命の重さ



「……まるで蠱毒じゃないか」
英士がぽつりと漏らした単語を、結人は不思議そうな顔をして聞き返した。
「こ、どく?」
パッと閃くのは孤独の文字だ。
結人にはそのくらいしか思いつかなかった。
「簡単にいうと、呪いの一種なんだけどね。瓶とかの器の中にたくさんの虫を入れて共食いさせるんだ。すると、いずれは一匹の虫が生き残るだろ、そいつを使って人を呪い殺すのさ」
蠱毒についてはまるで知らなさそうな結人に対し、英士は淡々と説明を施した。
古代中国において広く用いられたとのことだが、日本にも同様の物が伝わっているらしい。
「うげ、気色悪…」
結人は率直な感想を吐く。その呪いとやらを実際に行っている光景を想像してみると、そんな風にしか思えない。
結人も少年であるから、小さい頃はカブトムシだとかカマキリだとか、そんな生き物を飼った経験くらいある。
サッカーの練習から帰って来たら、水槽の中で雄のカブトムシがひっくり返っていたある夏の終わり。悲しいとか寂しいとかそんな気持ちもあったけれど、単純にその動かなくなってしまった腹部だとか六本の足だとかを見て、その造形をどこか薄気味悪く思ってしまったのも確かだった。
生きていた時はそうでもなかったのに。生きた虫、が寿命が来て死骸になっただけで、何故こうも不思議に不気味に感じるのだろう。だからあのぎざぎざの、千切れた虫の足だとか、ばらばらになった羽だとか、そういったものが無残に散らばった器の中でたった一匹だけ生き残った虫の姿……そんなもの、気持ち悪い以外の何物でもない。
胸のあたりが何だかむかむかして、結人は顔をしかめてその辺りをさする。
しかし英士はどうしていきなりこんな話をしたんだろう。
「似てると思わない?」
結人の心の中の疑問に答えるように、タイミング良く英士がそんなことを言った。
似てる? 何が?
……あ。
「このプログラムと、蠱毒がさ」
ようやく、結人は英士が何故こんな話題を口にしたのかの答えを得た。
そうだ、言われてみれば確かに似ている。
孤島という器の中に閉じ込められた子ども達。互いに殺し合わせ、最後の一人のみが生き残り、優勝者となるこのプログラム。
「蠱毒はさ、最後に生き残った虫を呪いの道具に使うんだよね。でも結人、知ってる? プログラムの優勝者は、プログラムの後どうやって生きているのか」
「し、知らねー…」
正直なところだった。
テレビの臨時ニュースでプログラムについて触れているのは見たことがある。どこの県の何々中学校が対象になったとか、場所はどこだったとか、所要時間はこのくらいだったとか、そして優勝者についてだとか。
優勝者はその時々で男子だったり、女子だったりした。当然、制服も背格好もバラバラだった。彼らに共通しているのは、ひきつった笑みを浮かべていて、どこか狂気めいた遠い目をしていて、そして少なくない血が体についているところだ。その名前すら公表はされているが、確かにその後の彼らについては、何も知らない。
「けど確か、優勝すれば一生生活には困らないんだろ…」
自信なさげに結人は補足した。そう、それはプログラムに掲げられた大きな特典だったし、出発前に担当教官も言っていた。優勝すれば、一生涯の保障が国から与えられる、と。
「うん、でもそれだけだよ」
事もなげに英士は言った。
英士はいつも通りの涼やかな表情でいつも通りの声色で、だから結人は少しだけ怖くなった。こんな状況に放り出されたのにあまりにも普段通り過ぎて、心強いと感じるより、やっぱりどこか、そら恐ろしい。
「日々の生活は保障されるのかもしれない、けど、プログラムで優勝した人達のその後は、誰も何も知らないんだよ。こんなにも国を上げて戦闘実験だって謳って、プログラムで散った命は国の礎になるんだって言って、でも何も。
だからといって優勝者は軍人になるわけでもない、政府の人間になるわけでもない。俺、中学に入ってから一応プログラムを意識して、色々調べたんだよ。それでも優勝者のその後については謎だった。もしかしたら、知っている人間もいるのかもしれないけど、それでも俺の力じゃその情報までは辿り着けなかった」
単調に語っていた筈の英士の声に少しずつ力が入り出して、結人はその静かな激しさに身を竦めた。
英士の中に籠もっているのは、プログラムに巻き込まれた怒りでもない、悲しみでもない。
そう、憤りだった。
「まさか三年生になる前に、特別プログラムだとかいう名目で―――それも東京都選抜チームのメンバーでやるなんて、思わなかった。
蠱毒の話に戻るけどね、結人。それにはたくさんの虫を入れるって言っただろ、でもそれは大抵一種類の虫じゃない。ムカデだとか蜘蛛だとかサソリだとか…色んな種類の虫を集めて、やるものなんだよ。
サッカーに秀でた少年達、なんて、一括りの枠でやることに何の意味があるんだろうね。そもそもこれは、本当に戦闘実験なのかな。蠱毒みたいに何か目的があって術者は……この場合政府は、やっているんじゃないのかな」
「え、英士。お前、なんか怖いぜ…?」
結人の笑みは最早ひきつっていた。一体何なんだろう、この違和感は。
隣にいるのは、長年慣れ親しんだ親友の筈だ。こんなプログラムの中でも信頼できる、そこまでの関係を培ってきた。
どこまでも冷静で決して取り乱すことも無くて、やっぱりいつもの英士のままで、それなのにどうして、こんなにも遠くに感じるのだろう、すぐ隣にいる筈なのに。
「俺達は本能のままに食い合う虫とは違う。
だから俺は、プログラムの先にあるそれを確かめたいんだ」
英士の凛とした意志表示。
それを耳にして間もなく、結人はすぐそばで銃声を聞いた。撃たれた、と認識する前には結人は事切れていた。英士はそれでも親友の苦しみを長引かせないように、こめかみに銃口を突き付けて真っ直ぐに撃っていたから。
「…ごめんね、結人」
呆気にとられたような顔をしてそのままばたんと後ろにひっくり返った結人に、英士はこの時ばかりは神妙な響きで手向けの言葉を贈っていた。
しかしそれもほんの僅かな時間のこと、今の銃声で厄介な奴にここを嗅ぎつけられてはまずいと、英士はすぐさま結人の分の荷物もまとめて移動の準備を始める。
まだ装備は十分でない。確実に仕留められる人間から仕留めていかないと。
極めて冷静な状況判断だった。
「……俺は、生き残った後に単に利用されるだけの虫とは違う。俺は、違う」
それでも、結局はプログラムというものの思惑通りに動かされているだけなのかもしれないとどこかで思いながら、英士はそんな考えも否定するように呟いていた。
英士はもう動かない結人を最後に一瞥して、立ち去った。親友の命を奪った銃を手にしたままで。
既に、単に動かない有機物となってしまった結人の瞼に小さな蠅が止まっても、彼はもうそれを振り払うことは無かった。






END










えーと、割と良くあるプログラム≒蠱毒ネタでした。
笛キャラで蠱毒について知っていそうなのは誰だろう……不破か……いや不破は理系だからこういうのは知っていなさそう……他に博識そうなの……よしじゃあ郭だ、というわけで浮かんだお話。

書いているうちに最初に考えていた方向とは違う方向に話が流れてしまい、こんな風に。初めは郭が「俺は虫とは違う! 政府の思い通りになってたまるか!」という感じになる筈だったんですが…。
結人の(多分)初のまともな出演作となる筈だったのにな…すまん。

初稿:2013,1,10




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