今際の際


「殺さないの?」
「殺して欲しいのか?」
「・・・・・そういうわけじゃ、ないんだけどね」
苦しげに息を吐く翼の顔には、いつもの不敵な笑みなど、どこにも見当たらない。
力無く、どこか自虐的な、笑顔。
「お前がもし、ゲームに乗ってるなら・・・・瀕死の相手にでも、確実に、トドメを差すんじゃないかと、思ってさ・・・・」
途切れ途切れのその言葉を、不破は黙って聞いていた。
森の中で、偶然再会した椎名翼は、すでに誰かの襲撃を受け、重傷を負っていた。
端整な顔や、華奢な身体を血に染めた彼が、何だか痛々しくて、不破は思わず声をかけたのだ。
そこで、その、「殺さないの?」の台詞だった。
「まぁ、放っておいても、俺は死ぬんだろうけど・・・・・」
翼はすでに瞼を落としている。目を開く気力も残っていないようだった。地面を覆う血の量を見る限り、今から止血しても、もう手遅れだろう。
彼の言葉通り、彼は死ぬ。多分、そう遠くないうちに。
「お前、このゲームに・・・乗ってるのか・・・・・?」
「結論を急ぐな。まだ考察中だ」
「そう・・・」
こんな時でも、いつも通りの不破が可笑しくて。
翼は小さく、笑みを漏らした。
「ねぇ、不破、」
「何だ?」
ゆっくりと瞼を持ち上げ、その大きな瞳を、真っ直ぐ不破に向けて翼は言った。
「もし、良かったら、俺が死ぬまででいいから、側にいてくれない?」
「何故だ?」
再び翼は瞳を閉じる。痛みを堪えるような大きな息を一つ吐いて。
「死に際を、誰にも見取ってもらえないって・・・・何だか寂しいじゃん・・・」
彼らしくないと言えばらしくない、感傷的な言葉だ。
不破は一つ、瞬きをした。
「そういうものなのか?」
「そういうもんなの」
「そうか・・・」
当たり前の話だが、不破は生きている。今際の際に瀕した者の気持ちなど、分かるはずもない。元々人の気持ちに疎い彼なら、尚更。
不破には、翼の気持ちは理解できなかったが、それが彼の、最期の望みなら。
「ならば、側にいよう」
不破は、木にもたれかかっている翼の横に、すとんと腰を下ろした。己の制服が、血に濡れても構わずに。
「・・・・サンキュ」
翼はほんの少しだけ瞼を持ち上げて、口の端に笑みを浮かべた。
誰にも知られずに死ぬより、
誰かに見守られて死んだ方が、
何だか人間らしい生き方をしていたような、そんな気がして。
だから。
「不破、」
自分は、一人きりで死ぬのだと思っていた。
けれど、孤独に、ではなく、
「ありがとう」
こんな風に逝く事ができて、それが嬉しく思えた。
「・・・・礼には及ばん」
相変わらず淡々と言葉を返しながらも、不破は翼を見続けていた。
翼はもう何も言わず、小さかった呼吸がさらに小さくなって、深く息が吐かれてその後、完全にどこも動かなくなって。
それで、その少年は死んだのだと悟った。
「・・・・・」
不破は無言で翼の脈拍を確かめた。何も、感じられない。
やはり彼は死んでいた。
まるで眠っているようなその顔は、すぐにでも目を覚まして、いつものあの彼のように力強く笑うのだと、そう思えて止まないのに。
(ありがとう、か・・・・)
翼が何を思って逝ったのかは、不破には分からない。自分が側にいる事で、少しでも彼は救われたのだろうか。
死後の世界があるなんて、非科学的な事を信じている不破ではなかったが、今この時ばかりは違った。
もしも、そんな世界があるのだとしたら―――少しでも、彼の魂が安らげるように、その身体を綺麗な草の上に横たわらせて、手を組ませた。
その場から去る寸前、生きていた頃の彼の姿が、鮮やかに脳裏に浮かび上がり、やがてそれは、陽炎のように揺らいで消えた。








・・・・・・それはもう、何十時間前の事だろう。
今、不破はあの時の翼と同じように、死の淵に瀕していた。
今なら、分かる気がする。
暗闇の中、たった一人、誰もいない、・・・・・孤独。
人知れず自分は死んでいく。定時の放送でその死を知らされても、この後誰かがここに来て、自分の死体を発見したとしても。それでも自分の死の瞬間を、見てくれる人は誰もいない。
自分が”生きていた”という事を、誰も何も感じさせてくれない。自分の最期の意識で、誰の存在も感じられない。
・・・ああ、成程、誰にも知られずに死ぬのは、寂しいものだな。
「不破くん?」
ふと、懐かしいチームメイトの声がする。たまたまここを通りかかったのか、争いの物音を聞きつけて来たのか。
どちらでもいい。
彼なら、きっと自分を心配して、側に来てくれるだろう。
そう思って、不破はほんの少し、微笑んだ。
今なら、分かる。
「確かに、誰かに見取ってもらうのは、悪くないな」





<END>










不破くんと翼くんの二人で話を作ってみたくて、考えていて浮かんだのが、冒頭のシーンでした。
人知れず死ぬのだって、それも一つの死の形です。でも、思い出話を友達として、自分の中だけでの思い出が、友達との共有の思い出であるのを再確認できるように、死ぬ時に誰かに看取られる事で、それまでの自分の人生を感じる事ができるのではないかな、と思います。
まぁ、うまく言えない上に、すごい個人的な意見ですが・・・・(^^;)
結構話がまとまったのでお気に入りな作品。




2004年8月25日




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