呼称の時間
赤羽は男子のことは大抵名字で呼ぶ。
例外は彼と三年間クラスが一緒の潮田くらいだが、僕に対しクン付けをするのは恐らくはわざとなんだろう。余裕ぶって、自分の優位を見せる為に敢えて浅野クン、と。
赤羽とそういう関係になってからも、男にしては甘ったるい声でそうと呼ばれるのは、実はそんなに悪くなかった。今となっては親しみのようなものが籠っているようにも思える。
だから悪くない。悪くはない……のだが。
「そろそろ、呼び方を変えてもいいんじゃないか」
僕の部屋で二人で過ごしていた時、ふとした瞬間にそう切り出すと赤羽は目をぱちくりさせた。
ベッドにうつ伏せで寝そべったまま、赤羽は顔だけ上げてカーペットに座る僕を見る。
「何が」
「だから、互いの呼び方だ」
「別にいいじゃん、浅野クンで」
赤羽のことだからそう言うと思った。彼の顔には『なんで今そんなこと言い出すの』と書いてある。
その理由を素直に話せば彼のことだ、十中八九からかってくるに違いない。しかしもう恋人同士なんだからとでも言えば赤羽が照れて怒って話にならないのも、目に見えている。
仕方なしに僕は理由を口にする。
「それだと……その、父と同じだから」
「あっはっはっは、ほんっとにファザコンだね」
「うるさい中二病」
案の定な反応に僕は溜め息を吐いた。恥を忍んで言うんじゃなかった。
無論、父が僕を呼ぶ時のそれと赤羽が僕を呼ぶ時のそれは、同じ固有名詞でも響きがまったく違う。だから赤羽が浅野クン、と呼んでくるのは嫌いじゃなかった。それでも“あさのくん”の五文字は同じなわけで、その呼ばれ方に父を連想してしまうのも事実だった。クラスメートから浅野君、と呼ばれても特に何とも思わないのに。それはきっと口にするのが赤羽だからだ。
「ど〜しよっかな〜、浅野クンがどーしてもって言うなら、考えてあげなくもないけど」
大きな弱味を握った、とばかりに赤羽はニヤニヤしている。口ではそう言いながらも、改善する余地がまったく無いことは明らかだった。
「……もういい。君なんかに提案した僕が浅はかだったよ」
僕は早々に白旗を揚げる。いつまでもからかわれるのでは堪らない。
人をおちょくるのが何よりも好きな彼に話したところでこうなることは分かりきっていたのに、何故僕はそれを口にしてしまったのか。自分の短慮を後悔する。
理由が理由なら尚更、赤羽は受け入れる筈はなかった。あぁ分かっていたさそんなことは。それでも僕が言わずにはいられなかったのは、やはり彼からは他の誰かと違った風に呼ばれたい、そんな願望が確かに僕にあったからだろう。
「君はいいのか、いつまでも赤羽で」
「ん? 別にい〜よ」
投げかけると事も無げに返ってくる。赤羽にはそうした願望はないらしい。彼の性格的に納得の答えではあるのだが、素っ気なさ過ぎて些か物足りなかった。意識していないのにまた溜め息が出る。
「…そうだな、君はそういうことに拘りはなさそうだな」
「そんなことないよ。ほら、俺みんなから大体カルマって呼ばれてるから、浅野クンから赤羽って呼ばれるの、やじゃないよ。何か特別な感じするじゃん?」
あまりにもあっさり言ってのけたので何かの聞き間違いかと思った。
しかし赤羽は確かに言っていた。特別な感じがする、と。そんな風に思ってくれていたのか。その呼び名を。僕のことも?
「……随分とさらっと言うな」
「や、だって……真剣に言う方が照れるじゃんそーいうの」
僅かに頬を赤くした赤羽は小さく言い訳をしてベッドに突っ伏した。長身で細身ではあるがれっきとした男の図体をしているのに、そんな様子が可愛らしいなと思ってしまうあたり僕も大概だが、しかし赤羽の本心を垣間見て心が軽くなったのは本当だった。僕もベッドに腰かけて、俯いた赤い頭を撫でながら言ってやる。
「そうか。じゃあ君が僕に対する呼び方を変えないのは、恥ずかしさの裏返しということでいいのかな?」
「〜〜〜っ、何でそーなるんだよ。もう絶対に呼び方変えてやんない」
がばりと頭を起こして、すぐにそっぽを向く。この分じゃ赤羽はきっと僕のことをいつまでも浅野クン、と呼ぶのだろう。
それでもまぁいいか、と思えてすらいた。少なからずそこに、彼の特別な感情が入っているのなら。
僕の唇は自然と笑みを乗せて、手は引き続き彼の髪に触れていた。
「―――というわけなので、あなたの方が呼び方変えて下さい父さん」
「うん浅野君、聞きたいことと言いたいことが山程あるからとりあえずそこに座りなさい」
END
個人的に呼び方萌えなのです。「赤羽」「浅野クン」…この距離感! この距離感! ねっ!!(誰に同意を求めているんだ)
(カルマがクン付けなのは作中でも書いたけど絶対わざとだと思う)
そんなわけで磯カルの「カルマ」「磯貝」もいいよね!!っていう。いかにも優等生な磯貝が名前呼び捨てなのがたまらんです。
オチは付けない予定だったんだけど、思いついたので付けちゃった。
2015,4,18
初稿:2015,4,5
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