔をした。
斎藤さんはまた白煙を吐き出した。志々雄さんも煙管を良く吸っていたけれど、何て言うか、こう、様になっているんだよなぁ、二人とも。粋っていうか。
この人にはどこか、志々雄さんに似ている部分がある。それは性格というより、性質が、といった方が正しいかもしれない。同じく人斬り同士だった緋村さんよりも、この人の方が余程志々雄さんに近い。
僕がそんな斎藤さんの下で大人しく仕事をしているのは、だからじゃないかとも思うし、そうであって欲しくない気持ちもある。
「言うなれば俺はお目付け役というわけだ。万一、お前が刃向かうようなことがあっても―――俺なら、お前に勝てる。そして俺の性格も、上の連中は分かっている。いざとなったらお前を斬り捨てることも辞さないことをな。分かったか、青二才が」
「あはは、凄い自信だなぁ」
僕は肩を竦めた。この人の強さは、船上で見たから知っている。志々雄さんとほぼ互角に斬り結んだ、あの剣閃。あと一歩のところで敗れはしたけれど、志々雄さんとあんなにも長く刀を交わし合えただけでも大したものだ。
だから僕も、単に斎藤さんと闘ってみたいと思った。志々雄さんと鍛錬している時がやっぱり楽しかったように、強い人と闘うのは、何だかわくわくする。弱肉強食の真実とはまた別のところにそれはある。
弱い人をただ斬るだけじゃ何だか物足りない。自分と同じか、或いはそれ以上に強い人と剣を交えて、その上で相手を下したい。それはきっと、僕の自尊心を酷く満たす行為なのだ。それに闘うのなら、弱い人とより強い人との方が、やっぱり心が弾む。あまり剣客然としていないと思うけど、僕も剣客だということだろう。強い相手を、半ば本能的に欲している。そしてそれは志々雄さんで、緋村さんで、斎藤さんだった。緋村さんには負けてしまったし、志々雄さんに勝てたこともなかったけれど。
「じゃあ、さっそく始めましょうか?」
僕は両の腕を広げて斎藤さんに試すような目を向けた。斎藤さんはそんな僕を冷ややかに見て、やがてフン、と鼻で笑った。
「得物もないのにどうやって闘う気だ。それに言った筈だ、お前が抜刀斎に勝てたらな、と」
「つれない人だなァ」
言葉をそう返した僕だったけど、本当は分かっていた。僕だって、今ここで斎藤さんとやり合う気はない。丸腰だったし、さっき言ったこともまた本気じゃない。
まぁ、そのうち闘ってみたいな、とは思うけれど、それにはやっぱり緋村さんに勝たなくちゃいけないのか。壁は高そうだなぁ。あの人はもう、東京の神谷道場に戻って、また居候生活を再開しているらしい。府中のこの警察署からだったら、会いに行こうと思えば会える距離ではあったけれど、当分は会う気にならなかった。
緋村さんは、僕にきっちりとどめをさせるところまで剣を詰めておきながら、それをしなかった。彼が不殺だから、というそんな理由じゃなかった。相手を殺さなくても制することはできるという強さを、僕に見せつけたんだ。
敵わないな、と思った。あれ以上闘いを続けても、僕は勝てる気がしなかった。だから剣を手放して、あとは志々雄さんに託した。そして志々雄さんは死んだ。僕はまだ生きてる。
やっぱり、どんな形であれ、僕は生かされてしまったのだ。そしてそれは斎藤さんに、緋村さんに、ずっと昔に僕に強くなることを教えてくれた志々雄さんに。
志々雄さんに代わる光が、僕にも見つかる日がいつか来るんだろうか。今は皆目分からない。
光の消えてしまっているこの世界でも、僕はまだあの光をどこかで求めている。志々雄さん。僕にとっては、そんなにも大きな存在だった。簡単には払拭できない。目を閉じても、瞼に残る燐光のように、僕の心にはしっかりと、あの人が焼き付いている。もしかしたらそれも、地獄の業火の残り火なのかもしれない。
あの人のことだから、死後はきっと本当の地獄に行ったんだろうな。由美さんも、それについていってる気がする。宇水さんはどうだろう。案外また、地獄で志々雄さんと剣を交わしていたりするんだろうか。
僕もいずれはそこに行く。でもそれまでは、もう少し、地獄を照り返したようなこの現世で生きていかなくちゃいけない。強さとは何か。弱さとは何なのか。あの闘いの中で志々雄さんや緋村さんが教えてくれたそのことを、改めて考えなくてはならないのだろう。
何だか難しいな。強い方が正しいって、今まで通り思っていた方がずっと楽だ。
でも、今の僕は何だかそうとも限らないんじゃないかなって、そんな気もしてて、だからそれを知るためにももう少し、生きてみようかなって、そんな風にも思っている。
また動きを止めてしまった僕に、斎藤さんは珍妙な目を向けている。また阿呆が、とも言われそうな雰囲気だったので、僕は笑って誤魔化してまた書類に目を落とした。
とりあえずしばらくの間は、この人の下で働く日々を続けてみようか。






<了>








―――というわけで、「新京都編」の宗次郎でした。
原作の宗次郎以上に掴めないよ、この人…!!


「新京都編」はストーリー展開などが原作とはだいぶ違うんですが、それ故に原作以上に救いが見い出せない気がします、「新」の宗次郎は。
真実さがし、という目的がないので流浪したりしないと思うし。新京都編の宗次郎の「その後」が気になり、警察に連行された後を想像して書いてみた次第です。
やはり死刑台に行く、というルートもありそうですが、宗次郎が原作同様に生かされているのは、やっぱり更生のチャンスを(いわば製作者=神の手により)与えられているのかもしれない。で、こんなのもありかな、と。
まぁでも「新」の宗次郎自体がベースは同じでも原作とは異なるので、「その後」についてはやはり神のみぞ知る、というところなのでしょうが…。


何気に宗次郎の一人称小説は初書きでした。


2012,8,29

※読みづらかったのでちょっとだけ改行増やしました
2013,6,23







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