alternative double“A”





「赤羽君」
昼休みにぷらぷらと廊下を歩いていると、背後から呼びかけられた。
大人しくその場で立ち止まってカルマが気だるそうに振り返ると、そこには綺麗な笑顔をしたクラスメートがいた。夏の制服姿が凛としていて、実によく似合っている。
カルマはぼんやりとした声を出した。
「な〜に、浅野クン」
「これから勉強会の時間なんだけど…いい加減に出てくれないかな」
「何度も言うけどパス。俺には必要ないし」
「君はそうだろうね。でも、他のA組メンバーは違うんだ。クラス全体の底上げを図る為には、君にも教える側に回って欲しいんだよ」
「人に教える、とか俺そーいう柄じゃないんだよ。浅野クン達だけで十分でしょ」
「赤羽君、そんなこと言わずに…」
「あと、さ。そっちこそいー加減に、俺の前でも猫被んなくていいから」
カルマが愉快犯の笑みで言ってやると、2メートルほど前にいる優等生の温厚な顔が、すっと険しいものに変わった。浅野は腕を組み、仁王立ちになる。
「じゃあはっきりと言わせて貰うが、君のような人間がいると皆の士気が落ちるんだよ。テスト前くらい、きちんと勉強しないか」
「そうそうそれ。そっちの方がずっといーよ」
声色も先程までよりずっと鋭く、不機嫌を隠そうとしない浅野にカルマは笑う。
実力者だが不遜で傲慢。それがこの浅野の素だ。普段はいかにもな綺麗事ばかり吐いているが、その実、黒い策略が隠れていることをカルマは知っている。
カルマも本心を隠しがちな性分だからだろうか、人が口にするものが嘘かそうでないか、何となく分かるのだ。
そして浅野に関して言えば、取り澄ました顔をしているよりこちらの方が断然取っ付き易い。少なくともカルマにとっては。
「俺は大丈夫だって。何とかなるから」
「君のその根拠のない自信はどこからくるんだ」
「ん〜…経験則? 今まで大体、平常運転でも6位以内だし」
「それが厄介なんだよ……もっと真面目にやれば、君は2位も夢じゃないだろうに」
「あれ、それでも一番は浅野クンなんだ。そっちこそその自信は流石だね」
カルマはのらくらと受け答えをするが、浅野にとっては埒の明かない会話、という感じなのだろう。眉間に皺が寄っているのがありありと分かる。
浅野はその艶やかな金茶色の髪を掌でくしゃりと押さえ付けた。
「まったく、何で君みたいな不真面目な奴がA組なんだ……」
「成績がいいからでしょ、単に」
「成績だけはな。授業態度などは問題外だ。だから君は皆から英傑とは呼ばれないんだよ。実力的には君も入れて六英傑だと言ってもおかしくないのにも関わらずな」
「いいじゃん、幻の六英傑、ってなんかカッコイイ」
「………」
「でも別にいーんだよ。俺だって自分がエリートって思ってないし」
「そうだとしても、きちんとやれと僕は言っているんだ」
カルマはからからと笑うが、浅野は相変わらず怒り顔だった。せっかく校舎中クーラー効いてるのに体温上がっちゃうよ、と思う。
二人が通うこの名門私立椚ヶ丘中学校は、他の学校とは少し変わっていた。三年時になると進学校らしく成績順でクラスが振り分けられる……のはいいのだが、一つ、特異なクラス制度が設定されている。それは通称エンドのE組。成績不振者や素行不良者を集めた隔離クラス。文字通り本校舎からは隔離されて、学校敷地内の山の中にある古い木造校舎で彼らは授業を受けるのだ。
反対に、成績優秀者を集めて構成されたのが、特進クラスA組。どう考えても肌に合わない場所なのだが、毎回のテストで学年6位以内にほぼ入る学力、それ故にカルマはA組に所属していた。
浅野はというと全国統一模試1位常連という程の成績優良者で、しかも中学校全体を束ねる生徒会長でもあった。A組の学級委員も兼任している。
その上この学校の理事長の息子、となれば文句のつけようのないエリートなのだけれど、同じクラスになってからというもの、とりわけ中間テストで二人して数学で満点を取ってから、浅野は何故かいつもカルマにつっかかってくる。
成績だけはいい素行不良者なんてほっとけばいいのに、とカルマは思うが、しかしだからこそ浅野は気に入らないのだろう。自由奔放なカルマが色んな意味でクラスで浮いていることも確かだった。
たとえば今も浅野がこうして再三に渡って誘いをかけてくる、一学期末テストに向けてのA組自主勉強会。A組の者は全員参加ということになっているが、今までずっとカルマはボイコットしていた。理由は簡単。一部屋に缶詰になって勉強、なんて、自分には合わない。
そんな風にカルマは特進クラスの中にいながらどこまでもフリーダムで、クラスメート達や教師はどこか、カルマを持て余しているようだった。
浅野はやれやれといった風に溜め息を吐く。
「君という人種は、本当はE組の方が相応しいんだろうな」
「それは思うよ。少なくともこっちみたいに窮屈じゃないだろ〜し、今年のE組、なんか楽しそうだし」
浅野の嫌味をカルマは真に受ける。例年、E組は落ちこぼれの集まりということで本校舎の生徒達から軽んじられているが、どうも今年度のE組は何か違うようなのだ。成績も上がっているらしいし、先月の球技大会では野球部の選抜チームに奇策を駆使して勝ってしまった。
特に、確か磯貝と前原とかいったか、その二人が見せたバッターからのゼロ距離守備はなかなかに面白かった。今度進藤君に頼んで試してみよっかな、とカルマが考えてしまう程度には。面倒な球技大会を珍しくさぼらなかった甲斐があったというものだ。
「浅野クンもそう思ってんなら、俺、E組に行こっかな」
「! ……それは、駄目だ」
軽くカルマが口にすると、本当に微かに浅野の顔色が変わった。それでカルマはにやぁっとして、顔を傾けて浅野を見上げるようにして、言う。
「なに、俺にそばにいて欲しいって?」
「……っ、何故そうした言い回しをするんだ。単純なことだ。君のような成績優秀者にこのタイミングで抜けられるのは困る。A組は今回のテストで成績優秀クラスとして高みを目指し、他のクラスに模範を示す為にもトップ40を独占する必要が……」
「はいはい、もうそのお説教聞き飽きたよ」
お決まりの文句にカルマは欠伸をする。そんな御為倒しはうんざりだ。いつもはしない勉強会なんて開いて、絶対に裏がある癖に。
「とにかく俺は出ないから。そんじゃね〜」
「赤羽っ!」
ひらひらと手を振って、カルマは浅野の前から立ち去る。何を言っても無駄と悟ったのか、浅野は声を荒げはしたが追いかけてはこなかった。
普段は見せない浅野のそうした剣幕に、廊下を歩いていた他の生徒達が何事かと振り返っている。浅野は再び猫を被り、何もなかったように整った笑みを浮かべている。
ちらりとそれを見て、カルマは思う。いつも普通に、さっきみたいな年相応の顔してればいいのに。
生まれてこの方エリート扱いだから仕方ないんだろうけど、面倒な生き方だと思う。










それから二日後、カルマは帰りの椚ヶ丘駅のプラットホームで見知った水色頭を見かけた。
のんびりと近付いて話しかける。
「よ〜、渚君じゃん」
「…カルマ君」
潮田渚。一、二年の時はクラスが同じだった友人だ。今春からはE組に属している。校舎が違うので以前よりは疎遠になっていたが、こうして会えば話はする。
「今度のテスト、何だか大変なことになってるんだって?」
「うん…まぁ、成り行きでね」
渚は力なく笑う。
カルマも詳しくは知らないが、噂によるとこうだ。
学校の図書室で、A組とE組の生徒が場所を巡って言い争いになった。A組の方のメンバーは、五英傑と称される少年達。学校でもトップクラスの成績を誇る彼らに、E組の者達は自分達こそが教科トップを取る、と宣言したらしい。
ならばと五英傑は賭けを持ちかけた。五教科のトップ対決で、より多く勝ったクラスが負けたクラスに何でも命令を下せるということにしよう、と。
E組もそれを了承し、こうして些細な諍いは大事になった。図書室に居合わせなかった浅野はその件について知るや否や、これ幸いと何やら企んでいるようだが。
「浅野クン、何だか妙なこと企んでるみたいだから、気をつけた方がいいよ」
共に乗り込んだ電車の中で気さくに忠告すると、渚はあははと苦笑いした。彼の背後の窓の向こうを、景色が通り抜けていく。
「カルマ君もA組なのに、何だか他人事みたい」
「そりゃ、ね。俺はE組に対してどーの、とか興味ないし、ふつーにテスト受けるだけだから」
「……カルマ君くらいだよ。本校舎の人で、E組に落ちた僕に普通に話しかけてくれるのはさ」
渚が今度は暗い笑みを浮かべたので、カルマは打ち消すように笑う。
「だってさ、E組行こうがなんだろうが、渚君は渚君でしょ」
俺にしてみれば成績がちょっと悪いくらいであんなに差別されるのがおかしい、とカルマは続ける。
学校のそうした制度は知っている、成績不振者の為に(という名目で)特別なカリキュラムを課すのも、まぁいいだろう。しかしだからといってそこで過ごす友人達のことを無闇矢鱈に馬鹿にするのは何か違うんじゃないか、と思うのだ。
カルマの言葉に、渚はへらっと笑った後に溜め息を吐いた。
「カルマ君はすごいよね。相変わらず。……もしも、カルマ君もE組だったら……色々と心強いんだけどな」
「あれ? 渚君もそう思ってる? 俺も実は、俺にはE組の方が合ってるんじゃないか、って思うんだよね」
「……ホント?」
渚は大きな瞳を瞬かせる。期待感のようなものが透けて見える。
しかし残念ながらその期待には沿えられそうにない。カルマは両手で二つのつり革を掴み、だらりとする。
「でも、そっちに行くのはよっぽどのことでもないと多分無理かな。浅野クンが俺のこと手放してくれなさそーだし」
「浅野君が?」
渚は不思議そうだ。
「そ。俺はE組の方が似合うとか言いつつ、貴重な戦力逃がしたくないんじゃない? 何かと俺に絡んできてはお小言ばっかり。姑かっての」
「そういうイメージ…あんまりないけどな」
「集会とかだといっつも猫被ってるからね。いやもうホントに見事に。ま、俺はどっちかってーと素の浅野クンの方が見てて面白いけど」
思えばクラスで毛色の違うカルマに、真正面から話をしてくるのは浅野くらいだ。他のクラスメートはカルマからは一歩引いていてあまり話かけてこないし、カルマの方も何となく馴染まなかった。
内容はともかく、少なくとも浅野はカルマに話しかけてくる。授業を真面目に受けろ、椅子にはちゃんと座れ、制服を着崩すな、妙な物を飲むんじゃない……エトセトラ。もう少し言い方はソフトだが。
大抵はお小言だったが、屁理屈を並べて受け流すのはなかなかに面白かった。浅野の反応が。いつも澄ました顔をしている浅野がカルマには感情を剥き出しにする、その点が楽しくて、ついからかいたくなる。何だかんだで頭のレベルも近いので、高度なやりとりができるのも、割りと好ましく思っていた。
「カルマ君、今のクラス楽しいんだね」
「楽しい…のかなぁ。そりゃ、浅野クンのおかげで退屈はしないけど」
ふわりとした表情の渚の一言にカルマは考える。正直なところ、A組に特に思い入れはない。勉強勉強と追い立てられて窮屈だ。授業は確かに高度なんだろうが、面白みというものは全く無い。
そんな空間でも浅野がいるということは、少なくともカルマにとってはいい刺激ではある。浅野は勉強もスポーツも大抵満遍なくできて、カルマも似たようなものだった。性格は似ていないけれど性質は近いものがあって、だから反発したり、引き合ったりするのかもしれない。
その浅野がいなかったら、カルマにとってのA組はもっと味気なかっただろう。彼以外の五英傑も十分過ぎる程に優秀なのだが、相手にするのはちょっと物足りなくカルマは感じるのだ。
「僕も、今のクラス好きだよ」
しっかりした渚の声に意識を引き戻される。
カルマが小柄な渚を見下ろしていると、渚はどこか自信に満ちた表情を浮かべていた。
「だからテストも頑張るんだ。僕じゃカルマ君達には敵わないかもしれないけど、全力を尽くしてやるつもりだから」
「渚君、気合い入ってるね〜」
カルマは渚の気概に素直に感心する。やる気を持ってテストに臨むのは、普通に考えればいいことだ。自分とは違うな、と思う。
……それにしても今、“やる”のイントネーションが“殺る”に聞こえたのは気のせいだろうか。
渚君ってこんなにぎらぎらしてたっけ。何だかE組になってから、ちょっと雰囲気が変わった感じがする。










外では7月の太陽が元気に活動中だが、本校舎は空調がしっかりしているのでいつでも快適だ。
しかし涼しい空気の温度を更に下げるような声を、廊下で待ち伏せしていた人物は発している。
「………赤羽」
「うっわ、浅野クン顔怖い」
カルマは大袈裟に驚いてみせる。今の浅野の顔を見たら、ファンの女子の何割かは減るんじゃないだろうか。ドン引いて。
せっかくの美形が台無しだと思う。美形なので怒りの表情自体は様にはなっているのだけれど。
「とうとう君は最後まで勉強会に参加しなかったな。明日からテストだっていうのに。本当に呆れた奴だ」
「今更いいじゃん。ラスト一日だけ参加したって大した意味ないよ」
「………まったく、君だけだよ。A組で僕の指示を聞かないのは」
浅野は苦い表情をしてこめかみの辺りを手で押さえている。よほど頭が痛いらしい。
「成績さえ悪かったら、君はとっくにE組行きだ」
「こないだからそればっかりだね。浅野クンは俺の成績しか見てないんだ」
「……この学校は成績がすべて。それは分かっているだろう」
鼻で笑ったカルマに、浅野は念を押すように言う。
勿論、この学校がそうした場所であることは分かっていた。徹底した、学力至上主義。しかしそこでしか物事を判断しないという点にカルマが違和感や反発を覚えるのは確かだった。たとえば先日会った渚はE組に行っても渚のままだったし、むしろ以前よりも逞しくなったようにも見えた。
勉強、成績。その大切さは理解できる。しかしそこばかりに執着するのはつまらない、とカルマは思う。
「分かってるよ。でもさ、何か違う気がすんだよね」
赤い毛先を指でいじりながら、カルマは興醒めだという風に口を開く。
浅野が不可解そうに眉をひそめた。
「何がだ」
「テスト前に猛勉強してさ、いい点取ったとするよ。でもそれって、本当に実力なのかな。実力ってのはさ、もっと長いスパンで身に付くものでしょ。本当の勝利ってのは通常モードの実力で勝ってこそじゃないかって、俺は思うんだけど」
常々思っている持論をカルマは述べた。付け焼き刃は所詮付け焼き刃でしかない。長い間で作り上げ、日頃の自分が持っているもの、それが本当の意味での実力だと思うのだ。
テスト前だからといって躍起になって勉強をして勝っても、それは本当の勝利とはいえない。無理をした末の辛勝だ。
特に何もせずとも、通常運転でさらっと勝ってこその完全勝利。それこそが正しい勝ち方である、と。
「……ある程度は同意だが、賛成はできないな。勝つ為には出来得る限りのことをして、全力を尽くすのが僕の流儀だ」
元々完全に同意して貰えるとは思っていない。気難しい顔をする浅野に、カルマは試すように笑う。
「そんなに勝ちたいわけ。何で今回に限って。何の為に?」
「勿論、A組の為だ。学校のトップに君臨するクラスとして、むしろそれは義務じゃないか。E組などに後れを取るわけにはいかない」
「A組の為、ね。自分の為のようにも見えるけど」
端的にカルマは指摘した。このところの浅野はやたらA組としてどうの、と主張しているが、何となく、クラスの皆の為というより自分の為の勝利を欲しているように、カルマは思えたのだ。
A組全体の底上げを目指していると浅野は言うが、カルマはそのままでもある程度の成績は出せるのだから放っておけばいい。生徒に得意教科を教える人材なら、五英傑だけで十分だろう。なのにこうもしつこく勉強会への参加を求めるということは、カルマにも勝利を、つまり賭けに勝つ為の一手を求めているような気もしていたのだ。
カルマはにぃっと笑って返答を待つ。図星だったのか、やや間があった。
「……そこまで大口を叩くからには、君には勝算があるんだろうな?」
「勿論。勝つよ。俺のやり方でね」
「じゃあそうしてみればいいさ」
カルマの強気の宣言に、浅野は厳しい顔つきのままそう言い残して踵を返す。肩で颯爽と風を切りながら去っていく、そのすらりとした背中を見送りながらカルマは思う。
随分と躍起になっちゃって。いつもの浅野らしくもない。
でもまぁ、いい機会かな。学生の本分は学業? 上等だ。
賭けには興味はないが、どういった勝ち方が本当の勝ち方か、実際に教えてやろう、と。












それぞれの思惑が交錯した、一学期の期末テストが終わった。
今日は答案の返却日。つい先程に返されたそれは、カルマの左手の中でくしゃくしゃに丸め込まれていた。
ここは本校舎の中庭。休み時間だが他に人影はない。
「…………」
日陰の壁にカルマは寄りかかる。
こんな筈じゃなかった。特に根を詰めて勉強などしなくても、大丈夫だと思っていた。平常運転の自分でも、余裕で勝てると思っていた。それが……
「………チッ」
舌打ちが勝手に出てくる。今回のカルマの戦績は五教科合計469点、学年13位 。学年全体から見れば十分に好成績なのだが、カルマの普段の順位よりも随分と下回った。
得意の数学の点数が振るわなかったことが特に痛かった。85点。いつもなら大して勉強しなくても95点は軽く超えるのに。
いや。本当はテストを受けている時にカルマは気付いていたのだ。今回は駄目かもしれない、と。どの教科も基礎問題は難なく解けたが、応用問題で手が止まった。途中までは解けるのに、あと一歩で解が出ない。 そんな問題が幾つもあって、結果的に正解を取り零した。
手を抜いても余裕で勝てると思っていただけに、この結果はカルマにとってはとても意外だったとしか言いようがなかった。そしてその現実に存外、ショックを受けている自分がいた。
今までは大きな努力をしなくても、カルマはそれなりの結果を出してきた。何となく、いつの間にかそれが当たり前になっていた。敵となる相手がほとんどいなかったこともある、だから今回もそのまま挑んで、このザマだ。
「………くそ」
カルマは答案用紙を更に握り締める。本当はこのままここでびりびりに破いてしまいたかった。何故こんなにも悔しいのだろう。
「教室からふらりといなくなったかと思えば、こんなところにいたとはね」
「……あれ、浅野クン。さっき理事長室に呼ばれてなかったっけ」
気配なく近付いてきた浅野に、何でもない風を装ってカルマは言う。先程彼は校内放送で理事長に呼ばれていた。
「もう済んだよ。帰りに君のことが見えたものだから」
「そう。んで、ここまで来て何。笑いに来たの」
「あぁそうだな。大口を叩いてまんまと自滅して、実に無様だな。皆が頑張っている中、怠けているからそういうことになるんだ。自分がどれだけ愚かしかったか、これで良く分かっただろう」
どストレートの正論にカルマは口を尖らせる。言われるまでもなく分かっている。しかし実に言い方に遠慮というものが無い。
「リーダーならちょっとくらい慰めてくれたっていいのに。ケチだね」
「生憎と、サボリ魔にかける慰めの文句を知らないんだ。なんだ、優しい言葉でも欲しかったのか?」
「……いらない。なんか今は、何も考える気しねーし……」
カルマは無造作に足元の芝生に仰向けで寝転ぶ。空はこの心の中とは正反対に晴れ晴れしていた。太陽も痛いくらいに眩しい。
優しい言葉なんていらない。慰めも。怠けた自分が余計に惨めになるだけだ。
そもそも、この浅野がそんな温い言葉を吐くと思えない。先程のはただの冗談だ。仮に浅野が優しい何かを言ったとしたら、まずその神経がどうかしていないかを疑う。
浅野は偉そうに立ったままカルマを見下ろしている。
「……汚れるぞ」
「い〜よ別に。……ところでさ、浅野クン。さっきから気になってたんだけど……何でずっと、そんなに怖い顔してんの」
「………」
カルマはやっと少しだけ笑って浅野を見上げる。視線の先の浅野は、ここに来た時からずっと、その表情をしていた。
「まるで今にも人を殺しちゃいそうな顔」
「………」
喩えるならそれが一番的確だった。抑えきれない怒り。苛立ち。全身から立ち昇る禍々しさ。
カルマだからこそごく自然と会話を交せるが、他の生徒だったらその凍るような視線だけで心の底から震え上がるだろう。
「……悔しいのは君だけじゃないということだ」
「浅野クンが? だって学年1位じゃん」
「だが、賭けには負けた」
「………」
浅野の口調こそあっさりしていたが、苦渋が籠っているのは丸分かりだった。
結果として、A組はE組との賭けに負けた。主要五教科のうちA組がトップを取ったのは国語と数学のみ。それも、両方とも浅野一人がもぎ取ったものだ。彼以外の五英傑は、E組の教科トップ達には勝てなかった。
浅野は総合1位をキープしたが、学年50位内にはE組生徒が何人も名を連ねた。彼としては成程、大いに不満な顛末だろう。先程理事長に、皮肉の一つ二つでも貰ったのかもしれない。
「目標は果たせなかった。僕一人が1位でも意味はない。十分に負けだ」
「それでそんな顔してんだ。初めて見るよ、浅野クンのそんな顔」
「僕も初めてだよ。いつも余裕綽々な君の、先程のような表情を見たのはな」
カルマは既に笑みを取り戻していたが、浅野がそこまで言うなんて自分はどんな顔をしていたのだろう。誰にも見せない弱い面を勝手に見られてしまったようで、僅かに頬が熱くなる。
「何にせよ、これで分かった筈だ。君の理屈では勝つべき時に勝てないということが」
「浅野クン達だってやるだけやって勝てなかったじゃん。そっちが正しいって証明にはならないよ」
「口が減らないな。ついさっきまで落ち込んでいた癖に」
「はァ? 落ち込んでたって誰が。浅野クンこそ、もっの凄い顔してた癖に」
浅野の言葉を聞いていると、意識するよりも先にこちらも言葉がぽんぽん出てくる。
いつもと変わらぬ浅野とのやりとりに、カルマの気分は少し浮上していた。優しさなんて欠片もない棘だらけの言葉なのに、それでも不思議と。
「……とにかく、次は必ず僕らが勝つ。これに懲りたら、君もしっかり勉強するように」
「……もーすぐ夏休みだってのに勉強漬けか。つまんねーの」
カルマは冷めた顔でそっけなく言う。せっかくの中学校生活最後の夏休みなのに勉強か。高校まではエスカレーターだから受験勉強も必要ないのに。
しかし今まで通りのそうした意識のままなら。きっとカルマは上を目指そうとする者達から取り残されてしまうのだろう。今回以上に。浅野のことだから、次回は更に猛勉強するんじゃないだろうか、これだけ不服な結果だと。
それはそうと、あんなにおっそろしい顔をしていたのに。周りのこと考える余裕もなさそうだったのに。
相変わらず怖い顔をしている浅野を、カルマはじっと見る。
「……俺のとこに、わざわざ嫌味言いに来てくれたんでしょ、浅野クン」
「ああそうだが? お察しの通り僕は今、大変に機嫌が悪くてね、先程も言ったが、油断して無惨に負けた君をせせら笑いに来てやったんだよ」
「そんなことだろーと思ったよ。でも、おかげでちょっと調子出たかな」
それでもわざわざここに立ち寄ってくれた。八つ当たりという理由が大半だろうが、叱咤激励のようにも思えたのは深読みし過ぎだろうか。浅野に限ってそんなことはないか。
そう思いつつ、カルマの唇は勝手に弧を描く。
「……僕はそろそろ教室に戻るが、君は」
「もーちょいここにいる」
「さっそくサボりか。何も分かってないじゃないか」
「今くらい多めに見てよ」
カルマは手を頭の後ろで組んで枕にする。
完全に寝る姿勢になったカルマに、浅野はいつものように溜め息を零す。
「君はA組の主戦力だからな。いつまでも腑抜けていたら承知しない」
「やっぱ戦力扱いなんだ」
「………。………本当にそれだけだったら、わざわざ寄らないさ」
「………」
思わぬ浅野の一言に、目が自然と丸くなる。
確かに、嫌味を言うだけにしてはわざわざ寄らない場所だ。だって、理事長室出たとこから廊下をぐるっと回って、下駄箱で靴に履き替えて、それから更に中庭まで出ないと来られない場所だよ?
まぁ、それだけやる気の無かったカルマに腹を立てていた、という線もあるが、それにしては労力をかけてくれたものだ。
皮肉の一つでも言ってやろうと思ったが何も浮かばなかったので、そのかわりにカルマは小さく笑う。多分、柔らかいものだったかもしれない。
そのせいなのかどうか、浅野の怖い顔がほんの少し緩んだ。本当にほんの少しだけ。
それきり浅野は去っていく。寝転んだままカルマはそれを見送り、思う。次はこうはいかない。見てろよ、絶対に驚かせてやるから、と。
今度こそ浅野を大きく上回って、散々にからかってやる。あの整った顔がサボリ魔にまんまとしてやられて歪むのを眺めるのも一興だろう。そう思えば、真面目に勉強、なんて性に合わない真似もできるかもしれなかった。
「……俺も、少しはやる気出すかなぁ」
それでもまだ横たわったままで、カルマは独りごちる。夏の空はどこまでも青くて、高さの限界が見えなかった。
あと一年足らずの中学校生活。勉強に精を出すのも、だったら悪くないかもしれない。








END
















カルマがもし暴力沙汰を起こさないで三年生になっていたら成績はいいからやっぱりA組だったのかなとか、その場合でも浅野君や他の五英傑とは仲良しこよしはしてないだろうなとか、頭はいいけど英傑としては数えられてないだろうなとか、テスト前の勉強会は絶対サボるだろうなとか、そんな妄想から生まれたカルマA組IF。


E組は原作と同じまま暗殺教室なんだけど、カルマがいないと詰みそうな場面がいくつかあると思われる…けど、そこはみんなで頑張って何とかしたということで。細かいことは気にしない。


もし同じクラスだったら浅野君はこうやってお小言言うか、完全無視するかどっちかだと思うんだ。でもカルマがフリーダム過ぎるから見るに見かねて…みたいな。振り回されていると良い。


タイトルは「オルタナティブ・ダブルエース」…と読む。もしもの二人のエース、みたいな。


2015,4,18

初稿:2015,3,28













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