―第一章:旅の始まり―





スクラップ。
がらくた、の名を冠するリージョンは、その名にふさわしく様々なものがごちゃまぜになったような街だった。
リージョン界各地から、不要になった物資が次々と送り込まれ、人々はそれを作り変えたり、或いはまだ使えそうな部品だけを取り出したりして再び売り出すことで生計を立てている。そうしてがらくたの中から発展を遂げていった街だ。
お世辞にも都会とは言えない、半スラムと化しているような街並み。それでもそこで暮らす人々の質は決して悪くは無い。
むしろ、様々なものが集う街だから、様々な人間も集まってくる。
特に、街の中心部に位置する酒場は一日の疲れを癒す者が多く集う。それは、スクラップの人間に限らず、他のリージョンから来た者も、また。
は、その中の一人になっていた。






故郷のワカツは滅び家族も皆亡くし、帰る場所は無くなってしまった。
かといって行く宛ても無く、は幾つものリージョンをただ転々と放浪していた。
もしかしたら、惨劇の前にワカツから他のリージョンに脱出していた者がいるかもしれない、という一縷の望みにかけて、それだけを目的に各地を渡り歩いてきた。
けれど、どこに行ってもワカツ出身の者は誰もいなかった。噂すら聞かなかった。
どのリージョンでも喧騒の合間から聞こえてくるのは「ワカツがトリニティに滅ぼされた」「ワカツはトリニティに反逆の意を示したからその制裁だ」―――そういった、世間では一般的な、けれどにしてみれば全くのでたらめの、広く浸透した認識だけ。
耳にするたびに怒りを覚え、絶望を感じ、けれどそれにももう、疲れてしまった。広いリージョン界を巡っても誰一人同胞を見つけられなかったことに、はたった一つの心の支えも失いかけていた。そして、だからこそ―――
は今、ここスクラップの酒場で沈んでいる。
(ワカツの人間は・・・・本当に私しか、生き残ってないのか・・・・)
テーブルに突っ伏し、淀んだ瞳でそんなことをぼんやりと思う。
視界に入ってくるのは、豪快に酒に酔う者達ばかりだ。酒場の隅に背景に溶け込むようにしているには、きっと気付いていなかっただろう。そうでなくても、今のからは“一人で放っておいて欲しい“そんな雰囲気が漂っていた。
酒場のお抱えバンドはステージの上で陽気な音楽を演奏し続けているが、の耳には入らずに流れ去ってしまっている。
このまま何も考えずに酒に溺れてしまえばいい、そんな自暴自棄な思いも過ぎるが、そこまでは自分自身を捨てられなかった。
だからこそ、余計苦しい。
(トリニティ・・・・絶対に許さない。けど、一体どうすればいいの?)
暗く火を灯すトリニティへの怒り。できることなら、すぐにでも攻め込みたい。
けれどたった一人で反乱を起こしたところで反逆罪で処刑されて終わりだ。
リージョン界を統べる組織、トリニティに逆らう者はこうなると、体のいい見せしめになるであろうことも、悔しいが予測できた。
それではワカツで散っていった者達の無念は晴らせない。仇討ちすらできない自分が悔しかった。
先へ進めず、後戻りもできず、この先何をすればいいのか分からない・・・そんな袋小路のただ中にはいた。抜け出す気力すら、同胞が見つからなかったことで萎えてしまっている。
そんな自分を情けないと思う自分も確かにいる、けれどどうすることもできない。だからいっそ、もう何も考えたくなくて―――
そんな時だ。調子っ外れな弦楽器の音が聴こえてきたのは。
ステージ上の演奏とは、まったく違った響きだった。
弦の柔らかな音色がのすぐそばから聞こえてくる。バンドの演奏とは全く噛み合っていないのに、どうしてだか不快には思えなかった。お世辞にも巧いとは言えなかったので、まぁ、演奏の質はともかく。
はゆっくりとうなだれていた頭を上げた。後頭部の高い位置で結わえた長い黒髪がさらりと揺れて肩を滑り落ちた。ひゅう、と何故か口笛が聞こえる。
「あんた、髪綺麗だね」
明るく快活そうながらもどこか気だるそうな声色には振り向いた。見れば、いつの間にかの後ろに一人の男が壁に寄りかかるようにして立っていた。
その男はライトに照らされて青にも見える紺色の髪を二つに分けて結び、くたびれた繋ぎの上着とズボンを身に纏った、一見不思議な格好をしていた。
手にはリュートと呼ばれる弦楽器を携え、無造作にかき鳴らしてみせる。どこか人懐こいようなその男の風貌は、吟遊詩人というよりも、風来坊といった方がしっくりきていた。
僅かに目を見開いたに、男は逆に目をにっこりと細めて話しかけてきた。
「俺さ、リュートってんだ。あんたは?」
遠慮のない物言いだが、彼から滲み出る気さくさがさして感情を逆撫でしないでいた。
やや躊躇いながらもは己の名前を小さく口にした。
「へぇ、ってんだ。いい名前だな」
そう言ってリュートは、どうやら彼と同姓同名らしい楽器を上機嫌で弾き始めた。何かの曲、というわけでなく自由気ままに鳴らしているだけのようだが、どこか優しいメロディだった。
「あんたさ、スクラップの人間じゃないね。だって格好が全然違うもんな。それ、どこの装束だい?」
「・・・・これは・・・・・」
にこやかに話しかけてくるリュートに、は自分の服装を見下ろして口籠った。
が身に纏っているのは、ワカツでは着物と呼ばれた物だった。民族衣装、という程のものではないが、少なくてもワカツで生まれ、ワカツで発達したものだ。
剣を学んでいたは、刀を振るう時に邪魔にならないように着物の肩から先の部分を切り落としていてはいたが、それでも十分に着物のカテゴリーに入る。
加えて、故郷を失ってもあの日以来ずっと愛用している刀は腰に帯びていたから、見る人が見れば=ワカツの人間と即座に分かる。
それで今までの旅の中で嫌な思いをしたりもした―――主に道行く心ない人々から「この反逆者め!」と罵倒されたことだ―――が、それでもにはワカツの名残が残るこの着物を脱ぎ捨てる気は無かった。
どうやらリュートの反応を見るにこの着物がワカツ独自の物とは知らないようだったが。もっとも、それ故のこの問いなのだろう。
「俺はさ〜、ヨークランドの出なんだよね。知ってる? ヨークランド」
答えを聞く前に、リュートはにそう問いかけていた。
多少面喰いつつも、はその問いには素直に応じる。
「知ってる。でも、行ったことは無い・・・・」
今までは人の出入りの多い都会のリージョンを主に探索していたから、はリュートの故郷であるというヨークランドにはまだ訪れたことが無かった。
確か、緑と水の豊かな牧歌的なリージョンだという噂だ。
「そっかぁ。今度、一度は行ってみるといいよ。いいとこだからさ。マンハッタンとかの連中はみんな田舎だって言うんだけどさ、俺は長閑なあの故郷が好きなんだよね〜」
リュートはしみじみとヨークランドの良さを語る。空気がうまい、水もうまい、それに何より酒がうまい・・・等々。
あまりに楽しそうにヨークランドの長所を上げていくものだから、も自分の故郷ワカツが懐かしくなった。そして、平穏無事なリュートの故郷が羨ましくなった。
だからと言って張り合うわけでは無かったのだが、もつられるようにしてワカツのことを話し出していた。
「私の故郷もいい所・・・・だったよ。優しい人達ばかりだったし、建物は勇壮で風格があったし。湖もあってね、水が綺麗だったんだ・・・・お父さんやお母さんと、よく遊びに行ってた」
今でもありありと思い出せる風景。
それがもう失われているだなんて、信じられなかった。
「食べ物だっておいしかったんだよ・・・・ワカツは、本当にいい所だった・・・なのに」
もう何もかもこの世には無い。この目で見るまでは信じないと思っていたけれど、世界に溢れる情報はどれも『ワカツ滅亡』。
リージョン界的には、もうワカツは存在しないリージョンとなっている。の心には、まだワカツへの慕情があるのに。
「お、おい、どーしたんだよ、・・・・」
故郷を語るうちにいつの間にか涙が頬を伝っていた。リュートがおろおろして顔を覗き込んでくる。
「だけど、もう無いんだよ・・・・ワカツはもう、無いんだ」
半分、自分に言い聞かせるようには呟いた。がワカツの人間である、と悟ったリュートは、神妙そうに頷いた。
「そうか・・・・ワカツ出身か。そりゃ、辛かったな・・・」
「・・・・・・」
は無言のまま鼻をすすった。気遣うようなリュートの一言がどこか嬉しくて、切なくもあった。
「けど、よく無事だったな」
「・・・・あの日、私クーロンにいたんだ。一人で外のリージョンに行ってみたいって我が侭言って・・・・でも、戻ろうとした時にはもう、ワカツは、トリニティに・・・」
リュートの率直な質問に、はゆっくりと答えていた。
誰かに話を聞いて貰う、ということ自体がやはり嬉しかったのかもしれない。こうして一人の人と向き合って話すことすら随分と久しぶりだった。
頼りない風貌なのにどこか安心感を抱くような、そんなリュートの存在が有り難かった、はそんな風に感じていた。
「そっか・・・・」
リュートはまたうんうんと深く頷いた。我が事のように眉根を寄せるリュートにの心は解きほぐされつつあった。
「でも、だけでも助かって良かったな」
けれど、その一言には顔色を変えた。
それはリュートとしては心の底からの思いだっただろう。しかしにとってみれば、それは逆鱗に触れるも同然だった。
たった一人生き残ってしまったことを、悔やんでいるにしてみれば。
だから堰を切ったように、怒りの篭もった言葉がの口から溢れ出した。
「助かって良かった、だって・・・・!? 私はそんなこと思ってない!
私は、みんなと一緒に戦いたかった! たった一人助かるくらいだったら、みんなと一緒に散りたかった・・・・!」
初めて他人に吐き出した、の本音だった。
たった一人で助かるくらいなら。生き残っても何もできないのなら。
だったら、愛する故郷で親しい人達と共に潔く散りたかった。
それはワカツ独自の死生観とも言えるべきものでもあったかもしれないが、は心底、そう思っていた。
面喰ったのはリュートだ。目を丸くしつつも、やがてふうっと息を吐き出して穏やかにに語りかける。
「そんなこと言うもんじゃないって。死んじまったら終わりだぜ。生きてりゃ、きっと何とかなるさ」
どこまでも前向きなリュートの意見だった。あるいはそれも正しかったかもしれない、しかしは容易にそれを受け入れることなどできはしなかった。
「そんな綺麗事・・・・! 生きていたって、どうにもならないことだってあるのよ!」
思わず、声の調子が荒くなる。店中の客が何事かとざわめき出し、リュートはを宥めるようにして肩をそっとぽんぽんと叩く。
は苦しいんだろうな。きっと俺が思ってる以上に。でもよ、自暴自棄になっちゃ駄目だぜ。そしたら本当に、何もできなくなっちまうぜ」
「・・・・・・」
リュートは安易な同情はしなかった。その代わり、彼が思っているであろう正直な気持ちをに向けてきた。
はリュートを見つめ返した。
ついさっき出逢ったばかりの赤の他人に、この青年はどうしてこうも真っ直ぐに向き合えるのだろう。
「俺もさ、親父もういねーんだ。つっても、俺が小さいころに死んじまったから、顔も覚えてないんだけどな」
リュートは弦を一つ爪弾いた。ひどく優しい音がした。
「でもその代わり、母ちゃんが今も元気でいてくれる。口うるさい母ちゃんでさー、『リュート! あんたいい年こいていつまでもふらふらしてないで、働きに行きなさい!』なんつって、家追い出されちまった」
リュートはそう言ってからからと笑う。そうしてまた楽器のリュートを一撫でした。
「でもさ、そう言って貰えるだけ有り難いよな、って、そう思ってさ。今まで迷惑ばっかかけてたからさ、何か一旗あげて親孝行でもしようってヨークランド出てきたけど、なかなかうまくいかねぇや。けど、この身一つありゃ何かできるんじゃないかって気もしてさ」
「・・・・・・」
は黙ってその言葉を聞いている。けれど目は、何かを言いたそうにしていた。
自分語りをしていたリュートは、今度はその矛先を再びへと向けた。
の言う通り綺麗事かも知んねーけどさ、生きてるからこそできることってのも、俺、あると思うんだよね」
「な、何が・・・・」
「そうやって、怒ること」
反発するような声を上げかけたに、リュートはにっこり笑ってそう告げた。
予想外の答えに瞠目しているに、リュートは次の言葉を投げかける。
「死んだ人を想って泣くことも、滅ぼされた故郷を想って悔しがることも。みーんな生きてなくちゃできねーことだ。がそれをしなかったら、だーれもワカツの無念さは伝えられねぇ。違うかい?」
「・・・・・あ・・・・・・」
は小さく声を上げた。目から鱗が落ちるような思いだった。
そんな風に言われたことは無かった。ワカツが滅ぼされたことについて誰も彼も口にするのは、トリニティに歯向かったワカツの愚かさと、いざという時のトリニティの恐ろしさと、或いはワカツに対しての所詮は他人事の哀惜の情だった。
誰も、実際にワカツの出では無い、誰もワカツを知らない。けれどだけが、紛れもなくワカツの出自。
反逆が濡れ衣だということも、ワカツが滅ぼされ真に悔いて哀しむのも、確かにそれはにしかできないことだった。
たった一人の生き残りだからこそ、はそれを、することができる。
いつの間にか、の目からは涙がぼろぼろと溢れ出していた。どうして泣いているのか、自分でもよく分からない。
けれど込み上げてくる悲しさ、悔しさ、怒り、理不尽さ・・・・そういったものがない交ぜになった思いを抑えることはできなかった。
「・・・・私、ワカツがトリニティに滅ぼされたって聞いた時、悔しかったんだ」
「うん」
「何もできなかった自分に対しても、すごく悔しくて、情けなかった・・・・」
「うん・・・・」
「お父さんお母さん、みんながもういないって思った時・・・・悲しくて、ずっと、苦しかった・・・・」
ぽつりぽつりと胸の内を明かすの言葉を、リュートは静かに笑って頷いてずっと聞いてくれていた。
無理に先を促そうとはせず、ただの語りたいままに。
それは、にとってかけがえのない時間になった。















「どう? ちっとはすっきりした?」
「うん。大分、ね」
翌朝、スクラップのシップ発着場には、そんな言葉を交わし合うとリュートの姿があった。
は泣き腫らした目をしていたが、表情は昨日とは比べ物にならないくらい、晴れ晴れとしていた。
今まで心の奥にずっと一人で抱え込んでいたものを吐き出したことで、は不思議と穏やかな気分になっていた。
トリニティに対する怒り、ワカツに対する思いがもちろん消え失せたわけではないけれど。
「これからどうするつもりだい?」
リュートのその言葉に、はうーんと一呼吸置いてから答えた。
「そうだなぁ・・・・とりあえずは強くなりたいな。一人じゃもしかしたら無理かもしれない・・・でも、トリニティの横暴さを許すことはできないし、いつか何らかの形で一矢は報いたい。だから、そのためにはまずは強くなりたい。剣も心も・・・・もう泣きごと吐かなくても済むように」
がそう言ってようやく明るい笑みを見せると、リュートは苦笑するような顔になって。
「ま、生きてりゃ色々あるから、たまには泣きごと吐いたっていいんじゃない? 俺はしばらくスクラップにいるつもりだからさ、たまには遊びに来てくれよ」
「いいけど・・・・仕事探しはどうすんの?」
「ま、何とかなるさ〜」
結局はこのお気楽極楽な性格のリュートである。も苦笑しつつも、けれどだからこそこんな彼に毒気をすっかり抜かれてしまったのかもしれない。
彼と出会えなかったら、腐ったままだったかもしれない。
「それじゃあ、また」
「そんじゃな〜」
は軽やかに手を振って身を翻す。長い黒髪を揺らしながら、颯爽とシップに向けて歩き出した。
リュートは大きく手を振って見送っていた。彼女が一歩踏み出したのを。





第二章へ














最初に出会うのはリュート、というイメージは最初からありました。
落ち込んでいたヒロインが、リュートと出会うことで少し肩の力が抜けて、改めて前向きに旅立つことができた・・・みたいな。
こんな感じの開幕ですが、お付き合い頂けたら幸いです。


2008年11月23日






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