憎まれ役を演じてまで、この立場に立ったのには理由がある。





希望への活路




子ども達の様子をモニターしている管理室。スクリーンを真正面から見据えられる位置に座った玲は、無言で子ども達の様子を見続けている。
いや、見守り続けている、と言った方が正しいかもしれない。
(あの子達は、さぞ私の事を恨んでいるでしょうね)
心の中で溜息をつく。
担当教官として、子ども達を戦場に送り込んだのは他ならぬ自分。
見せしめとして一人は確実に殺すよう命じられ、ゲームに参加させ辛い思いをさせたくなかった風祭を殺したのも、この自分。
(だけど、その憎しみがあの子達にとって原動力になってくれれば)
自分の率いていたチームがプログラムの対象に選ばれたと知った時、どうして、と思った。どうしてあの子達が。そんなことはさせたくない。思った。
けれど思うだけで、政府に反抗はしなかった。逆らえば自分が死ぬだけ。それでもゲームは行われる。それでは何の意味もない。
だから、あえて玲は自分から望んで担当教官となった。最後まで、子ども達の傍にいるために。
(誰でもいい、生き残って)
自分への憎しみを糧としてでもいい。どうか生きていてくれれば。
誰でもいい。誰か生き残ってくれれば。
そう願ったのは、子ども達のことを考えただけじゃない。
生きていて欲しい、それはもちろん、だけどそれ以上に。
できることなら。
(誰か、私を殺しに来て)
子ども達の手で、裁かれたい。
それが、望みだったから。






<END>










短い上に何のこっちゃな話・・・。
最初は、タイトルの「希望」ってのは、もちろんその言葉通りの明るい方への道・・・って考えてたのですが、この「希望」はどんな意味でも取れるよな、じゃあ本人の「希望(願望)」ってことにしよう〜って思って構想を練ってたら、ダークな方への希望になってしまい・・・(汗)。とことんひねくれ者の私。





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