厚着をしているのに、背中に悪寒が走る。全身がだるい。咳が出る。
どう考えても風邪である。





病草紙





「医者の不養生とはよく言ったもんだな」
「・・・・返す言葉も無いよ」
溜息を吐きつつ、たらいに張った水に手拭いを浸しているのは兄の浅葱。医術に携わる自分がまんまと風邪を引いてこうして寝込んでしまうまでに到ったことに、は心底面目無いと思いながらも、ただこうして布団の中で横になることしかできない。
頬が火照り、頭はぼうっとする。
の熱い額に、浅葱は絞った手拭いをそっと置いてくれた。冷たい感触が心地いい。
「今日はここでゆっくり寝てる事! 無理してまたぶっ倒れでもしたら、その方が大変だからな」
「うん、大丈夫だよ」
はくすっと笑う。この兄の口調はぶっきらぼうだが、それでも自分をいつも心配してくれているのだということを知っている。
額の上の手拭いが落ちないようにほんの少しだけ頭を横に向けて、は部屋から出て行こうとする浅葱を見送る。
「ありがとう・・・・お兄ちゃん」
「・・・・礼はいいから、早く治せよ」
障子戸を閉める寸前、浅葱はに少しの笑みと優しげな眼差しを向けた。それでまたは小さく笑う。そこに確かにある温かさに安堵を覚える。
そうして今度こそ浅葱は戸を閉め、と同じように流行の風邪にかかった者達への診察に向かっていく。元々診療所は普段は浅葱ととの二人で患者を診ているから、自分が抜けた分の穴は、きっと兄が苦心して埋めることだろう。
(何か・・・・申しわけないな)
自分の体調を崩したばかりに、兄に、周りの者に迷惑をかけてしまったことをは悔いる。己の体調を管理することも立派な務め、それを疎かにしたつもりはないが、現にこうして寝込んでしまったということは、やはり至らない部分があったということだろう。
自分の甘さを反省しつつ、はぼんやりと天井を見上げる。浅葱が去ってしまうとこの部屋はとても静かだ。遠く、診療室の方から何やら話し声は聞こえるが、それでもそこから離れた場所でこうして一人でぽつんといると、何とも言えない侘しさが込み上げてくる。
兄は医者としての務めがあるから、仕方ないにしても。
(・・・・宗次郎君は今、何やってるんだろう)
ぼんやりと、同居人を思う。
ふとしたことが縁でこの家に居候している、流浪人でいつもニコニコと屈託の無い笑みを浮かべていて、その反面、剣の腕は一流という不思議な青年、瀬田宗次郎。
いつも炊事洗濯、掃除に買出しといった家事全般をこなして貰っているから、きっと今もそうなんだろうなと考えつつ。
(でも、うつすわけにもいかないしなぁ)
体が弱っているからだろうか何だか心細くて、できることなら傍にいて欲しいと思う自分もいて。
けれど彼に自分の風邪をうつしたくないと思っているのも確かで。
う〜んう〜んとがその二つの思いに頭を悩ませていると、口には出さないその苦悩の呻きをまさか聞き取ったわけではないのだろうが、誰かが軽快な足取りで廊下を歩いてくる気配がした。
お兄ちゃんが戻ってきたのかな、それとも、とが逡巡する間も無く、障子の戸はあっさりと開け放たれた。そうしてそこにいたのは、相も変わらず幼げな笑みを浮かべた、宗次郎その人だったのだ。
「あぁ良かった、さんまだ起きてたんですね」
「・・・・宗次郎君」
宗次郎の明るい笑顔にも頬を緩める。そういえば、今日宗次郎に会うのはこれが初めてだった。朝起き上がる間も無く寝込んでしまって、その後は兄の浅葱にしばし看病されていたから。
まだ起きてた、という宗次郎の言葉から察するに、が風邪をこじらせてたということを恐らくは浅葱から聞いたのか。
茶碗と湯飲みが載った盆を宗次郎は持っていた。ほかほかと温かそうな湯気を上げるその盆を宗次郎は右手だけで支え、左手で後ろ手に障子戸を閉めた。
そうしての布団の傍らに腰を下ろし、宗次郎はにこにこと語り始める。
さんが風邪で寝込んだって聞いて、びっくりしたんですよ。多分朝ご飯もまだかなぁって思って、お粥作ってきました」
「お粥・・・・」
見れば、宗次郎が持ってきた茶碗の中によそってあったのは紛れも無くお粥だった。卵入りで、ご飯と黄身とが程よく交じり合いとろんとした半熟状になっていて、見るからに美味しそうである。湯気の上がり具合からして、作り立てほやほやといった感じだ。
「ありがとう、宗次郎君・・・・」
宗次郎君の気遣いが嬉しく、はじ〜んと感動した。
宗次郎が見せる優しさは、かつて彼が楽以外の感情を欠落していたことに起因しているのか、他の人間のそれとは少し違った質のものではあったが、それでもには確かに優しさだと思えた。
宗次郎の言う通り朝食はまだだったしお腹も空いてきた頃合だったので、は有り難くそれを頂戴することにし、ゆっくりと身を起こした。ずっと寝ていた為か、頭がくらくらする。ずり落ちてきた手拭いを押さえるようにして額に手をやると、宗次郎が首を傾げながらの顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか?」
「う、うん、大丈夫だよ」
宗次郎の小綺麗な顔を間近で見て、は思わずどぎまぎしてしまう。
近くで見ると本当に睫毛長いなぁ。目も大きくて澄んでるし、髪もさらさら・・・・って、じっくり観察してる場合じゃない。パッと顔を離して、は手拭いをひとまずたらいの中に入れた。
そうして話題を逸らすかのように、はお粥の茶碗の脇に置いてあった湯飲みに目を向けた。茶褐色の液体は、どうやらいつもの緑茶ではなさそうだ。
「あの、こっちのお茶は?」
「あぁ、薬湯ですよ。体にいいと思いますよ」
具合の悪い自分の為に、わざわざ薬を煎じて持ってきてくれたのか・・・・!
は再びじ〜んと感動した。
「風邪に効く薬草を煎じて持ってけって、浅葱さんに言われて」
(・・・お兄ちゃんの入れ智恵かいっ!)
前言撤回。
どうやら薬湯に関しては、宗次郎が自分から行った行為ではなく、兄の差し金であったらしい。ちょっぴりがっかりしつつも、浅葱が自分を案じてのことだし、宗次郎もそれに賛同して作ってくれたわけだからよしとしよう、とは思い直した。
周りの人達が自分を労わってくれることに嬉しさと、そして同時に申し訳無さも多大に感じつつ、それでも今はその思いに素直に甘えて、少しでも早く元の体調を取り戻そう、とは思った。
宗次郎に差し出されたお粥の茶碗を、は有り難く受け取る。添えられた匙でお粥をすくって、ふうふうと息を吹きかけて冷ましてから口に含むと、甘くも塩味のある温かな味が口の中いっぱいに広がった。
「美味しい・・・・」
自然とその言葉が零れる。がお粥を食べる姿を見守っていた宗次郎も、それを聞いて子どものように破顔する。
「良かった、喜んで貰えて」
「うん、本当に美味しいよ。私が作ったのより美味しいんじゃないかな」
「いやだなぁ、そんなこと言って」
和やかな言葉の応酬にの気も幾らか晴れる。
やっぱり、この人に傍にいて欲しかったんだ。そう、確信する。
頬がさっきより熱いのは、きっと風邪だけのせいじゃない。
「・・・ねぇ、宗次郎君」
「はい?」
笑顔のまま宗次郎が首を傾げる。
そんな仕草さえ愛おしいと思いながら、もふわりと笑んでこう言った。
「もし、宗次郎君も風邪で寝込んじゃったら、今度は私が看病するね!」
のその言葉に宗次郎は一瞬きょとんとして、それでもやんわりと微笑んで。
「楽しみにしてます」と答えた。








後日、その言葉は事実となり、今度は珍しく体調を崩した宗次郎をが看病することになるのだが、それはまた別の話―――。









<了>









桃子さんのリクエストで、宗次郎ドリームで恋の話でした!
いつもより糖度は高いかと思われますが、あんまり大したこと無くてすみません;



今現在、私が風邪を引いているせいかぽんと浮かんだネタです。正確には、冒頭の浅葱兄とヒロインの会話と、お粥と薬湯を持ってきた宗次郎に対するヒロインの反応のくだりがですが・・・(笑)
『風の彼方』のヒロイン設定の流用ですが、この兄妹は動かしやすくてしょっちゅう短編のネタになります(爆)


ではでは、こんな話ですが楽しんで頂けたら幸いです。(ちなみにタイトルは『やまいのそうし』と読みます)




2007年3月4日