「…僕なんか、置いていっても構いませんから」
肩を貸している、俺よりずっと小さなそいつはそう言った。





満月が泣いた日






手続きやら周りへの説明やら何やらめんどいし、どうせあと一年だしと学校では佐藤で通していたのは、この期においては僥倖だった。
風祭、と佐藤。
出発順がさほど離れていなかったおかげで、成樹はすぐに将に追いつくことができた。勿論、理由はそれだけじゃない、何より大きな要因は将のその足だ。
ナショナルトレセン選抜合宿最終日、東京対関西―――その試合中に負った、あの大怪我。それこそ成樹は必死になって追いかけた。松葉杖を使ってやっと、一人で歩くことができる程度の歩行能力、この下らないプログラムとかいうゲームに“乗った“奴らにしてみれば、将は格好の獲物だ。だから、成樹は自分の番が来るや否やスタート地点である分校を飛び出し、周囲を見回した。夕暮れ時の薄闇の中、それでも背丈とその松葉杖のお陰ですぐにシルエットを判別できたのもまた、幸いだった。そうして難なく合流して、今に至る。
開始から約十時間が経過。二度あった定期放送では、開始前に見せしめに殺された哀れな女子生徒を除いても、既に二桁の数のクラスメートの名が呼ばれていた。
普段は善人面していてごく普通の生徒のようであっても、極限状況に置かれた途端こうだ。世界各国と比べて相当に歪んだこの国に生まれ育った子ども達は、ひとえに中学三年になった時に訪れるある種の審判『プログラム』に密かに恐れおののきながら生きている。
選ばれる確率は、交通事故に巻き込まれて死ぬ確率とそう大差はない。だから自分は巻き込まれないだろう。或いはそうした恐怖を押し殺した楽観的思考。もしも選ばれたその時は―――ルールだから、死にたくないから、そうして生き残ることが認められているのだから―――そんな言い訳と大義名分の元に、或いは自分以外のクラスメートを全員殺して生き残るという選択。当然、そう簡単に割り切れる筈もなく、武器を手にして戦うことを速やかに選べない者も多い。しかしこのプログラムにおいては、そんな中途半端な考えの持ち主からこそ、脱落していくのだ。
そしてこの、二年時から持ち上がりの、どこにでもあるような平凡なクラスだった3−Aにおいては、やはり他者を蹴落として己が生き残ろうとする人間が、少なからず存在していたということだ。
成樹も、一人だったらそうしていたかもしれない。小学六年の時に家を飛び出して以降、いやそれ以前も、それなりの辛酸をなめつつ、時には修羅場に巻き込まれながら自分一人の力で生きてきた。クラスメート達とは、そこそこの親交はある。けれど自分の命と天秤にかけてそちらを取る程、成樹は人を信用してはいなかった。
例外がいるとすれば、このクラスだったら風祭将、その少年だけだ。
「ね、シゲさん。そうしましょうよ。僕を置いてって下さい」
しかしその彼はそう言うのだ。普段と変わりなく、あの人の良い笑みを浮かべて。
成樹はちっと舌打ちして、バッグから水入りのペットボトルを取り出し、一口だけ飲んだ。潜んでいた場所を含むエリアが禁止エリアに指定されたことで、先程からまた安全な場所を探して歩き回っていた、それも足の悪い風祭に肩を貸したまま。この戦いの舞台は碌に民家もない森だらけの島で、それ故に潜伏場所を探すのには苦労させられた。政府は森林地帯における戦闘データを取ろうとでもいうのだろうか。
今は久方ぶりの休息タイムだった。だから将はそんな成樹の疲労を思いやって言っている部分もあるのだろう、けれど成樹は軽く言い返した。
「何アホなこと言うとんのや、カザ。怪我人放っておくほど俺、薄情やないで」
冗談めかして言う成樹には構わずに、将は続けた。大きな木の根元に座り込み、背を預けたまま、今は自分をずっと高い所から見下ろしている成樹を見上げて。
まだ夜明けまで時間はあるが、暗い中でも成樹の金髪は目立つ。
「シゲさん一人だったら、きっと生き延びられるでしょう? 僕はこんな足だし、本当に、それこそ足手まといになりますから。
それに、もしも生き残っても、きっと―――こんな足じゃサッカーもできないから」
まだ縫合の跡が残る左膝のあたりを制服越しに撫でながら将は言った。
その余りに暗い瞳に、シゲはまた舌打ちする。
こいつのこんな顔は見たことがない。どんな困難にぶつかっても自ずと奮起し、立ち上がろうとするのが将なのに。そんなこいつがこんな表情を浮かべるようになってしまったのは―――自分の責任だ。
「…らしくないで、カザ。そないなこと言うの。お前の取り柄は、意地でも最後の最後まで諦めへんことやろ」
語りかけながら、成樹は思い出す。こいつのそんな側面を、今までに幾度も目にしてきた。あの武蔵森との試合中だったり、普段の練習の中でだったり、そう、あの、東京選抜と関西選抜での決勝戦でも―――。
何が何でも最後まで諦めない強さ。一度決めたら最後までやり通そうとする強さ。
それは将の持つ何よりも代え難いものだった。自分もそれに、どれだけ触発されたか知れない。今まで何事にも適当で、それなりにそつなくこなし、それでいいじゃないかと思っていた自分に、本気になって物事に取り組むことの尊さ、サッカーへの情熱、そういった物を見せつけ、燻っていたものを呼び起こしてくれたのも、全部将だ。
そしてその将の性分が、皮肉にもあの事故を引き起こした。分かっていたのに、彼の性格を。それでも、本気の彼とサッカーしたくて、自分も本当に本気でサッカーしたくて、だからあんなにも挑発して互いが限界まで挑めるように、そしてそれ故にあの事故は起こってしまった。
事故。ああそうだ事故だ。サッカーに限らず、スポーツにはつきものの事故。
しかしそれはきっと自分があそこまで彼を焚きつけなければ起こらなかったかもしれないことであり、それ故に成樹は将の怪我は自分のせいであると、責任を感じずにはいられない思いもあった。
将の性格なら、それこそシゲさんのせいじゃない、あれは事故ですと、言い切りそうなものではあった。
「こないな場所で死んでたまるかい、俺も、お前も。
約束したやろ、お預けになってる試合の続き早くやろうて。俺はな、目の前でハットトリック決めおったライバルを逃すほど、お人好しちゃうで。いつかまた―――互いに万全の状態で、勝負しよ、な」
プログラムにおいて優勝者は一人。例外なく、生き残りは一人。
このゲームに巻き込まれてしまった時点で、二人で無事に生還など、決して望めぬことだった。
それでも、少なくともこの言葉は成樹の心底の本音だった。再起不能とまで言われた怪我すら、こいつならきっと乗り越えられる。落ち込むことはあっても、こいつならきっと、きっとそれも越えて進んでいける。それだけの強さがある。それだけ凄い男なんだと、自分より背も歳も下のこの少年に思う。
生気も無くしたような瞳の陰りを打ち消すように、成樹はその将の髪をわしわしと撫でてやる。小さい子どものような扱いをされたことに対してか、痛いですよシゲさん、と将が非難めいた声を上げた。それでも表情は自然、緩んでいた。
それを見て、成樹も口の端が僅かにつり上がる。
怪我をしていてもしていなくても、こいつはきっと、プログラムに乗る、という選択ができる奴じゃない。でも、自分は違う。自分は、容赦なくクラスメートを殺すことができる。ましてこいつを守るためなら。
自分に価値がある、などと思ったことは無かった。けれど、こいつは違う。こいつには価値がある。生き残らせる価値がある。クラスメートを殺すことでこいつにどう思われようと構わない、こいつは、こいつだけは生き残らせたい。
一生ものの怪我をさせてしまったことへの罪滅ぼし。陳腐な言い方をすればそんな風だろう。けれどきっとそんなこと以上に、もっと単純にこの少年を、成樹は生かしたいと思ったから。
だから―――守ってみせる。クラスメートを殺すことで、そのクラスメートに、何より将本人に憎まれようと。これは成樹の決意と、そして意地だ。将が生きてさえいれば、また以前のように活き活きとサッカーする日が来る可能性があるのだから。たとえその相手が、自分ではなくとも。
「さて…と、ほな行くか」
先程の将の弱音は聞かなかったことにして、成樹はごく自然に手を差し伸べた。将は少し困った顔をして顎を傾けたが、結局はその手を取って立ち上がった。
成樹は将の右腕を己の肩にかけ、自分の左腕で将の体を支えてやる。右手には二人分の荷物を詰め込んだバッグを持ち、周囲への警戒を怠たらずゆっくりと進んでいく。
もう一、二時間もすれば夜明けだ。鬱蒼とした森の中も、少しずつ明るくなってきた。そしてその半端な明るさであるからこそ、視界は逆に悪い。
二人分、そして松葉杖の分、どんなに気を付けていても、落ち葉や雑草で覆われた地面の上を歩く足音は消えない。慎重に進むために、少しの距離でも時間がかかる。神経を使っているせいもあるのだろう、今の成樹はいつものような飄々とした表情ではない。
「シゲさん…やっぱり僕、」
「黙っとけ、ポチ」
気遣う将が言いかけたことを、成樹は鋭く遮った。聞きたくなかった。言わせたくなかった。
不意に、右の方向で物音がし、成樹と将は振り向いた。十数メートル先、暗い影が立っていた。
「―――っ、走るで!」
その正体を確かめることをせず、成樹と将は反対方向に駆け出した。
誰も信用できない、と成樹は思っていた。たとえゲームに乗っていない人物であっても、か弱い女子であっても、この状況下でいつ自分達に仇を為す存在に変貌するかも分からない、それを思えば、誰であっても接触は断ちたかった。
この場合、やはり正解だった。銃声が追いかけてきたのだ。
「ちっ」
成樹は今日幾度目かの舌打ちをした。一人なら、森の中を闇雲に走るなり、ベルトに差したベレッタを引き抜いて反撃するなりできる。しかし今は将も一緒だ。彼を守るには、どちらの選択も厳しい。将は一人では走れない。肩を貸した状態で足を速めることさえ厳しいのだ。そしてその状態で反撃に出るなど、無理に等しかった。せめてもっと安全な場所へ、少なくとも将だけを匿うことができるような場所まで行かないと。
また、銃声。まだ誰だか分からないが、そいつは逃げることすら満足にできない自分達を、好都合とばかりに仕留める気でいるようだ。
「シゲさん! やっぱり僕を置いてって下さい! シゲさんだけでも逃げて!」
「せやから、アホ言うなや! お前を見捨ててたまるか!!」
もうほとんど、将を引きずるようにしての逃避行。それでも、どれだけ不利になっても、成樹はこの手を放そうとは思わなかった。
あんなにもサッカーを好きだった将から、サッカーを奪うような真似をしてしまったのは自分だ。これ以上、彼に酷い仕打ちをすることなど御免だった。
一か八か、成樹は将を支えたままでの反撃を試みる。今のままではそう遠くないうちに二人ともやられてしまう。そう思ったからだ。相手の足音からするに、もうそいつは相当に近くに迫っている筈だった。
右手のバッグを一度捨て、すぐさまベレッタに手を伸ばす。引き金に指をかけながらベルトから引き抜き、振り向きざまにごく近くまで来ている襲撃者に向かって撃つ!
案の定、襲撃者であったクラスメートは、二人のすぐ背後まで迫っていた。だからこそ成樹の咄嗟の一撃も、至近距離であるがために相手の腹部に見事命中した、ただし―――。
すぐそばで引き金を引いていたのは、相手も同じだった。そいつが放った銃弾は、成樹の脇腹の辺りを掠めた後、よりによって将の胸部を貫いてしまったのだ。
「!! カザ!!」
将の両膝ががくりと崩れ落ちた。
地面に転がって痛い痛いと呻く普段は影の薄かったクラスメートの男子に、これ以上の攻撃が無いようそして個人的な怒りを込めてもう一発撃って永遠に黙らせると、成樹はようやく将と向かい合った。
熱い弾丸が掠った自身の脇腹も痛かったが、そんなのは些細なことだった。そんなことより、成樹の腕の中にいる、制服のシャツを真っ赤に染めて苦悶の表情を浮かべる将の方が余程重要だった。
「カザ、しっかりしい!!」
明るい赤の色をした真新しい血が、傷口を抑える成樹の手も見る見るうちに同じ色に塗り替えていく。こんなことをしても止血にはならないかもしれないと思っていても、成樹は将が撃たれた右胸の辺りを押さえずにはいられなかった。
目を閉じた将はか細い呼吸を繰り返すだけだ。もう将の命の残り火があと僅かなのは素人目にも明らかだったし、医者でも無い自分に彼を救う術は何もないー――もう手の施しようがない大怪我だ。
それでも成樹には語りかけずにはいられなかった。声を荒げることで、また別の襲撃者に勘付かれ襲われ自分までもが死ぬような事態になったとしても。
「俺のせいや! お前が試合で大怪我したんも、お前が今あいつに撃たれたのも!
すまん、すまんカザ! お前だけは、俺は生かしたかったのに…!
俺が―――俺のせいで―――みんな……!!」
ただ悔しかったのは、言いたいことが満足に言葉になって出てこなかったことだ。
将があの試合で大怪我したのは、無茶をさせた自分のせい。
今、将が瀕死に陥っているのも、力が足りなかった、或いは判断を誤った自分のせい。
自分は、あんなにも将に感化されたのに、それに感謝のようなものすら覚えて、だからこそ負けたくないと敵愾心が己の原動力のように湧いてくるのに、それらに何も、返せないままだ。
また、将をみすみす危険な状態にしてしまった…!!
もう取り返しがつかない、それ故の深い後悔だった。
「シゲ…さん」
ようやく、将から声が返ってきた。ほとんど聞こえないくらいの声量だった。
「足の……怪我。シゲさんのせいじゃ、無いです。あれは、事故だから、気に、しな…いで」
「分かった。分かったから、もう、喋んなや…」
成樹は掠れた声で、将を宥めるように言った。
ああ、やはり将はそんな風に考えていた。事故でも、あれは成樹のせいだと、いっそ罵ってくれていた方がまだ気が楽だったかもしれない。けれど絶対にそんな風には考えない将であるから、だから逆に―――苦しかった。
「あの時の…試合……楽し、かった。だから……また」
将の唇はそれきり動きを止めてしまった。あとはもう、なけなしの息が小さく行き来するばかりだ。
将の小さな体を抱え上げる成樹の手は震えていた。背筋にも、震えが走っていた。
久しく、忘れていた体の反応―――意志に構わずひきつるような喉を何とか駆使して、成樹は矢継ぎ早に将に語りかけた。
「あぁ、約束やねんな。また試合しような、あの時のメンツで。
俺に任しとき、あっという間に都選抜も、関西も、チームメイトかき集めたる。一声かければ、みんなすぐに乗って来るに決まってるで。タツボンも、不破も、藤代も、渋沢の旦那も、姫さんも、ノリックも、猿も、他の連中も、きっとみんなごっつやる気やで。今度こそ、真の日本一を決めようて―――」
言いながら、成樹の目頭は熱くなっていた。
言葉の途中で、将の呼吸は完全に止まっていた。それに成樹は気付いていた、いや、気付いているからこそ、更に言葉の続きを紡ぐ。
「せや、高井や森長にも声かけて、見に来て貰わんとな。こんな豪華なメンツや、ギャラリーは多い方が盛り上がるやろ。小島ちゃんもやな、やっぱ応援は花が無いとな。
……お前、幸せもんやで、カザ。そんだけの連中がお前のために集まってくれるんやで……」
……普通の生活を送って、いつか努力の末に足が治ったら。
もしかしたら、そんな夢のような試合も、実現したかもしれなかった。
しかしこれは大いなる矛盾だ。彼からそんな機会を永遠に奪ってしまったのは、やはりこの自分だった。
「……ホンマ、すまんな、カザ……」
やっと、成樹は将の亡骸を地面の上に横たえた。サッカーの練習で疲れて、授業中でも平気で寝こけている時の顔と似ていた。
『シゲさーん、部活行きましょー!』
けれどいつの間にかけろっと起きた将が、本当に嬉しそうに自分にそう呼びかけてくるなんてことは、もう無いのだ。
「……このままじゃ、終われへんな」
将の両手を胸の上で組ませた後、成樹はゆらりと立ち上がった。将を殺したクラスメートには怒りを覚える、それを許してしまった自分自身に対しても同様だ。
だが、それもすべてはこんなプログラムという下らない戦闘実験の存在と、それを許した腐った政府があってこそだ。
ならば、このどうしようもない空しさと憤慨を、それを壊すために使うのも悪くは無いかもしれない。今すぐには難しくても、いつの日か。
「まずは、生き残らんとな」
成樹は先程一度捨てたバッグと、襲撃者の銃とバッグを回収し、そして自身の支給武器のベレッタを構え直す。
将を失い一人になった今、躊躇する理由はどこにもない。守れなかった。将を生存させることができなかった。ならばその原因を、自分自身ごと叩きのめす。
自分が殺戮者になろうと、自分自身の一生がこの先どうなろうと構うものか。自分は一度将に生き方を変えられた、その将に何も返せなかった分、むしろ奪ってしまった分、だからいつかは彼の命を奪った原因そのものに報復を。
このまま終わりにはしない。絶対に。
仄暗い思いが、新たに成樹を動かす原動力となった。ひとまず派手にやり合ったせいで他の連中に嗅ぎつけられないとも限らないその場所を立ち去ろうとして、成樹はその前に一度振り向いた。
地面に大人しく横たわっている、あどけない死に顔の将。
「…何や、そうしてると、ホンマに眠っとるだけみたいやな」
しばし苦い顔をしてそれを見て、成樹は再び歩き出した。





END







べったべたですが。
『プログラムにおいて、自分のせいで足を怪我した将を庇うシゲ』な話。
シゲを久しぶりにまともに書きました。関西弁が所々怪しい気がします(汗)
一応、独立している作品として書いたのですが、書いているうちに『君の為に土を掘る』とリンクしてきました。

2012,12,20



BACK