帰る場所





俺の預かり知らぬところで、そのゲームは進行していた。
噂だと、修学旅行中に巻き込まれることが多い、と囁かれていたから、それには用心していたのだけれど。
どうやらそれを警戒してか、政府側も最近は手段を選ばなくなってきたようだ。
飛葉中学校3年1組が選ばれたのは―――3学期末のテスト中だと後に知った。






結論から言うと、優勝したのは椎名翼だった。
テレビ画面に映った彼は、制服のあちこちに血糊のついた姿で、でも汚れてはいたもののその顔は相変わらず綺麗なままで。そこに薄く笑みを浮かべていたのが、俺ですらぞっとしたのを覚えている。
それは優勝して嬉しいというより、こんな殺人ゲームに巻き込まれていたことへの、静かで深い怒りが隠されているように感じたからだ。
運動神経も頭も良くて、さらに要領良く立ち回る彼には、一般のクラスメートは敵わなかったのだろう。彼のクラスには、同じサッカー部の井上や畑もいたわけだが、翼が優勝している以上、彼らは命を落としていることになる。
手を下したのが翼かそれ以外の誰かなのかは知る由もなかったが、とにかく彼はクラスメートと共に大事な仲間を失ったわけだ。
見知った者同士との壮絶な殺し合い―――きっと、俺なんかじゃ想像もつかない凄惨な光景が、そこにはあったのだろう。その渦中にいた彼が、身も心も酷く傷ついていない筈もなく―――正直、ゲームの後に生存したのが彼と知って、安堵も無かったわけではないけれど、そんな境遇を生き延びてきた彼だから、翼の優勝の報を聞いて居ても立ってもいられず会いたくて。
けれど、優勝した者は家に帰れる、と謳われている殺人ゲームにも関わらず、翼は家には帰ってこなかった。
否、厳密に言えば帰ってきたがすぐにいなくなったのだ。
夕方7時のニュースで例の件を聞いて、迷った挙句に翼の携帯に電話をしたのは8時のこと。飛葉中でのゲームは昨日終わったとそのニュースは報じていたから、俺が電話をかけた時刻には翼は家にいる筈だった。でもいつまで経ってもコール音は鳴り続けたままで、翼が出ることは無かった。メールも何通か送ってみたが、返事は無い。
次の日は学校を休んでまでして風祭と翼宅へ押しかけてみたけれど―――そこには家や家具以外見事に、何もなかった。
近所の人の話によるとゲームが終了して翼が戻ってくるや否や、一家総出でまるで逃げるように引っ越したらしい。西園寺監督も、一緒にいなくなっていた。
風祭と二人で呆気にとられながら、それならば電話は、とかけてみるも、「この番号は現在使われておりません」という無機質な音声が響くだけ。どうやら携帯も解約したようだった。
俺は愕然とした。翼はいなくなってしまった。俺に何も言わず、何も告げず…そして居場所も分からない以上、俺からコンタクトを取るのもほぼ不可能だった。
「…どうして」
いなくなるにしても、何か言って欲しかった。引っ越すにしても置手紙くらい残しておいてほしかった。
俺の気持ちは宙に浮いたまま。翼が生きていてくれて複雑だけど嬉しかったとか、翼のことを思うと苦しいけれど今まで以上に支えになりたいとか。そんな気持ちも、全部。
我ながらひどく女々しいと思う。けれどそうして悶々とする日々を過ごすしかなく、いつしか桜の季節を迎え、俺は3年に進級していた。東京都は人口も多いから、プログラムもほぼ毎年のように開催されているけれど、地域はばらばらだ。今年も北多摩地区が選ばれることは、まずないだろう。…翼達のクラスは、俺達の人柱になったも同然だ。
いつものように、どこか茫漠とした気持ちで授業を受けていたら、突然、放送で俺の名前が呼ばれた。“3年B組の水野竜也くん、至急職員室に来て下さい“
何だろう、と思いつつ、俺は素直にそれに従う。授業を行っていた国語の先生に断りを入れ、俺は職員室に向かった。
中に入ると、夕子先生が出迎えてくれた。授業中だからか、残っている先生の数は少ない。
夕子先生は多くを語らず、俺に職員室の備え付けの電話の受話器を差し出してきた。
「元飛葉中の、椎名くんからよ」
「……!」
俺は息を呑んだ。半ば信じられないような気持ちで受話器を受け取った。手が震えた。声も、多分。
「…翼?」
『…よ。久しぶり』
本当に久しぶりに聞くその声はいつもの彼よりも沈んでいて、でも思ったよりも元気そうで、俺は思わず噛みつくように彼に問いかけていた。
「翼っ…! 本当に翼なんだな!? 今どこに…どこで何やって…!」
『シッ。傍受されてる可能性もあるから、迂闊なことは言えない。まぁきっと政府の奴らも、こんな出身校でもない市内の中学校を押さえちゃいないだろうけどね』
翼の声が鋭さを帯びる。しばし思考を巡らせて、俺は問う。
「傍受…どうしてだ? 優勝者の動向を監視してるってことか?」
『ま、似たようなもん。色々あってね。だから、ここにかけたんだ。
…黙っていなくなって、ごめん』
柔らかく、優しく、それでいて悲哀のこもった一言だった。不覚にもそれだけで涙腺が緩みそうになって、でも職員室にいる手前、涙は堪えた。夕子先生はいつの間にか、席を外してくれていた。翼が何か言ったのかもしれないが、気を遣ってくれたのだろう。
俺は勝手に戦慄く唇で、何とか言葉を吐き出した。
「…心配、したんだぞ」
『お前のことだから、そうだと思った。でも、俺はそんな重傷じゃないから、大丈夫だよ』
「いや、怪我のこともあるけど…」
むしろ、心配なのは彼の心の傷の方だ。言葉にはしなかったけれど、翼は俺の言いたいことが分かったのだろう。電話の向こうから、苦笑したような息の音がした。
『…ん、まぁ大丈夫。俺はそんなにヤワじゃないからね』
それは本気で言っているのか、強がっているのか。いずれにしても、こんな電話なんかじゃなくて、じかに彼に会って話がしたいと思った。もう理屈じゃなく、とにかく会いたかった。
こうして会話をしていて確信した、たとえ手を血で染めていたとしても、俺は彼のことを嫌いになんてなれる筈はないと。受話器の向こう側にいるのは、紛れもなく、俺の良く見知った彼に違いなかったから。殺人ゲームの優勝者としての側面じゃない、椎名翼。その声も、口調も、喋り方も、何もかもがすっかり耳に馴染んだ―――。
「…それで、今は、どこにいるんだ?」
『それは言えないんだ。決まりでね。俺も優勝してから知ったんだけど、あのゲームの優勝者は、ゲーム終了後強制的に転校させられるんだ。そしてプログラムのことは口外しないようにきつく言い渡される。理由はいろいろあるんだろうけど、情報を漏らされたくないんだろうな。どっちにしても、クラスメートを殺した後、そのまま同じ土地に住むなんて、普通の神経じゃできっこない…』
初めて知ることばかりだった。すらすらと言葉を連ねている翼の口調は軽やかだったけれど、どこかで何かを嘲笑うような、そんな響きがあった。
そして一呼吸おいて、改めて口を開く。今度は力強く。
『それに、やりたいことがあるんだ。そのためにはちょっと、いや、かなり頑張らなくちゃいけないから。だから、』
翼は、そこで一旦言葉を区切った。
『サッカーは、お前に頼んだよ』
「…翼…」
内心、嘘だろ、と思った。あんなにサッカーが好きで、少女みたいな姿とは裏腹に熱い情熱をサッカーに傾けていた翼が、まるでサッカーを諦めるような言い方をしたから。
『少し危ない橋だったけど、それをお前に言いたかったんだ』
「翼、」
『ごめん、そろそろ時間切れみたいだ。お別れだよ、竜也』
「翼…」
そんな、急に。勝手に話を纏めないでくれ。
俺が言いたいことの半分も言わないうちに、通話を終わらせようとしないでくれ。
いきなりのことで、そういった思いが言葉にできないままぐるぐると胸の中で渦を巻く。
俺が狼狽している間にも、翼は真剣な響きで言葉を紡いでいく。
『多分、当分はお前に…将や柾輝達にも、会えない。でも、俺はこの世界のどこかで生きてるから。直樹や五助達の分まで生きてかなくちゃいけないから。生き残った俺にしかできないことをするから、だから』
「翼、待ってくれ、俺だって、お前に言いたいことがたくさん…!」
俺は受話器に向かって言い募った。電話の先で困ったように笑う翼の姿が目に浮かぶようだった。
翼はそっと、
『竜也、』
と俺の名前を呼んで、制した。肉親以外で、俺のことを親しげに名前で呼んでくれる、唯一の人だった。
『今まで、ありがとな。大好きだよ。
…バイバイ、竜也』
何だかまるで、遺言のようだと思った。これまで数えるほどしか言わなかった『好き』という言葉を、翼はありったけの思いを込めて、言ってくれたような気がした。
俺には今、言わせてくれなかった。今こそ言いたかったのに。
そうして、無慈悲に通話は途切れて、ツー、ツーという音しか、もう耳に届かない。
ただただ、俺は茫然としていた。
サッカーを託されたことも。
別れを告げられたことも。
頭の中でまだうまく繋がらなくて…でもただ一つはっきりしているのは、前みたいな、翼が当たり前のようにいた日常が、もう戻ってこないということだった。
俺はその場で涙を流すことは何とかこらえて、逃げるように職員室を飛びだした。一目散にサッカー部の部室を目指して、そうしてそこで、思う存分、泣いた。






翼の言ったやりたいこと、というのが、俺には何か分からなかった。
けれど、世界でサッカーをプレーすることを目指していた翼が、その夢を諦めてまで叶えたいことだ。
だったら。
俺のすることは一つしかない。
たとえ同じピッチで、同じフィールドでも一緒にプレーすることがなくても、俺自身はサッカーを続けること。もっとうまく、強くなって、彼が夢見ていた世界という舞台に羽ばたくこと。
それが、俺が彼のためにできることだ。
傷ついて帰ってきた翼に、結局、何もできなかった俺が唯一できること。直々に彼にバトンを渡されたのだ。何としてでも、ゴールまで繋げなくてはいけない。
「…俺、頑張るよ。だから、翼も頑張れよ」
頭の上に晴天の広がる屋上で。
ある日、俺はこっそり空に誓った。その思いだけは、どうか同じ空の下にいるであろう彼まで、届くように、と。











―――そうしてそれから16年後の、サッカーワールドカップ。
風祭やシゲ、藤代、渋沢といった馴染みの面々と共に、俺達は世界を相手に戦っていた。
海外のあちこちで本戦に夢中だった俺達のまた知らないところで、日本国内では革命が起きていた。今まで国会の大多数を占めていた議員達が選挙でこぞって落選し、新しい風とも称される、若手で人権派の議員が多く登用されていた。そうしてそれにより、プログラムを含む悪法の多くは廃案、或いは改正となった。
今回のワールドカップ開催数年前に日本を襲った、未曽有の大惨事である震災の影響も大きい。国力が低下している時に、あたら若い命を散らすのはどうか、という声が日本各地から上がるようになったのだ。それにより革命は後押しされ―――また、俺達のワールドカップにおける快進撃も、それに一役買っているようだった。
あと一戦勝てば優勝、つまり決勝戦の始まる直前、シゲが嬉しそうな顔で話しかけてきた。
「なぁ、知っとるか、タツボン? 日本の新しい首相。若いのに大層やり手らしいで」
「首相?」
「あぁ。総統に代わる新しい日本のトップや。政治のな」
「へぇ。これで日本も、いい方向に変わっていくといいな…」
胸の奥がチクリと痛む。プログラムに優勝し、そのまま自分の前から姿を消した少年。
あれから彼が現れたことは一度も無く、電話がかかってくることも無かった。きっとどこかで生きている…それだけを頼りに、ここまで進んできたのだ。同じ世界のどこかにいる彼に日本サッカー勢の活躍が届くように、自分の技術やメンタル面にも磨きをかけて。
俺自身の背は伸びて、体格も良くなって。きっと彼もその筈なのに、思い出に残る彼はいまでもずっと、あの頃の少し生意気そうな、でも飛びきりの光を放つ少年の姿のまま。
悪戯っぽく笑った顔も、様々な色を帯びる彼の声も、今もずっと、俺の記憶にしっかりと刻まれたままだ。ずっと、更新されることもなく。
「よっしゃ、いくで!」
「ああ」
試合開始のホイッスルが鳴り、ついに決勝戦の火蓋が切って落とされる。相手は宿敵・韓国。あの李潤慶もいる。
負けられないのは向こうも同じだろうが、こっちも、譲れない。
俺のパスをシゲや藤代が繋ぐ。ボールを奪われても、城光や黒川を中心とするDFラインがゴールを阻止する。その背後には今や日本の守護神という異名を持つ渋沢が控えている。
交代を待つ風祭も、懸命に声を張り上げている。
皆、戦っていた。
自分のために。仲間のために。家族のために。日本のために。誰かのために。
そして俺は、翼のためにも。
2−2で迎えた後半戦のロスタイム。李からカットしたボールを、俺はそのまま前線にフィードし、風祭が必死にそれを追う。
渾身のシュートが鮮やかな軌跡を描いて、韓国側のゴールに吸い込まれる。途端に歓声に包まれるスタジアムと、被るように響いたホイッスル。
―――勝った。
俺達はワールドカップで優勝したんだ。俺達、が。
俺達が、本当に?
本当、に。
「…水野くん!!」
風祭が満面の笑顔で飛びこんできた。俺自身もシゲや鳴海に髪の毛をぐしゃぐしゃにかきまわされる。
「やったな!」
「世界一だぜ!!」
日本チームのメンバーは、口々に喜びを露わにし、お互いの健闘を讃え合った。
会場には紙吹雪が舞う。スタンドの歓声はまだやまない。
今や日本チームの監督になった松下コーチが満足そうに頷き、ようやく優勝を実感し始めて―――そして俺は、視線を感じて、振り返った。
ずっと逢いたかった笑顔が、そこにあった。
彼は、俺の思い出の頃よりずっと背が伸びて、でもまだ俺よりは小さくて、顔は相変わらず綺麗に整っていたけれど、きちんと着こなしたスーツが、彼をより男らしく見せていて。
姿形は変わったけれど、でもそこにいたのは、まぎれもなく。
「…翼」
呟きが、勝手に漏れていた。
彼の姿を認めて、皆も目を見開く。彼は皆を一度見回して、けれど最初に、俺に視線を止めてくれた。
それが嬉しくて、昔の、あの頃の淡くも深い思いに再び火が灯る気がした。






「約束、果たしてくれたんだな。ありがと、竜也」






あの頃と同じ、けれどずっと軽やかに笑って、翼はそう言ったのだった。
言いたいことは山程あった。訊きたいことも山程あった。
でも、俺の口から自然と零れ落ちた言葉は―――














「…お帰り」













<END>








当初の案→「飛葉中でプログラムに巻き込まれ、優勝した翼が水野に電話で別れを告げる。数年後、変わり始めた日本と、ワールドカップに出る日本チーム。優勝後、水野と翼が再会して終わり」。 もっとさらっと書こうと思ったんだが、どうしてこうなった。


初稿:2011.10.16



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