職場にて、後輩の女子のグループが雑誌を眺め合ってきゃあきゃあ騒いでいる。
「ねぇねぇ先輩、これ見て下さい、格好いいですよね?」
仲良しの後輩が呼ぶものだから、私はそちらに行って他の子と同様、その雑誌を覗き込んだ。ごくありふれてるファッション誌。紙面には大きく目立つ色で「今時のイケてる男子!」と銘打たれている。テレビで最近よく見かける若手俳優だとか、モデルだとかが載っていたのだけれど、左のページにはサッカーのユニフォーム姿の青年が何人か、写っていた。
「あたし、やっぱシゲちゃんだな」
「私は水野くん派〜」
「藤代君もいいよね、私タイプだな〜」
口々に自分の好みを言い合う。どうやら高校生Jリーガーもピックアップされているようだった。
そして私の目は、そのうちの一人に釘付けになる。
2、3年ほど前、ちょっとばかり縁があったのだ。






屍の上を歩け




私は元々、東京の離島の出身だった。
ある日突然、島で検査を行うため、島から一時的に立ち退くよう、政府からのお達しがあった。何故そんなに急に、と反発する声も上がったけれど、誰だって命は惜しい、大々的に逆らう大人はいなかった。とりあえず政府の人達が言うまま、貴重品や身の回りのもの、少しの服を持って島を出たわけだが―――本土の仮設住宅で滞在している間、島の検査というのは大嘘で、実は政府はあの島をプログラム開催地にするために住人に退去を要求したという噂が、まことしやかに語られた。
そんな馬鹿な―――だってあそこには先祖代々から守ってきた土地が―――嫌ぁ、あの街で殺し合いをするの―――俺、色んなもんおいて来ちまった―――私達、無事に帰れるの―――帰れたとしても、中学生達が殺し合いをした場所だぜ―――。
そんな、悲痛にまみれた多くの声が囁かれていた。戦闘実験プログラムに巻き込まれた不運の子ども達を心配する声もあったけれど、私達島民にとっては自分達の故郷がそんな惨劇の舞台となったこと、そして自分達の行く末の方がずっと気になっていた。
―――検査は終了しました。島にお戻り頂いても結構ですし、このまま仮設住宅で暮らしていかれても構いません。ただ、仮設住宅にいられるのは三カ月です。保証金は渡しますから、なるべくお早めに他に移って下さいね―――島を追い出されてから四日後、政府の役人がそんなことを慇懃無礼に言ってきた。その頃にはもう、私達はやはり故郷でプログラムが行われたことを知っていた。昨夜のニュースでやっていたからだ、東京のどこぞの中学のクラスでのプログラムの開催地が、あの島であると。
真偽を確かめるまでも無かったけれど、島民の多くは一度島へ戻った。もう戻りたくもないと本土に残る者も少なからずいたけれど、島や自分の家の様子を確かめたい気持ちが強い者がほとんどだったのだ。
島そのものは、出立の頃と大きく変わってはいなかった。しかし島のあちこちを見て回るうちに、ここが戦場になったということを、否が応でも思い知る。爆破されたように、島唯一の神社が半壊していた。塀に血痕が色濃く残る家があった。馴染みの商店の壁には銃弾の跡がいくつもあって、ガラスが無残に割れていた。
ただ、ぞっとした。
私自身は中学三年の時にプログラムを免れてこうして生きているというのに、それでもプログラムに“当たってしまった”子達を気の毒だと思うより何より―――自分が幼い頃から過ごしてきた、親しんできた土地や場所で殺し合いが行われたというその事実が―――そして今立っているこの場所でさえもしかしたら死体が転がっていたのかもしれないと、そんなことを考えてしまって、ひたすらぞっとした。
無理だ。こんな場所でもう暮らしていけない。理性でなく、感情でただ嫌だった。
新天地を探すのは大変だろうし何で私達の島を開催地に選んだんだと政府への憤りの思いもあったけれど、とにかく私は家族達に島を出ることを強く説いた。家族も、私と同様のものを感じ取っていたのかもしれない、少し渋る様子はあったが、結局その意見に賛同してくれた。
島民の中には、それでも島に留まることを選んだ人もいた。勇気あるなぁ、と素直に思ってしまった。
そうして私達一家は、必要なものを取りに一度自宅へと戻ったのだ。自宅は壊れていることもなく、一見何も起こっていないようだ。しかし、庭で、中で、見知らぬ誰かが死んでいたかもしれないのだ―――。
けれどそんな不安にも関わらず、家の中も整然としたままで、何も変化が無いように思えた。少なくとも表面上は。
誰も家の中には入っていないのだろうかと、ちょっと安心しながら私は自分の部屋に戻った。やはり見慣れた自室のままで、私は安堵の溜め息を吐かずにはいられなかった。念のため、クローゼットなどの中も見てみる。異常なし。
それで今後の生活に必要そうな着替えや何やらを私は段ボールの中に纏めることにした。この島は都会暮らしに疲れた人達向けの観光地としてそれなりに人気があり、私もそんな業種の小さな会社に就職していたのに、それもパァだ。本土の系列会社にうまく再就職できるだろうか。自宅が以前と変わらぬ様子だったことで、私には今後の生活について悩むそんな余裕も出てきていた。
そのまま、机の中の物も整理しようとして一番上の引き出しを開け、
……私はあの手紙を見つけたのだった。





『勝手に部屋に侵入した挙句、勝手に紙とかも借りちゃってごめん』





そんな文面で始まっていた。
手紙、とはいっても、数枚のルーズリーフに綴られた無骨なものだ。
「何…これ」
私は恐る恐るそれを手に取った。勿論、私にはこんなものを書いた覚えはない。
綺麗だけど、少し乱れた印象を受ける字だ。謝られてはいるけれど、私は眉間に皺が寄るのを、どうしても自覚してしまった。
だってこの文面が意味するのは、私が留守の間、誰かがここに入ったってことじゃない…!それも、プログラムの開催中に、だ。どうしても、生理的な嫌悪感が消えない。





『外部と連絡を取る方法が他にどうしても思いつかなくて、こんな泥棒みたいな真似して本当に悪いと思ってる。
もし、俺が優勝できたらこの手紙は回収するつもりでいる。
手紙が残っていたら…勝手なこといって悪いけど、頼みを一つだけ、聞いて欲しいんだ』





そう続いていた。俺、の一人称からするに、手紙を書いたのは男の子だろう。
そして手紙がここにあるということは、その子は優勝できなかった、つまり死んでしまったということだ。






『俺がこれから書く手紙を、ある奴に送って欲しい。
そいつさ、俺が死んだら俺の親以上に立ち直れなさそーな気がするからさ、だから手紙だけでも書いてやろうかなって』






口語体の文章のせいで、何だかその男の子に話しかけられているみたいだった。こんな手段を取るくらい大胆だけど、案外世話焼きなのかもしれない、そんな印象を受けた。
これを書いた子の、顔も何も分からないけれど。
次のルーズリーフから新しく綴られた手紙は、こんな風に書いてあった。プライベートを除き見ているような気分になったけれど、それも承知の上で、この子は書き残したのだろう。






『竜也へ


この手紙がお前に届いてるってことは、俺はもう死んでる。
まさか、俺のクラスがマジで選ばれちゃうとはね。それなりに対策は練ってきたつもりだけど、実際どーなるか分からない。ま、ぎりぎりまであがいてみるよ。
それでももしもの時の為にこの手紙を残しとく。一種の賭けだけど、何もしないよりはましだからね。


俺が死んだら、お前めちゃくちゃ泣いて落ち込むんだろーな。容易に想像がつくよ。
でもな、お前そこで終わるなよ。
絶対に立ち直れよ。落ち込んだままでいたら絶対に許さないからな。サッカーやめたりしたら、末代まで祟るからな。
もう直にハッパかけてやれないのが残念だよ。でも本当に、俺がいなくても何とか頑張れよ。あんまり将に心配かけんじゃねーぞ。


俺の親とか玲は多分、俺が中3ってことでどっか覚悟してるとこあるから大丈夫だと思うけど、お前が一番心配だったからわざわざ書き残してやったんだぞ、有り難く思え。
本当に、立ち直らずにいたら承知しないからな!』





親友宛て…だろうか。
死に悲しむであろうその竜也って子に宛てたにしては、随分と容赦のない内容だ。心配しつつも落ち込むことを許さない高圧さに、私は思わず笑ってしまった。
よっぽど、気がかりだったんだろう、こんな風に一か八かで書き残すほど。この机の主が手紙を捨ててしまう可能性だって考えたんだろうに、それでも書かずには…いや、言わずにはいられなかったんだろう。文面からすると、これを書いた子はかなり気が強そうだ。
手紙はそれで終わりではなく、紙をまたいでまだ続きがあった。
P.S.と文頭にあった。筆圧が強くなっていた。






『P.S.

こんなくだらないゲームに巻き込まれたのが本当に悔しい。
もうサッカーできないかもしれないのが悔しい。
サッカーで世界を目指せなくなるかもしれないのが悔しい!


お前と、もっとサッカーしたかったよ。一緒にワールドカップ行きたかった。
凄く凄く悔しいけど……でも、お前に会えて、良かったよ。
何だかんだで、すっごく楽しかった。
いつまでも落ち込んでんじゃねーぞ、本当に!





勝手に死んで、ごめんな。

椎名 翼』






……遺書、だった。
紛れもなく。
クラスメートとの殺し合いという極限状況の中で、この翼っていう少年は生き残ろうとして、生き残れないかもしれないことも覚悟して、この手紙を書き綴ったんだ。
前半、文面がからっとしていただけに、追伸部分が切なくて私は胸が痛くなってしまった。初めから己が死んでいることが前提で書いてあったのに、私は今更、これが遺書であることをひたすら痛感してしまったのだ。
あぁ、この子は…いや、この子だけじゃない、望まぬ殺し合いを強要された少年少女達はきっと、皆こんな風に悔しくて、悲しくて、無念で、辛い、…そんな思いを抱きながら戦って、そして死んでいったに違いなかった。
それを、ぞっとすると、気味が悪いと私は忌避していたのだった。そんな、必死に生きていた確かな命達に対して。
申し訳なく思った。だからと言って、島を出ていくことは変えられないけれど、できることをしようと思った。
とりあえずは、この椎名翼という少年の遺言を叶えてあげよう。
最後の一枚には、手紙の受取人になっている竜也君のフルネームと住所と、この紙の持ち主―――要は私への、丁寧な礼の言葉が綴られていた。
私は手紙一式と、別の場所に仕舞ってあった便箋や封筒といった物も段ボール箱に一緒に詰めた。それから両親や島の人達と本土に移って間もなく、私はその手紙をポストに投函した。受取人の少年の為にも、なるべく早く出した方がいいと思ったからだ。
翼少年が綴ったものはそのままに、私は新しい便せんにどうして私がこの手紙を出すということになったのかという経緯を簡単に綴り、共に封筒に入れた。封筒のリターンアドレスは一応、私になっている。向こうからしてみれば、見知らぬ女の名で手紙が来たら不審に思うだろう、だから成り行きをと、そうした配慮からだった。
手紙を出し、一週間過ぎ、二週間が過ぎたころ、返事があった。
今度の差出人は水野竜也、となっていた。翼の残した手紙を送ってくれてありがとうと、そんな感謝の気持ちが長々と綴られていた。本当は直に会ってお礼を言いたいところだけど、失礼にあたるかもしれないから自重しておきます、そんな一文もあった。それはこちらとしても遠慮したいところだった。実際に会ってしまったら多分、何となく気まずいだろうし、お互いに複雑な気分になりそうだった。でも、とりあえず私は手紙が無事に届いたことと、その手紙を書いた少年があんなにも気にかけていた友人がどうにか立ち直れるきっかけを掴んだであろうことに、安堵していた。
そしてその二人の少年のことは頭の片隅にしっかりとは置いたまま、月日は流れた。仮設住宅でない住居も決まり、私は都心から大分離れてはいるもののそれでも都内の、以前の職種とは違う会社に再就職し、今はごく普通の会社員として働いている。それで思わぬところで、その竜也少年を見ることとなったのだった。
“横浜マリノスに入団、期待の高校生リーガー水野竜也“
そんな説明文に飾られているのは、顔立ちの整った、茶色い髪の青年だった。少し垂れ目ではあるが、芸能人顔負けに格好いい。金髪で明るい表情をした青年と、黒髪で人懐こそうな顔をした青年の写真も並ぶ。どうやら、こちらは後輩達が騒いでいたシゲちゃん、や、藤代君、らしい。
「へぇ、これが例の竜也君、か」
翼少年が心底心配していた、あの手紙からだと打たれ弱そうで落ち込みやすそうな印象を受ける男の子。フルネームが漢字もばっちり一致してるし、『一緒にワールドカップに…』の一文からするとサッカーも相当に上手いのだろうし、多分、間違いないだろう。
手紙を介してのやり取りはあったけれど、その顔は初めて見た。竜也少年は、いやもう青年だけど、とにかく彼は写真では爽やかそうな笑顔を浮かべている。
「あれ、先輩、何か意味深な呼び方ですねぇ」
耳聡く、後輩の一人が私の呟きを拾っていたらしい。あ〜っと、前ちらっとニュースで見てねと誤魔化しながら、私はその彼が送ってきた手紙の内容を思い出していた。







『翼の読み通り、俺はしばらく落ち込んでました。
でも、あなたから手紙が届いて、前向きにやっていこうって気力が何とか湧いてきました。本当にありがとうございます』






翼少年とは違い、こちらは品行方正な文だった。それ以降、手紙のやり取りは無いけれど―――思わぬ再会と、その彼がサッカー選手として躍動し始めたことを知ることができたことを、単に喜ばしく思う。
私はあれ以来、島には戻っていない。
けれど、次の休みにはあの島に一度戻って、あの島で散った命達に静かな祈りを捧げるのも、悪くは無いと思った。
それから、今度マリノスの試合がテレビでやっていたら、ちょっとチェックしてみようかと、
そんなことも、考えていた。





END









「第三者から見た水翼」というコンセプト。
翼くんがプログラム中に手紙を書き残して〜っていうシチュエーションが浮かび、プログラム開催地在住者からの視点ということで、こんな形で書いてみました。
水野と翼の間柄は別に普通の友情でもいいんですが、名前で呼び合ってるということでうちのサイト的には……うん、まぁ察して下さい(爆)
翼くんが死んだ後、落ち込んだままの水野が多数!のバト笛お題内においては、珍しく水野が立ち直ってる一作(さらに爆)
初稿:2012.10.17






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