それは彼なりの愛情表現
訪れるのがまだ二回目の赤羽の部屋は落ち着かない。
多国籍な物だらけでまるで統一感のないリビングは別の意味で落ち着かないが、交際を初めた後の赤羽と彼の部屋で二人きりという状況は、やはり変に意識してしまう。今までの僕らは、会うといえば学校でだった。学校外で会ったこともまだ数える程しかない。場所も空間も状況も違うのだから、流石の僕でも多少は緊張してしまうのは致し方ない。馴染みのない場所というのは大抵そういうものだ。早く馴染んでしまえばいい、そんな風に思いはするけれど。
前回は何となく決まりが悪くて勉強に誘ったら「なんで人の部屋まで来て勉強なわけ?」と赤羽に文句を言われたが、彼は何だかんだでそれに付き合ってくれた。赤羽は口や態度は悪いが案外、優しい。そんなところにまた惹かれた、などと言ったら、きっと照れ隠しに拳が飛んでくるだろう。まさか赤羽とこんなことになるなんて、この一年が始まったばかりの頃の僕は思いもしなかった。
実は今でも実感が無いと思う時もある。こうして二人きりで過ごすこともあって、既にキスは交わしているのに、だ。それはこの僕が同性である彼に惹かれたこと、しかも気に食わない競争相手としか見ていなかった彼に惹かれたこと、それを彼が受け入れてくれたこと、彼も僕と同じような気持ちであったということ、恐らくはそういった様々な要因が関係している。すべてがうまくいったのは、まさに夢のようだと言っても過言ではなかった程に。
こうして彼の部屋に招かれていることも、どこか現実味が無いのが不思議だった。赤羽からは「今日は勉強は無しね!」と既に釘を刺されている。お互いの近況や最近のニュースについての話をしていると、会話の流れの中で赤羽にこんなことを訊かれた。
「浅野クンはさぁ、誕生日いつ?」
「1月1日だが」
唐突な問いに簡潔に答えると、ローテーブルを挟んで僕の斜め前に座った赤羽は、一拍おいてくしゃりと笑った。
「浅野クンらし〜。何、やっぱ理事長センセーその日狙ってヤったんかな」
「低俗な邪推をするな」
自身の出生に対し実に低俗な邪推をされたことに僕は憤慨したが、しかしそれをそのまま口にした後で思い直す。
「…だが、あの人ならやり兼ねないな。帝王切開で生まれたとも聞いているし」
母体の都合もあるだろうから、僕の誕生日がその日である理由が本当にそうであるかは定かではない。或いはやはり父の意向なのか、母に聞けば教えてくれるかもしれないけれど、何となくそれを明らかにしたいという気にはなれなかった。「徹底してんね〜」と笑う赤羽は、既にそうだと決めつけているようだが。
「そう言う君は」
「ん?」
「だから、誕生日だ」
「俺はねー、12月25日」
同じ問いを返すと赤羽の生年月日があっさりと判明した。クリスマス。誰だってすぐにそれを連想する。特に何もない日ではなく、イベントのある日が誕生日であるのは、彼らしいといえば彼らしいのだが。
「…クリスマス生まれなのに名前は“カルマ”なのか」
「親の変なセンスが丸分かりっしょ?」
僕の指摘に赤羽はけらけらと笑う。
カルマ。業。元々は仏教の概念の筈だ。その名前自体変わっているが(変わっているという点では僕も同様だが)、クリスマス生まれとなるとこれまたアンバランスだ。かといってその日生まれた救世主に因むのもなかなかに大仰だろうが、そこで敢えて業と名付ける辺り、彼曰くの彼の両親の変なセンスとやらがありありと分かる。玄関やリビングの無秩序な様、中学生の息子だけ残してまめに海外旅行に行っている、という辺りで既に破天荒な両親であることは分かってはいたが。
「浅野クン家ってさ、クリスマスとかやったことないでしょ」
楽しそうな声をした赤羽へと意識を戻す。赤羽の言ったことは彼の勝手な思い込みかもしれなかったが、事実だった。
「そうだな。クリスチャンじゃないしね」
「サンタクロースとかも信じてないよね、絶対」
「デンマークに協会があって公認のサンタクロースがいることは知っているよ。でも、子ども向け絵本に描かれているような存在としてのサンタクロースは、いると思ったことはないな」
どこまでも合理的主義者であるあの父が、いわゆる“夢のある”話を実践するわけはない。
キリスト教徒でなければクリスマスなんて365日のうちのただ1日に過ぎないし、そもそもは聖人の生誕祭に関係のない多くの人間がはしゃいでいる日本の様が異常なのだ。本来は厳かに主の降誕を祝う日であるのに。
良い子にプレゼントを持ってくるサンタクロースも、クリスマスケーキもリースやツリーも、玩具業界、菓子業界、そういった商業関係の様々な利権が入り組んで元々の由来からかけ離れて今の形に定着しただけだ。
そんな話を一般人にしたら、恐らく僕はつまらない奴、と一蹴されるのだろう。そのくらいの社交術は理解しているから口にはしないが。
赤羽には遠慮はいらないと思っているので憚らず言っても良かったが、やはり面白味が無いと思われるのか、浅野クンらしいと納得されるのか。
赤羽はどちらでもなく、相変わらずの緩やかな笑みで僕に同意した。
「俺も、そう」
正直、幾らかは意外だった。とにかく楽しいことが好きな彼は、仕立てられた楽しさでも多少は乗るのでは、と思っていたからだ。自身の誕生日なら尚更だろうに。
僕のそんな心境に構わず、赤羽は続けた。
「ほら、俺、クリスマスが誕生日だからさ、ふつーに親からハイってプレゼント渡されるわけ。毎年そう。サンタを信じる信じない以前にそれが俺にとっては当たり前だったから、サンタなんているって思ったことない。無邪気にサンタを信じるなんて気持ちとは無縁な子ども時代だったね〜。でも、ま、たとえおもちゃ業界の陰謀でも、小さい子にとっちゃいーんじゃない? 楽しいし」
その辺りの割り切り方と、楽しさは楽しさで認めている辺り、赤羽らしい。ベクトルは違えど、世間一般のクリスマスを楽しんでいない、という点は、僕達に共通しているのかもしれなかった。
それでも僕に比べれば、赤羽は“普通”をたくさん知っているに違いないが。
赤羽は悪戯っぽい瞳で、また僕の普通らしからぬところを暴きにくる。
「浅野クンはさ、理事長センセーから誕生日プレゼントとか貰ったことあんの?」
「さっきから質問ばかりだな」
「だって俺達付き合い始めたばっかだよ? 知らないこといっぱいじゃん、お互いに」
「…まぁね」
それこそ誕生日も。血液型も。家族構成、好きな食べ物、趣味、嗜好。パーソナルデータは何も知らないまま、それでも惹かれ合った。知っていることの方が少ないかもしれない。赤羽は素行不良だけれど成績は優秀で、好戦的で負けず嫌いで、笑った顔は小憎らしいが魅力的で。
向こうだって僕のことを深く知っているわけじゃない。だから、知ろうとしている。知らないことを知ろうとするのは悪いことじゃない。知らぬが仏という言葉もあるようにその内容にもよるが、何せ僕達は始まったばかりなのだ。
こんな初々しいことを自分達がしている、ということにもまた驚く。それも赤羽と。何度も言うようだが、赤羽とこんな関係になったのは想定外過ぎて想定もしていなかった出来事なのだ。
「んじゃー、さっきの質問の答えは。プレゼントすら無いとかもあり得そうだけど」
赤羽の中では父はとてつもなく冷酷な人物像なのだろうな。無理からぬ話だ。僕だって父の人間味のある部分はほとんど見たことがない。ごく最近になってやっと、見えてきたくらいだ。
「貰ったことはあるよ。そのほとんどは教材だったけどね」
「……理事長センセーらしー」
僕の答えに赤羽は得心するような顔になる。今までに貰った物を幾つか例として挙げると、今度はうへぇ、といった顔になった。
知恵の輪やルービックキューブから始まって、地球儀や望遠鏡に顕微鏡。ある程度の年齢になってからは参考書や問題集、辞典など。そういった物が父からの誕生日プレゼントだった。
渡される時の言葉はいつも同じ、「これで勉強してもっと賢くなりなさい」。
同世代の者が遊び用具やスポーツ用品などを貰って無邪気に喜んでいることを思えば、僕のそれはどこまでも勉学に特化していた。
「先程の君の話じゃないが、僕にとってはそれが当たり前だ。だからそのことをどうこうと思ったことはない」
きっぱりと言い切る。僕にとっての誕生日プレゼントはそうした物だ。それで自身の能力を高められるなら、むしろ大歓迎の贈り物だった。たとえ“普通”ではなかったとしても。
僕の話にじっと耳を傾けていた赤羽は、徐に口を開いた。
「……浅野クン」
「何だ」
「今度の浅野クンの誕生日、ふつーの物あげる」
「は?」
「手袋でも、マフラーでもマグカップでも、とにかく何かふつーの物チョイスしたげる」
「何を言って、」
「んで、二人で初詣でも行って、どっかのお店でケーキ買ってさ、一緒にお祝いしよ」
赤羽は笑っている。ニコニコ、というよりニヤニヤという擬態語が相応しい笑い方で。
今まで縁の無かった普通、を交際相手に。それは感動すべきシチュエーションなのかもしれなかったが、何せその発言をしたのは赤羽であるので素直には受け取れないし、僕も生憎とそんな殊勝な性格ではなかった。
「……君がそういうしおらしいことを言うのは気味が悪いな」
「あ、やっぱ分かる?」
今度は赤羽はくすくすと笑っている。僕に本心は読ませない、そんな印象を受けた。
「絶対に何か企んでるだろう」
「さぁね。ケーキに変なもの仕込んじゃうかもね」
何がそんなに楽しいのか赤羽は笑いっぱなしだ。本当に良く笑う奴。悪戯好きの彼のこと、本当にケーキに何か仕込まれ兼ねない。
彼の本意も図り兼ねたが、彼なりにきっと、間も無く訪れる僕の誕生日を祝おうとしてくれているのだろう。母は祝福してくれるが父はドライだった今までの誕生日。赤羽はどんな風に僕を祝ってくれるのか、そうしたことへの期待や興味は確かにあった。嬉しかった、かもしれない。少なくともそれを言い出してくれたことは。
けれどその前に。
「……じゃあ僕の方も、君の誕生日は盛大に祝わせて貰おうかな」
「え」
「夜景が見えるレストランでディナーを食べて、その後は駅前のイルミネーションでも見に行こうか。何なら夜は高級ホテルに泊まってもいいし」
「中学生のデートプランじゃないよそれ……」
などと言いつつ、僕の提案に赤羽は赤くなっている。赤羽が妙に照れ屋であるということも、付き合い始めるまでは知らなかった。「ってか、付き合って間もないのにホテルってのはどうなのこのむっつりスケベ」と睨みながら照れている顔は可愛いだなどとうっかり思ってしまうが(自分で言い出しておいて何だが流石にいきなりそこまで進展させるつもりはない。今のところ。だからその蔑称は心外だ)、赤羽にそれを言うと多分怒って喧嘩になるので黙っておく。
互いの誕生日が来る前に交際を開始した、そのタイミングの良さに感謝すべきかもしれない。そんな風にも思ってしまう。
赤羽に誕生日プレゼントとはまた別に枕元にプレゼントを置いたら、どんな反応をするだろうか。驚くだろうか、呆れるだろうか、それとも喜んでくれるだろうか。それは無いか。
しかし彼が僕に普通を贈ってくれるなら、僕も彼に普通のクリスマスを贈るのも悪くない。
その時の彼の態度を想像すると自然と笑みが浮かんできて「そっちこそ何か企んでるだろ胡散臭い」と赤羽から言われた。あぁ企んでいるが? そう返すと、赤羽はまた何とも言えない表情になった。まだ頬に赤みは差していて、それだけでも僕はひとまず満足だった。
クリスマスの日が楽しみだ。そんな風に思うのも初めてのことだった。
ちなみに、僕の誕生日ケーキはクリームたっぷりで甘い筈なのにスパイシーな味がして、赤羽からの初めての誕生日プレゼントは、シンプルなデザインのマグカップに何故かチューブわさびとからしが刺さったものだった、ということを追記しておく。
END
なんか浅野君もカルマも普通とはずれた誕生日してそう、という勝手なイメージ。浅野君はプレゼント、実用的なもんばっかり貰ってると思う。
二人が何となくだべってるだけ、みたいな話結構好きだったりする。
2015,4,18
初稿:2015,4,5
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