ハジマリノウタ
「高いよー!怖いよー!」
初夏の初め、日除けには最適かもしれないと 雑木林を選らんで旅行く、青い着物を着た一人の青年が居た。程々に過ごしやすい気温の中、今日もいい天気だな〜と呑気に青空を眺めながら旅路を行くと、子供が発するあの独特な耳にキンと響く甲高い叫び声が聞こえた。楽しそうな声ではない。誰かに助けを求めているような、そんな緊迫感を持って響いいた。周り を見渡すと成程、遥か向こうの雑木林の中でも一段と太く高い木の周りに、2人の女の子たちが群がっている。見たところ周りに大人はいない。通りがかった以上、このまま見捨てるのも憚られ、とりあえず様子だけでも見ていこうと思い立った。
「どうかしたんですか?」
宗次郎は女の子たちが群がっている木に縮地は使わない程度に急いで駆け寄りそう言いった。女の子たちは突風と共に現れた宗次郎の存在に気がつくと、驚くよりも先にボロボロと大粒の涙を流し訴えてきた。
「里子が木から降りられなくなって!」
「お兄ちゃん、助けてあげてよ!」
激しい剣幕とともに一斉に言い寄られ、袖を引っ張られ泣き叫ばれる。内心大変な事に首を突っ込んでしまったと思った。子供の力とは存外強いもので、手加減を知らない分力任せに引っ張ってくる。子供の相手に慣れていない宗次郎は、それだけでもうしどろもどろになってしまった。
(やれやれ…なんか大変なことに首を突っ込んじゃったかなぁ?)
「僕、今来たばかりで余り状況が飲み込めてないんです。説明してもらえますか?」
この問いかけに、一人はなにやらこうなってしまった経緯を説明しているようだが、泣きすぎて声が鼻にかかってしまい上手く聞き取れず、更にパニックになった女の子の泣き声が説明にかぶり読解を困難にしている。つまりは何も解らなかったということだ。しかし居合わせてしまったのだから仕方がない。
(まいったなぁ…こうパニックになられると逆に危ない…かな)
「わかったから…とりあえず落ち着いてくれる?里子ちゃんはどこにいるの?」
宗次郎の再度の問いかけで我に返ったようで、説明するべき要点を漸く理解した女の子たちは、袖でゴシゴシ涙を拭くと、一斉に木の遥か上を、体をいっぱい伸ばして指差す。
「ほらっ!お兄ちゃんあそこ!あそこの枝だよ!」
「里子ちゃんがあそこまで登れば絶対景色が綺麗だからって!」
女の子が指し示す通り木を見上げると、遥か上の方で、木にしがみ付き泣いている女の子が確かに居た。梯子を使っても届かないであろう高さまで女の子が登っ たというのは賞賛に値するが、しかし今回は余りに高すぎて褒められたものじゃなかった。そして、不幸にも大人の体重ではとてもではないが支えられないであろう細い枝に腰掛けている。宗次郎以外の人間が通りかかっていたら、どう助ければいいか大工や火消し、軽業師などが寄り集まって対策を考えなければならなかっただろう。
「えーと、状況はなんとなくわかりました…」
居合わせた女の子達の説明から察するに、どうやら綺麗な景 色見たさに木登りに夢中になるあまり、自分では降りられない高さまで知らずに登っていた…というのが事の発端のようだ。降りられる高さに居た女の子たちは なんとか自力で降りたが、里子という名の女の子だけは、恐怖のあまり自力で降りられなくなってしまったのだ。
「お兄ちゃん!早く!早く助けて!里子ちゃん、怖がってる!」
遥か上空を見上げ考えごとをしている宗次郎がよほど呑気に見えたのだろう。幼い手でグーを作り、ぽかすか宗次郎の腹を叩いて早くしろと抗議している。その目には大粒の涙が流れ出ていて、泣きながら怒るという、宗次郎にとっては器用に映る感情を露わにしている。もう一人は宗次郎の腹にしがみ付きただ泣き叫んでいる。
「うん…助けてあげるから、危ないからちょっと僕から離れて貰えないかな?」
宗次郎はそう言いつつ二人の女の 子の頭を撫でてやった。もちろん、これが子供を落ち着かせる方法だと知っていて行ったわけではない。ただなんとなく、そうせねばならないような気がしたか ら行っただけだ。その言葉と笑顔に安心したのか、女の子たちは素直に宗次郎のそばから離れてくれた。
「本当?お兄ちゃん、木登り得意なの?本当に助けられる?」
「すごく高くて怖いよー?大丈夫?」
女の子たちは決して宗次郎を小馬鹿にしたつもりはないし、当然木に登って助けてくれるものだと思っての発言だったに違いない。しかし宗次郎は、屈んだかと 思ったら一足飛びで太く丈夫な枝に飛び移ったと思った瞬間、猿かなにかと見間違うくらい華麗に枝間を飛び移り、一瞬にして遥か上空の枝に到達。そして到達した際の枝の反動を利用して里子が腰掛けている枝を一回転し、里子を小脇に抱きかかえ、再度太い枝を飛び移り、それを繰り返して地面に華麗に着地して見せたのだ。もしここに審査員が居たら、全員文句なしの10点を出す華麗さであった。
「はい、怖かったですね。もう大丈夫ですよ」
女の子一同ぽかーんとするばかりで、宗次郎の声など届いていないようだ。助けられた当人でさえ、今何が起こったのか把握できていない様子で、今起こった事を必死に思い出そうとしている。そのくらい、一瞬の出来事だった。
「はい、もう大丈夫ですよ?」
宗次郎にとっては、あの高さはさほど問題ではなかった。問題は下る際、里子と自分の体重を支えられる枝を選んで飛び移る事にあった。だから何度も頭の中で シュミレーションして上手くいくであろう方法をとっただけだ。それは宗次郎にとっては当たり前の行動だった。だからどうしてぽかーんとしているのか、理由が分からない宗次郎は再度同じ事を言って、里子を地上に降ろしてやって女の子たちの時が動き始めるのを待つしかなかった。
「………すっ〜ごーい!!お猿みたいだった!」
「お猿さんみたいに、木の上を飛んで行った!」
「ありがとう!お猿のお兄ちゃん!!」
そう言い、女の子たちの表情がぱっと華やいだ。そして女の子三人から一斉に抱きつかれ、女の子たちの予想以上の力と勢いに驚いて、体勢を崩しそうになるのを必死に整えた。“お猿のお兄ちゃん”って…なぜか全然褒められている気が全くしなかったけれど、女の子一同から歓喜の声を上げられ、黄色い歓声を受けてあまつさえ抱擁されている…と考えればある意味嬉しい場面なのかもしれない。お猿呼ばわりされて、実際あんまり嬉しくないのだけれど。
「え…お猿?お猿のお兄ちゃん、ですか。木の上を飛んでいったから?上手い事いうなぁ。アハハハハ!」
(えーとでも?まぁ確かに、僕は高いところは嫌いじゃないですし、木はわざわざ登らなくても飛んで移動出来ます。いままでそんな風に考えた事はなかったけれど、それを傍から見れば確かに猿に見えなくもないかもしれない。それになにより、あの高度な移動方法を“お猿”表現できてしまう発想が面白いですし…。 そう考えると取り合えず笑っておこうかな?悪気があって言っているわけじゃないでしょうし。)という宗次郎の複雑な葛藤があったことを説明しておこう。
泣く子も黙る(いや、殺す?)あの天剣の宗次郎をお猿呼ばわりしたことがどんなに恐ろしい事かという事も、実は猿扱いされた事を喜んでいないということに も考えの及ばない女の子たちは、その言葉を額縁通りに受け取って、満足そうに無邪気な笑顔を浮かべている。自分らしからず、他人の、しかも子供の発言一つで色々考えさせられたが、なんだかもう、こんな嬉しそうな無邪気な笑顔を向けられたら、モヤモヤした感情などどこかに消えてしまったというのが本音だった。
「ありがとうお猿のお兄ちゃん!お礼にお花で髪飾り作ってあげるね!」
「じゃあ私はお礼におままごと遊びしてあげる!お猿のお兄ちゃんは旦那様の役ね!」
「じゃあじゃあ私は、お猿のお兄ちゃんの妹役やるー!」
女の子たちは言うなり、宗次郎に旦那役を押し付け、なにやら妻が夫に言うような台詞を言い始めたり、花を摘みはじめたり、さっきまでのパニック状態はまるで無かったかのように各自おのおの勝手に遊び始めてしまった。女の子はみんなそうなのかな?と、女の子の気変わりの早さとタフさに宗次郎は唖然とさせられてしまった。
「え〜とでは僕、これから予定があるので…」
得意の笑顔を振りまいて、適当な理由をつけてこの場を去ろうという作戦だ。
「私たちはお猿のお兄ちゃんにお礼がしたいの!お礼しないと気がすまないの!」
「おままごとするくらいいいでしょー?」
「一緒に遊ぼうよ!お猿のお兄ちゃん!」
“一緒に遊ぼう”そういえば、子供の頃友達と遊んだ記憶が無い。全然ないわけではないだろうけれど、記憶に無い。だから、おままごとしようと言われても、 なにをどうすればいいのか分からない。けれど、なんだか胸の真ん中が暖かくなるのを感じた。……これが、嬉しいという感情なのだろうか。
「それにお母さんが言ってた!大人に何かしてもらったら、必ずお礼を言いなさいって!」
「それに、言葉だけじゃだめだって。ちゃんと心から言いなさいって言ってた!」
「大人はそういうとき何か贈るんだって。だから髪飾りあげるの!」
流石子供。宗次郎の意見など聞く耳を持っていないのか、3人掛かりで宗次郎の着物の袖や帯やらを引っ張って、帰す気など全く無いと主張している。それらを 無理やりひっぺ返すことはやろうと思えば出来るが、子供相手に大人気ないので自粛している。宗次郎はほとほと困り果てて、女の子たちが引っ張るほうへ大人しく引っ張られている。
それに、僕は“友達と遊んだ”記憶がない。物心付く前から働き蟻の如く使われていたし、時間までに指定の仕事が 出来なければ怒られる。それを特別異常だとも思わなかった。仕方のないことだと諦めていた。生きるためには仕方のない事だと、子供心に悟ってすらいたのか もしれない。
しかしこの女の子たちを見る限り、それはとても悲しいことのような気がした。友達の危険に涙し、助けてあげてと泣いてあげられる、そんな情緒豊かな暖かい友情を育んでいる女の子たちが、とても尊く、眩しく感じられた。そんな女の子たちが、僕に向かって“一緒に遊ぼう”と言っ てくれている。とても強引なお礼の仕方ではあったが、女の子たちのお礼をむげに断るのもなんだか悪い気がした。急ぐ旅でもないのだし、女の子のおままごと 遊びに付き合うくらい良いだろう。
「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えてお礼頂いちゃおうかな。」
お礼は、心からの言葉で述べるもの―先ほど女の子たちが教えてくれたままに、宗次郎は満面の笑みを返した。
※※※
それから日が落ちるまで、宗次郎は女の子たちの遊びに付き合わされる羽目になった。おままごとに始まり、鬼ごっこ、かくれんぼ、毬つきと、体力には絶対の 自信があった宗次郎が肩で息をするほど、女の子たちの体力は無尽蔵で、更に予測不能な方向に元気いっぱいに走って行ってしまうので、その度に怪我をさせないよう気を払わねばならなかった。しかし、体力が尽きるのも早い。眠いとぐずりだしてあやしていたら、いつのまにか深い深い眠りに落ちてしまった。今は宗次郎の膝を枕代わりにして気持ち良さそうな寝息を立てている。今ではすっかり日も落ち、月が当たりを照らし始めている。
「まさか…子供相手ってこんなに疲れるなんてなぁ…」
流石の宗次郎も心身ともにぐったりだ。女の子たちを無事家まで送り届けるのが、大人としての使命だということは話しに聞いて知っている。しかし、今はまだそんな気になれない。怪我をさせてはならないと気を遣ったので、若干頭が重く感じられて、動くのも億劫なのだ。まぁしばらく寝かせておけば、心配した親御さんが探しにくるだろうと、楽観視した考えもなくもない。女の子たちの帰りが遅くなった事情はその時説明すればいいのだ。
疲れで重い頭には、男の宗次郎に似つかわしくない花飾りが乗っている。宗次郎は何度も降ろそうとしたがその度に「降ろしちゃだめー!」と怒られたのだ。女の子が寝ている隙に降ろして、初めてじっくり見ることが出来た。
幼い手で器用に編まれたシロツメクサの花飾りは、宗次郎の目から見ても可愛らしく、女の子たちのありがとうの気持ちが沢山織り込まれている。それが自分の頭に飾られているという事がなんとも嬉しく気恥ずかしい。宗次郎にとってはそれらが、何にも変えられない最高の贈り物となった。
「けど…知らない遊びばかりで楽しかったし…こんな可愛い贈り物も貰えたし。まぁいいか。」
明日からはまた新たな旅が始まる。この女の子たちと会うことはもう二度とないかもしれないし、どこかの街に偶然居合わせたとしても、こんな子供の頃に偶然知り合った男の事など覚えていないかもしれない。シロツメクサの髪飾りも数日と経たず枯れてしまうだろう。それはとても寂しく、悲しいことだ。
しかし、女の子達から貰った “一緒に遊ぼう”という言葉はいつまでも宗次郎の心に残り続ける。そのように連綿と続いていく日々の中、時に誰かから優しい言葉を貰い、胸の奥から生まれ 続ける言葉たちを抱えて旅を続けていくのだろう。そしていつしか僕だけの言葉になって、誰かに『ありがとう』という言葉とともに返せたら良いと想う。
「僕がこんな事考えるようになるなんてなぁ…」
そう言葉に出してハッとした。昔はただ自分を傷つける刃だった言葉たちが、今はこんなに優しく胸に残るようになっている。あぁ、そうか。旅にでてから、色んなものを見聞きして、いろんなものに出会って、刺激を受けて、視野が広がって、空気にも味があり、世界は今日であった女の子たちのように暖かい人も居る ということを知って、白と黒と赤しかなかった僕の風景が、いつのまにか鮮やかな色彩に色付きはじめたんだ。
あぁ、そうか、『やり直す』って、実はとても簡単なことなのかもしれない。こうやって、過去に遣り残した事を、したくても出来なかったことを、今やればいい。今更とか、こんな歳 でとか、こんな罪人が何を言ってとか、そんな小難しい理論などこの際置いておけば良い。そんな事より、もっと大事なものがある。大切なものがある。それを 今、精一杯感じればいい。そんな簡単な事だったのだ。女の子たちには“一緒に遊ぼう”という、誰かに言って欲しかった言葉をくれただけでなく、色々な事を教わってしまった。
そんな風に、少しずつ変わってきているという実感がある自分が不思議と誇らしい。そんな今の僕があるのは、あの時、緋村さんから貰った言葉があったからに他ならない。この感情を、感想を、今緋村さんに伝えに行きたいという衝動に駆られる。しかし、それはまだ気恥ずかしい。
だからせめて、この今の気持ちを忘れずに、『やり直し』の旅を続けていこうと心に誓うのだった。
了
相互リンクしている『蒼緋楼』葵さんとの小説交換企画で頂いた、宗次郎のお話です。
宗次郎と子ども達のやり取りにほのぼのしますし、宗次郎が前向きなのもとても素敵ですよね!
葵さん、本当にどうもありがとうございました!!
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