椎名がプログラムから帰ってきた。
 優勝者、として。



さよならバイバイ





 いつものように東京選抜チームの練習場に来た椎名は、一見では大きな傷は無さそうだった。でも、普段と比べれば元気はなくて、練習こそキレのいい動きで取り組んでいたものの、口数は少なかった。

「よく来れるよな…」
「どんな神経してんだよ」
「あいつ、クラスの奴ら皆殺しにしたも同然だってのにな」
「普通できねーだろ、そんなの」
「元々気は強かったけど、怖ぇ奴…」

 そんな風に、休憩時間にあからさまに陰口を叩いてる奴らもいた。渋沢が諫めて黒川は怒って、風祭もフォローを入れていたけど、口達者な椎名には珍しく、何の反論も弁解もしていなかった。黙って、無表情で少し俯いていた。
 「椎名だって大変だったんだろうから、そういうこと言うなよ」とか、俺も言った気がする。でもそれは、椎名に聞こえるように悪口を言うそいつらにムカついたのであって、多分椎名のことを思いやったからじゃない。
 実際、椎名のクラスで行われたっていうプログラムの内容は知らない。椎名がクラスメートとの殺し合いの末に優勝した、ってことしか知らない。
 本当に椎名が誰かを殺したのか。椎名も誰かに殺されかけたのか。そのプログラム内での椎名の苦しみも悲しみも、凄惨な事実は俺達は何一つ知らないし、椎名から聞き出そうとは少なくとも俺は思わなかった。
 かといって風祭や黒川みたいに、普通に椎名と接することも俺はできない。流石に、風祭達も腫れ物に触れるようというか、ぎこちなさはあったけど、そこに椎名への気遣いはあったと思う。
 監督も椎名のプログラムについてはさらりとしか触れなくて、それが監督が椎名のことを考えたからってのも分かった。椎名が俺達と、今まで通りにチームメイトと普通にサッカーできるように。
 …けどどうしても、誰も今までとまったく同じには椎名と接せなかった。

「水野、」

 練習後、俺が一人で水道で顔を洗っていると、背後から椎名に呼ばれた。
 水を止めて、顔をタオルで拭きつつ振り返る。練習着を来た小柄な姿がそこにあった。夕焼け
が椎名の身体の輪郭をオレンジ色に染めている。

「お前も、俺が怖いか?」

 椎名はいきなり、真顔で俺に問いかけてきた。少し苦手な椎名の真っ向からの視線が俺を貫く。緊張からか、自然と背中に力が入った。
 唐突に生じた、椎名と二人きりの時間。なんで椎名が俺にそんなことを聞いてきたのかは分からない。だけど、きちんと答えるべきだ、と感じた。
 思うままに、俺は正直に言う。

「…少し、怖いな」

 椎名の表情がやや強張ったみたいだった。何となく見ていられなくて視線を外す。

「でも…、俺は椎名のチームメイトだから。誰か他の…俺が知らない奴じゃなくて、椎名が帰ってきて、良かったと、思う」

 椎名のクラスには井上や畑の兄がいたってことは、黒川から聞いた。クラスの友人だけじゃなく、学校でのチームメイトを亡くしてるわけだから、椎名は俺のその言葉は嬉しくはないのかもしれない。むしろ、辛くて悔しい思いをさせているんだろう。
 けど俺は、顔も名前も知らない奴じゃなくて、椎名が生き残って良かったと思ったんだ。椎名にとっては最悪のプログラムだったとしても、せめてそのことは。そのことだけは。

「…そっか」

 椎名は静かに返事をした。それで俺は目線を椎名に戻す。
 椎名は俺が初めて見る、儚い溶けそうな笑顔をしていた。





※ ※ ※





 その日以降、椎名は選抜チームを辞めて、俺達の前から姿を消した。どこか遠くへ行ったそうだが、黒川や監督すら、椎名の詳しい居場所は知らないらしいし、連絡もつかないという。
 椎名がいなくなった後も選抜チームでの活動は続く。椎名がいないことも、いつしか当たり前の一部になりながら。時折、椎名の名前が会話の中で出ることがあっても、誰も深く追及しようとはしない。
 それは俺も同じで。新聞やニュースで時々、『プログラムなどの政府の方針を良しとしない反政府組織が…』なんて話題があると、もしかしたら椎名はそんなところにいるのかもな、とか思いはしても、今現在の椎名の状況や居場所を調べたりするほどじゃなかった。
 誰かを殺したかもしれない椎名が怖かった。それ以上に、椎名しか知らない真相を知るのを、そのことで椎名の心を傷つけてしまうのが怖かった。
 踏み込めなかったし、今も足を踏み入れようとまでは思わない。ただ、あの日の椎名の寂しそうな微笑みは、時々思い出すんだ。







END










水翼未満。
切ない感じを出したかったんですが、情景も水野の心情もうまく文章化できていないという…。
文頭下げたり、会話の前後を開けたりして読みやすくしてみたつもりなんですが、どうでしょう。、
2019,3,6
初稿:2017,10,6





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