心臓の鼓動が聞こえる




「……これはきっと、報いなんだ」
 両足の感覚が無い。動かそうとしても全く動かない。
 頚椎損傷の影響で不自由になった下半身。今や両足となったのは車椅子で。
 桜上水中3年B組を対象としたプログラムで、竜也は負傷しながらも生き延び、優勝した。その代償として、二度とサッカーのできない身体になった。
 竜也がリハビリに通う病院の屋上。その背後で、翼は彼の弱気に静かに耳を傾ける。
「帰りたい、死にたくない一心でクラスメイトを見殺しにした。小島のことも助けられなかった。向こうから襲ってきたにしても、返り討ちで何人か殺した。……結果、優勝したんだ。それ相応の罰が下るのも当然だ」
 左の掌を見、その手を竜也はぐっと握り締める。ナイフや銃を握った感覚が、まだ残っているかのようだ。血に濡れる感覚が、色が、臭いが、染み付いているようだ。足はもう、何も感じ取れないのに、手にはこんなにも生々しく。
 フィールドを縦横無尽に走り回ることも、チームメイトにパスを出し、ボールが繋がる手応えとゴールの喜びを感じることも、大好きなサッカーをする機会も、すべて奪われた。これまでの人生のほとんどをサッカーに費やしてきたのに、プログラムに巻き込まれたほんの僅かな時間で。
 しかしそれは傲慢かもしれない。クラスメイト達は自分達の楽しみはおろか、命そのものが失われているのだから。チームメイトだった小島だって。彼女もサッカーが大好きだった、サッカーに懸けていた。なのに彼女もまた、もう二度とサッカーをすることは許されないのだ。
 皆の命を踏み台にして、たった一人生き残った者が己の立場を嘆くのは、お門違いもいいところだった。生を得た代わりに大切なものを永遠に喪う、……それは当然の帰結に竜也には思えた。
 そしてあんなにもサッカーが好きだった風祭から、サッカーを奪うような真似をしたのもこの自分だ。同じようにサッカーを失くして、初めて将の気持ちが、心の奥底から理解できた。悔しさ。切なさ。遣る瀬無さ。そんな簡単な言葉では表しきれない、淀み荒み沈んだ心。
 ただ、竜也が将の場合と違うのは、サッカーを失ってそのように嘆くことを、享受できる立場ではないということ。命がある、それだけで、脱落したクラスメート達とは大きな差があるのだから。悩み苦しむことができる分、恵まれている。
 分かっていても、心には暗雲がかかる。苦々しく見上げた空は真っ青で。この気持ちのいい青空の下、以前のように皆と思いっきりサッカーをプレーすることは叶わない。
「……」
 背後の翼が、彼にしては珍しく黙ったまま、前に回ってきた。そして険しい顔で竜也を見下ろす。前は身長差の関係で竜也が翼を見下ろす側だったけれど、車椅子を使用している今は逆の立場となってしまった。
「……確かに、そうなのかもな。もうお前はサッカーできない」
 はっきりと翼に宣告され傷付く一方で、竜也はどこか安堵していた。サッカーができなくなった悔しさを、彼に理解して欲しかったわけじゃない。いや、理解して欲しかった。クラスメイトを殺めたことを咎めて欲しかった、いや、仕方ないと受け止めて欲しかった。ただ単に気持ちを吐き出したかった、いや、弱音を聞いて欲しかった。
 相反する思いが、水野の内にはあった。彼にいつもの調子で罵倒された方が、いっそ楽になれる気がしていた。人を殺した自分に、彼がいつまでも寄り添ってくれる筈もない。見切りをつけられ、彼が離れていってしまっても、それは無理も無いことだと、諦めの感情もあった。けれどやはりその一方で、彼には傍にいて欲しかった。
 だとしても、自分には彼を引き留める資格も無いから―――そう思い、彼への恋情に蓋をしようとする竜也を、その翼がふわりと抱き締めた。竜也の頭を包み込むようにして。
 温かかった。翼が息を押し殺すようにして、その喉が震えているのが分かった。
「……もうお前はサッカーできない。自分で夢を叶えることも無理だ。俺と一緒に、サッカーすることだって」
 声も揺れていて、竜也がサッカーをできなくなった悔しさを翼もまた感じているのが伝わってきた。対戦相手としてチームメイトとして、翼は竜也とのサッカーを楽しんでいた。竜也のサッカーの技術やセンスを認め、時に叱咤し時に先へと導いてくれた。
 そんな彼が、悔しくない筈がない―――。竜也がプログラムに巻き込まれた理不尽を、不条理を、翼も痛いほどに噛み締めているのだ。
 竜也は翼を抱き締め返した。翼の鼓動が、彼の皮膚越しに伝わってきた。彼の生きている証が。両足はもう何も感じられなくても、彼の鼓動はこうして聞こえる。夢は失くしても、彼はまだ傍にいてくれる。
「けど…、」
 逆接を紡ぎ、翼は一度竜也から離れた。竜也が翼を見つめると、真っ直ぐで勝ち気な目線が返ってくる。
「俺は世界を目指し続ける。俺がお前に、世界を見せてやるよ」
 翼の唇から語られたのは彼の夢。彼の強い意志。サッカーで世界に羽ばたこうとする翼は、地に縛られた自分に大空を見せてくれるのだと言う。
 不敵な笑みを彩る翼の髪が、風になびいた。こんなことになってもまだ自分を掬い上げようとする翼の姿に、竜也の胸の奥と瞳は熱くなり、哀しみではない涙が滲む。
「一緒に見ようぜ、世界」
「…ああ」
 翼が拳を突き出してきたので、竜也も笑って拳を出し、こつんとぶつけ合わせた。
 いつかきっと―――翼なら世界でプレーをする夢を叶えるのだろう。成樹や藤代、渋沢といったスタープレーヤー達と日本を背負い、世界中の相手と闘うのだ。怪我の治療を終えたら風祭だって、絶対にフィールドに戻ってくる。彼らの熱く魅力的なプレーがスタジアムを湧かせる様が、ありありと目に浮かぶようだ。
 自分はサッカーできないもどかしさや嫉妬を覚えることはあるかもしれなくても、彼の、彼らの夢なら応援できる。
 それが許されるというのなら。遠くて近い未来に、彼と共に世界を見よう。




END















今までにありそうでなかった水野の優勝話。水野が優勝するって図がなかなか思い浮かばず…(笑)
『サッカーができなくなった水野に翼くんが、俺が世界を見せてやるよ…と言う』というのが案。うちの翼くんはやっぱり水野に甘い模様。

2019,4,19










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