最近、息子に悪い虫がついているらしい。




ああ見えてあの子も思春期だから、異性に興味がないわけではないだろう。しかし私のその考え方は、所詮は大人の固定観念であったことを後に知る。
節度を守った交際をし、勉学を疎かにしないのならば、まぁ多少は構わない。だが、ストイックなあの子のこと、一度タガが外れてしまえばずぶずぶと泥沼に嵌ってしまうであろうことは、容易に想像がついた。
それではいけない。実に合理的ではない。
あの子は支配者の血脈として、常に支配する側に立つべきなのだ。恋情に振り回され、逆に支配されるなどあってはならない。
(まずは相手がどんな人物であるかを早急に知る必要があるな……)
どうやらあの子は私や妻の留守を狙って家に引き入れ、その後はきちんと掃除をして痕跡を消しているらしかった。成程、私に知られたら厄介事になるという考えはあるようだ。しかしどんなに気を付けたところで、完全に証拠を消すことは難しい。
あの子が全国模試の為に塾に出向いている隙に、私は彼の部屋に足を踏み入れた。あの子の部屋に入ったのはいつ以来なのか、もう定かではない。
机や本棚、それにベッド、必要最低限の物しか存在しない部屋。本棚の中は参考書や辞典、古典文学で埋まっている。学の無い子が好むような低俗な恋愛小説など一冊も所持していない癖に、あの子はいつどこでそうした感情を覚えたのだろう。
私は膝をついて部屋に敷き詰められたカーペットをまじまじと見た。あの子は念入りに掃除機をかけているようだが、深い場所に入り組んだものは案外、取れない。
「………見つけた」
注意深く繊維の間を眺めていたら、目的のものを発見した。思わず笑みが浮かぶ。人差し指と親指の爪でしっかりと挟み、引き抜く。
それは透き通るような、真っ赤な毛髪だった。









アブラハム・コンプレックス










「……で、理事長センセー、お話って?」
数日後、その髪の毛の持ち主が私の目の前にいた。
あの子と同じ椚ヶ丘の生徒だったので、理事長としての権限を使って呼び出した。無論、あの子や他の生徒、それにE組にいる超生物には気付かれない方法で、だ。
今、職員達はここから離れた職員室で会議中、あの子も生徒会室でその仕事をしている筈だ。邪魔は入らない。
「わざわざすまなかったね」
私はソファーに座ったまま話かける。相手にも座るよう促したが、気だるそうに立っているばかりで一向に動く気配はなかった。突然私に呼び出されたことを警戒しているのだろうか。無理もない。何せE組の生徒だ。
「かけなさい。赤羽業君」
にこりと笑ってもう一度促すと、彼は渋々、といった風に向かいのソファーに腰を下ろした。背中を丸めて膝を開いた、だらしない姿勢だ。この部屋を訪れる者はほぼ例外なく姿勢を正すものなのだが、大した度胸だ。
そういえばあの時も肝が据わっていた。初夏の球技大会。周りのほとんどすべてが敵、という素晴らしいアウェーの中で、堂々と私に物言いをつけた。
赤羽業。あの子に次ぐ学力の持ち主でありながら、暴力沙汰を起こしE組に落ちたと聞いている。E組でも変わらずトップクラスの実力を誇っているようだが、だからといって何故あの子はこの少年と関係を持つに至ったのだろう。
見目は良いが態度は悪く、恐らくは型に嵌るのを嫌うタイプで、まるであの子とは正反対だ。むしろ、だから惹かれたのか。自分にないものを持つ彼に。
「……単刀直入に言わせて貰うが、」
口火を切ると、ゆるりとしながらも意思の強そうな瞳がこちらを向いた。
「息子と、別れてくれないか」
これが“息子”ではなく“娘”なら、実に陳腐な台詞だったろう。
息子を誑かす娼婦に別れを迫る父親、というオペラ『椿姫』の一場面を思い出した。
赤羽君は表情を変えないように努めたようだったが、小さく拳を握り締めるのが分かった。
「近頃、浅野君の様子が何やら妙でね。私には気取られないようにしていたみたいだが、これでも父親だからね、その違和感の正体にはじきに気付いたよ。あの子は恋をしている、とね。まさか相手が同性で、しかもE組の君だとは思わなかったが」
「……何のこと?」
私の説明に、赤羽君は短い返事をする。のんびりした声だが、眼差しは僅かに鋭い。
そう簡単には認めないだろう、というのは予測していたので、私はスーツの内ポケットから端末を取り出した。無言でそのスイッチを入れる。
『んっ…、浅野ク……あぁッ……』
『……っ、赤羽……』
すぐさまスイッチを切ったので流れたのはその部分だけだったが、聡い赤羽君は即座に理解したのだろう、これ以上にないという程に頬を紅潮させていた。実に初々しい反応に、つい笑みが零れてしまった。
「………実の息子だからって、盗聴なんて、プライバシーの侵害じゃね?」
必死に強気に振る舞っているようだが、その赤い顔では説得力がないよ、赤羽君。
「同性愛についてどうこう言うつもりはないよ。そういった性嗜好の人間がいることは理解している……まぁ、それがこんなに間近にいて、しかも実の息子がそうだとは、考えたこともなかったがね」
毛髪一本では証拠が弱いと思い、家中のあちこちに盗聴器を仕掛けた。無論、あの子の部屋にも。
出張だと言ってしばらく家を空けたらすぐに引っかかった。録音機能つきの盗聴器が記録した二人の情事の音声は甘く、確かに合意の上での行為だと如実に私に教えてくれた。
「……だったら……それで、何で別れろって」
赤羽君は不満げな顔でこちらを見ている。
同性愛に理解を示した私が別れを迫るのを、単に不思議に思っているような呟きだった。
「君達はまだ子どもだ。こういったことをするのは早いよ」
それこそ小さい子を窘めるように言うと、通常の顔色に戻りつつあった赤羽君の頬に朱色が差した。背伸びした行為をしている、という自覚はあるらしい。
「学生の本分は勉学だ。浅野君は中学校を統率する生徒会長、そして君は特別強化クラスのE組だ。恋愛にうつつを抜かしている暇は無いのではないかな?」
正論を述べると赤羽君は黙り込んだ。少し悔しげに唇を噛みながら、しかし反論の言葉を探している、そんな風に見えた。
私は彼の反論が組み上がるのを待った。壁掛け時計の秒針の音だけが、やけに大きく響く。
ややあって、不意に赤羽君が笑みを取り戻した。
「理事長センセー。確かにあんたの言ってることは正しいと思うよ。でも、俺達は付き合ってるからって勉強をサボってるわけじゃない。盗聴してたなら分かると思うけど、一緒に勉強したりとか、お互いに問題出し合ったりとかもしてるんだよ。こないだのテストだってワンツーフィニッシュだった。これでも、勉強に手を抜いてるって?」
赤羽君の言うことは事実だった。盗聴器は高度な問題に取り組む二人の声も拾っていた。勉学を忘れているわけではない。
赤羽君は盗聴されたことを逆手に取って、私の正論を真っ向から叩き潰しに来た。……面白い。
そういえば喧嘩する勢いで討論をする二人の声も記録されていたな。むしろ二人には甘い会話よりも、そうしたぶつかり合いの方が多いようだった。いつも敵無しだったあの子にとっては、赤羽君は生まれて初めてのライバルといったところだったのだろう。もしかしたら赤羽君にとっても。
そんな存在への憧憬はどこか恋と似ていて、思春期特有の落ち着かない心がそうだと認めてしまったのは、無理も無い話だったかもしれない。
「成程。確かに君達は勉学を疎かにはしていないようだ」
私の一言に、赤羽君はごくごく微かに肩の力を抜いた。別れを避ける為に必死に弁解をする。これまた面白いじゃないか。この学校で1・2を争う程の能力の持ち主でも、私の前ではまだまだ子どもだ。
しばし考え、私は膝の上で手を組んだ。
「赤羽君。君は歴史には詳しいかな?」
「え?」
「ずっと昔の日本にはね、嫁を取ると婿よりも先にその父親が嫁と契りを交わす……そうした風習があった地域も存在したそうだよ」
言いながら私は立ち上がり、赤羽君と同じソファーへと移動する。すぐ隣に腰かけると驚いたようだが、赤羽君はあくまでも動揺は見せずにソファーに座ったままじりじりと私から距離を取る。
その細い手首を掴んで動きを止めた。色素の薄い瞳を見つめると、私に気圧されたのか息を詰めていた。
「この現代においても、アジアやアフリカのごく一部の地域には似たような風習が残っている。嫁は婿だけのものではなく、その家の男全員で共有するものだとね」
「……!」
青少年は知らないであろう歴史の暗部を告げると、赤羽君の目付きが鋭くなった。
私は左手で赤羽君の耳の上辺りの髪を掬い上げる。指通りのいい綺麗な赤毛だ。
「賢い君なら、私の言っている意味が分かるだろう?」
言うまでもなく察してはいることだろう。赤羽君の体は強張っていた。賢い人間はこれだから好きだ。理解が早い。
「っ、なんで、別れてくれからそういう話になるわけ? あんた、どーかしてるよ! ってか、ここ日本だし。大体そんなの今時……」
困惑の混じる否定の言葉は上擦っていた。顔はまだ笑っていて、私の言う言葉の意味を理解しながらも、完全に本気にしてはいないのだろうということが見て取れた。
すかさず逃げ道を塞ぐ。
「断れば、先程聞かせた音声を今度の全校集会で流すまでだ」
赤羽君の顔色が今度こそ変わった。
「あんた、どこまで…! そんなことしたら、あいつだってただじゃ済まないのは分かってんでしょ? 実の息子じゃんか」
「構わないさ。親に養われている分際で分不相応なことをするとこういうことになる、という、他の生徒達への牽制にもなる」
「なんで、そんな……息子がちょっと羽目外してんのが気に入らないって? なんでそんなにあいつを支配したがるんだよ? あいつが……今までどれだけ」
私に捕われながら懸命に食ってかかってくる赤羽君は、初めて見るような剣幕だった。彼とは今の今までほとんどまともな面識はなかったが、球技大会の時のような余裕のある態度は既に消えていた。それだけ、赤羽君なりにあの子に対し思うところがあるということか。
勝手に口の端が吊り上がる。左手を頬に移動させ、赤羽君の顔を真っ直ぐにこちらに向けさせた。
「君と問答する気は無いんだ。……さぁ、どうする?」
私がじっと見ていても、赤羽君は視線を逸らさなかった。逸らせなかった、のではない、自分の意志で逸らさなかったようだった。私の威圧感にまるで物怖じもしない。なかなかの負けず嫌いだな。そういったところは、あの子に似ている。
「……やっぱり、おかしいってこんなの」
はっきりと赤羽君は言った。こうした状況でも冷静さを失わないのは大したものだ。
「もちろん、そーした風習にどーの、ってのはあるよ。でもそうじゃなくてさ、親だからって子どものこと全部支配しようとするのがおかしい、って言ってんの」
悪戯心のようなものが宿る瞳で、赤羽君は真っ直ぐに私を睨みつける。この学校の生徒である以上、最高権力者である私には何人たりとも逆らえはしないことは分かっているだろうに、それでも、だ。E組で暗殺などというものに手を染めているからそうした度胸が身に付くのか、それとも彼が元々持っているものか。
「浅野クンはさ。色々あったけど、あんたからちゃんと親離れしよーとしてる。俺から見ればまだまだファザコンだけど。でもさ、だからあんたも、そろそろ子離れしなよ。浅野クンのこと、もーちょい、信じてやってよ」
まさかこんな子どもに親子関係を説かれるとは思わなかった。私は素直に驚く。
親離れできない子、子離れができない親、か。支配という形で結び付いた、私達の世間一般とは違った親子関係は、そんな簡単に言い表すこともできたのか。目から鱗、とはまさにこういった時に使うのだろう。
それだけ、赤羽君はあの子について理解している。私の知らないところでいつの間にか……あの子は理解者を得ていたのか。
胸の中によく分からないものが込み上げる。この感情を何と呼ぶのかは知らない。ただ、不快でありながら、どこか安堵に近いものがあった。あの子に対しても、赤羽君に対しても、その感情は浮かんでいるのだろう。
「そうか……君は、いや君達は、子どもなりに真剣なんだね」
私は彼の頬にかけていた手を下ろした。この胸の情は理解し得なかったが、赤羽君が幼いなりに真摯な思いがあることは理解できた。
私は彼から離れ、また元の向かいのソファーに戻る。赤羽君は何事もなかったように自分の頭を撫でていた。とびきり賢い癖に飄々としていて掴み所がない。緩い笑みばかりの整った顔は時には様々に変化して、そのすべてを簡単には把握できそうにない彼にあの子がのめり込んでしまったのも、納得だという気がしていた。
「試すような真似をしてすまなかったね」
またにっこりと笑ってみせる。大人びた赤羽君が見せた可愛らしい面は案外魅力的で、その気がまったく無かったといえば嘘になるが、この場合はこう言っておいた方が平和的に落着するだろう。
案の定、赤羽君は体の強張りをやや解いたようだ。
「君が息子を堕落させるだけの存在なら本当に別れて貰ったが、どうやらそうではないようだ。お互いに能力を高めて行けるなら何よりじゃないか」
恋仲でありながらライバルでもあり、共に切磋琢磨しながら競っていく、私の教育の目指すところとはやや異なるが、それはそれで一つの理想形だ。
そうしたものをあの子が得ることができたのなら、二人の交際を認めるのも吝かではない。単純にあの子と付き合う人間として、能力値的には彼ならば合格点だ。派手な外見や人を舐めた態度は頂けないが、それを差し引いても及第点は与えられる。
実のところ、強力な支配者であるこの私に堂々と半旗を翻した意志の強さは単純に気に入った。彼なら、この先もあの子と対等に渡り合っていけるに違いない。それぞれが頂点を目指して。
「今日のことは浅野君には内密にね。それから、また我が家に遊びにおいで。あぁ、盗聴器は全部外すし、音声データも消すから安心しなさい」
その言葉に嘘は無い。にこやかに告げると「ホントに?」と返ってきた。こうした顔はまったくもってあどけないのだがね。
実に不思議なものだ。







※  ※  ※







良く晴れた日曜日。
私が用事を終えて帰宅すると、玄関に見慣れぬ靴があった。今日も赤羽君は家に来ているらしい。早速二人で部屋に籠っているようなので、挨拶に向かう。
きちんとノックをしてから、私は浅野君の部屋に入った。
「やぁ、お邪魔するよ。いらっしゃい、赤羽君」
「……こんにちは〜」
「本当に邪魔ですよ父さん。僕達は今、二人で勉強をしているところなんですから邪魔しないで貰えますか」
途端に睨んでくる浅野君の文句を無視して、私はカーペットに腰を下ろしている二人の手元を覗き込む。二人の前のローテーブルに広がっているのはノートや参考書に問題集。成程、確かに今は真面目に勉強に取り組んでいたらしい。
ノートに記されているのは、数学の高度な問題の答え。正解は正解だが、私から見れば甘い。
「証明問題だね。答えは合っているが……途中はこう示した方がスマートだよ」
テーブルに転がっていた赤鉛筆でさらさらと訂正を入れると、赤羽君が納得したように頷いた。
「ホントだ。この方がすっきりしてるね。流石は理事長」
赤羽君は純粋に感心して何の気なしにそう口にしたんだろうが、浅野君は面白くなかったんだろうね。顔がぴきっと引き攣っていた。この程度で心を乱すなんて、まったく未熟者だな。
「勉強が一段落したらリビングにおいで。美味しいケーキがあるんだ」
「……ケーキ?」
「赤羽、そんなものに釣られるな。こいつのことだ、何か裏があるに決まっている」
「ははは、父親に向かってこいつはないんじゃないかな浅野君」
「たまの逢瀬を邪魔しにくる無粋な輩には、こいつでも生温いくらいですよ」
「言ってくれるね。不出来な息子と有り難くも交際してくれる恋人への私の気遣いを、無下にするつもりかな?」
「あなたなんぞに気遣われなくても順調なのでご心配なく」
「…あのさぁ、そろそろやめた方がいいよあんたら、浅野クンの私物にどんどんヒビ入ってってるけど」





教育の為以外の言葉を浅野君と交わすのも悪くなかった。
それを思えば、私は型破りな息子の恋人に感謝すべきなのだろうな。そうした思いすら芽生えている自分に、私自身が何よりも驚きだった。
恋は思案の外。そんな格言をふと思い出した。人の恋を端から見ているだけでもそうであるらしい。
非合理的だ。実に恋とは厄介だ。
しかしそれでも、ここは敢えて歓迎しよう。浅野君と、彼を思う赤羽君の為に。







END



















元々は学カルからの略奪浅カル…というまたアレな話で、初期案ではバッドエンド一本だったけど書いているうちに平和なエンドも見えてきてしまったので、せっかくなのでハッピーエンドの方も書いてみた。
だから色々と掘り下げが甘い…。

ただ、理事長に反対されることが多い学カルとしては奇をてらった的な親公認な話になったので結果オーライだったかなと。
理事長に邪魔されて面白くない浅野君も書けたしw
ちなみにタイトルのアブラハム・コンプレックスというのは、息子の精神的自立に対する父親の苦痛…みたいな感じの言葉です。

理事長は浅野君以上に頭が切れオトナの雰囲気に満ち満ちているので書くのが難しかった…とりあえず合理的言わせとけ、みたいな。


バッドエンドの方はピクシブにのみ掲載中です。

2015,4,18


初稿:2015,3,31





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