「もし俺が誰かに殺されそうになったら、その前に俺を殺してくれないか」
「…何でそんなこと、俺に頼むわけ?」
「…椎名だったら、遠慮なく一撃で死なせてくれそうだからさ」
そう言われて、俺はしばしきょとんとしていたように思う。そうしてやっと出てきた言葉は、苦笑交じりの
「何だよ、それ」
だった。







冷たいナイフとあなたの体温







たまたま合流した水野が、何でそんな事を言い出したのかは俺には分からない。
でも、少なくともこいつは、冗談でそれを口にするような奴じゃない。現に、言った時の水野はいつになく真剣で、本気の目をしていた。
いざとなったら俺に殺して欲しいって? 遠慮なくやってくれそうだから―――水野はそう理由を述べていたけど、何となく、それだけじゃないような気がする。
じゃあ、他にわけがあるとしたら何だろう? 他の奴じゃなくて、俺に殺されたい。それって……言い換えると、誰かに殺されるくらいなら、俺の手にかかって死にたいってこと?
何でまた。
その辺まで考えて、俺は先を行く水野を見た。先程の頼みに、了解も拒絶も返事はしなかったけれど、水野は言っただけで何だか満足しちまったらしく、以降その話題は出さない。
ただ黙々と前に進んでいく。このゲームにおいて移動はそれだけで他の奴らとの遭遇率を上げるけれど、現在地が3時間後に禁止エリアになるから致し方ない。抜けたところで、目的地もないけれど―――とりあえずは、生き残るために。
「…なぁ、水野」
沈黙に耐えかねて、俺は口を開いた。水野の動きが止まり、ゆっくりと俺に振り向いた。
憔悴しきった顔に、先程の疑問をぶつけるのは酷だろうか? でも、
「さっき言ってたことだけど、」
「あら〜、タツボンに姫さん?」
俺の言葉に第三者の声が被り、水野と俺はぎくりとしてそちらに目を向けた。水野が反射的に、俺を庇うような体勢でそいつに向き直っていた。こいつに庇われるほど、俺は弱くないんだけどな。内心ムッとしつつも、それでも俺は水野の肩越しにそいつを見た。
まぁ見るまでもなくそいつの正体は明らかだったけど。俺と水野をあんなふざけた呼び方で呼ぶ人物は、一人しかいない。
「…シゲ」
水野の低い声には、剣呑な響きがあった。その渾名が示す通り、俺達に相対しているのは、桜上水中フォワード佐藤成樹だった。いや、今は関西選抜の藤村成樹と呼ぶべきか。どう呼ぶにせよ同一人物には変わらないんだけど、元々飄々と掴みどころがなくてそれでいてどこか危うげな匂いを放っていたそいつが―――今は、シャツやジャージを血に染めた姿で、それもライフルを構えて俺達の前にいる。
警戒しない筈がなかった。
「意外な組み合わせやな。ま、ごっつ絵にはなっとって悔しいけど?」
「…何のつもりだ」
睨みつける水野に、藤村はあくまでも軽い様子で口笛を吹く。
「ご挨拶やなぁ。久々の再会やっちゅうに。もっと喜んでくれてもええんちゃうん?」
「そんな台詞は、銃を下ろしてから言ったらどう? 説得力皆無なんだけど」
そう、藤村はライフルの照準を俺達に合わせたままだった。もし遭遇者に警戒してライフルを構えて行動していたんだったら、顔見知りと分かった時点で…少なくともチームメイトだった水野に気付いた時点で、構えを解いていい筈だ。それをしないってことは、つまり、俺達に対し殺意があるということ。
俺も水野も藤村に視線を合わせたままで、少しずつ後退していた。隙あらばすぐさま踵を返して逃げられるように、でも、こいつがそんな隙を見せるとも、逃げ切らせてくれるとも思えなかった。
その証拠か、藤村は俺を一瞥しただけで、ずっと水野に目を向けている。試合中には決して見せたことのない、暗く、どこか陰のある危険な眼差し。俺はそれに、得体の知れない恐怖を感じた。理由は分からない、でもこれは本能的なものだ。
言うなれば、殺気だ。それが俺と、俺以上に水野に向けられている。どこか纏わりつくような、執着するような、そう感じたのは、俺の気のせいじゃない、と思う。
「タツボンみたいなのをこんなゲームの中にほっぽっといたら危ない思うて、ずっと探してたってのにな…まさか姫さんといるなんてホンマ予想外やったわ」
藤村が大袈裟に頭を振る。そんな芝居がかった仕草をしていても、こいつに隙は全く見られなかった。むしろ、俺の中の警戒心は増すばかりだ。背後にそっと手を伸ばし、ジャージのズボンに差し込んであるナイフの柄を握った。自分で思っていた以上に俺は緊張しているんだろう、掌が汗で濡れているのが分かった。
斜め前に立つ水野はこれ以上に無いってくらいに藤村を睨みつけていて、でも腕は相変わらず俺を守るように、俺の前に広げられていた。だから、それは何でなんだよ。努めて冷静でいようとしても、頭が混乱してきた。
藤村がこいつに向ける屈折した視線と、こいつが俺に向ける何かの感情と。どちらも正体が分からないから、だから尚更。
「かなり気に食わんけど…ま、結果オーライや」
藤村がニイ、と笑った。俺ですらぞっとするような笑みだった。それで俺はこいつが水野を殺すんだって気が付いて、水野が切羽詰まったように「椎名!」って呼ぶ声が聞こえて、そこから先は、自分でも驚くくらい体が自然に動いていた。
後ろ手で取り出したナイフを素早く両手持ちに構えて、俺は躊躇いなく水野の後頭部に突き刺した。厳密に言えば頭と首の繋ぎ目あたり、盆の窪と呼ばれる人体急所の一つだ。ナイフが深く刺さる肉の感触が俺の手に伝わってきて、そこで俺は我に返った。そこからは見る景色がスローモーションだった。
水野の肩越しに、藤村が驚きに目を見開くのが見えた。ナイフの柄から手を離すと、水野がナイフを首に埋めたまま崩れ落ち、でも確かにかすかに振り向いて、ほっとしたような顔をしたんだ。どこか安堵したような―――申し訳なさそうな。
その表情が目に焼き付いて、俺の動きは止まっちまった。地面に倒れ込んでもうピクリとも動かない水野を、俺は見下ろすことしかできなかったんだ。
俺が殺した、水野を。
「っ、何すんねん!!」
だからすぐにその場から離れれば助かる可能性は上がるに違いなかったのに俺は動けなくて、藤村が怒りのままに放った銃弾をまともに両足に食らっちまった。ものすごい痛みと熱が同時に穿たれて、俺も地面に倒れ込む羽目になった。ちょうど水野に覆いかぶさるような感じで、それに気付いて俺は痛みに耐えながらゆっくりと身を起こした。薄く目を開いたままの、綺麗な水野の死に顔。何故か触れたくなって、そっと頬に手を伸ばしてみた。
温かかった。でもこれは水野の熱なのか、攻撃を受けて俺の感覚がおかしくなってきているからか、分からなかった。
手を滑らせると、水野の髪にも指が触れた。あぁ、お前こんなに髪の毛細かったのな。まっすぐで、サラサラで、俺癖っ毛だから羨ましいよ。
その一連の動作はきっと数秒で、でも酷く甘酸っぱい感傷があって、けれどそれはすぐに打ち切られた。藤村が俺を蹴り飛ばして、水野の死体から引き離したからだ。足の痛みが跳ね上がって、俺は思わずうめき声を漏らす。藤村はさらに、怪我した俺の足を踏みつけてきた。そこまでやるか、普通?
懸命に痛みと戦いながら、俺は藤村を見上げた。その顔に浮かぶのははっきりした怒りと憎悪。
「タツボンに触れんな。…俺の目的を邪魔したんや、楽には死なさへんで」
「…っ」
藤村はなおも俺の足を踏み続ける。畜生、これじゃ、もうサッカーができやしねー…いやこの期に及んで。
そんなことより、目的って…こいつの目的って、水野を。
良く分かんないけど、やっぱりこいつは、水野に何かこだわりがあったんだ。多分、それは仲間に向ける以上の感情で、水野がそれを察してたかどーかまでは、今となっては分からないけど。
だからあんなことを俺に頼んだのかどうかも、もう分からないけど、でもこれではっきりしたのは。
少なくとも、水野はこいつよりも俺に殺されて、満足だったってこと。じゃなかったらきっと、今わの際のあの顔はない。
それで、俺もまだ胸中複雑だったけど、ちょっと安心した。でも、まぁ、この分だと俺もすぐに水野の後を追うことになりそうだけど。けど、水野の願いは叶えたんだから、いいかな?
もっと色々話しとくんだったな…水野と。今更、そんなことを思う。大体、そんなに深く関わって無い俺に、どうしてお前は、あんなことを頼んだんだよ。
「何で、何で殺したんや、タツボンを!!」
両腕にも銃弾を放ちながら、藤村が泣き叫ぶような声で俺に問うてきた。両腕両足の感覚が、痛過ぎてもう分からない。血も多分、相当体から流れ出てる。頬に銃口を押し付けられ、そこだけははっきりとした熱と痛みがあって俺を苛ませる。
何でって…俺も、何でだかよく分からない。頼まれたから、確かにそれはある。でも、あの時は本当に、咄嗟に体が動いたんだ。勝手に。多分それは、こいつに水野を殺させちゃいけないって、無意識のうちに強く思ったんだろう。
でも、それを言うのは何だか癪だから。目的を達成できなかった腹いせに、ここまで俺を責める藤村に、全部語る気力も無かったから。
だから俺は言ったんだ。精一杯不敵に笑って、これでもかって皮肉を込めて。
「だって、水野が俺に言ったんだ。俺だったら、遠慮なく殺ってくれそうだからって」
藤村の顔が見る見るうちに激昂の色に染まり、それを見届けて俺は目を閉じた。
自分じゃ分らないけど、きっと水野みたいな、どこか満足した顔をしてるんじゃないかな、俺は?
その理由も良く分からないけど、まぁ、向こうで水野と語り合ってみようか―――…俺に自分を殺すように依頼した、その本当の理由も込みで、ね。
そこまで考える間もなく、藤村が引き金を引く気配がした。






END









微妙に「銃とナイフ」の焼き直し。
「いざとなったら殺してくれと頼む水野。何故なら水野は翼のことが好きだったから、好きな人の手にかかって死にたかった」というコンセプト。
でもこれ、頼まれた方は迷惑極まりない…。


「銃とナイフ」の方じゃ翼は拒否して自殺しちゃいましたが、こちらは遠慮なく殺って貰いました(←酷い)。
まぁ、本当に根本のコンセプトは、翼が水野を殺す話を水翼込みで書きたかったというか。確か今までに無かった…はず。シゲ翼はあるのに。
冒頭の会話と、シゲが水野を殺る前に振り向いてスローモーションで倒れて…というシーンははっきり浮かび、繋げていったのですが、思ったより長くなった。ってか当初は翼とシゲが会話の後にこれから闘り合うぜ!ってとこでENDの予定だったのに、書いてたら水野を刺した後翼がボーゼンとしちゃってシゲに結局殺られてしまうという展開に…(苦笑)
自分じゃあ珍しいシゲタツ。カップリング的にはシゲ→タツ→翼な話。


初稿:H23,12,25





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