夢よりも儚き世のなか



「菊一文字則宗?」
「ああ」
宗次郎が聞き返すと、志々雄は頷いてグラスの中のワインを呷った。
「俺の愛刀の一つである『長曾禰虎徹』をも凌ぐ幻の名刀なんだが、お前にはそれぐらいのものが相応しいと思ってな」
「その刀の所在は分かったのだが、持ち主がどこかに隠しているようで、近いうちに誰かを差し向けようと―――」
「なあんだ」
方治の言葉を遮って宗次郎は笑む。
「だったら僕が行ってきますよ。だって、僕が使うことになる刀なんでしょう?」




―――目的の所へは、存外すんなり入り込めた。行き倒れを装ってその人の家の前に伏していたら、厚意で家の中に招き入れてくれたのだ(まあ、それが作戦だったのだけれど)。
その時のことは、良く憶えている。
「ちょっとあなた、どうしたの?」
菊一文字の持ち主は、意外にも女性で、名をといった。長く清楚な黒髪を揺らして、こちらに駆けて来る。
人の外見はあまり気にしない性質の宗次郎だったが、の顔は人並みか、或いはそれ以上に小綺麗に整っていた、と言っていいだろう。
「大丈夫?」
屈んで、宗次郎の顔を覗き込む。心配そうな顔。そんな顔を自分に向けてくれる人なんて、一体どのくらい会ってなかっただろうか?
「あ・・・大丈夫ですよ。ただ、ここ2、3日何も食べてなくて」
「全然、大丈夫じゃないって!」
芝居なんて大それたものじゃない、ただ弱々しく言っただけのその言葉に、はひどく驚いたように見えた。
「大したものないけど、何かご馳走するから! ・・・立てる?」
「ええ、何とか・・・」
こうして宗次郎は、彼女の家に入ることに成功した。
案内された部屋の中を、宗次郎は座ったまま見回す。他に家人の姿はない。やはり、情報通り彼女は一人暮らしのようだ。
そのわりに、部屋のあちこちに見受けられる、多くの刀。
「とりあえずおかゆ作ってみたんだけど、食べてみて。・・・・・どうしたの?」
おかゆの入った椀を乗せた小さな盆を持ったが台所から戻ってきた。ふと、宗次郎の様子を見て声をかける。
「たくさん刀があるなあ、って思って」
宗次郎は笑ってそう答えた。その答えならまず怪しまれない。見た目、優男で書生姿の宗次郎なら尚更。
まさか、彼が名刀を狙ってここに来たなんて、きっとは思いもよらないだろう。
「私のお父さんとおじいちゃん、武士だったの。二人とも刀を集めるのが好きで」
「へぇ・・・」
差し出されたおかゆを口に運びながら宗次郎は頷いた。温かい。程よい味。柔らかな口触り。
「どう? あんまり自信ないんだけど」
「おいしいですよ、すごく」
お世辞ではなかった。が作ってくれたおかゆは、本当においしかった。
「本当? ・・・よかった」
心配そうな表情から一転、はほっとしたような優しげな微笑を浮かべた。
宗次郎はふと気付く。
(・・・あれ? 何だろう、この感じ・・・)
の笑顔が、胸に響いた気がした。どうしてだろう? 心が欠けた自分には、そんなことはあるはずないのに。
それなのに。
「まだあるから、どんどん食べてね」
「はい。ありがとうございます」
無条件に向けてくれる優しさ。
何だろう。何だろう? この、感じは。
ナンダロウ、コノ、カンジ・・・・。
「そういえば、まだ名前言ってなかったね。私は。あなたは?」
名乗って貰わずとも知っている。調べた上でここに来たのだから当然だ。けれど彼女は、勿論そんなことは知らないから、こうして名乗ったのだけれど。
「僕は、瀬田宗次郎といいます。よろしくお願いします」
そう言って、宗次郎も笑った。





澄んだ青い空。柔らかな日差し。自分が何のためにここに来たのか、忘れてしまいそうな程の。
洗濯物を干しながら、宗次郎は空を仰いだ。太陽の光が眩しくて、思わず目を閉じた。
「宗次郎くん!」
「はい?」
呼ばれて振り返る。そこにはがいた。息を弾ませて走ってくる。
「洗濯くらい、私がするから大丈夫だよ」
「いえ、これ僕の服ですし、それに昨晩泊まらせていただいたし、色々と迷惑をおかけしちゃったから」
「迷惑だなんて、そんなことないよ。私、長いこと一人暮らしで・・・寂しかったから、久しぶりに話し相手ができて嬉しいの」
柔らかく微笑む。彼女の優しさがにじみ出ているような、そんな笑顔。
「・・・そう、ですか」
(あ・・・まただ、あの感じ)
の言葉になのか、表情になのか、或いはその両方になのか。
何かを感じる。それが何なのか、依然として掴みようがないけれど。
「そんなわけだから、貸してね」
「あ、はい」
本人が気付かないうちに僅かに茫然としてたこともあってか、宗次郎はあっさりとその場を譲った。
袖をたすきで捲し上げて、洗濯をするの後ろ姿をじっと眺める。
腰くらいにまで伸びだ、長く綺麗な黒髪。
自分はかつて遠い昔に、こんな髪を見たことがある。それがいつのことだったか、どこでのことだったか、そしてそれは誰だったかなんて、懐かし過ぎてもう、忘れてしまったんだと思う。
(どうしてこんなこと考えてるんだろう。らしくないな)
感傷に浸る心なんて、どこにも無い筈なのに。何かを感じる心も、同様に。
それでも何かを感じながら、との日々は続いた。他愛もない話をしながら、日常生活を共にするだけ。
それだけのことでも、そんな普通のことでも、彼にとって、それは。きっと、失くした心のどこかで願っていた、安息で。
「・・・くん、宗次郎くん?」
「・・・はい?」
名前を呼ばれて我に返る。また自分は、らしくもなくぼうっとしていたらしい。
気付いた途端、指先に畳の感触を感じる。
「どうしたの、ぼーっとしちゃって。あ、もしかして、また刀見てたの?」
宗次郎の視線の先にあったものが刀だったからそう判断したのだろう。実際は、確かに目はそちらの方を向いていたけれど、何も目に入っていなかったのだが。
「ええ、まぁ」
生返事をしながら、宗次郎は頭を掻く。
「刀が好きなの? そんな風には見えないけど・・・って、ごめん、失礼だね」
「あはは」
焦って謝る様子も可愛らしい。可愛い? そんな風に、思うなんて。
「刀が好きというか、」
(僕はここに何をしに来たんだ?)
自分がここに来たのは、菊一文字を入手するため。余計な思いに捕らわれている場合じゃない。
(この人から菊一文字の在り処を聞き出して、そして)
焦ってことを急ぐ必要はなかったが、思ったより長く居ついてしまったのは、きっとこの場所を、心地よく感じたから。
だけどそれも終わりが来る。終わらせなければならない。
(・・・そして)
「興味があるんですよ」


コロスタメニ、キタンジャナイカ・・・。


「そう。だったら、いいもの見せてあげる。ちょっと待ってて」
軽やかに身を翻して、は部屋を出て行った。そしてしばらくすると戻ってきた。手に、一振りの刀を持って。
「はい、これ!」
「この刀は・・・」
手渡されたそれは、白い鞘に納まっていた。これは、目的の刀? それとも・・・。
「菊一文字則宗って言うんだって。何でもかなりの名刀らしいの。おじいちゃんが苦労して手に入れて、お父さんが大切にしまってて、決して人には見せるなって」
意外だった。こんなに簡単に、向こうから持ってきてくれるなんて。
「いいんですか? そんな大事な刀、僕なんかに見せちゃって」
「だって宗次郎くん、刀に興味あるみたいだし、だったら見せておきたいなって思って」
他の人には内緒だよ、と小さく笑んで言う。宗次郎も、にこっと笑みを浮かべる。
そして、
さん・・・」
刀の柄に手をかけた。
「ありがとうございます」
そのまま抜刀、の首を切り落とした。
「聞き出す手間が省けました」
血しぶきが飛び散る。宗次郎のその、無邪気な微笑を湛えた顔にも。
の胴体と首がほとんど同時にどさっと崩折れた。宗次郎はひゅんと刀を振るって血を払い、その刀身を見る。
「・・・成程、いい刀ですね」
次に、転がったの生首に視線を落とした。くすくすと笑う。
「あーあ。綺麗だった髪、ぐしゃぐしゃだ」
の長い黒髪は乱れ、血にべったりと塗れている。なのにその顔には、少しも苦痛の色は見られない。むしろ、穏やかで。ただ、目は見開いてはいたけれど。
宗次郎は何を思ったか、その死体の傍にしゃがみ込み、の目を閉じさせてやった。
一瞬で首を切り落としたから、痛みを感じる間もなかったろう。もしかしたら、自分を殺めたのが宗次郎ということさえ、彼女は知らなかったかもしれない。
宗次郎は少しの間、を見下ろしていたが、やがて笑って小さく首を振り、立ち上がった。
さん、これ、ありがたく頂戴いたしますね。菊一文字則宗」







(・・・どうして今更、思い出すかなぁ・・・・)
今、宗次郎の手にあるのは、その菊一文字。
緋村剣心との打ち合いで、天翔龍閃に競り負けて、折られてしまった刀。
あの美しかった刀身は、見る影もない。ただ、その刀は宗次郎を天翔龍閃から守ってくれた。刀身が衝撃を吸収して。
今の今まで忘れていた、いや忘れようとしていたこの刀の前の持ち主。
宗次郎が封じ込めていた心を思い出した時、彼女もまた、心の奥底から姿を見せた。
鮮やかに甦る、彼女の記憶。
「どうして今更、思い出すんだろう・・・・」
今頃思い出したって、もう遅い。だって。
(だって、あの人は、僕が―――・・・)
剣心に生き方を諭された時、志々雄との別れを決意した時に流れた涙、一度止まったそれが、再び宗次郎の目から零れた。音もなく、静かに、静かに落ちていく。



・・・アア、ソウカ。
アノ時モ、本当ハ・・・・
本当ハ・・・殺シタリナンカ・・・・



「〜〜〜っ・・・・・」
刀を取り落として、宗次郎は泣く。声は出さずに、けれど心は、痛く切ない響きをあげて。
かつて自分が殺めた、もう決して取り戻せないものを思い出して、彼はただ、―――泣いた。
思い出の中のだけが、未だに、微笑っていた。





<END>















タイトルは、何かの古文で読んだ、「夢よりもはかなき世の中(儚いものとされる夢よりも儚い男女の仲の意)」という一文から。
ドリームとは言えないですね、これ・・・(汗)。宗次郎視点の上、悲恋だし。
前半の、心のどこかで温かさを求める彼。中盤の、笑いながら人を殺せる無邪気で残酷な彼。最後の、心を思い出して泣く彼。
宗次郎の心の流れをうまく書けたかどうかは?ですが、さんはこの話を読んで、何かを感じてくださったでしょうか? 何か感じるものがあったのなら幸いです。
あ、ちなみに勿論、菊一文字の持ち主が女性ということは虚構ですのであしからず。
それにしてもるろ剣初のドリーム小説がこれかい・・・(汗)。ほのぼのハッピーなのも書くつもりです。そのうち(オイ)
さん、拙い話ですが、読んで下さってありがとうございます!




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