彼の涙を、初めて見たんだ。






暗い瞳





やっと見つけたその小さな影は、両掌と両膝とを地面につけて泣いていた。
その前に倒れていたのは、とてもよく目立つ金髪の…桜上水ではチームメイトの、シゲだった。
シゲの死には、自分でも驚くくらい俺は淡々としていた。多分、慣れてしまっているのだ、人の死に。この二日間で。
中学一年の頃から付き合いがあるシゲが死んだこと、あのシゲが死んだこと、十二分にショックな筈だった。けれど俺はそんな彼の亡骸よりも、その傍らで大きな瞳を歪ませて落涙している、椎名の方に目が行ってしまっていたのだ。
―――何故?
単純に、思った。
会えたら、まず何て声をかけようとか。
俺を信用してくれるだろうかとか、こっちが見えた瞬間攻撃を仕掛けてきたらどうしようとか、今まで抱えていたそんな懸念が一遍で吹っ飛んだ。そうして思考はまったく別の所へと飛んだ。
椎名とシゲには、互いに面識はある。試合をしたことがあるから当たり前だ。この特別プログラムに巻き込まれるきっかけになったナショナルトレセン選抜合宿、そこで再び顔を合わせていたって別におかしくは無いだろう。
けれど、椎名がその死に対してあんなに涙を流す程の繋がりは、そこからは到底見えてこなかったのだ。ほんの少ししか接点がない筈なのに、一体何故?
「……椎名?」
恐る恐る、呼びかけてみた。
椎名は俺の存在に気付いてもいなかったのだろう、その細い肩がびくりと揺れた。今までに見たことがないような、彼らしくない憔悴しきった顔をほんの一瞬だけ俺に向けて、また彼はシゲの方へと視線を戻してしまった。
木陰から出て、俺も静かに彼らの元に歩み寄る。改めて見たシゲの遺体は、傷だらけだった。肩、腕、腹部、太腿…あちこちに包帯が巻かれていて、どれもこれも血が滲んでいた。これは椎名もそうだけれど、着ているジャージだってあちこちが汚れて、擦り切れている。地面に散らばった長い金色の髪もぐしゃぐしゃだった。プログラムの中で必死に戦ったというのが見て取れる。
「どうして…」
思わず零れたその言葉は、何に対してだったのか。
シゲがこんなにボロボロなことに対してなのか、それともその彼の死を悼む椎名に対してなのか。
椎名は手の甲で無造作に涙を拭って答える。
「庇われなきゃいけない程、俺は弱くなんかないのに」
椎名の声は震えたりはしていなかった。虚勢を張っているようにも思えなかった。
「自分のことは二の次で、俺のことばっか守ろうとして。それで最後に力尽きて死んじまったら、どーしよーもねーじゃねーか…」
悔しげに唇を噛みしめて、椎名はシゲの髪を梳いた。
その仕草に、俺は鉛を飲み込んだような感覚を覚えた。シゲの乱れた髪を整えていく椎名の姿が、酷く優しげに見えた。その目の色も。
どうして、どうしてそんな顔をする? それもシゲに対して?
このゲームの中で何かあったのか? それとも、俺の知らないところで椎名とシゲに交流があったのか?
密かに焦がれて、近付きたくて、でも近寄れなかった椎名だったのに、どうして俺にはできなかったことを、シゲが…?
「…仲良かったのか、シゲと」
胸の内には薄暗く渦巻く感情があるのに、俺はそんな風にしか聞けなかった。はっきりと知るのが、怖かったのかもしれない。
「……。まぁ、そこそこ」
椎名はしばしの沈黙の後に、そんな曖昧な答えを返してきた。
明確な答えを聞くのも嫌だったけれど、誤魔化されたような気もして、不快な気分になった。じゃあ、何で椎名はあんなに泣いてたんだ。
「本当に?」
「…何、やけに突っかかって来るじゃん」
椎名は薄く笑った。これはよく見た、皮肉めいた笑みだった。
そう、よく見る表情があるくらい、俺と椎名との方が接点がある筈だ。東京選抜でのチームメイト、それ以上でもそれ以下でもない関係だけれど、少なくともシゲよりは、俺は椎名と話をしたし、椎名と会ったことがある。その、筈だ。
「だって、椎名と、シゲは……そんなに接点、ないだろ。それなのに、そんなに悲しそうにして……勘ぐるなって方が、無理だ」
当然、これには俺の私情が大いに混じっている。
椎名は少しだけ目を丸くした後、声を上げて笑った。酷く乾いた笑い声に聞こえた。
「お前、ホントにヤキモチ焼きだね! 将の次は今度はこいつかよ。自分のダチが他の奴と仲良くしてるのが気に入らないって? この期に及んで! ホンっト、ガキだねお前って! あはははははははは!」
椎名は夏の合宿を引き合いに出しているのだと分かった。あの時は確かに、会って間もない風祭と椎名が親しくしている様子をつまらなく思っていた。
だけど今は違う。シゲを椎名に取られたから言ってるんじゃない。逆だ。なのにどうして、俺の気持ちには気付いてくれない?
「違う! そんなんじゃない」
「だったら何。別に俺が誰の為に泣こうが笑おうが勝手だろ」
突き放すような口調が今は悲しかった。椎名の言うことは正論だ、けれど例えば、死んだのが俺だったとしても、椎名は多分、あんなにまで泣いてはくれないだろう。そこまでの強い繋がりは無いんだ。それが悲しくて、―――やっぱり、シゲが妬ましかった。俺の知らないところで、この二人には何があった?
「あーあ。何か疲れちゃった。もういいよ、水野。俺を殺しても」
「なっ…!?」
信じられない発言に俺は耳を疑う。今、椎名はなんて言った?
「だから、俺を殺してもいいよ、って言ったの。たとえこのゲームを勝ち抜いたとしても、碌なこと待ってないよーな気もするし、…やっぱ、何かもう疲れちまった。だから殺してよ」
「馬鹿なこと言うな! そんな投げやりな…椎名らしくもない」
「確かに、俺らしくはねーかもな。でも、何かさ……」
俺の説得にも耳を貸さず、椎名はどかっとシゲの隣に座り込んだ。また、あの、シニカルな笑みが浮かぶ。
「もう、いい」
そして椎名は俯いて、黙り込んだ。
愕然とした。
俺が椎名を探していたのは、そんな言葉を聞くためじゃない。自分の思いを伝えたいとか、そんなわけでもなかった。同性の彼に、それも女子に見られることを嫌う彼をそんな目で見ていたこと、彼に知られて嫌われるのが怖かったし、どうにもならない片思いだけど、俺が我慢すればいい、そんな風にだって諦めてさえもいた。
ただ、会いたくて、もう一度だけでも会いたくて、それだけでも良かった。それだけで良かった、のに。どうして。
「…俺の知ってる椎名は、こんな簡単に諦める奴じゃなかった」
「そんな風に思ってくれてたんだ。光栄、だね」
「こんなゲームに巻き込まれても、最後の最後まで足掻いてみせるような。何かぶち壊す手を考えてそうな、そう思ってた」
「俺もそれは考えてたよ。でもお手上げ。もう手づまり。どーにもなんないことはこの二日間で良く分かった。だからもういい」
「……シゲのことが、好きだからか?」
不意の問いかけに、椎名がぴくっと顔を上げた。ほんの少し驚いているようにも見える。それはそうだろう。俺自身、そんなことを聞くつもりは無かった。
言ってから、後悔した。そうだって返されたら、どうすればいい。今更不安になる。
土気色した顔のシゲを、俺はちらりと見た。もう死んでしまっている人間なのに、どうしようもなく悔しい。
「……そうだよ、って言ったら?」
椎名は俺を上目遣いで見上げてきた。疑問形だったけれど、それは認めるも同然だった。
どこか分かっていた、椎名があんな風に泣いていた時から。
それでもきっぱりと肯定されて、俺はまたあの、鉛を飲み込むような感覚を味わうこととなった。
俺も椎名のことが好きだ、とか、今度は俺が椎名を守る、とか、そんな台詞はもう、俺の口からは到底出てきそうになかった。
俺はまた、シゲを見た。いつでもずるい奴だった。何でもそつなくこなして、無駄に器用で要領も良くて、俺とは正反対の奴。それでも変に気の合うところもあって、裏切られるようなことがあっても、憎めなかった。
だけど今は妬ましい。俺の知らない椎名を、いつの間にかちゃっかりと知っていたこいつが妬ましい。一体いつから、どうやって近付いて? いつから椎名と思い合って?
そんなことを、もうこいつに聞くことも叶わない。もし、シゲが生きている間に俺がそれを知って、それをこいつに問い詰めたとしても、こいつはきっとのらりくらりとかわして本当のこと何か教えてくれなかっただろう。そんな風にさえ、思ってしまうから、……尚のこと、悔しかった。
「……泣いてんじゃねーよ」
揶揄、ではなく、世話を焼いているような口調で椎名は言った。
泣いていることに、自分自身でもびっくりしていた。悲しかったし悔しかったけれど、そこまでではないと思っていた。にもかかわらずどうしようもなく両目が熱くて、涙が流れた。死と隣り合わせのこの極限状況で、俺の心もいい加減に擦り減っていたのかもしれない。
「泣くなよ……」
やはり慰めるような声色だった。力無く座り込んだ俺の背を軽く叩いて、まるっきり年上ぶって。実際椎名の方が年上だけれど、そういう椎名だってついさっきまで泣いていた癖に、俺にそんなことを言うんだ。
『好きなんだ、椎名』
やはり、言えなかった。だからきっと椎名は俺の気持ちに気付くなんてことはなくて、俺がどうして泣いているのかだって、分かっていないかもしれない。
先程まで死のうとしていた筈の彼が今度は俺を励まそうとしている。けれどそこにはきっと、彼がシゲに向けている程のものは含まれてはいなくて。そしてもしこんなプログラムに巻き込まれなくても、俺はシゲには勝てなかったような気もしていて。
俺の背に触れる椎名の手が却って切なくて、俺はただ、呆然とうな垂れるしかなかった。
椎名の体越しに、シゲを見る。思った。
―――やっぱりずるい奴だよ、お前。






END









そういえば100のお題でシゲ翼に横恋慕の水野って書いてないなーと思い、そんな話を書いてみた次第。シゲ翼だと正直、バト笛じゃなくても水野って勝ち目ないよね…(笑)。そんなイメージ。


最初はシゲの死にいつまでも泣いている翼くんに絶望して、水野が翼を殺してしまう…ってな絵も浮かんだけどでもそこまでじゃなくて、とにかく「死んだシゲの傍で泣く翼を見つける水野」、その一番最初に浮かんだ話のイメージから、思うままにつらつらと書いていったら、こんな話になりました。
水野一人称って割と書いてるけど、どーにもCPものだと思考が女々しくなる…。




2013,4,21
初稿:2013,3,24



BACK